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酒場の空席

第21話 酒場の空席


「そこ、足が止まってるぞ!」


 ダグラスの声が訓練場に響いた。


 ジョシュアは慌てて右足を引いた。


 直後、エリシアの木剣が目の前を通り過ぎる。


「惜しい!」


「……危なかった」


「まだ終わってないよ!」


 エリシアが踏み込む。


 今度は左からの横薙ぎ。


 ジョシュアは木剣を立て、その一撃を受け止めた。


 乾いた音が響く。


 押し返そうとして、ふと昨日の模擬戦を思い出した。


 相手の攻撃ばかり見ていたせいで、周囲の状況が分からなくなった。


 ならば、今度は。


 ジョシュアはエリシアの剣を受け流し、半歩だけ横へ移動した。


「あっ」


 エリシアの身体が前へ流れる。


 空いた脇腹へ、ジョシュアの木剣が伸びた。


「そこまで!」


 ダグラスの声が飛んだ。


 ジョシュアは剣を止めた。


 木剣の先端は、エリシアの胴体に軽く触れていた。


「……一本、かな?」


 ジョシュアが尋ねる。


「ああ。今のはいい動きだった」


 ダグラスが頷いた。


「やった!」


 ジョシュアが小さく拳を握る。


「むう……」


 エリシアは不満そうに頬を膨らませた。


「今の、もう少し速く踏み込めば当たってたのに!」


「だから、そこが問題なんだ」


 ダグラスが言った。


「お前は攻撃を始めると、最後まで振り切ろうとする癖がある。相手が避けたときのことも考えろ」


「分かってるよ!」


「昨日も同じことを言われてなかったか?」


「……分かってるってば!」


 ジョシュアは思わず笑った。


 昨日の模擬戦から一夜。


 約束どおり、三人は朝からギルドの訓練場に集まっていた。


 レオンは少し離れた場所で魔法の練習をしている。


 ミアは弟のルイを王都児童保護院へ送った後、午前中だけ別の用事を済ませると言っていた。


「さて、ジョシュア」


 ダグラスがこちらを向く。


「今の動き、どうして上手くいったと思う?」


「……エリシアの攻撃を受け流せたから?」


「それもある。だが、一番よかったのは、相手が次にどう動くか考えたことだ」


「次の動き……」


「ああ。剣を受け止めるだけなら、誰にでもできる。大事なのは、その後どうするかだ」


 ダグラスは木剣を構えた。


「もう一度やってみよう。今度は俺が相手だ」


「……分かった」


 ジョシュアも構える。


 ダグラスはエリシアほど素早く踏み込んでこなかった。


 ゆっくり距離を詰め、こちらの出方を窺っている。


 ジョシュアは剣先を向けた。


 右。


 左。


 ダグラスの視線が動く。


 次の瞬間、木剣が振り下ろされた。


 ジョシュアはそれを受け止める。


 反撃しようとした。


 だが、ダグラスはすでに半歩下がっていた。


「……あれ?」


「今のは、俺が先に引いたんだ」


 ダグラスが笑う。


「相手が打ち込んできたからって、必ず隙ができるわけじゃない」


「……なるほど」


「もう一度だ」


 再び剣を交える。


 今度はジョシュアが先に踏み込んだ。


 木剣を振る。


 ダグラスはそれを受け止め、身体を横へずらした。


 ジョシュアは追いかけようとする。


「待て」


 ダグラスが声をかけた。


「今、俺の足を見たか?」


「……見てなかった」


「だろうな。剣ばかり見てたぞ」


 ジョシュアは木剣を下ろした。


「……難しいね」


「最初はそんなもんだ」


 ダグラスは笑った。


「お前は咄嗟の反応がいい。だが、反応できることと、状況を理解して動けることは別だ」


「……うん」


「昨日の模擬戦でもそうだったろ?」


 ジョシュアは頷いた。


 敵の攻撃を避けることはできた。


 だが、仲間が狙われていることに気づくのが遅れた。


 目の前の相手に集中しすぎて、戦場全体を見られなかったのだ。


「……もっと周りを見ないと」


「そういうことだ」


 ダグラスは木剣を肩に担いだ。


「それに、無理に攻撃する必要もない。お前が相手を引きつけてくれれば、その間にエリシアやレオンが動ける」


「私もいるよ!」


 エリシアが手を挙げた。


「もちろんだ」


 ダグラスは笑った。


「お前は少し落ち着いて攻撃しろ」


「またそれ!?」


 訓練場に笑い声が響いた。


 ジョシュアも笑いながら、木剣を握り直した。


 剣を振るうこと自体は、どこか馴染みがある。


 初めて握ったはずなのに、身体が動き方を知っているような感覚。


 けれど、意識して動こうとすると、途端にぎこちなくなる。


