恋の先輩。
運動場で校長先生の挨拶が終わる。
普段から興味のないものだが、今の俺には殊更耳に入ってこない。
あれから、御園さんとは話していない。
グループで一緒にいることはあっても、会話が発生しない。
「きしきし~? どったの~?」
「桑江さん」
運動場に割り振られた陣地に戻ると、話しかけられた。
「なんか心ここにあらずって感じじゃん?」
「そうそう。なんか最近、星摩さんとも距離があるし」
「小早川さんに、造隼さんも」
巫代さんたちとよく一緒にいる三人だ。
眼鏡を直すフリをして、御園さんの方を見る。
巫代さんと一緒に次の競技の準備を始めていた。
一瞬だけ目が合うが、すぐに逸らされてしまう。
「実は、御園さんを怒らせてしまって」
「えぇ⁉ 崖君が星摩さんを⁉」
「それって、逆じゃなくて?」
「意外~」
そんなに意外だろうか。
言われてみれば、御園さんが可愛らしく怒ることは多々あった。
だが、今回みたいな激怒はそうそうない。
彼女の逆鱗に触れた。そういうことなのだろう。
「星摩の逆ギレじゃないの?」
「残念ながら。俺に非があります」
「う~ん、確かに今回のはいつもと違う?」
「横眉怒目~」
「あれなら、私たちが取り持つけど?」
「それはやめた方がいいですね」
それをすれば逆鱗を逆撫でしてしまうだろう。
俺だけが嫌われるならまだしも、この人たちが嫌われるのは違う。
御園さんのことは俺自身で何とかしなければ。
「あら? 片桐置いといて女に囲まれるなんて、良い御身分ね?」
「誰⁉」
「どうも~、あんたたちコイツの知り合い?」
俺の背後から音もなく顔を出した。
「咲里花、何しに来た」
「失礼ね。応援しに来たのよ、御園の」
気怠そうに肩を落とす。
応援自体も面倒くさそうだ。
「崖君が敬語を使わない……⁉」
「ってことは、例の巫代の恋敵!」
「あいつら、どういう紹介の仕方してんのよ……」
少なくとも、まともな紹介はしてないだろう。
「ていうか、誰が誰に恋しているって?」
「すごい。聞いた通りの人じゃん」
「ツンデレ~」
「何か言ったかしら?」
「は、遥! 崖君ごめん! ごゆっくり~」
脱兎の如く逃げ去っていく。
「何? あんたの周りには変なのしかいないの?」
それは咲里花もだろう
そう思っていたら、しっかり足を踏まれた。
「……それで、何しに来た?」
「言った通りよ。私の学校は部外者基本禁止だし」
「それでこっちに来る理由にはならないだろう」
「行けない分、御園が「こっち来て!」って」
御園さんなりに会う口実を作っているらしい。
呆れた様子で、もう一度だけ造隼さんたちを見ていた。
「村八分ならぬクラス八分を受けていると思ったけど」
「初めて聞いた単語だな」
この口振りからして、事情を知っているらしい。
「女って怖いわよ? 結託すると特に」
結託しなくても怖いのだから、当然だろう。
特に巫代さんと咲里花は気が強い。
二人がもし気の合う友人だったら、さぞや恐ろしかっただろう。
「よかったわね~、御園が優しい子で。普通は牛裂きの刑よ」
「惨い処刑方法だ」
それだけ、女性の恨みは根深いらしい。
五体満足でいられるのは御園さんの温情なのかもしれない。
いや、執行猶予か。若しくは死刑前の空白期間の可能性もある。
「どうするの?」
御園さんにとって巫代さんは、唯一と言える親友だ。
それは逆も然りで、巫代を思うなら和解は必至。
彼女の許しなくては、隣には立てない。
それ以前に俺は、巫代さんの隣に立つ資格がない。
「――半端ね」
いつかと同じ言葉が胸に刺さる。
「ここで即答できない辺り、半端なのよ」
「……そうか」
「そうよ。責任を怖がっている癖に、手放したくないなんて」
「俺は別に、束縛しては」
「そうやってフワフワしてれば、片桐が構ってくれるものね?」
寝耳に水だった。同時に酷く心を揺らされた。
俺がこうやって優柔不断なことをしてれば、巫代さんは不安になる。
不安になれば、行動が過激になっていく。
「あーあ、つまんないわね」
今度は巫代さんたちを横目に見ていた。
俺と咲里花が一緒でも割って入ってこない。
「あんたに粉かけても来ないんだもの。張り合いがないわ」
「……張り合っても困る」
自分の種目が回ってきたので立ち上がる。
「男ならしゃんとしなさいよ」
正しく叱咤激励を背に受ける。
片眼鏡を預けて、百メートルのレーンに並ぶ。
……俺が縛り付けている。
俺のせいで巫代さんは離れられなくなっている。
どっちなんだ俺は。彼女をどうしたいんだ。
空気の破裂するような音にハッとする。
飛び出した瞬間――気が付けば目の前に地面があった。
惨めに顔が地面と擦れる。
慌てて立ち上がろうとして、前を走る男がせせら笑っていた。
