新しい寝床
第15話 新しい寝床
「一泊、1人800ユグドになります」
「……はい?」
エリシアが聞き返した。
宿屋の主人は、にこやかな表情を崩さなかった。
「朝食付きで800ユグドです。夕食をご希望でしたら、追加で200ユグドになります」
「……ちなみに、4人だと?」
「3,200ユグドですね」
「…………」
エリシアはゆっくりとジョシュアを振り返った。
「ねえ、ジョシュア」
「うん」
「王都って、怖いところだね」
「まだ宿代しか見てないよ」
レオンが横から口を挟んだ。
「しかも、ここは大通りに面した宿だからね。立地を考えれば、それほど不思議な金額じゃない」
「じゃあ、もっと安いところを探そう!」
「最初からそのつもりだよ」
3人は宿屋を後にした。
外へ出ると、昼過ぎの陽光が石畳を照らしていた。
王都の大通りは相変わらず賑やかで、商人たちの呼び込みがあちこちから聞こえてくる。
「……あの宿、すごく綺麗だったのに」
エリシアが名残惜しそうに振り返る。
「綺麗な宿ほど高いとは限らないけど、あそこは明らかに高級寄りだったね」
「先に言ってよ!」
「入ってみたいって言ったのはエリシアだろう?」
「だって、看板に『冒険者歓迎』って書いてあったから!」
「歓迎と割引は別の話だよ」
ジョシュアは2人のやり取りを聞きながら、通りの先を眺めた。
王都に到着してから、まだ半日も経っていない。
だというのに、すでに地方都市との違いをいくつも思い知らされていた。
建物の大きさ。
人の多さ。
商品の種類。
そして、物価。
「……王都で暮らすのって、大変なんだね」
「その分、稼げる仕事も多いはずだけどね」
レオンが答えた。
「だからこそ、地方から冒険者が集まるんだろう」
「なるほど」
「もっとも、稼げる仕事ほど危険も増える。僕たちが受けられる依頼は、まだ限られているけど」
「まずは合同訓練だね」
ジョシュアが言うと、エリシアが頷いた。
「うん! 王都の冒険者がどれくらい強いのか、楽しみ!」
「……訓練で怪我をしない程度にね」
「レオンって心配性だよね」
「誰のせいだと思ってるんだい?」
エリシアは答えなかった。
◇
2軒目の宿は、1人500ユグドだった。
しかし、部屋を見せてもらった途端、エリシアが小声で言った。
「……なんか、変な匂いしない?」
「するね」
ジョシュアも頷いた。
部屋の隅には湿った染みがあり、窓の建て付けも悪い。
寝台に置かれた布団は、いつ洗われたのか分からなかった。
「ここなら安いぞ」
宿の主人が言った。
「冒険者なら、多少のことは気にしないだろ?」
「……考えておきます」
レオンが丁寧に断った。
外へ出てから、エリシアは大きく息を吐いた。
「無理! あそこは無理!」
「僕も同意見だよ」
レオンが言う。
「安くても、体調を崩したら意味がないからね」
「ルイも泊まるかもしれないし」
ジョシュアが付け加えた。
「そうだった!」
エリシアが頷く。
「ちゃんとしたところを探さないと!」
それから3人は、さらに何軒か宿を回った。
高すぎる宿。
安いが満室の宿。
部屋は綺麗でも、ギルドから遠すぎる宿。
なかなか条件に合う場所が見つからない。
やがて、日が少し傾き始めた頃。
3人はギルドから歩いて10分ほどの裏通りで、小さな宿を見つけた。
木製の看板には、丸い月と麦の穂が描かれている。
『麦月亭』
「……ここはどうかな?」
ジョシュアが尋ねた。
「見た感じ、悪くなさそうね」
エリシアが答える。
「入ってみようか」
レオンが扉を開けた。
からん、と小さな鈴が鳴った。
店内には、焼きたてのパンの香りが漂っていた。
「いらっしゃい!」
奥から、恰幅のいい女性が顔を出した。
年齢は40代くらいだろうか。
腕まくりをした姿は、いかにも働き者という印象だった。
「泊まりかい?」
「はい。部屋を探しているんです」
ジョシュアが答えた。
「何人?」
「大人4人と、子供が1人です。ただ、子供とその姉は今、別の用事があって……」
「なるほどね」
女性は頷いた。
「うちは豪華な宿じゃないけど、寝床と飯には困らせないよ」
「料金はいくらですか?」
レオンが尋ねる。
「相部屋なら1人300ユグド。2人部屋は1室550ユグド。3人部屋は750ユグドだね。子供用の簡易寝台を追加するなら、1泊100ユグド」
「……!」
エリシアの目が輝いた。
「安い!」
「そうだろう?」
女性は得意げに笑った。
「うちは冒険者の常連が多いからね。長く泊まるなら、多少は融通するよ」
レオンは少し考えた。
「部屋を見せてもらってもいいですか?」
「もちろんさ!」
案内された部屋は、決して広くはなかった。
しかし、床は綺麗に掃除され、寝台の布団も清潔だった。
窓からは裏通りが見え、外の騒音もそれほど気にならない。
「……いいね」
ジョシュアが言った。
「うん!」