 自分でも不思議だった。


 ダグラスはそんなジョシュアをしばらく眺めていた。


「……なあ、ジョシュア」


「何?」


「お前、昔は剣を使ってたんじゃないか?」


「……どうして?」


「たまに、妙に自然な動きをするんだ。教えてないはずの足運びとか、剣の返し方とかな」


 ジョシュアは自分の手を見た。


「……そうなのかな」


「分からないか?」


「うん。何も覚えてないから」


「そっか」


 ダグラスはそれ以上追及しなかった。


「まあ、覚えてなくても問題ないさ。今から覚え直せばいい」


「……ありがとう」


「礼を言うのは、もっと上手くなってからにしろ」


 ダグラスが笑う。


 ジョシュアも笑い返した。


 自分の過去は分からない。


 だが、今できることはある。


 それだけは、少しずつ分かってきた。


◇


「水よ、集いて弾となれ――《水弾》!」


 レオンの詠唱が響いた。


 杖の先端から放たれた水の弾丸が、訓練用の的へ命中する。


 水しぶきが弾け、的の中央に濡れた跡が残った。


「……よし」


 レオンは満足そうに頷いた。


「今日は調子がいいね」


「そう?」


 背後から声がした。


 振り向くと、ミアが立っていた。


「おかえり」


「ただいま」


 ミアは的を見た。


「綺麗に当たってるじゃない」


「まあね。昨日の模擬戦で、狙う余裕がないと命中精度が落ちるって分かったから」


「ふうん」


 ミアは感心したように頷いた。


「ちゃんと反省してるのね」


「君もした方がいいんじゃない?」


「してるわよ!」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。


「それより、保護院の方は?」


 レオンが尋ねる。


「相談してきたわ。必要な手続きをすれば、夜間の預かりも利用できるって」


「それなら、少し安心だね」


「ええ。でも、できるだけルイとは一緒にいたいから、使うのは本当に必要なときだけね」


 ミアはそう言って、訓練場の反対側を見た。


 そこでは、ジョシュアとエリシアが再び剣を交えていた。


 木剣がぶつかる音。


 エリシアの元気な声。


 ダグラスの指示。


「……楽しそうね」


 ミアが呟いた。


「そうだね」


 レオンが頷く。


「昨日は随分落ち込んでたから、少し安心したよ」


「……ジョシュア?」


「うん」


 レオンは訓練場を見つめた。


「自分が上手く戦えなかったこと、結構気にしてたみたいだから」


「……そうね」


 ミアもジョシュアを見た。


 エリシアの攻撃を避け、木剣を振る。


 動き自体はまだ不器用だ。


 けれど、ときどき不思議なほど綺麗に剣を返すことがある。


「……ねえ、レオン」


「何?」


「ジョシュアって、本当はもっと強いんじゃないかしら」


 レオンは少し考えた。


「……かもしれないね」


「でしょ?」


「ただ、本人がそれを分かってないみたいだから」


「……そうなのよね」


 ミアは肩をすくめた。


「まあ、今は一緒に強くなっていけばいいか」


「そうだね」


 二人は小さく笑った。


◇


 昼過ぎ。


 五人はギルドの依頼掲示板の前に集まっていた。


「……もう少し稼ぎたいわね」


 ミアが依頼票を眺めながら呟いた。


 王都に来てから、ジョシュアたちは何度か依頼を受けている。


 荷運び。


 倉庫の整理。


 商店の手伝い。


 危険の少ない仕事ばかりだが、報酬は決して多くなかった。


「でも、危険な依頼はまだ早いと思う」


 レオンが言う。


「昨日の模擬戦で、連携が足りないことは分かったからね」


「それはそうだけど……」


 ミアは唇を尖らせた。


「生活費だってかかるのよ」


「分かってる」


 レオンは頷いた。


「だから、報酬と危険度の釣り合う依頼を探そう」


 ダグラスが掲示板の端を指さした。


「これなんかどうだ?」


 そこには、王都近郊の街道で荷馬車を護衛する依頼が貼られていた。


 報酬は一行で1500ユグド。


「護衛!」


 エリシアが目を輝かせた。


「いいじゃない!」


「ただし、目的地までは半日かかる。帰りも含めれば、ほぼ一日仕事だな」


 ダグラスが説明する。


「危険度は低いが、野犬や盗賊の可能性はある」


「……盗賊か」


 ジョシュアが呟いた。


 人と戦うことになるかもしれない。


 昨日の模擬戦が頭をよぎる。


 敵の攻撃を避けることはできた。


 だが、仲間が倒されるのを防げなかった。


「……もう少し練習してからの方がいいかな」


 ジョシュアが言った。


