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冒険者の食卓

第20話 冒険者の食卓


「……本当にここ?」


 エリシアが立ち止まった。


 目の前にあるのは、王都の大通りから一本外れた場所に建つ、小さな食堂だった。


 木製の看板には《鉄鍋亭》と書かれている。


 入口の扉は古く、壁の塗装もところどころ剥がれていた。窓からは橙色の明かりが漏れ、肉の焼ける匂いが漂ってくる。


「見た目は少し古いが、味は保証する」


 ダグラスが胸を張った。


「それ、前にも誰かに言われた気がする」


 レオンが呟く。


「王都の店って、見た目で判断できないところが多いよね」


「大事なのは値段と量よ」


 ミアが看板の横にある献立表を覗き込んだ。


「……あら」


「どうしたの?」


 ジョシュアが尋ねる。


「日替わり定食、120ユグド」


 ミアの耳が立った。


「安いじゃない!」


「だろ?」


 ダグラスは得意げに笑った。


「冒険者向けの店だからな。量も多いぞ」


「決まりね」


 ミアは迷わず扉を開けた。


「早いな……」


 レオンが苦笑する。


 店内は思っていたより広かった。


 木製のテーブルがいくつも並び、そのほとんどが冒険者らしい客で埋まっている。


 鎧を着たまま酒を飲んでいる者。


 地図を広げて依頼の相談をしている者。


 何かの討伐に成功したのか、大声で笑い合っている集団。


 賑やかだった。


「いらっしゃい!」


 厨房の奥から、恰幅のいい男性が顔を出した。


「おう、ダグラスじゃないか!」


「久しぶり、親父さん」


「今日は随分大所帯だな!」


「ああ。新しい仲間ができたんだ」


 店主は5人を見渡し、豪快に笑った。


「そりゃめでたい! 奥の席が空いてるぞ!」


「ありがとう」


 ダグラスに案内され、5人は壁際のテーブルへ向かった。


 椅子に腰を下ろすなり、エリシアが大きく息を吐いた。


「はあぁ……疲れたぁ……」


「さっきまで元気だったのに」


 ミアが言う。


「座ったら急に疲れが来たの!」


「分からなくもないね」


 レオンも椅子の背もたれに身体を預けた。


「僕も肩が痛いよ」


「矢が当たったところ?」


「そう。訓練用とはいえ、あれは結構響く」


 ジョシュアは自分の胸元を見下ろした。


 ロイドの剣を受けた場所だ。


 痛みはもうほとんどない。


 だが、倒された瞬間の感覚は覚えていた。


 避けられると思った。


 実際、それまで何度も避けていた。


 それなのに、最後は足を滑らせて倒れた。


「……」


「ジョシュア?」


 エリシアが顔を覗き込んできた。


「どうしたの?」


「……今日のことを考えてた」


「ああ、模擬戦?」


「うん」


 ジョシュアは頷いた。


「どうすれば勝てたのかなって」


 その言葉に、ダグラスが顔を上げた。


「そうだな。飯が来るまで反省会でもするか」


「ええっ!?」


 エリシアが悲鳴を上げた。


「ご飯の前に!?」


「嫌なら食ってからでもいいぞ」


「……じゃあ食べてから!」


「それだと忘れるだろ」


 ミアが呆れたように言った。


「忘れないわよ!」


「さっき教官に何を注意されたか、全部言える?」


「えっと……」


 エリシアは指を折り始めた。


「前に出すぎないことと……」


「ほら」


「まだ考えてる途中!」


 レオンが笑った。


 ジョシュアもつられて笑う。


 負けた直後は、あんなに重かった気持ちが少し軽くなっていた。


◇


「お待ちどう!」


 しばらくして、店主が大きな盆を抱えてやってきた。


 テーブルに並べられたのは、厚切りの肉を煮込んだ料理と、焼きたてのパン、それから野菜のスープだった。


「……え?」


 エリシアが目を丸くする。


「これで120ユグド?」


「そうだ!」


 店主が笑った。


