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黄金の館

第29話 黄金の館


 朝食の席で、ミアは一枚の紙をテーブルに置いた。


「今日の予定を確認するわよ」


「はーい!」


 エリシアが元気よく手を上げる。


「まず、昨日フィールに誘われた賭場へ行くこと」


「うん!」


「そこで最近の事故や揉め事について、何か情報がないか調べること」


「うん!」


「それから――」


 ミアはエリシアを真っ直ぐ見た。


「絶対に大金を賭けないこと」


「分かってるってば!」


「本当に?」


「本当!」


「昨日も一昨日も、景品が欲しいって何度も挑戦してたじゃない」


「あれは遊びだもん!」


「お金を払って、結果によって景品が変わるんだから、似たようなものよ」


「うっ……」


 エリシアが言葉に詰まった。


 レオンが苦笑する。


「まあまあ。今日はフィールもいるんだし、いきなり危ないことにはならないんじゃないかな」


「そのフィールが何者なのか、まだ分かってないのよ」


 ミアは腕を組んだ。


「悪い子には見えないけど、あの賭場の関係者みたいだったし」


「確かにな」


 ダグラスが頷く。


「昨日の黒服の男も、随分と丁寧な態度だった」


「……そうだね」


 ジョシュアは静かに頷いた。


 昨日、フィールは街で起きている事故について、少しだけ表情を曇らせていた。


 それでも、最後には笑っていた。


 みんなに楽しんでほしい。


 この街が好きだ。


 彼女が口にした言葉は、どれも本心のように聞こえた。


「……フィールは、いい人だと思う」


 ジョシュアが呟く。


「うん!」


 エリシアが大きく頷いた。


「私もそう思う!」


「いい人だからって、何もかも信用していいわけじゃないのよ」


 ミアはそう言いながらも、少しだけ表情を和らげた。


「でも、話を聞いてみる価値はあるわね」


「決まりだね」


 レオンが笑った。


 その時、食堂の扉が開いた。


「おっ、みんな早いな!」


 時風だった。


 片手には紙袋。


 もう片方には、既に半分ほど食べられた焼き菓子が握られている。


「……また食べ歩き?」


 ミアが呆れたように尋ねた。


「朝飯は別腹だ!」


「意味が分からないわよ!」


 時風は笑いながら椅子に腰を下ろした。


「で、今日はあの大きな賭場に行くんだろ?」


「はい」


 ジョシュアが頷いた。


「時風さんも一緒に行きますか?」


「もちろん!」


 時風は即答した。


「久しぶりに中を見ておきたいしな」


「……時風さん」


 ミアが眉をひそめる。


「ん?」


「絶対に大金を賭けたりしないでくださいね」


「はははっ!」


 時風は笑った。


「善処する!」


「そこは約束して!」


◇


 巨大賭場《黄金の館》。


 その建物は、《煌めき通り》の中心部にそびえていた。


 白い石材と金色の装飾で作られた外壁。


 何本もの太い柱が支える正面玄関。


 そして、屋根の上には巨大な星の飾りが輝いている。


 入口には赤い絨毯が敷かれ、正装した従業員たちが訪れる客を迎えていた。


「……大きい」


 ジョシュアが呟いた。


「王都のギルドより大きいんじゃない?」


 エリシアが目を丸くする。


「建物だけなら、そうかもしれないね」


 レオンが答えた。


 入口の前には、様々な客が集まっていた。


 豪華な衣装を身につけた貴族風の男女。


 大きな鞄を抱えた商人。


 旅装のまま入ろうとしている冒険者。


 誰もが期待に満ちた表情を浮かべている。


 その一方で、建物から出てくる人々の表情は様々だった。


 笑いながら歩く者。


 肩を落とす者。


 無言で地面を見つめる者。


「……あの人、大丈夫かな」


 エリシアが小さく呟いた。


 入口の脇で、一人の男性が壁にもたれていた。


 男は空になった財布を何度も開き、ため息をついている。


「負けたんだろうね」


 レオンが答えた。


「賭場では珍しくない光景だよ」


「……そうなんだ」


 ジョシュアは男を見つめた。


 やがて男は財布を閉じ、ふらふらと歩き去っていった。


 その背中を見送っていると、聞き慣れた声が響いた。


「おーい!」


 振り向くと、赤と黒の衣装を身につけたフィールが手を振っていた。


「みんな!」


「フィール!」


 エリシアが笑顔になる。


「来たよ!」


「うん! 待ってた!」


 フィールは小走りで近づいてきた。


 今日も小さな道化師の帽子をかぶっている。


「六人とも揃ってるね!」


「はい」


 ダグラスが頷いた。


「今日は案内を頼んでもいいのか?」


