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笑顔の道化師

第25話 笑顔の道化師


 《煌めき通り》の朝は、思っていたよりも静かだった。


 昨夜はあれほど賑やかだった大通りも、今は清掃員が石畳を掃き、商人たちが開店の準備を進めている程度だ。


 もっとも、通りのあちこちには昨夜の名残があった。店先に積まれた酒樽。片づけ途中の舞台装置。朝帰りらしい客を乗せて走る馬車。


 この街では、夜が終わったからといって、全員が眠りにつくわけではないらしい。


「んんーっ!」


 宿屋の前で、エリシアが大きく伸びをした。


「よく寝たー!」


「それはよかったね」


 レオンが笑う。


「僕は隣の建物から聞こえる音楽で、なかなか眠れなかったよ」


「えっ、音楽なんて聞こえた?」


「君が眠った後も、ずっと演奏していたんだ」


「全然気づかなかった!」


「でしょうね……」


 ミアが欠伸を噛み殺しながら出てきた。


「私は外の笑い声で何度も起きたわ。この街の人たち、いつ寝てるのよ」


「寝ない奴も結構いるぞ」


 時風が答えた。


 宿の前に置かれた椅子に座り、既に串焼きを食べている。


「……また肉?」


「朝は肉だろ?」


「昨日も聞いたわよ、それ」


「何度聞かれても答えは変わらん!」


 時風は笑った。


 最後に宿から出てきたジョシュアを見て、ダグラスが声をかける。


「おはよう。眠れたか?」


「……うん。ありがとう」


「よし、全員揃ったな」


 ダグラスは盾の留め具を確かめた。


「今日は昨日の掲示板を調べるんだったか?」


「そのつもりよ」


 ミアが答える。


「依頼を引き受けるかは別として、話くらいは聞いてみたいわね」


「そうだね」


 レオンが頷いた。


「ギルドで聞いた噂とも関係があるかもしれないし」


「だったら、まずは街を見て回ろうぜ!」


 時風が立ち上がった。


「……どうしてそうなるの?」


 ミアが眉をひそめる。


「調べるにも土地勘が必要だろ? この街は広いからな」


「それはそうだけど……」


「それに、せっかく来たんだ。遊ばないのはもったいない!」


「結局それが目的じゃない!」


「はははっ!」


 時風は楽しそうに笑った。


 エリシアが勢いよく手を上げる。


「私も遊びたい!」


「あなたは少し黙ってなさい!」


「ええっ!?」


 レオンが苦笑する。


「まあ、午前中は街を見て回って、午後から調べ物でもいいんじゃないかな」


「俺も賛成だ」


 ダグラスが頷いた。


「どこに何があるか知っておくのは悪くない」


 ミアはしばらく考え、やがてため息をついた。


「……分かったわ。ただし、賭け事はしないこと」


「もちろん!」


 エリシアが元気よく答えた。


「あなたが一番心配なのよ……」


◇


 昼前になると、《煌めき通り》はすっかり活気を取り戻していた。


 通りには大道芸人が姿を現し、色鮮やかな衣装を着た踊り子たちが音楽に合わせて舞っている。


 屋台からは焼き菓子や肉料理の香りが漂い、客を呼び込む声があちこちから聞こえてきた。


「すごい……!」


 エリシアが目を輝かせる。


 目の前では、三つの球を使って曲芸を披露していた男が、次々と球を高く投げ上げていた。


 やがて男は球を一つずつ背中へ回し、最後には三つ全てを片手で受け止める。


 観客から歓声が上がった。


「おおーっ!」


 エリシアも拍手する。


「すごい! どうやってるんだろう!」


「練習の成果だろうね」


 レオンが答えた。


「魔法じゃないんですか?」


 ジョシュアが尋ねる。


「少なくとも、今の曲芸には魔力を使っていなかったと思うよ」


「……そうなんだ」


 ジョシュアはもう一度、曲芸師を見た。


 男は観客に向かって深々と礼をしている。