「うちは腹を空かせた冒険者の味方だからな!」


「すごい……」


 ジョシュアも思わず呟いた。


 肉は皿からはみ出しそうなほど大きい。


 濃い茶色のソースがかかっていて、湯気と一緒に香辛料の匂いが立ち上っている。


「いただきます!」


 エリシアが真っ先に肉を切り分けた。


 一口食べる。


 そして、動きが止まった。


「……!」


「どうした?」


 ダグラスが尋ねる。


「……おいしい!」


 エリシアは目を輝かせた。


「すっごくおいしい!」


「だろ?」


 ダグラスが満足そうに頷く。


 ジョシュアも肉を口に運んだ。


 柔らかい。


 噛むと肉汁が広がり、少し甘いソースの味が後から追いかけてくる。


「……本当だ」


 ジョシュアは微笑んだ。


「おいしいね」


「でしょ!」


 なぜかエリシアが得意げに答える。


「君が作ったわけじゃないだろう」


 レオンが指摘した。


「いいじゃない!」


 ミアは無言で食べていた。


 いつもなら何かしら感想を言うのに、今日は妙に静かだ。


「ミア?」


 ジョシュアが声をかける。


「……何?」


「おいしい?」


「……うん」


 ミアは小さく頷いた。


「すごく」


 そして、もう一口食べる。


 その表情が少しだけ緩んだ。


 ジョシュアはそれ以上、何も言わなかった。


 ミアは今日、朝からずっと動き回っていた。


 訓練中も、誰より周囲を見ていたように思う。


 きっと疲れているのだろう。


「そういえば」


 ダグラスがパンをちぎりながら言った。


「ミアには弟がいるんだったな」


「ええ。ルイっていうの」


「今はどうしてるんだ?」


「王都児童保護院に預けてるわ。夕方まで面倒を見てもらえるの」


 ミアは壁の時計を見た。


「……そろそろ迎えに行かないと」


「なら、食べ終わったらすぐ行こう」


 ジョシュアが言った。


「僕たちも一緒に行く?」


「大丈夫よ。場所は覚えたから」


 ミアは少し笑った。


「それに、ルイは私が迎えに行くのを楽しみにしてると思うし」


「そっか」


「……でも、ありがとう」


 ミアは再び肉を切り分けた。


 ダグラスはその様子を見て、何かを考えるように頷いた。


「王都児童保護院か。あそこなら、夜間の預かりも相談できたはずだ」


「知ってるの?」


「ああ。前に同じ宿に泊まってた冒険者が利用してた」


「そうなんだ……」


 ミアは少し考え込んだ。


「依頼が長引くときは、相談してみようかしら」


「それがいいと思う」


 レオンが言った。


「今後、日帰りできない依頼を受けることもあるだろうし」


「……そうね」


 ミアは頷いた。


 その顔には、少しだけ安心したような表情が浮かんでいた。


◇


 食事が半分ほど進んだ頃、ダグラスが口を開いた。


「さて。そろそろ今日の反省をするか」


「……やっぱりやるの?」


 エリシアが嫌そうな顔をした。


「やる」


 ダグラスは即答した。


「まず、俺が倒れたところからだ」


 レオンがパンを置いた。


「相手は最初から僕を狙ってたね」


「ああ。あれは完全に誘いだった」


 ダグラスは頷いた。


「俺が助けに行けば、中央が空く。そこへ槍使いが入ってくる」


「でも、助けに行かなかったらレオンが倒されてたかもしれないわ」


 ミアが言う。


「そうだな」


 ダグラスは少し考えた。


「だから、俺が動く前に誰かへ声をかけるべきだった」


「……声?」


「そうだ。例えば、エリシアに中央を頼むとか、ジョシュアに槍使いを警戒させるとか」


「なるほど……」


 エリシアが頷いた。


「そうすれば、ダグラスが動いても穴ができないんだ」


「少なくとも、何も言わずに動くよりはいい」


 レオンが続けた。


「僕も、詠唱を始める前にもっと位置を考えるべきだったね」


「どうして?」


 ジョシュアが尋ねる。


