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星を冠する者たち

第22話 星を冠する者たち


「お待たせしましたー!」


 威勢のいい声とともに、大皿がテーブルへ運ばれてきた。


 表面に焼き色のついた厚切り肉。香草を散らした魚料理。山盛りの芋に、湯気の立つ野菜のスープ。さらに籠いっぱいのパンまで並べられ、五人が囲んでいたテーブルはあっという間に料理で埋め尽くされた。


「わあっ!」


 エリシアが歓声を上げる。


「すごい! これ全部食べていいんですか!?」


「もちろん。足りなきゃ追加すればいい」


 時風は酒瓶を片手に笑った。


「若い奴は遠慮せず食え。腹が減ってちゃ冒険もできないだろ?」


「いただきます!」


 エリシアは早速、肉を自分の皿に取り分けた。


 その勢いに、ダグラスが苦笑する。


「おいおい、少しは落ち着けよ」


「だって、すっごく美味しそうなんだもん!」


「誰も取らないって」


「分かってるよ!」


 そう言いながら、エリシアは大きく切った肉を口へ運んだ。


「んんっ! 美味しい!」


「そりゃよかった!」


 時風は満足そうに頷いた。


 一方、ミアは並べられた料理と時風の顔を交互に見ていた。


「……本当に、おごってもらっていいのよね?」


「何回聞くんだ、お前は」


「だって、こんな量よ? 私たちが今日の依頼で稼いだ分なんて、あっという間になくなっちゃうわ」


「心配するな。お前たちの財布からは一枚も出させない」


「……それならいいけど」


 ミアはようやくパンを手に取った。


 レオンが笑う。


「ミアは徹底しているね」


「当たり前でしょ。お金の話は最初にはっきりさせておかないと」


「しっかりしてるなぁ」


 時風が感心したように言った。


「俺にも昔、お前みたいな奴がそばにいてくれりゃ、もう少しまともな生活ができたかもしれないな」


「今からでも遅くないんじゃない?」


「いやぁ、もう手遅れだろ」


「自分で言うのね……」


 時風は愉快そうに笑い、酒を飲んだ。


 ジョシュアも肉を一切れ口へ運ぶ。


 柔らかな肉から香ばしい脂が広がった。今日の依頼で荷車を押した疲れもあって、いつも以上に美味しく感じる。


 けれど、料理を味わいながらも、彼の意識は時風へ向いていた。


 轟時風。


 先ほど、この男は自らをそう名乗った。


 トドロキ家。


 ユグド王国の第二代国王、トドロキ・アルザードを頂点とする一族。


 アルザードは即位以来、一度も王位を退いていない。現在のトドロキ家に連なる数多くの家系も、彼の血筋から枝分かれしたものだ。


 その権勢はユグド王国だけにとどまらず、世界各地に及ぶ。


 そんな一族の人間が、冒険者ギルドの酒場で、見知らぬ若者たちに食事を振る舞っている。


 ジョシュアには、それがどうにも不思議だった。


「……時風さん」


「ん?」


「トドロキ家の方なんですよね?」


「ああ、そうだぞ」


「……それなのに、こんなところで飲んでいていいんですか?」


 時風は一瞬きょとんとした。


 そして、腹を抱えて笑い出した。


「はははっ! 面白いこと聞くな、お前!」


「……え?」


「トドロキ家の人間が酒場で飲んじゃいけない決まりなんて、聞いたことないぞ」


「そ、それはそうですけど……」


「むしろ酒を飲むなら酒場だろ? 違うか?」


「……違わないです」


「だろ?」


 時風は得意げに酒瓶を掲げた。


 レオンが小さく笑った。


「ジョシュアが言いたいのは、トドロキ家の方なら他にも過ごし方があるんじゃないか、ということだと思いますよ」


「あるだろうな」


「では、どうしてここに?」


「ここの酒が美味いからだ」


 即答だった。


 ミアが呆れたように言う。


「……それだけ?」


「それだけで十分だろ?」


 時風はそう言って、また酒を飲んだ。


 ダグラスが笑う。


「豪快な人だな」


「人生、細かいことを気にしてたら楽しめないからな!」


 その言葉に、エリシアが勢いよく頷いた。


「分かります!」


「おっ、気が合うな!」


「はい!」


「エリシアはもう少し細かいことを気にした方がいいけどね」


 レオンが横から言った。


「どういう意味!?」