「もちろん!」


 フィールは胸を張った。


「任せて!」


 その時、入口に立っていた従業員がフィールに気づいた。


 男は慌てて姿勢を正す。


「フィール様、お戻りで――」


「しーっ!」


 フィールは人差し指を唇に当てた。


「今日はお友達と遊びに来たの!」


「……し、失礼いたしました」


 男は深々と頭を下げた。


 ミアがその様子を見つめる。


「……ねえ、フィール」


「ん?」


「あなた、ここで働いてるの?」


「うん!」


 フィールはあっさり頷いた。


「まあ、そんな感じ!」


「……そんな感じ?」


「細かいことは気にしないで!」


 フィールは笑いながら一行を入口へ案内した。


「さあ、入ろう!」


◇


 建物の内部は、外観以上に豪華だった。


 高い天井からは巨大な魔導灯が吊るされ、床には磨き上げられた大理石が敷き詰められている。


 壁には金色の装飾が施され、至るところに星の模様が刻まれていた。


 広間の中央には大きな噴水があり、その周囲には様々な遊戯台が並んでいる。


 客たちは札を手に取り、球の行方を見守り、数字が読み上げられるたびに歓声を上げていた。


「すごい……!」


 エリシアが目を輝かせる。


「昨日の遊技場とは全然違う!」


「ここは本格的な賭場だからね!」


 フィールが笑った。


「でも、見てるだけでも楽しいよ!」


 レオンが周囲を見回す。


「随分と種類があるんだね」


「うん! 札遊びも、数字遊びも、球を使うものもあるよ!」


「……どれもお金を賭けるんですか?」


 ジョシュアが尋ねた。


「基本的にはね!」


 フィールは頷いた。


「でも、奥には練習用の台もあるんだ。そこならお金を賭けずに遊べるよ!」


「それなら安心ね」


 ミアが答えた。


「じゃあ、まずは練習用の場所に行こうか!」


 フィールが歩き出す。


 その途中、ジョシュアは一つの遊戯台に目を留めた。


 丸い台の周囲に、十人ほどの客が集まっている。


 中央では、小さな白い球が回転していた。


「赤! 赤だ!」


「いや、黒だろ!」


「頼む、今度こそ……!」


 客たちが身を乗り出す。


 やがて球が止まった。


「十七番、黒!」


 係員が声を上げる。


 歓声とため息が同時に広がった。


 一人の男性が両手を上げる。


「やった!」


 その隣では、別の男性が頭を抱えていた。


「……また外れた」


 係員は淡々と札を回収し、勝者へ配当を渡していく。


 ジョシュアはその光景を見つめた。


「……不思議だね」


「ん?」


 フィールが振り向く。


「……同じ球を見てるのに、喜ぶ人と悲しむ人がいる」


「ふふっ」


 フィールは笑った。


「それが賭け事だからね!」


「……そうなんだ」


「誰かが勝てば、誰かが負ける。全部の人が勝てるわけじゃないんだよ」


 フィールは軽く肩をすくめた。


「だから、遊ぶ時は自分で限度を決めないと駄目なんだ!」


「……なるほど」


 ジョシュアは頷いた。


 その隣で、時風が小さく笑った。


「そうだな。限度は大事だ」


「……時風さんが言うと、説得力がないわね」


 ミアが呟いた。


「はははっ!」


◇


 練習用の広間には、賭け金を必要としない遊戯台が並んでいた。


 フィールはその中の一つを指差した。


「じゃあ、今日はこれ!」


 そこには、緑色の布が張られたテーブルがあった。


 上には五十二枚の札が置かれている。


「札遊び?」


 レオンが尋ねる。


「うん! 《二十一》っていう遊び!」


 フィールは札を手に取った。


「ルールは簡単だよ!」


 彼女は説明を始めた。


 数字の札は、その数字のまま数える。


 絵札は十。


 一の札は、一か十一の好きな方として扱える。


 目標は、札の合計を二十一に近づけること。


 ただし、二十一を超えたら失敗。


 そして、最後に親役より数字が大きければ勝ちとなる。


「なるほど!」


 エリシアが頷いた。


「簡単そう!」


「ふふっ!」


 フィールが笑う。


「じゃあ、やってみよう!」


 最初の挑戦者はエリシアだった。


 配られた札は、七と八。


「十五!」


 エリシアが声を上げる。


「もう一枚引く?」


 フィールが尋ねた。


「もちろん!」


 エリシアは即答した。


 フィールが札を一枚渡す。


 九。


「……二十四」


 エリシアが固まった。


「失敗!」


 フィールが笑った。


「ええーっ!」


「欲張りすぎだよ!」


「だって、十五じゃ勝てないと思ったんだもん!」


「そういう時もあるよ!」


 次はダグラスだった。


 配られた札は十と九。


「十九か……」