「魔法は詠唱が必要だから、その間は動きづらい。だからこそ、敵から狙われにくい場所を選ばないといけないんだ」


 レオンは杖を軽く持ち上げた。


「今日は、ダグラスが守ってくれることを前提にしすぎてた」


「……なるほど」


 ジョシュアは頷いた。


 次に、ミアが口を開いた。


「私は、敵の後衛を狙うことばかり考えてたわ」


「でも、結構追い詰めてたじゃない」


 エリシアが言う。


「そう見えただけよ」


 ミアは首を振った。


「相手の弓使いと魔法使いは、私が来ることを分かってた。だから距離を取りながら、ずっと私を足止めしてたの」


「……つまり?」


「私も、敵の盾役と同じことをされてたってこと」


 レオンが頷いた。


「なるほど。相手は全員、役割がはっきりしてたんだね」


「そういうこと」


 ミアはため息をついた。


「悔しいけど、向こうの方が一枚上手だったわ」


「……じゃあ、私は?」


 エリシアが尋ねた。


 ダグラスが即答する。


「突っ込みすぎ」


「また!?」


「まただ」


 レオンも頷いた。


「ロイドに何度も誘導されてたよ」


「……うぅ」


 エリシアは肩を落とした。


「だって、目の前に敵がいると、倒したくなるんだもん……」


「その気持ちは分かるがな」


 ダグラスは笑った。


「次は、敵を倒すことより、仲間と位置を合わせることを意識してみろ」


「……分かった」


 そして、4人の視線がジョシュアへ向いた。


「……僕?」


「そうだ」


 ダグラスが頷く。


「ジョシュアは、どうだった?」


 ジョシュアは少し考えた。


「……難しかった」


「何が?」


「敵の攻撃を避けることは、できたんだ」


 ジョシュアは自分の手を見つめた。


「でも、どうやって攻撃すればいいのか分からなかった」


 レオンが首を傾げる。


「さっきの模擬魔狼戦でも、似たようなことを言ってたね」


「うん」


「……不思議だね」


 ジョシュアは頷いた。


 自分でも不思議だった。


 相手が剣を振る。


 その瞬間、身体が勝手に動く。


 避けるべき方向が分かる。


 剣を振るべき瞬間が分かる。


 だが、自分から何かをしようとすると、急に分からなくなる。


 まるで、知らない誰かの動きを、身体だけが覚えているようだった。


「……記憶がないからかな」


 ジョシュアが呟く。


 ダグラスは少し考えた。


「可能性はあるな」


「そうなの?」


「ああ。昔、剣を使っていたなら、身体が動きを覚えていてもおかしくない」


「……なるほど」


「ただし、それだけに頼るのは危険だ」


 ダグラスは真剣な表情になった。


「今日みたいに、相手が複数いたり、仲間を守らなきゃいけない状況だと、反射だけじゃどうにもならん」


「……うん」


「だから、基本から覚えよう」


 ジョシュアは顔を上げた。


「基本?」


「ああ。剣の構え方、足の運び方、相手との距離の取り方。そういうものだ」


「……教えてくれるの?」


「もちろん」


 ダグラスは笑った。


「俺でよければな」


「……ありがとう」


 ジョシュアも笑った。


 そのとき、エリシアが勢いよく手を上げた。


「私も教える!」


「……エリシアも?」


「うん! 剣なら私の専門だから!」


 レオンが小さく呟く。


「……突っ込みすぎる剣士だけどね」


「聞こえてる!」


 テーブルに笑いが起きた。


 ジョシュアも笑った。


 今日の敗北は、悔しかった。


 けれど、こうして仲間と話していると、少しだけ次が楽しみになってくる。


 自分に何ができるのか。


 何ができないのか。


 まだ分からない。


 それでも、少しずつ覚えていけばいい。


 そう思えた。


◇


 食事を終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。


 店を出ると、王都の街灯が道を照らしている。


