女の喧嘩。
「――ふーん、どこの学校も似たようなものね」
橘さんが私たちの教室を窓側から眺めた。
先生も生徒も、今は外の祭りに夢中だ。
「私立と公立でも違いは――ッ」
叩いた。
窓の縁に腰掛ける彼女を、平手で。思いっきり。
不意打ちだったはずだ。
それなのに、まるでわかっていたような反応だ。
ゆっくりと戻ってきた顔は、強い意志でこちらを見ている。
「そんなに嫌ですか……!」
手が震える。痛みと怒りでヒリヒリしてくる。
「私の彼芽さんがそんなに不満ですか!」
「……怒り心頭って感じね。折角の顔が台無しよ?」
そうです認めます本当に腹立たしい。
ただでさえ、彼芽さんを怪我させた人間に苛立っている。
「貴方の言う通り、私の出る幕じゃないです」
御園さんに任せろと制された。それ自体には納得はしている。
許しはしませんが、堪えます。
彼芽さんはあの時、私のために頑張っていた。
理由はわかりませんがそういう目で見ていた。
ですが今、その分の鬱憤が混ざってしまっている。
わかっていてこの人は。
「余計なことを言うなと言ったはずです」
「私は余計なことだと思ってないわ」
「その一言が! どれだけ苦しめるか理解しているはずです!」
そうです。私に理解できてこの人が理解できないはずがない。
一目見た時にすぐにわかった。
彼の瞳が不安に揺れていた。見えない何かを空見して怯えていた。
何があったのかに気付けないほど馬鹿じゃない。
「あいつには必要なことよ」
「必要なこと? あれが? どこが?」
眩暈を起こして、私に縋るあの姿が?
弱音を吐きたがらない彼が、子供のように体を震わせていた。
そんなものが必要だと? 乗り越えろと?
「乗り越えることがカッコいいですか? 苦難に立ち向かうのがそんなに偉いですか?」
勇者が魔王を打ち果たすように、ヒーローがヴィランを成敗するように。
傷ついて、血だらけになってでも勝利を得ることが。
「傍観者の理論です! 横目で『そっちのがいい』って、本人の気持ちも知らないで!」
頭ごなしに逃げることを否定して、それが正道だと強制する。
どれだけの恐怖があるかも知らない癖に、どれだけ辛いのかも知らない癖に。
痛む手をもう一度振りかざす。
そこで止まる。脳裏に浮かぶ悲しそうな目のために、歯を食いしばって。
「……もう、私の彼芽さんにちょっかいかけないでください」
これ以上、この人の前にいたらいけないと思った。
「……だったら」
――その刹那に、体を勢い良く押し倒された。
背中の衝撃に呼吸が止まってパニックになる。
それ以上に、橘さんが初めて攻撃的な行動を取ったことに驚いた。
「だったら! 私ならなんて思わせないでよ! お願いだから!」
絶叫に近い声を鼻先が当たる距離で浴びた。
「会う度に彼芽君が不安そうにしているの!」
私の顔に涙を落としながら揺らしてくる。
「ずっと影が差しているの!」
色々なものを無造作に押し付けてくる。
「私には幸せそうに見えないの!」
その内に、襟を掴む手から力が抜けていく。
「ねぇ、あんたのなんでしょ……? だったら、しっかりしなさいよ……」
懇願。
震える手と声が私の頬に触れていく。
「あんたがキッチリ幸せにしなさいよ……お願いだから……」
「……貴方にわかりますか?」
馬乗りの彼女を退かして起き上がる。
ああ、憎たらしい。
「彼芽さんのことを知るたびに理解するんです」
この人がどれだけ思っているかわからされる。
「一つ知るたびに、どれだけ辛かったか理解するんです」
この涙一つ一つが質量以上の重みを帯びている。
この人の方が良かったんじゃないか、そう考えてしまう。
そんな自分が憎い。情けない。
「知れば知るほど、私の存在が重荷なことに気が付く」
どこまで行っても呪いでしかない。
理解した上で、そういう存在として自分を受け入れた。
時折思う。
私がいない方が彼は幸せだったかもしれない。
「こら君たち! 何してる!」
偶然、通りかかった先生に注意される。
騒ぎすぎてしまったらしい。
尋常ではない空気を悟ったのか、お咎めはなかった。
外に続く廊下を重苦しい空気が支配する。
「……私はやめないわ」
「私も変わりません」
宣戦布告に近い。
どうあっても私たちは交わらない。
「ですが、私は貴方のことが嫌いになれません」
「奇遇ね。私もなの」
だからこそ憎い。だからこそ相容れない。
友情なんて生易しい関係じゃない。
ただ、互いのことを否定すると、私たちは自分を否定することになる。
「御園さんの応援、してあげてください」
「するわよ、しないとうるさいし。ついでにあんたの醜態も見てあげる」
「巫代ちゃん!」
私たちを探していたのか、見つけた途端に花を咲かせる。
隣には顔を手当てされた彼芽さんがいた。
「って、橘ちゃん大丈夫⁉ なんか目とか腫れてない⁉」
「色々とあったのよ。色々と」
「色々って何⁉」
「詮索して欲しくないのがわからないかしら?」
「巫代さん、大丈夫か?」
「え、あ、はい……?」
眼鏡をかけてないのもあって、顔の近さに照れる。
同時に、言葉にできない違和感が襲ってきた。
「ほら、あんた眼鏡」
「ああ。ありがとう」
「ったく、盛大にこけてんじゃないわよ」
「悪い心配かけた」
「誰が? 誰の?」
「まぁまぁ、二人とも! 次はあたしの番だよ!」
前を歩いていく三人。
私だけが僅かなズレのようなものを感じていた。