 それから、投げ銭を入れるための帽子を差し出した。


「はい、見物料!」


 時風が硬貨を一枚放り込む。


「ありがとうございます!」


 曲芸師が元気よく答えた。


「よし、次行くぞ!」


「待ってください!」


 エリシアが慌てて後を追う。


「まだ見たいです!」


「この先にもいっぱいあるって!」


 時風は笑いながら歩き出した。


 ジョシュアたちも後に続く。


 通りを進むたびに、違う音楽が聞こえてきた。


 巨大なシャボン玉を空へ飛ばす芸人。


 色とりどりの布を使って舞う踊り子。


 人形を操り、小さな劇を披露する老人。


 そして、何もない空間から花束を取り出す奇術師。


「……すごい街ですね」


 ジョシュアが呟いた。


「だろ?」


 時風が笑った。


「ここじゃ、誰もが誰かを楽しませようとしてるんだ」


「……そうなんですか?」


「ああ。楽しませる側も、楽しむ側も、それぞれ好きなように過ごしてる」


 時風は通りを見渡した。


「だから、こういう街は面白いんだよ」


 ジョシュアは周囲を見回した。


 王都とは何もかも違う。


 初めて見る街並みも、聞いたことのない音楽も、どれも新鮮だった。


 何かを思い出すきっかけになるだろうか。


 そう考えてみたが、頭に浮かぶものは何もない。


 それでも、目の前の光景を楽しむことはできた。


◇


「さあさあ! 挑戦者はいないかー!」


 広場の一角で、大きな声が響いた。


 人だかりの中心には、赤と白の縞模様の屋台があった。


 台の上には、小さな木製の的が並んでいる。


 その手前には、輪投げ用の輪が積まれていた。


「輪投げだ!」


 エリシアが駆け寄った。


「一回五十ユグド! 三つ入れば景品だよ!」


 店主が声を張り上げる。


「景品!?」


 エリシアが目を輝かせた。


 屋台の奥には、ぬいぐるみや小物が並べられていた。


 その中に、大きな白い兎のぬいぐるみがある。


「……可愛い!」


 エリシアはぬいぐるみを指差した。


「あれ欲しい!」


「じゃあ、やってみたら?」


 レオンが笑う。


「いいの!?」


「自分のお金ならね」


 ミアが答えた。


「やった!」


 エリシアは早速、硬貨を差し出した。


 店主から輪を三つ受け取る。


「よーし……!」


 エリシアは的を見つめた。


 そして、勢いよく輪を投げる。


 一投目。


 輪は的の手前に落ちた。


「あっ!」


 二投目。


 今度は的に当たったものの、跳ね返されてしまった。


「惜しい!」


 三投目。


 輪は綺麗な弧を描き――。


 的の横へ落ちた。


「…………」


 エリシアは固まった。


「残念! また挑戦してね!」


 店主が笑う。


「……もう一回!」


「待ちなさい」


 ミアが肩を掴んだ。


「えっ!?」


「熱くなってるでしょ」


「なってない!」


「顔が真っ赤よ」


「……うぅ」


 エリシアは肩を落とした。


 その時だった。


「じゃあ、俺がやってみるか」


 時風が前へ出た。


「時風さん!?」


「一回くらいならいいだろ?」


 時風は硬貨を差し出し、輪を三つ受け取った。


「どれどれ……」


 そして、何の構えもなく一つ目を投げる。


 輪は大きく外れた。


「あれ?」


 時風が首を傾げる。


 二つ目。


 今度は的の手前で跳ねた。


「おや?」


 三つ目。


 輪は的の上を飛び越え、屋台の奥へ転がっていった。


「…………」


 エリシアが時風を見た。


「……下手ですね」


「はははっ!」


 時風は大笑いした。


「いやぁ、こういうのは苦手なんだ!」


「……意外です」


 ジョシュアが呟く。


「得意不得意は誰にでもあるってことさ!」


 時風は楽しそうに笑った。


 その時、背後から明るい声が響いた。