エリシアも頷く。
「さっきの宿よりずっといい!」
「比べる相手が悪い気もするけどね」
レオンが苦笑した。
女性は腰に手を当てた。
「で、どうする?」
ジョシュアたちは顔を見合わせた。
「ここにしようか」
「賛成!」
「僕も異論はないよ」
こうして、王都での最初の宿が決まった。
ひとまずジョシュアとレオンが2人部屋を使い、エリシアは別の部屋を借りる。
ミアとルイの部屋については、2人が戻ってから相談することになった。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」
女性が言った。
「私はマルタ。この宿の女将だよ」
「ジョシュアです」
「エリシアです!」
「レオン・アルフェリスです」
「よろしくね。何か困ったことがあったら、遠慮なく言いな」
マルタはそう言って笑った。
その笑顔を見て、ジョシュアは少し安心した。
王都に来て初めて、落ち着ける場所を見つけた気がした。
◇
一方、その頃。
ミアとルイは、王都の東側にある静かな住宅街を歩いていた。
大通りの喧騒から離れるにつれて、周囲の雰囲気は穏やかになっていく。
小さな公園。
並木道。
子供たちの笑い声。
そして、その先に見えてきたのは、白い石造りの建物だった。
門の上には、柔らかな文字で名前が刻まれている。
《王都児童保護院》
「……ここね」
ミアは足を止めた。
ルイは建物を見上げた。
「大きいね」
「そうね」
「ここに住むの?」
「まだ分からないわ。まずはお話を聞いてからよ」
ミアはそう答えた。
けれど、胸の奥には小さな不安があった。
今まで、ルイとはずっと一緒だった。
依頼へ出るときも、帰れば必ず弟が待っていた。
王都へ来たのは、もっと稼げるようになるためだ。
弟に不自由をさせないため。
それなのに、弟を施設へ預けることが、本当に正しい選択なのか。
「……お姉ちゃん?」
ルイが顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「……何でもないわ」
ミアは笑った。
「行きましょう」
2人は門をくぐった。
受付には、優しそうな女性が座っていた。
「こんにちは。ご用件をお伺いします」
「あの、ギルドから紹介状をいただいて……」
ミアが書類を差し出す。
女性は内容を確認し、頷いた。
「ミア・クロフォードさんですね。お待ちしておりました」
「……はい」
「こちらが弟さんのルイ君ですね?」
「こんにちは!」
ルイが元気よく挨拶する。
「こんにちは、ルイ君」
女性は微笑んだ。
「私はアメリアと申します。今日はよろしくお願いしますね」
案内された部屋には、丸い机と椅子が置かれていた。
壁には子供たちが描いたらしい絵が飾られている。
ミアとルイが座ると、アメリアも向かいに腰を下ろした。
「まず、現在の生活についてお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい」
ミアは頷いた。
「私たちは、今日王都へ来たばかりなんです。私は冒険者をしていて、弟と2人で暮らしています」
「ご両親は?」
「……いません」
アメリアはそれ以上、すぐには尋ねなかった。
「そうでしたか」
静かに頷き、書類へ目を落とす。
「王都では、冒険者として活動を続ける予定ですか?」
「はい。もっと稼げるようになりたくて」
「なるほど」
アメリアは微笑んだ。
「それでしたら、日中の預かりを中心に利用する方法がよいかもしれませんね」
「日中の預かり……?」
「はい。朝、こちらへ来ていただいて、夕方にお迎えに来てもらう形です」
ミアの耳がぴくりと動いた。
「……それなら、夜は一緒にいられるんですか?」
「もちろんです」
アメリアは頷いた。
「ただし、泊まりがけの依頼などで長期間家を空ける場合は、事前に相談してください。状況に応じて宿泊を伴う預かりも可能です」
「……そうなんですね」
ミアは小さく息を吐いた。
アメリアは続ける。
「こちらでは食事の提供や学習の支援も行っています。ルイ君と同じくらいの年齢の子もいますよ」
「友達、できる?」
ルイが尋ねた。
「きっとできますよ」
「……!」
ルイの顔が明るくなった。
ミアはその様子を見て、少しだけ肩の力を抜いた。
「費用についてなんですけど……」
「はい。収入や家庭の事情に応じて減免制度があります」
アメリアは書類を取り出した。
「ミアさんの場合は、冒険者としての収入がまだ安定していないとのことですので、当面は負担を抑えた形で利用できると思います」
「……ありがとうございます」
「正式な金額は審査後にお伝えしますね」
「はい」
ミアは何度も頷いた。
それから、隣に座るルイを見た。
「……ルイ」
「なあに?」
「お姉ちゃんが仕事してる間、ここで待っていられる?」
ルイは少し考えた。