 ダグラスは頷いた。


「俺もそう思う。護衛は一人で戦う仕事じゃないからな」


「そうだね」


 レオンも同意した。


「荷馬車や依頼人を守れなければ意味がない」


「じゃあ、こっちは?」


 ミアが別の依頼票を指さした。


 内容は、商店街の倉庫から市場までの荷物運搬。


 報酬は900ユグド。


「また荷運び?」


 エリシアが不満そうな顔をする。


「でも、確実に稼げるわ」


「……そうだけど」


「怪我をしたら、治療費だってかかるのよ?」


「うっ……」


 エリシアは黙った。


 レオンが依頼票を確認する。


「距離も短いし、人数制限もない。これなら五人で受けられそうだね」


「決まりだな」


 ダグラスが頷いた。


 こうして、ジョシュアたちは午後の依頼を決めた。


◇


 依頼は、予想以上に順調だった。


 大きな木箱を荷車へ積み込み、市場の指定された倉庫まで運ぶ。


 それを何度か繰り返すだけ。


 ダグラスが重い荷物を持ち上げ、エリシアとジョシュアが運ぶ。


 ミアは荷物の数を確認し、レオンは依頼主と受け渡しを進めた。


 五人で役割を分けたおかげで、予定より早く仕事が終わった。


「助かったよ!」


 依頼主の商人が笑った。


「こんなに早く終わるとは思わなかった!」


「こちらこそ、ありがとうございました」


 レオンが頭を下げる。


「また人手が必要になったら頼むよ」


「はい」


 商人から受け取りの証明をもらい、五人はギルドへ戻った。


 受付で手続きを済ませると、報酬の900ユグドが支払われた。


「一人180ユグドね」


 ミアが硬貨を分ける。


「……こうして分けると、少なく感じるわ」


「まあ、五人だからな」


 ダグラスが笑った。


「その分、仕事は早く終わっただろ?」


「それはそうだけど」


「空いた時間を訓練に使えると思えば悪くない」


 レオンが言った。


 ミアは硬貨を袋へしまった。


「……そう考えることにするわ」


 エリシアが大きく伸びをした。


「さて! 今日の仕事も終わり!」


「まだ夕方だけどね」


 レオンが言う。


「だからこそ、何かしたい!」


「何かって?」


「うーん……」


 エリシアは考え込んだ。


 そのとき、ダグラスが口を開いた。


「なら、ギルドの酒場に寄っていかないか?」


「酒場?」


 ジョシュアが尋ねる。


「ああ。奥に飲食用の広間があるだろ。あそこだ」


「行ったことないね」


 レオンが言った。


「受付の近くは何度も通ったけど」


「冒険者同士で情報交換する場所でもある。依頼の話を聞けることもあるぞ」


「へえ!」


 エリシアが興味を示した。


「面白そう!」


「食事もできるの?」


 ミアが尋ねる。


「できる。軽食ならそれほど高くない」


「じゃあ、行ってみましょうか」


 ミアが頷いた。


 ジョシュアも賛成した。


 こうして五人は、ギルドの奥にある酒場へ向かった。


◇


 扉を開けた瞬間、賑やかな声が押し寄せてきた。


「だから俺が言っただろ!」


「いや、あれはお前が先に逃げたんだろうが!」


「誰が逃げたって!?」


 笑い声。


 怒鳴り声。


 食器の触れ合う音。


 焼いた肉と酒の匂い。


 そこには、依頼掲示板の前とはまた違った冒険者たちの姿があった。


「……すごいね」


 ジョシュアが呟く。


「夜になると、もっと混むぞ」


 ダグラスが答えた。


「今はまだ早い方だ」


「これで?」


 レオンが苦笑する。


 酒場はすでに大勢の客で埋まっていた。


 鎧を脱いでくつろぐ者。


 大きなジョッキを片手に笑う者。


 テーブルに地図を広げている者。


 誰もが思い思いの時間を過ごしている。


「……席、ある?」


 ミアが周囲を見渡した。


「うーん……」


 エリシアも背伸びする。


 どのテーブルも埋まっている。


 五人で座れそうな場所は見当たらなかった。


「……出直すか?」


 ダグラスが言った。


「せっかく来たのに?」


 エリシアが残念そうな顔をする。


「仕方ないだろ。席がないんだから」


 そのとき。


「おーい」


 どこか気の抜けた声が聞こえた。


「そこの五人組」


 ジョシュアたちは振り向いた。


 酒場の奥。


 窓際にある大きなテーブル。


 そこに、一人の男が座っていた。


 黒い髪を無造作に伸ばし、少しくたびれた服を着ている。


 目の前には、酒瓶が何本も並んでいた。


 男は椅子に深く腰掛け、片手をひらひらと振っている。


「席、探してるんだろ?」


 男が言った。


「ここ、空いてるぞ」