 昼間とは違い、通りには仕事帰りの人々が行き交っていた。


「じゃあ、私はルイを迎えに行くわ」


 ミアが言った。


「気をつけてね」


 エリシアが手を振る。


「ええ。また明日」


 ミアは小さく手を振り返し、通りの向こうへ歩いていった。


 その背中が人混みに消えるまで、ジョシュアは見送った。


「……さて」


 ダグラスが伸びをした。


「俺も今日は帰るかな」


「ダグラスは、どこに住んでるの?」


 ジョシュアが尋ねる。


「ギルドから少し離れた場所に、安い宿を借りてる」


「そうなんだ」


「ああ。長期滞在者向けのところでな。あまり綺麗じゃないが、寝るだけなら十分だ」


 エリシアが首を傾げた。


「麦月亭に来ればいいのに」


「いや、あそこは俺には少し高い」


「……そっか」


 ダグラスは笑った。


「心配するな。今の宿にも慣れてる」


 そして、ジョシュアを見た。


「明日、時間があるなら剣の練習をしよう」


「うん」


「朝、ギルドの訓練場で待ち合わせだ」


「分かった」


「エリシアも来るか?」


「もちろん!」


 エリシアは元気よく答えた。


「じゃあ、俺も付き合おうかな」


 レオンが言う。


「魔法の練習もしたいし」


「決まりだな」


 ダグラスは頷いた。


「それじゃ、また明日」


 そう言って、通りの向こうへ歩いていった。


 残されたのは、ジョシュア、エリシア、レオンの3人。


「……帰ろっか」


 エリシアが言った。


「そうだね」


 ジョシュアは頷いた。


 3人は麦月亭へ向かって歩き始めた。


 途中、ギルドの前を通りかかった。


 大きな建物の窓からは、まだ明かりが漏れている。


 夜になっても、冒険者たちの出入りは絶えない。


「……王都って、夜でも賑やかだね」


 ジョシュアが呟いた。


「そうだね」


 レオンが答える。


「依頼を終えて戻ってくる冒険者もいるし、これから仕事に向かう人もいるんだろうね」


「夜の依頼かぁ……」


 エリシアが少し興味を示した。


「いつか受けてみたいな!」


「まずは昼間の依頼に慣れてからにしよう」


 レオンが即答する。


「ええー!」


 ジョシュアは笑った。


 そのとき、ギルドの扉が開いた。


 中から出てきた冒険者たちが、何やら興奮した様子で話している。


「聞いたか? また出たらしいぞ」


「また?」


「ああ。今度は商人が一晩で全財産を失ったって話だ」


「……あの歓楽街か?」


「そうそう。煌めき通りだよ」


 ジョシュアは足を止めた。


「……煌めき通り?」


 エリシアも振り向く。


「何それ?」


 レオンが少し考えた。


「王都の外にある歓楽街の名前だったと思う」


「歓楽街?」


「劇場や酒場、賭場なんかが集まってる街だね」


「へえ……!」


 エリシアの目が輝いた。


「面白そう!」


「……君は本当に何でも興味を持つね」


 レオンが呆れたように言った。


 ジョシュアは、冒険者たちの話をもう一度思い返した。


 一晩で全財産を失った商人。


 歓楽街。


 煌めき通り。


 不思議と、その名前が耳に残った。


「……ジョシュア?」


 エリシアが声をかける。


「どうしたの?」


「……いや」


 ジョシュアは首を振った。


「何でもない」


 特別な理由があるわけではない。


 ただ、どこか引っかかっただけだ。


「帰ろう」


 ジョシュアが言う。


「うん!」


 3人は再び歩き始めた。


 背後では、ギルドの扉が開閉する音が響いている。


 王都の夜は、まだ始まったばかりだった。


 そして、王都から離れた歓楽の街では、今この瞬間も、誰かが運命を賭けている。


 ジョシュアたちは、まだ知らない。


 その街に灯る無数の光が、やがて自分たちを導くことになるとは。

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