「へえ! 随分と賑やかなお客さんたちだね!」


 ジョシュアが振り向く。


 そこに、一人の少女が立っていた。


 赤と黒を基調とした華やかな衣装。


 金色の装飾が施された短い外套。


 そして、頭には小さな道化師の帽子が乗っていた。


 少女は楽しそうに笑っている。


「そんなに輪投げが面白かった?」


「えっ?」


 エリシアが目を瞬かせる。


「うん! でも全然入らなくて……」


「ふふっ。そっか!」


 少女は笑った。


「じゃあ、ちょっと貸して?」


 店主が少女を見るなり、姿勢を正した。


「……あっ!」


 何か言いかけた店主に、少女は人差し指を立てた。


「しーっ」


 店主は慌てて口を閉じた。


 ジョシュアはその様子を不思議に思ったが、少女は何事もなかったように硬貨を差し出した。


「私も一回やっていい?」


「も、もちろんです!」


 店主は急いで輪を渡した。


 少女は輪を一つ手に取る。


「よーし……」


 軽く腕を振った。


 一投目。


 輪は的に綺麗に収まった。


「おおっ!」


 エリシアが歓声を上げる。


 二投目。


 これも成功。


 三投目。


 輪は的の上で一度跳ねたが、そのまますとんと収まった。


「やった!」


 少女が両手を上げた。


「三つ成功!」


「すごい!」


 エリシアが拍手する。


「どうやったんですか!?」


「んー? ちょっとしたコツかな!」


 少女は笑った。


 店主が景品を差し出す。


「お、おめでとうございます!」


「ありがと!」


 少女は白い兎のぬいぐるみを受け取った。


 そして、そのままエリシアへ差し出した。


「はい!」


「……え?」


「欲しかったんでしょ?」


「い、いいんですか!?」


「もちろん!」


 少女はにっこり笑った。


「私、ぬいぐるみはもういっぱい持ってるから!」


 エリシアは目を輝かせた。


「ありがとうございます!」


「どういたしまして!」


 少女は楽しそうに笑った。


 ミアが小さく頭を下げる。


「ありがとう。助かったわ」


「気にしないで!」


 少女はひらひらと手を振った。


「それより、みんな観光客?」


「はい!」


 エリシアが答える。


「昨日、王都から来たんです!」


「へえ! 王都から!」


 少女の目が輝いた。


「じゃあ、この街は初めて?」


「僕たちは初めてです」


 レオンが答えた。


「時風さんは何度も来たことがあるそうですけど」


「そうなんだ!」


 少女は何気なく一行を見回した。


 エリシア。


 レオン。


 ミア。


 ダグラス。


 ジョシュア。


 そして、時風。


 その視線がジョシュアへ戻った瞬間、少女の笑顔がわずかに止まった。


 何かを確かめるように、彼を見つめる。


 ほんの一瞬のことだった。


「……?」


 ジョシュアが首を傾げる。


 少女はすぐに笑顔へ戻った。


「……へえ。そうなんだ」


 その声は、先ほどと何も変わらなかった。


 ただ、彼女の目には小さな興味が宿っていた。


 少女は時風へも目を向けた。


 時風は屋台の景品を眺めている。


 少女は少しだけ目を細めたが、何も言わなかった。


「そういえば、まだ名前を言ってなかったね!」


 少女は胸に手を当てた。


「私はフィール!」


 軽く片足を引き、舞台の上に立つ役者のように一礼する。


「よろしくね!」


「私はエリシア!」


「レオンです」


「ミアよ」


「ダグラスだ」


 ジョシュアも小さく頭を下げた。


「……ジョシュアです」


「ジョシュア……」


 フィールはその名前を繰り返した。


 そして、にっこり笑う。


「うん! よろしくね、ジョシュア!」


「……はい」


 ジョシュアも微笑んだ。


 フィールは楽しそうに両手を広げる。


「ねえ、みんな!」


「はい?」