 確かに、そのテーブルには椅子がいくつもあった。


 男が一人で使うには、明らかに大きすぎる。


「……いいの?」


 エリシアが尋ねた。


「もちろん」


 男は笑った。


「どうせ一人じゃ使い切れないしな」


 ミアが少し警戒した様子で尋ねる。


「……何か条件があるんじゃないでしょうね?」


「条件?」


 男は首を傾げた。


「そうだなぁ……」


 少し考えてから、にやりと笑った。


「面白い話でも聞かせてくれれば、それでいい」


「……それだけ?」


「ああ。それだけ」


 ダグラスが男を見た。


 そして、わずかに眉をひそめた。


「……あんた、どこかで見たような……」


「お?」


 男が楽しそうに笑う。


「有名人だったかな、俺」


「いや……」


 ダグラスは少し考え込んだ。


「……気のせいか」


「そうかそうか」


 男は酒瓶を持ち上げた。


「まあ、座れよ。立って話すのも疲れるだろ?」


 エリシアがジョシュアを見る。


「どうする?」


「……いいんじゃないかな」


 ジョシュアが答えた。


「せっかく誘ってくれたし」


「そうだね」


 レオンも頷いた。


「お言葉に甘えようか」


 五人は男のテーブルへ向かった。


 ジョシュアが椅子を引こうとした、そのとき。


 男の手が止まった。


 酒瓶を持ち上げたまま、ジョシュアを見つめている。


「…………」


 その目が、ほんの一瞬だけ細くなった。


 ジョシュアは不思議に思った。


「……どうかしましたか?」


 男は答えなかった。


 ただ、じっとジョシュアの顔を見ている。


 そして。


「……ははっ」


 突然、笑った。


「いやぁ、まさか」


「……?」


「こんなところで会うとはなぁ」


 ジョシュアは首を傾げた。


「……僕と、会ったことがあるんですか?」


 男は酒瓶をテーブルへ置いた。


 それから、楽しそうに笑った。


「さあ、どうだろうな」


「……え?」


「まあ、座れよ」


 男は空いた椅子を指さした。


「話はそれからだ」


 ジョシュアは戸惑いながらも、椅子に腰を下ろした。


 エリシアたちも続く。


 男は五人を見渡し、満足そうに頷いた。


「さて。まずは自己紹介といこうか」


 そして、自分の胸を指さした。


「俺の名前は、轟時風」


 その名を聞いた瞬間、ダグラスの表情が変わった。


「……轟?」


 ミアも顔を上げる。


「ちょっと待って。轟って、あの轟家?」


 ジョシュアも思わず男を見つめた。


 轟家。


 以前、仲間たちから教えてもらった名前だ。


 王を輩出し、世界でも屈指の権力を持つ一族。


 その名字を、こんな酒場で耳にするとは思わなかった。


「……あなたは、轟家の人なんですか?」


 ジョシュアが尋ねる。


「ん? ああ、そうだぞ」


 時風はあっさり頷いた。


 あまりにも気軽な返事だった。


「……本当に?」


「なんだよ。疑ってるのか?」


「いえ、その……」


 ジョシュアは目の前の酒瓶を見た。


 くたびれた服。


 無造作な髪。


 そして、どこか締まりのない笑顔。


 聞いていた轟家の印象とは、随分違う。


 そんなジョシュアの様子を見て、時風は声を上げて笑った。


「はははっ! まあ、そういう反応になるよな!」


 ダグラスはまだ警戒を解いていなかった。


「……轟家の人間が、どうしてこんなところで一人で飲んでるんだ?」


「酒が美味いからに決まってるだろ?」


「……それだけか?」


「それ以外に理由が必要か?」


 時風は不思議そうに首を傾げた。


 誰もすぐには答えられなかった。


 そんな仲間たちをよそに、時風はジョシュアへ視線を戻す。


「ま、難しい話は後だ!」


 そして、近くを通りかかった店員に声をかけた。


「おーい! こっちに五人分、何か美味いもの頼む!」


「ちょ、ちょっと!」


 ミアが慌てて止めた。


「私たち、お金が……!」


「心配するな」


 時風は笑った。


「俺のおごりだ」


「……え?」


「遠慮するなって」


 そして、ジョシュアを見た。


「今日は、久しぶりに面白い夜になりそうだからな」


 ジョシュアは、その言葉が気になった。


 この男は、初めて会ったときから自分を妙な目で見ている。


 まるで、以前から知っているかのように。


 けれど、ジョシュアには覚えがない。


 目の前の男が何を知っているのか。


 なぜ自分に興味を持ったのか。


 まだ、何一つ分からなかった。

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