「今日の依頼でも、荷車を引く順番を決める前に一人で押し始めただろう?」


「あれは早く終わらせたかったから!」


「坂道で止まりかけてたけど」


「……それは」


 エリシアは言葉に詰まった。


 時風が再び笑い声を上げる。


 周囲のテーブルでも冒険者たちが酒を酌み交わし、依頼の成功や失敗を大声で語っている。


 そんな賑やかな空気の中で、ジョシュアは改めて時風へ向き直った。


「あの、もう一つ聞いてもいいですか?」


「いくらでもどうぞ」


「……僕たち、以前どこかで会ったことがあるんですか?」


 時風の手が止まった。


 ほんの一瞬だった。


 それから、彼は酒瓶をテーブルへ置いた。


「あるぞ」


「……え?」


「会ったことがある」


 あまりにも簡単な答えだった。


 ジョシュアは思わず身を乗り出した。


「本当ですか!?」


「ああ」


「だったら、僕のことを……!」


「知ってるよ」


 時風は頷いた。


 ジョシュアの胸が大きく高鳴る。


 名前以外の記憶を失ってから、自分の過去を知る人間に会ったのは初めてだった。


 自分はどこで生まれたのか。


 何をしていたのか。


 どうして記憶を失ったのか。


 聞きたいことはいくらでもある。


「……僕は、以前どんな人間だったんですか?」


 時風は答えなかった。


 代わりに、ジョシュアの顔をじっと見つめた。


「……時風さん?」


「いやぁ」


 時風は小さく笑った。


「随分と変わったもんだなと思ってさ」


「……変わった?」


「ああ。昔のお前なら、そんな聞き方はしなかっただろうな」


「昔の僕……」


 ジョシュアはその言葉を繰り返した。


「……どんな聞き方をしたんですか?」


「おっと」


 時風は口元に指を当てる。


「そこから先は内緒だ」


「……え?」


「悪いな。俺から昔の話をするつもりはないんだ」


「……どうしてですか?」


「どうしてもだ」


 笑顔のまま、時風は答えた。


 ふざけた口調だった。


 けれど、その言葉には不思議なほど迷いがなかった。


 ジョシュアは俯いた。


「……そう、ですか」


「ジョシュア……」


 エリシアが心配そうに声をかける。


「……大丈夫」


 ジョシュアは小さく首を振った。


 納得できたわけではない。


 ただ、今ここで問い詰めても、時風は答えてくれないのだろう。


「まあ、そんな顔するなって」


 時風はパンを一つ取り、ジョシュアの皿に置いた。


「昔のお前が何者だったかなんて、今すぐ知る必要はないさ」


「……でも」


「今のお前には仲間がいるんだろ?」


 ジョシュアは顔を上げた。


 エリシア。


 レオン。


 ミア。


 ダグラス。


 四人がこちらを見ていた。


「だったら、まずは今を楽しめばいい。昔のことばかり気にして、目の前のものを見逃すのはもったいないぞ」


 時風は笑った。


「ほら、肉が冷める」


 ジョシュアはしばらく彼を見つめ、それから小さく頷いた。


「……はい」


「よし!」


 時風は満足そうに笑った。


「じゃあ、食え食え!」


◇


 食事が進むにつれ、テーブルの上はすっかり賑やかになっていた。


 エリシアとダグラスが最後の肉を譲り合い、レオンは二人を呆れた顔で見ている。ミアは残ったパンを包んでもらえるか店員に相談していた。


 時風はそんな五人を眺めながら、何杯目かも分からない酒を飲んでいた。


「それにしても、時風さんって随分と旅慣れてますよね」


 レオンが尋ねた。


「ん? まあな」


「色々な場所へ行かれたんですか?」


「ああ。行ってない場所を探す方が難しいくらいだ」


「……それは大げさじゃない?」


 ミアが言う。


「いやいや、本当だって」


 時風は酒瓶を軽く揺らした。


「百年前は南の方を歩いてたし、その前は東だったかな。二百年くらい前には、ここから随分離れた土地で釣りをしてたなぁ」


 レオンの手が止まった。


「……二百年前?」


「ああ」


「二百年前、ですか?」


「そうだぞ」


 エリシアが首を傾げる。


「時風さん、そんなに長生きなんですか?」


「ん? ああ、そういや言ってなかったな」


 時風は何でもないことのように答えた。


「俺、不老不死なんだよ」