「……お姉ちゃん、毎日帰ってくる?」
「帰ってくるわよ」
「絶対?」
「……絶対、とは言えないけど」
ミアは言葉を選んだ。
「危ない仕事もあるから。でも、無茶はしない。ちゃんと帰ってくるように頑張る」
ルイはじっとミアを見た。
それから、小さく頷いた。
「……分かった」
「……ありがとう」
ミアは弟の頭を撫でた。
アメリアはその様子を静かに見守っていた。
面談はそれからもしばらく続いた。
利用時間。
食事。
緊急時の連絡方法。
そして、冒険者ギルドとの連携について。
すべての説明を終えた頃には、ミアの表情も随分と落ち着いていた。
「それでは、明日から日中の利用を始められるよう手続きを進めますね」
「……はい!」
ミアは深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます!」
「こちらこそ。ルイ君が安心して過ごせるよう、私たちもお手伝いします」
建物を出ると、夕方の風が頬を撫でた。
ルイはミアの手を握りながら、楽しそうに話し始めた。
「お姉ちゃん! あそこ、お庭もあったよ!」
「そうね」
「あと、同じくらいの子もいた!」
「友達になれるといいわね」
「うん!」
ミアは弟の横顔を見た。
王都へ来ることを決めたとき、正直、不安ばかりだった。
貯金は減った。
知らない街。
慣れない生活。
それでも、こうして一つずつ問題を解決していけば、何とかなるのかもしれない。
「……よし」
ミアは小さく呟いた。
「頑張らないとね」
「何を?」
「お仕事よ」
「いっぱい稼ぐの?」
「そうよ」
ミアは笑った。
「いつか、ルイと2人で住める部屋を借りるんだから」
「大きい部屋?」
「……そこそこ大きい部屋」
「お庭は?」
「それはちょっと難しいかな……」
「えー!」
ミアは笑いながら、弟の手を引いた。
◇
夕方。
ジョシュアたちは、ギルドの前でミアたちと合流した。
「ミア!」
エリシアが手を振る。
「どうだった?」
「大丈夫だったわ」
ミアは笑った。
「明日から預かってもらえることになったの」
「よかった!」
エリシアが嬉しそうに声を上げる。
「ルイも大丈夫?」
ジョシュアが尋ねる。
「うん!」
ルイは元気よく答えた。
「友達、いっぱい作る!」
「それは楽しみだね」
ジョシュアは微笑んだ。
「そっちは? 宿、見つかった?」
ミアが尋ねる。
「見つけたよ」
レオンが答えた。
「ギルドから近くて、料金も比較的安い。部屋も清潔だった」
「本当!?」
ミアの耳がぴんと立った。
「いくら?」
「2人部屋で1泊550ユグド。子供用の寝台を追加するなら100ユグドだそうだよ」
「……!」
ミアは少し考えた。
「……それなら、何とかなりそうね」
「じゃあ、行こう!」
エリシアが先頭に立った。
5人は夕暮れの王都を歩き始めた。
通りには灯りがともり始め、昼間とは違う賑わいが広がっている。
店先からは料理の香りが漂い、仕事を終えた人々が酒場へ向かっていた。
ジョシュアはその光景を眺めながら、ふと空を見上げた。
建物の隙間から、夕焼けに染まる空が見える。
王都に来て、最初の一日。
特別な依頼を受けたわけでもない。
魔物と戦ったわけでもない。
それでも、何かが少しずつ前へ進んでいる気がした。
「ジョシュア!」
エリシアが振り返る。
「置いていくよ!」
「あ、うん!」
ジョシュアは慌てて歩き出した。
その夜。
5人は麦月亭で温かい夕食を囲んだ。
焼きたてのパン。
野菜のスープ。
香草を使った肉料理。
どれも豪華ではなかったが、長旅の疲れた身体には十分すぎるほど美味しかった。
「……おいしい!」
ルイが目を輝かせる。
「そうだろう?」
女将のマルタが笑った。
「うちの料理は、量だけは自慢だからね!」
「量だけじゃないよ!」
エリシアが言う。
「すっごく美味しい!」
「ははは! 嬉しいこと言ってくれるじゃないか!」
マルタは豪快に笑った。
ジョシュアもスープを口に運んだ。
温かい。
そして、どこか懐かしい気がした。
けれど、その懐かしさが何なのかは分からない。
思い出そうとしても、記憶の奥には何も見えなかった。
「……ジョシュア?」
ミアが声をかけた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
ジョシュアは首を振った。
「美味しいなと思って」
「そうね」
ミアは笑った。
「……明日から、また頑張らないと」
「うん」
ジョシュアは頷いた。
王都での生活は、まだ始まったばかりだ。
そして、明後日には合同訓練が待っている。
そこで、どんな冒険者たちと出会うのだろう。
ジョシュアは、少しだけ楽しみになっていた。
窓の外では、王都の夜が静かに深まっていく。
遠くから、鐘の音が聞こえた。
新しい街での最初の夜は、穏やかに過ぎていった。