 ダグラスは少し考えた。


「ここで止める」


「了解!」


 フィールが親役の札を開く。


 十と六。


 親は十七以上になるまで引く決まりなので、もう一枚引いた。


 八。


「二十四!」


 フィールが笑った。


「親の失敗! ダグラスの勝ち!」


「おお」


 ダグラスが驚く。


「勝てたな」


「慎重なのがよかったね!」


 フィールは拍手した。


 その後も、レオン、ミア、ジョシュアと順番に挑戦した。


 レオンは数字を計算しながら堅実に勝負し、ミアは無理な追加を避けて何度か勝利した。


 そして、ジョシュアの番になった。


「はい!」


 フィールが札を配る。


 ジョシュアの手元には、一と七が並んだ。


「……十八?」


「そう!」


 フィールが頷く。


「一の札を十一として数えれば十八だね!」


「……なるほど」


「もう一枚引く?」


 ジョシュアは少し考えた。


 十八。


 二十一まで、あと三。


 追加の札で三以下が来れば数字を伸ばせる。


 しかし、それより大きければ失敗してしまう。


「……やめておきます」


「了解!」


 フィールは親役の札を開いた。


 九と七。


 十六。


 追加の札は五だった。


「二十一!」


 フィールが両手を広げる。


「親の勝ち!」


「……負けちゃった」


 ジョシュアが小さく笑った。


「惜しかったね!」


 フィールも笑う。


「でも、十八で止めるのは悪い判断じゃないよ!」


「……そうなの?」


「うん! 勝てるかどうかは、最後まで分からないからね!」


 ジョシュアは札を見つめた。


「……運も必要なんだね」


「もちろん!」


 フィールは頷いた。


「でも、運だけじゃ勝てないこともあるんだよ!」


 その言葉に、時風が笑った。


「いいこと言うじゃないか」


「ふふん!」


 フィールは得意げに胸を張った。


◇


 昼を過ぎる頃には、六人とも遊戯の基本的な規則を覚えていた。


 フィールは次々と別の遊びを紹介し、エリシアはそのたびに歓声を上げていた。


 しかし、ジョシュアは時折、広間の外へ視線を向けていた。


 練習用の広間と違い、本物の賭場では大金が動いている。


 勝者は笑い、敗者は肩を落とす。


 その光景自体は、何もおかしくない。


 けれど。


 昨日まで調べていた出来事が、どうしても頭から離れなかった。


「……ジョシュア?」


 フィールが声をかけた。


「……あ」


「どうしたの?」


「……少し、考え事をしてた」


「考え事?」


「……うん」


 ジョシュアは少し迷った。


 それから、静かに尋ねた。


「……フィール」


「ん?」


「……この街で、最近すごく運が悪くなった人がいるって話、覚えてる?」


 フィールの笑顔が少しだけ薄れた。


「……うん」


「……僕たち、昨日も調べてたんだ」


「そうなんだ」


「……それで」


 ジョシュアは広間の外を見た。


「……賭け事をしていない人にも、同じようなことが起きてるみたいで」


「…………」


 フィールは黙った。


「……時計屋さんとか、花屋さんとか」


 ジョシュアは続けた。


「……普通に暮らしてる人たちが、困ってるんだ」


「……そっか」


 フィールは小さく呟いた。


 その表情には、先ほどまでの明るさがなかった。


「……フィール?」


「……ううん!」


 フィールは慌てて笑った。


「何でもない!」


 そして、少しだけ声を落とした。


「……教えてくれて、ありがとう」


「……うん」


 フィールはジョシュアを見つめた。


「……ねえ、ジョシュア」


「……はい?」


「もし、この街で何か悪いことが起きてるなら……」


 そこで言葉を止める。


 しばらく考えた後、彼女は微笑んだ。


「……ちゃんと、何とかしたいな」


 ジョシュアも頷いた。


「……僕も、そう思う」


◇


 午後。


 フィールは一行を賭場の奥にある休憩室へ案内した。


 そこには柔らかな椅子と小さなテーブルが並び、軽食や飲み物が用意されていた。


「ここなら少し静かだよ!」


 フィールが笑った。


「好きに休んでいって!」


「ありがとう」


 ミアが頷いた。


「助かるわ」


 エリシアは早速、菓子の皿へ手を伸ばした。


「これ美味しい!」


「でしょ!」


 フィールが嬉しそうに笑う。


 レオンは飲み物を口にしながら、窓の外を眺めた。


「……随分と立派な施設だね」


「まあね!」


 フィールは頷いた。


「ここは《煌めき通り》でも特に大きな建物だから!」


「……そういえば」


 ダグラスが口を開く。


「この賭場は《煌星》が管理しているんだったな?」