「…………」


 五人の動きが止まった。


「……え?」


 最初に声を出したのはジョシュアだった。


 時風は笑顔のまま頷く。


「歳も取らないし、死なない。そういう身体なんだ」


「えええええっ!?」


 エリシアが立ち上がった。


 周囲の客が何人か振り向く。


「ちょっと、エリシア! 声が大きい!」


 ミアが慌てて袖を引いた。


「だ、だって! 不老不死だよ!?」


「聞こえてるわよ!」


「いやぁ、いい反応だな!」


 時風は腹を抱えて笑っていた。


 レオンは額に手を当てる。


「……冗談ですよね?」


「本当だぞ」


「不老というだけでなく、不死も?」


「ああ」


「……随分と簡単に言いますね」


「難しく言ったところで変わらないだろ?」


 時風は平然と酒を飲んだ。


 ダグラスが眉をひそめる。


「……そんなこと、簡単に信じられるわけがないだろう」


「そりゃそうだな」


 時風はあっさり認めた。


「だったら、ほかの奴に聞いてみりゃいい」


「……ほかの奴?」


 時風は近くを通りかかった店員へ声をかけた。


「おーい!」


「はいはい、何ですか、時風さん」


「俺って何歳だっけ?」


「知りませんよ」


 店員は即答した。


「そうかぁ」


「ただ、私のおじいちゃんが子供の頃から、ずっと同じ姿で飲んでるって聞いてますけど」


「…………」


 五人が店員を見た。


「……え?」


 エリシアが呟く。


「おじいちゃんの……子供の頃?」


「ええ。うちの祖父も、父も、この店で働いてましたから」


 店員は当然のように答えた。


「時風さんは昔からずっとこんな感じだったそうですよ。服装も飲み方も、あまり変わってないって」


「おいおい、服くらいは変えてるぞ」


「何十年も同じ上着を着てるじゃないですか」


「まだ着られるからな!」


「袖、破れてますよ」


「風通しがいいんだ」


「新しいの買ってください」


 店員は呆れた顔で言った。


 そのやり取りを聞いていた隣のテーブルから、笑い声が上がった。


「はははっ! 何だ、兄ちゃんたち。時風の旦那を知らねえのか?」


 大柄な冒険者が酒杯を掲げた。


「俺の爺さんも言ってたぜ。若い頃から、あの旦那はずっとあんな調子だったってな」


「うちの親父も知ってるぞ!」


 別の冒険者が口を挟む。


「親父が駆け出しだった頃、時風の旦那に酒をおごってもらったらしい。あの人、当時から見た目が変わってねえってさ」


「……本当に?」


 ジョシュアが尋ねる。


「ああ。少なくとも、俺たちが生まれるずっと前からここにいるのは間違いねえよ」


 冒険者は笑った。


「それに、時風の旦那が昔から変わらねえって話なら、ほかにも証拠があるぜ」


「……何ですか?」


「酒代だ」


 その言葉に、ミアの耳が動いた。


「……酒代?」


「ああ。この旦那、何百年も飲み食いしてるくせに、自分じゃほとんど払わねえんだ」


「…………は?」


 ミアが固まった。


 時風は悪びれずに頷いた。


「まあな」


「まあな、じゃないわよ!」


 ミアが勢いよく立ち上がった。


「何百年も払ってないって、どういうこと!?」


「ちゃんとツケにしてるぞ」


「ツケって、いつ払うのよ!」


「さあ?」


「さあ!?」


 時風は楽しそうに笑った。


「いやぁ、昔からそういうことになっててな」


「そんなの、店が潰れちゃうじゃない!」


「そこは大丈夫ですよ」


 店員が平然と言った。


「時風さんの飲食代は、ギルド長が支払ってくださいますから」


「…………」


 ミアの口が開いたまま止まった。


「……ギルド長?」


「はい」


「……冒険者ギルドの?」


「もちろんです」


 店員は頷いた。


「昔から、時風さんの飲食代はギルド長の方へ請求することになっているんです」


「……何百年も?」


「ええ」


「……それじゃ、ギルド長が何人変わってると思ってるのよ!」


 店員は不思議そうに首を傾げた。


「変わってませんよ?」


「……え?」


「ギルド長は、冒険者ギルドが創設されてから一度も交代していませんから」


 今度こそ、五人全員が言葉を失った。


 レオンがゆっくり口を開く。


「……少し待ってください」