「せっかくこの街に来たんでしょ?」


 フィールは笑った。


「だったら、もっと遊んでいかない?」


◇


「ここ、ここ!」


 フィールに案内されたのは、広場の反対側にある大きな遊技場だった。


 入口には色鮮やかな看板が掲げられ、中からは歓声と音楽が聞こえてくる。


「……ここは?」


 ジョシュアが尋ねる。


「色んな遊びができる場所だよ!」


 フィールは笑った。


「お金を賭けるものもあるけど、今日は普通の遊びだけにしようね!」


「……それなら安心ね」


 ミアが頷いた。


 建物の中には、いくつもの遊技台が並んでいた。


 玉を転がして穴へ入れる遊び。


 木製の札を使った記憶遊び。


 小さな的へ球を当てる遊び。


 そして、二人で向かい合って勝負する盤上遊戯。


「すごい!」


 エリシアが目を輝かせる。


「どれからやろう!?」


「じゃあ、これ!」


 フィールが指差したのは、細長い台の上に小さな球を転がす遊びだった。


 台の奥には、点数の書かれた穴が並んでいる。


「球を転がして、入った場所の点数を競うんだよ!」


「面白そう!」


 エリシアが早速、球を手に取った。


「よーし!」


 勢いよく転がす。


 球は台の上を一直線に進み――。


 奥の壁に当たって跳ね返ってきた。


「……あれ?」


 フィールが笑った。


「強すぎるよ!」


「ええっ!?」


「もっと優しく転がすの!」


「なるほど!」


 エリシアはもう一度挑戦した。


 今度は力を抑えて転がす。


 球はゆっくり進み、手前の穴に落ちた。


「十点!」


「やった!」


 エリシアが喜ぶ。


 続いてダグラスが挑戦した。


 大きな手で小さな球を持ち、慎重に転がす。


 球は真っ直ぐ進み、中央の穴へ落ちた。


「三十点!」


「おおっ!」


 エリシアが拍手する。


「ダグラス、上手い!」


「たまたまだよ」


 ダグラスは照れたように笑った。


 レオンは球の進む角度を何度も確かめてから投げた。


「……このくらいかな」


 球は綺麗な弧を描き、奥の穴へ入った。


「五十点!」


「すごい!」


 フィールが歓声を上げた。


「レオン、上手だね!」


「こういうのは少し得意なんだ」


 レオンは笑った。


 ミアも挑戦した。


 結果は四十点。


「……惜しい」


 ミアが呟く。


「でも、悪くないでしょ?」


「もちろん!」


 フィールが笑った。


 そして、ジョシュアへ球を差し出す。


「はい、次はジョシュア!」


「……僕?」


「そう!」


 フィールはにっこり笑った。


「やってみて!」


 ジョシュアは球を受け取った。


 台の奥を見る。


 穴の位置。


 球の大きさ。


 台の傾斜。


 何となく、どう転がせばいいのか分かる気がした。


 けれど、実際にやったことがあるかどうかは分からない。


「……じゃあ」


 ジョシュアは軽く球を転がした。


 球は台の上を進む。


 少し右へ曲がり、中央を通り過ぎ――。


 奥の穴へ落ちた。


「五十点!」


 フィールが声を上げた。


「すごい!」


「……入った」


 ジョシュア自身が驚いていた。


 エリシアが笑う。


「ジョシュアも上手いね!」


「……たまたまだと思う」


「それでもすごいよ!」


 フィールは楽しそうに拍手した。


「じゃあ、最後は私!」


 フィールが球を手に取る。


 軽く指先で転がした。


 球は台の端へ寄り、壁に当たって角度を変えた。


 そして。


 最も奥にある、小さな穴へ落ちた。


「百点!」


「えええっ!?」


 エリシアが叫んだ。


「そんなところに入るの!?」


「入るよ!」


 フィールは得意げに笑った。


「コツを掴めばね!」


 レオンが感心したように頷く。


「……これは完敗だね」