「うん!」


 フィールはあっさり答えた。


「そうだよ!」


「じゃあ、君も《煌星》の関係者なのか?」


 フィールは少しだけ目を瞬かせた。


 それから、にっこり笑う。


「ふふっ。まあ、そんなところ!」


「……なるほど」


 ダグラスはそれ以上追及しなかった。


 ミアは少し考え込んでいたが、やがて口を開いた。


「ねえ、フィール」


「ん?」


「この街で起きてる事故について、誰か詳しい人を紹介してもらえないかしら?」


「詳しい人?」


「うん。警備の人とか、街の管理をしてる人とか」


 フィールは考え込んだ。


「……そうだね」


 そして、頷いた。


「ちょっと聞いてみる!」


「本当?」


「うん!」


 フィールは立ち上がった。


「少し待っててね!」


 そう言って、部屋を出ていった。


◇


 フィールが廊下を歩いていると、黒服の男が近づいてきた。


「フィール様」


「ん?」


「お探ししておりました」


「どうしたの?」


「本日の収支報告について、確認をお願いしたい件がございます」


「今?」


「はい」


 フィールは少し困ったように笑った。


「……分かった」


 そして、男について歩き始めた。


 案内されたのは、賭場の上階にある執務室だった。


 大きな机の上には、何枚もの書類が積まれている。


 その前に、一人の男性が立っていた。


 灰色の髪を後ろへ撫でつけた、細身の男。


 黒い礼服を身につけ、胸元には金色の星の徽章が輝いている。


「お待ちしておりました、フィール様」


 男は丁寧に頭を下げた。


「……ヴァルター」


 フィールが呟く。


「今日は何?」


「少々、ご確認いただきたいことがございます」


 ヴァルターは一冊の帳簿を机に置いた。


「先月の特別運用に関する報告です」


「ああ、そっちね!」


 フィールは椅子に腰を下ろした。


 帳簿を開く。


 そこには、通常の賭場の収支とは異なる数字が並んでいた。


 特別顧客への配分。


 運用回数。


 そして、幸運の調整量。


 フィールは数字を眺めた。


「……今月、結構使ってるね」


「はい。特別顧客の利用が増えておりますので」


「ふーん」


 彼女は頁をめくった。


 フォルトゥーン。


 正式には、《運命変換器(フォルトゥーン)》。


 幸運を操作する力を持つ、特別な遺物。


 それをこの街へ持ち込んだのは、フィール自身だった。


 幸運を望む人々。


 勝利を求める人々。


 人生を変えたいと願う人々。


 そうした願いを叶えるための力として、彼女はフォルトゥーンを利用してきた。


 もちろん、無制限に使えるものではない。


 運用には決まりがあり、使用できる量にも制限がある。


 少なくとも、フィールはそう認識していた。


「……ねえ、ヴァルター」


「はい」


「ちゃんと、決めた通りに使ってるよね?」


「もちろんでございます」


 ヴァルターは即答した。


「運用規定は遵守しております」


「……そっか」


 フィールは小さく頷いた。


 だが、少しだけ気になった。


 昨日、ジョシュアから聞いた話。


 賭場へ行っていない人々にまで、不運が続いているという話。


「そういえばさ」


「何でしょう?」


「最近、南通りで事故が増えてるって聞いたんだけど」


 ヴァルターの表情は変わらなかった。


「南通り、でございますか」


「うん。時計屋さんとか、花屋さんとか」


「……なるほど」


 男は少し考えるように目を伏せた。


「その件につきましては、警備部門からも報告を受けております」


「本当?」


「はい。ただ、現時点では通常の事故との区別が難しく、特別な原因は確認されておりません」


「……そうなんだ」


 フィールは窓の外を見た。


 大通りには、今日も多くの人々が集まっている。


 笑い声が聞こえる。


 音楽が流れている。


 自分が好きな、この街の風景だった。


「……ちゃんと調べてね」


「承知いたしました」


「困ってる人がいるなら、放っておけないから」


「もちろんでございます」


 ヴァルターは深々と頭を下げた。


 フィールは帳簿を閉じた。


「じゃあ、私、戻るね!」


「お戻りに?」


「うん! 友達を待たせてるの!」


 ヴァルターの目がわずかに動いた。


「……ご友人、ですか」


「そう!」


 フィールは笑った。


「王都から来た冒険者たち!」


「左様でございますか」


「じゃあね!」


 フィールは軽く手を振り、部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 ヴァルターはしばらく、その扉を見つめていた。