「はい?」


「ギルド創設以来、一度も交代していないというのは……」


「言葉どおりですよ」


 店員は答えた。


「ギルド長も不老不死ですから」


「…………」


 沈黙が落ちた。


 エリシアが、ゆっくりと椅子に座る。


「……不老不死って、そんなにいるものなの?」


「いや、普通はいないと思うよ……」


 レオンが力なく答えた。


 ダグラスは額を押さえていた。


「……俺、ギルド長が創設者だって話は聞いたことがあったけど、てっきり昔のギルド長のことだと思ってた」


「創設者と今のギルド長は同じ人ですよ」


 店員はあっさり答えた。


「そうだったのか……」


 ジョシュアも驚いていた。


 冒険者ギルド。


 世界各地に支部を持ち、数え切れないほどの冒険者が所属する巨大な組織。


 その頂点に立つ人物が、創設以来ずっと同じ人間だったとは。


「……時風さん」


「ん?」


「ギルド長とは、昔から知り合いなんですか?」


「ああ、長い付き合いだな」


「……だから、酒代を払ってもらってるんですか?」


「まあ、そういうことだ」


 時風は笑った。


 ミアが両手で頭を抱える。


「……何百年も他人に酒代を払わせてるって、どういう関係なのよ……」


「いい友達だろ?」


「友達に甘えすぎでしょ!」


「はははっ!」


 時風は心底楽しそうに笑った。


 周囲の冒険者たちもつられて笑い始める。


 どうやら、この酒場では時風の飲み代をギルド長が支払うことなど、珍しい話でもないらしい。


 驚いているのは、事情を知らなかったジョシュアたちだけだった。


「……でも」


 レオンが小さく呟いた。


「ギルド長が不老不死というのは、相当な話ですね」


「そうか?」


 時風が首を傾げる。


「世界中に支部を持つ組織を、創設からずっと同じ人が率いているんですよ?」


「そうだな」


「……その方は、一体どんな人物なんですか?」


「会ってみりゃ分かるさ」


 時風は笑った。


「もっとも、そう簡単に会える相手でもないけどな」


 ジョシュアは時風を見つめた。


 不老不死。


 何百年も変わらない姿。


 そして、同じく不老不死のギルド長との長い付き合い。


 この男は、一体どれほどの時間を生きてきたのだろう。


 そんな人物が、自分の過去を知っている。


 それが何を意味するのか、ジョシュアにはまだ分からなかった。


◇


「ところで、お前たちはこれからどうするんだ?」


 ひとしきり笑った後、時風が尋ねた。


「これから、ですか?」


 ダグラスが聞き返す。


「ああ。ずっと王都で依頼を受けるつもりなのか?」


「しばらくは、その予定です」


 レオンが答えた。


「まだパーティーを組んで日が浅いので、まずは連携を身につけようかと」


「なるほどな」


 時風は頷いた。


「堅実でいいじゃないか」


「でも!」


 エリシアが勢いよく身を乗り出した。


「いつかは色んな場所へ行ってみたいです!」


「ほう?」


「王都の外にも、まだ見たことないものがいっぱいあると思うので!」


「ははっ! そりゃそうだ!」


 時風は楽しそうに笑った。


「だったら、ちょうどいい場所があるぞ」


「どこですか!?」


「《煌めき通り》だ」


 その名前を聞いた瞬間、ジョシュアは顔を上げた。


「……煌めき通り?」


「お、知ってるのか?」


「昨日、冒険者の人たちが話しているのを聞きました」


「へえ。何て言ってた?」


「……一晩で全財産を失った商人がいるって」


「はははっ!」


 時風は声を上げて笑った。


「そりゃ、あそこじゃ珍しくもない話だな!」


「……そんなに危険な場所なんですか?」


 ジョシュアが尋ねる。


「危険かどうかは、遊び方次第だな」


 時風は指を一本立てた。


「王都の外にある、でっかい歓楽街だ。酒場、劇場、賭場、遊技場。金さえあれば、一晩中遊んでいられる」


「すごい!」


 エリシアの目が輝いた。


「行ってみたい!」


「……待て待て」


 ダグラスが口を挟んだ。


「あそこって、星座のテリトリーじゃないか?」


「そうね」


 ミアが頷く。


「《煌星》の縄張りよ。遊びに行くなら、気をつけないと」


「確かに、普通の歓楽街とは少し違うね」