「ふふっ!」


 フィールは両手を腰に当てた。


「この街の遊びなら、そう簡単には負けないよ!」


◇


 それから、一行は様々な遊びを楽しんだ。


 エリシアは的当てで何度も失敗し、そのたびに悔しそうな声を上げた。


 ダグラスは力加減が難しい遊びに苦戦したが、重い球を転がす競技では誰よりも高い点数を出した。


 レオンは記憶遊びで連勝し、ミアは素早く札を取る遊びで圧倒的な強さを見せた。


 ジョシュアはどの遊びでも極端に得意というわけではなかったが、少しずつコツを覚えて楽しんでいた。


 そして、フィールはほとんど全ての遊びで高い点数を出した。


「……フィールって、本当に上手いね」


 ジョシュアが言う。


「ふふっ! ありがとう!」


 フィールは嬉しそうに笑った。


「この街で育ったようなものだからね!」


「……そうなんだ」


「うん! 小さい頃から、こういう遊びが大好きだったんだ!」


 フィールは軽く回ってみせた。


 衣装の裾がふわりと広がる。


「みんなが笑ってるのを見るのも好き!」


「……いいですね」


 ジョシュアが微笑んだ。


「……え?」


 フィールが目を瞬かせる。


「……何が?」


「……みんなを楽しませるのが好きって」


 ジョシュアは答えた。


「素敵なことだと思います」


「…………」


 フィールは一瞬、言葉を失った。


 そして。


「……ふふっ」


 小さく笑った。


「ありがとう、ジョシュア」


 その笑顔は、先ほどまでの賑やかなものとは少し違っていた。


 どこか、照れくさそうだった。


「おーい!」


 少し離れたところから、時風の声が響いた。


「そろそろ昼飯にしないかー!」


「賛成!」


 エリシアが即答した。


「お腹空いた!」


「さっき屋台で食べてたでしょ」


 ミアが呆れる。


「あれはおやつ!」


「……そう」


 フィールが笑った。


「じゃあ、私のおすすめのお店に案内するよ!」


「本当!?」


「うん!」


 フィールは胸を張った。


「この街で一番美味しいって、私が思ってるお店!」


「行きたい!」


 エリシアが歓声を上げた。


 一行はフィールの後に続いた。


◇


 案内されたのは、大通りから少し外れた場所にある小さな食堂だった。


 派手な看板もなく、店構えも質素だったが、中からは美味しそうな香りが漂っている。


「ここ!」


 フィールが扉を開けた。


「こんにちはー!」


「あら、フィールちゃん!」


 店の奥から、中年の女性が顔を出した。


「いらっしゃい! 今日はお友達も一緒?」


「うん!」


 フィールは笑った。


「七人なんだけど、席ある?」


「もちろんよ!」


 女性は奥の大きなテーブルへ案内してくれた。


「今日は何にする?」


「私はいつもの!」


「はいはい!」


 フィールは慣れた様子で席に座った。


 ジョシュアたちも腰を下ろす。


「……よく来るんですか?」


 ジョシュアが尋ねる。


「うん!」


 フィールは頷いた。


「ここの料理、大好きなんだ!」


「へえ……」


「特に煮込み料理がおすすめ!」


 エリシアが目を輝かせる。


「じゃあ、私もそれ!」


「俺も同じにしようかな」


 ダグラスが言った。


「僕も」


 レオンが続く。


 ミアは値段を確認してから注文した。


 時風は当然のように大盛りを頼んでいた。


 しばらくすると、湯気の立つ大皿が運ばれてきた。


 柔らかく煮込まれた肉と野菜。


 香草の香りが広がる濃厚なスープ。


 そして、焼きたてのパン。


「いただきます!」


 エリシアが早速食べ始めた。


「……美味しい!」


「でしょ!?」


 フィールが嬉しそうに笑った。


「ここの煮込み、本当に美味しいんだ!」


 ジョシュアも一口食べる。


 温かなスープが身体に染み渡る。