 そして、机の上の帳簿を開く。


 先ほどフィールが指差した数字。


 彼はその欄を指先でなぞった。


「……困りましたね」


 小さく呟く。


 それから、呼び鈴を鳴らした。


 入ってきた部下へ、静かに告げる。


「南通りの事故記録を確認してください」


「承知いたしました」


「それから、フィール様が案内している冒険者たちについても」


「調査いたしますか?」


「ええ。ただし、接触は不要です」


 ヴァルターは帳簿を閉じた。


「どこまでご存じなのか、それだけ確認してください」


◇


 夕方。


 ジョシュアたちが賭場を出る頃には、入口の前に新しい客の列ができていた。


「今日はありがとう!」


 エリシアが笑顔で言った。


「楽しかった!」


「こちらこそ!」


 フィールも笑った。


「また遊びに来てね!」


「うん!」


 ミアが頭を下げる。


「いろいろ案内してくれてありがとう」


「気にしないで!」


 フィールは手を振った。


「それより、調査の方はどう?」


「まだ途中ね」


 ミアが答える。


「でも、少しずつ分かってきたこともあるわ」


「……そっか」


 フィールは頷いた。


「何か分かったら、私にも教えてね」


「もちろん」


 ジョシュアも小さく頭を下げた。


「……ありがとう、フィール」


「ふふっ!」


 フィールは笑った。


「またね、ジョシュア!」


「……うん」


 六人は大通りへ歩き出した。


 フィールはその背中を見送った。


 やがて、人混みに紛れて見えなくなる。


 彼女は小さく息を吐いた。


「……さて」


 振り向く。


 賭場の入口では、従業員たちが次々と客を迎え入れていた。


 華やかな音楽。


 笑い声。


 歓声。


 いつもと変わらない光景。


 けれど。


 今日は、それが少し違って見えた。


「……ヴァルター」


 フィールは近くの従業員を呼んだ。


「はい、フィール様」


「ヴァルターを呼んで」


「承知いたしました」


 従業員が走り去る。


 フィールは建物の奥を見つめた。


 《運命変換器(フォルトゥーン)》。


 幸運を操作する遺物。


 自分が持ち込んだ、特別な力。


 その力を使えば、誰かを幸せにできると思っていた。


 実際に、幸運を与えられた人々は喜んでいた。


 だが。


 最近、街では不運な出来事が増えている。


 そして、フォルトゥーンの運用量も増えていた。


「……ちゃんと、確認しないと」


 フィールは小さく呟いた。


 その声には、いつもの明るさがなかった。


◇


 同じ頃。


 《黄金の館》の地下。


 一般の客が立ち入ることのできない区画で、数人の男たちが計器を確認していた。


 部屋の中央には、巨大な装置が設置されている。


 複雑な金属の輪。


 幾重にも重なる魔法陣。


 そして、その中心に浮かぶ、淡い金色の光。


 《運命変換器(フォルトゥーン)》。


 装置は静かに回転していた。


「本日の配分量、予定値を超過しました」


 一人の技師が報告する。


「上位顧客への配分を維持しますか?」


 別の男が答えた。


「維持しろ。今夜は特別客が多い」


「しかし、周辺の収集量が……」


「問題ない。必要なら範囲を広げればいい」


「……承知しました」


 技師は操作盤へ手を伸ばした。


 金属の輪が、ゆっくりと回転速度を上げる。


 装置の中心にある光が、わずかに強まった。


 その時。


 計器の一つが、不規則に揺れた。


「……ん?」


 技師が顔を近づける。


「どうした?」


「いえ、精神反応の値が少し……」


「精神反応?」


「はい。収集量の増加と同時に、周辺の生体反応に変化が出ています」


 男は計器を覗き込んだ。


「……誤差だろう」


「ですが……」


「今夜の運用を止めるわけにはいかない」


 男は冷たく言った。


「記録だけ残しておけ」


「……承知しました」


 技師は小さく頷いた。


 そして、報告書へ数字を書き込む。


 装置は回り続ける。


 金色の光を放ちながら。


 その光が何を集め、何を奪っているのか。


 地下にいる者たちでさえ、全てを理解しているわけではなかった。


 ただ一つ確かなのは。


 今夜も、誰かの幸運が増え続けているということだった。

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