 レオンも言った。


「星座が関わっている場所だから」


 ジョシュアは四人の顔を見回した。


「……星座?」


「ん?」


 エリシアが振り向く。


「どうしたの?」


「……その、星座って何?」


「…………」


 四人が一斉にジョシュアを見た。


「……え?」


 エリシアが目を瞬かせる。


「ジョシュア、星座を知らないの?」


「……うん」


「本当に?」


「……うん」


 レオンが小さく息を吐いた。


「そうか。記憶を失っているんだったね」


「……ごめん」


「謝ることじゃないよ」


 レオンは笑った。


「ただ、あまりにも当たり前の言葉だから、説明する機会がなかったんだ」


 ミアが頷く。


「そうね。普通は子供でも知ってるもの」


「……そんなに有名なの?」


「有名も何も……」


 エリシアは少し考えた。


「えっとね、ジョシュア。星座っていうのは……」


「マフィアのことだよ」


 レオンが言葉を引き継いだ。


「この世界には《星座》と呼ばれるマフィア組織がいくつも存在しているんだ」


「……マフィア?」


「ああ。裏社会に大きな影響力を持つ組織のことさ」


 ダグラスが腕を組んだ。


「俺たちみたいなFランクの冒険者が、軽い気持ちで関わっていい連中じゃない」


「……そんなに危険なの?」


 ジョシュアが尋ねた。


「組織によるわね」


 ミアが答える。


「ただ、普通の犯罪者とは規模が違うの。大勢の構成員を抱えていたり、商売を取り仕切っていたり、街そのものを縄張りにしていたりする」


「……なるほど」


「だから、星座のテリトリーへ入るなら、余計な揉め事は起こさない方がいいわ」


 エリシアが頷いた。


「そうそう! 知らずに喧嘩売ったら大変なことになるから!」


「……エリシアは喧嘩を売りそうだけどね」


 レオンが言った。


「売らないよ!?」


「昨日の模擬戦でも、相手を見るなり突っ込んでたじゃないか」


「あれは戦闘だから!」


 ミアが呆れたように笑った。


 ジョシュアもつられて微笑んだ。


 そして、改めて尋ねる。


「……じゃあ、《煌星》っていうのもマフィアなの?」


「そういうこと」


 ミアが答えた。


「《煌めき通り》を取り仕切っている星座が《煌星》。あそこは連中の縄張りなのよ」


「……そうなんだ」


 ジョシュアはゆっくり頷いた。


 知らないことばかりだった。


 冒険者のランク。


 トドロキ家。


 星座。


 この世界では当たり前の知識が、自分には抜け落ちている。


 そんなジョシュアを見て、時風が楽しそうに笑った。


「いやぁ、面白いな」


「……何がですか?」


「お前が星座を知らないって言うんだからな」


 ジョシュアは首を傾げた。


「……おかしいですか?」


「いやいや」


 時風は笑った。


「別におかしくはないさ」


 そして、酒を一口飲む。


「ただ、世の中ってのは本当に何が起こるか分からないもんだと思ってな」


 ジョシュアはその言葉の意味が分からなかった。


 時風は何かを知っている。


 それだけは、ますます確信に近づいていた。


「……時風さんは、《煌星》の人たちと知り合いなんですか?」


 ジョシュアが尋ねる。


「ん?」


 時風は酒瓶を置いた。


「まあ、多少はな」


「多少?」


「長く生きてりゃ、知り合いくらい増えるさ」


「……そういうものですか」


「そういうものだ」


 時風は笑った。


 ダグラスが少し真剣な顔になる。


「……それで、時風さんは俺たちに《煌めき通り》へ行けと?」


「別に強制はしないぞ」


 時風は肩をすくめた。


「面白い場所だから勧めただけだ」


「……でも、星座のテリトリーなんですよね」


 エリシアが言った。


「そうだな」


「危険じゃないんですか?」


「危険なことをしなきゃいい」


 時風はあっさり答えた。


「遊びに行く分には、ちゃんとした歓楽街だ。芝居を見たり、美味いものを食ったりするだけなら、何も問題ない」


「……賭場は?」


 ミアが尋ねる。


「そりゃあ、賭ければ勝つことも負けることもあるさ」


「……そうでしょうね」


「ただし、負けた金を取り戻そうとして熱くなる奴は多い。そういう連中は、どこへ行っても大抵ろくな目に遭わないな」