「……美味しいです」


「よかった!」


 フィールは満足そうに頷いた。


 食事をしながら、話題は自然とそれぞれのことへ移っていった。


 エリシアは冒険者になった理由を話し、レオンは魔法の勉強について語った。


 ダグラスは王都へ来る前のことを少し話し、ミアは弟のルイについて楽しそうに話した。


「へえ! 弟がいるんだ!」


 フィールが目を輝かせる。


「うん。十歳なの」


「可愛い?」


「もちろん!」


 ミアは即答した。


「世界で一番可愛いわ!」


「ふふっ!」


 フィールが笑った。


「会ってみたいなぁ!」


「機会があればね」


 ミアも微笑んだ。


 そして、フィールはジョシュアへ視線を向けた。


「ジョシュアは?」


「……僕?」


「うん! どこから来たの?」


 ジョシュアは少し困ったように笑った。


「……実は、分からないんです」


「……え?」


「……記憶がなくて」


 フィールの手が止まった。


「……記憶?」


「はい。自分の名前以外、昔のことを覚えていないんです」


「…………」


 フィールはジョシュアを見つめた。


 その目に、ほんの一瞬だけ複雑な色が浮かんだ。


「……そっか」


 そして、静かに微笑んだ。


「それは、大変だったね」


「……はい」


「でも、今は仲間がいるんだね」


 フィールはエリシアたちを見た。


「……はい」


 ジョシュアは頷いた。


「みんなには、すごく助けてもらっています」


「ふふっ」


 フィールは笑った。


「いいなぁ」


「……え?」


「何でもない!」


 フィールは慌てたように首を振った。


「それより、午後はどうする?」


「まだ遊べるんですか!?」


 エリシアが身を乗り出した。


「もちろん!」


 フィールは笑った。


「この街には、まだまだ面白い場所があるんだから!」


 時風が酒杯を掲げた。


「いいねぇ!」


 そして、ジョシュアたちへ向き直る。


「せっかくだ。今日は一日、フィールに案内してもらおうぜ!」


「……時風さん」


 ミアが呆れたように言った。


「昨日の依頼はどうするの?」


「明日でいいだろ!」


「……本当に適当ね」


 時風は笑った。


「遊ぶ時は遊ぶ。それも大事だぞ!」


 フィールも頷いた。


「そうそう!」


 そして、ジョシュアへ微笑みかける。


「ねえ、ジョシュア」


「……はい?」


「この街、気に入ってくれた?」


 ジョシュアは少し考えた。


 賑やかな通り。


 楽しい遊び。


 美味しい料理。


 そして、新しく出会った少女。


「……はい」


 ジョシュアは微笑んだ。


「すごく、楽しいです」


 フィールは一瞬、驚いたような顔をした。


 それから、心から嬉しそうに笑った。


「……そっか!」


 彼女は立ち上がり、両手を広げた。


「じゃあ、もっと楽しんでもらわないとね!」


 窓の外では、《煌めき通り》の音楽が鳴り続けている。


 誰かが笑い、誰かが歌い、誰かが夢を見る。


 華やかな街の一角で、七人の笑い声が重なった。


 フィールにとって、ジョシュアは今日初めて出会った相手だった。


 それでも、最初に顔を合わせた瞬間から、彼がただの観光客ではないことだけは分かっていた。


 そして、その正体にも心当たりがあった。


 だが、今は何も尋ねるつもりはなかった。


 少なくとも、彼自身は何も知らないように見えたからだ。


 それに。


 目の前で楽しそうに笑う青年を見ていると、今すぐ何かを確かめる必要もないように思えた。


 フィールは笑った。


 いつものように。


 誰よりも明るく、楽しそうに。


 その笑顔の裏にある小さな疑問に、誰も気づくことはなかった。

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