 時風は笑った。


「遊び方を間違えなきゃ、楽しい場所だぞ」


 エリシアは目を輝かせた。


「やっぱり行ってみたい!」


「あなたは少し落ち着きなさい」


 ミアが呆れた。


「えー!」


 レオンは考え込むように腕を組んだ。


「……ただ、ジョシュアの過去と関係があるなら、調べる価値はあるかもしれないね」


「……え?」


 ジョシュアが顔を上げる。


 時風はにやりと笑った。


「お、察しがいいな」


「……どういう意味ですか?」


 レオンが尋ねた。


「ん?」


 時風はジョシュアを見た。


「そりゃあ、こいつと《煌めき通り》は切っても切れない縁だからな」


「…………」


 ジョシュアは固まった。


「……僕と?」


「ああ」


「……あそこへ行ったことがあるんですか?」


「さあなぁ」


「……時風さん」


「おっと。そんな顔するなって」


 時風は笑った。


「俺から昔の話をするつもりはないって、さっき言っただろ?」


「……はい」


 ジョシュアは俯いた。


 知りたい。


 けれど、時風は答えてくれない。


 目の前に手がかりがあるのに、手を伸ばしても届かない。


 そんな感覚だった。


「まあ、気になるなら行ってみりゃいいじゃないか」


 時風が言った。


「……え?」


「煌めき通りだよ。自分の目で見てくればいい」


「……そこに行けば、何か分かりますか?」


「それは、お前次第だな」


 時風は笑った。


「少なくとも、退屈はしないと思うぞ」


 ジョシュアはしばらく考えた。


 そして、ゆっくり頷いた。


「……行ってみたいです」


 エリシアが笑った。


「じゃあ、私も行く!」


「あなたは単に遊びたいだけでしょ」


 ミアが呆れた。


「だって、楽しそうじゃない!」


「私は反対よ。星座のテリトリーに、何も知らずに行くなんて危ないもの」


 レオンが口を開いた。


「まあ、今すぐ行く必要はないんじゃないかな」


「……そうだね」


 ダグラスも頷く。


「まずは情報を集めよう。どんな場所なのか分かってからでも遅くない」


「それなら、俺も一緒に行こうか」


 時風が何気なく言った。


「…………え?」


 五人が同時に振り向いた。


「……時風さんも?」


 ジョシュアが尋ねる。


「ああ。久しぶりにあっちで遊ぶのも悪くないしな」


 時風は笑った。


「それに、初めて行く場所なら案内役がいた方がいいだろ?」


「……でも、いいんですか?」


「何が?」


「僕たちに付き合ってもらって……」


「気にするなって。どうせ暇なんだ」


 時風は酒瓶を掲げた。


「決まりだな!」


「ちょ、ちょっと待って!」


 ミアが慌てて口を挟んだ。


「まだ何も決まってないわよ!」


「そうか?」


「そうよ! 行く日も決めてないし、宿も調べてないし、そもそも旅費だって……!」


「旅費なら何とかなるだろ」


「その根拠は!?」


「俺がいる」


「さっき何百年も酒代を払ってないって言ってた人の言葉を、どう信じろっていうのよ!」


 時風は大笑いした。


「はははっ! そりゃそうだ!」


「笑い事じゃないわよ!」


 エリシアも笑い出した。


「でも、時風さんが一緒なら楽しそう!」


「……あなたは少し警戒心を持ちなさい!」


 レオンは苦笑しながらジョシュアを見た。


「どうする? ジョシュア」


「……僕は」


 ジョシュアは時風を見つめた。


 自分の過去を知っている人物。


 何百年も生きているという、不思議な男。


 そして、自分と《煌めき通り》の間に何かがあると告げた人物。


 この男と一緒に行けば、何か分かるかもしれない。


「……一緒に来てもらえるなら、嬉しいです」


「おう!」


 時風は嬉しそうに頷いた。


「じゃあ決まりだ!」


「だから、まだ準備が……!」


「分かってるって。出発するのは準備ができてからでいいさ」


 時風は笑った。


「俺は急がないからな」


 ミアは深いため息をついた。


「……本当に大丈夫なのかしら」


 ダグラスが苦笑する。


「まあ、悪い人には見えないけどな」


「悪い人が悪そうな顔をしてるとは限らないでしょ!」


「それはそうだな……」


 レオンが頷いた。


「ひとまず明日、ギルドで情報を集めよう。それから出発の日を決めればいい」


「賛成!」


 エリシアが手を上げた。


 ジョシュアも頷く。


「……ありがとう、みんな」


「何言ってるの!」


 エリシアが笑った。


「一緒に冒険する仲間でしょ!」


 時風はそんな五人を眺めながら、静かに酒を飲んでいた。


◇


「さて!」


 時風が突然、立ち上がった。


「俺はそろそろ行くかな!」


「えっ、もうですか?」


 エリシアが尋ねた。


「ああ。ちょっと野暮用があってな」


 時風は近くを通りかかった店員を呼び止めた。


「おーい! ここの勘定、全部俺につけといてくれ!」


「はーい! いつもどおり、ギルド長へ回しておきますね!」


「よろしく!」


 ミアが額を押さえる。


「……本当にそれでいいのね」


「いいんだよ」


 時風は笑った。


「長い付き合いだからな」


「……どれだけ長い付き合いなのよ」


「さあ? もう数えてないな」


 時風は軽く肩をすくめた。


 そして、ジョシュアへ視線を向ける。


「じゃあな、ジョシュア」


「……はい」


「また会おうぜ」


 時風は片手を振った。


「出発の準備ができたら、ギルドの酒場に来い。大体ここにいるから」


「……分かりました」


「それじゃ、楽しみにしてるぞ!」


 そう言って、時風は酒場の出口へ向かった。


 その背中を、ジョシュアは見送った。


 何かを尋ねたかった。


 けれど、何を尋ねればいいのか分からなかった。


 時風は振り返らなかった。


 そのまま、人混みの向こうへ消えていく。


「……変わった人だったね」


 エリシアが呟いた。


「変わった、で済ませていいのかしら」


 ミアが言った。


「トドロキ家の人間で、しかも自分から不老不死だなんて言い出すのよ?」


「……本当なんだろうか」


 ダグラスが腕を組んだ。


「分からないね」


 レオンが答えた。


「ただ、冗談にしては随分と自然だった」


「それに……」


 ミアはジョシュアを見た。


「ジョシュアのこと、知ってるみたいだったわね」


「……うん」


 ジョシュアは頷いた。


 自分の過去を知っている人間。


 その存在が、ようやく確かなものになった。


 だが、答えはまだ得られていない。


「……煌めき通り」


 ジョシュアが呟く。


 王都の外にある歓楽街。


 星座と呼ばれるマフィアの縄張り。


 《煌星》という組織。


 そして、自分と切っても切れない縁があるという場所。


 エリシアが隣に立った。


「気になる?」


「……うん」


「じゃあ、行ってみようよ」


「……でも」


「もちろん、ちゃんと準備してから!」


 エリシアは笑った。


「一人で行くわけじゃないんだから」


 ジョシュアは彼女を見た。


 そして、小さく頷いた。


「……そうだね」


 レオンも笑った。


「まずは明日、ギルドで情報を集めようか」


「賛成だ」


 ダグラスが頷く。


「行くなら、最低限の下調べは必要だな」


「……お金を使いすぎないことも条件よ」


 ミアが付け加えた。


「分かってるって!」


 エリシアが答える。


「本当に分かってるのかしら……」


 ミアはため息をついた。


 五人の笑い声が、酒場の喧騒に混ざっていく。


 ジョシュアは窓の外を見た。


 王都の屋根の向こうには、夜の空が広がっていた。


 無数の星が、静かに瞬いている。


 その光は、遠く離れた場所にも届いているのだろうか。


 自分がまだ知らない街にも。


 これから訪れる場所にも。


 ジョシュアは、自分の名前以外の過去を知らない。


 それでも、今は仲間がいる。


 そして、向かうべき場所が一つできた。


「……煌星」


 その名前を、もう一度口にした。


 王都から離れた歓楽街では、今夜も無数の灯りが輝いている。


 人々が笑い、酒を飲み、金を賭ける。


 勝者が生まれるたび、敗者も生まれる。


 誰もが幸運を求め、誰もが自分だけは勝てると信じている。


 その街で何が待っているのか。


 ジョシュアたちは、まだ知らなかった。

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