……忘れていた。
俺はこんな性格だから、あまり好かれる方じゃない。
それでも、いつもだったら気が付けたはずだ。
相手のことを考えて、嫌がることを避けて。そうやって。
ああ。そうかそうだ。
最近、ずっと巫代さんのことしか考えていなかった。
他のことを考えなくてよくなっていたんだ。
運営係の人が寄ってくる。どうやら相当酷いこけ方をしたらしい。
制止の手を振り払って走る。
もしも、もしもだ。俺の足を引っ掛けた奴が、巫代さんに告白するのなら。
俺はそれを許せないだろう。
当然、結果としては最下位だ。
怪我の痛みと疲労で、酸素を求めて空を仰ぐ。
視界は、右は土や痛みで開かない。左は元々見えない。
見えない目で彼女を探していた。
「――崖君」
御園さんの声がした。
「保健室行こう。歩ける?」
「え? あ、はい……?」
腕を引かれることに、若干の罪悪感があった。
ただ、今は導かれることしかできなかった。
保健室で腰を落ち着ける。今になって痛みが酷くなってきた。
その代わり、目は開くようになっていた。
御園さんが救急箱を探している。
たぶん、連れて来てくれたのは話があるからだろう。
「なんであんなに必死に走ったの?」
「……そんなに、必死でしたか?」
「うん。あんなに息乱す君、初めて見た」
思わず目を背けた。
そんなに取り乱した自分が恥ずかしい。
何よりも、動機が動機だ。余計に恥ずかしくなった。
「嫌だな、と思ったんです」
「嫌?」
消毒液が傷口に染みる。
自分でやろうとしたが止められた。
「あんな奴に、巫代さんを取られるのが」
「けどあれは」
「わかっていますよ。嘘なんですよね?」
御園さんが口籠った。
「じゃあ何であの時、あんなこといったの?」
「自分を納得させたかったんです。俺はフラれて当然の人間だと」
そうやって、自分を貶める方が楽だった。
「その癖、巫代さんが見捨てるはずがないと思っている」
咲里花に言われて気が付いた傲慢。
「俺は巫代さんに嫌われるのが怖い、不幸にするのが怖いんです」
また昔のように壊れてしまうんじゃないか。
震える手が止まらない。
あの時のあの子の顔が網膜に焼き付いている。
「んぐっ?」
御園さんに頬を思いっきり手で潰された。
「かなめん、一つハッキリさせよう」
返事をしようにも、俺は顔を動かせない。
「――かなめんは、巫代ちゃんのこと好き」
答えに詰まる質問だった。
答えられないではなく、ただ恥ずかしい。
それを裏付けられることを、さっきまで考えていたからだ。
「君が一番怖いのは、巫代ちゃんに見捨てられること? 嫌われること?」
それも怖い。怖くてしょうがない。
だが、それ以上に恐ろしいことがあった。
「違うでしょ? 巫代ちゃんが不幸になるのが怖いんでしょ?」
慎重に瞬きをした。
すると、安心したようにニッコリ笑顔をする。
「それなら簡単だよ! かなめんが巫代ちゃんを幸せにすればいいだけ!」
とても難しい問題を簡単に口にする。
「ですが、それができないから俺は……」
「チッチッ! 甘いねかなめんは」
下がろうとする顔を、鼻を押し込んで戻される。
「恋は、結ばれて終わりじゃないよ? むしろスタートライン!」
得意げに語り始めてしまった。
「かなめんは好きになってもらう努力してる?」
好きになってもらう努力……
俺はしてきただろうか。嫌われることばかりを恐れて。
彼女に好きでいてもらおうとしただろうか。
真に彼女のために、行動しただろうか。
「ずっと好きなんて夢物語だからね!」
夢の無いことを言われてしまった。
伊達に酸いも甘いも吸い尽くした先輩だ。
「だいたい、かなめんは頭固いんだよ。不幸だなんだって、恋に難癖付けて」
わざと音を立てて救急箱を閉じた。
まるで、取り調べを受ける容疑者の気分だ。
「理屈で片付けられないから『恋』なんだよ?」
……咲里花に言われた通り、俺は半端だったらしい。
自分の気持ちを押し込んで、理屈を立てて向き合わない理由にした。
感情と理屈をごちゃ混ぜにしていたんだ。
「好きなことは好き。嫌なことは嫌って言えばいいのに」
「……御園さんは頭緩すぎると思いますが」
「あ! 今、悪口言った! 実はちょっと根に持ってるな!」
プンスコとしっかり怒っている。
その後に腹を抱えて笑っていた。
「それと、すみませんでした、御園さん」
「……うん、よろしい。今後とも精進するように」
今回のこと。それから。
「正直、あたしは巫代ちゃんに幸せになってほしいだけだから」
遠くを見ながら目を細めていた。
「二人にはあたしのせいで迷惑かけちゃったし」
過去のことを含めて。
ただ、それを口にするのは彼女にとって重みになる。
もう一つのことも含めて、御園さんなりの配慮を受け入れ、胸に仕舞う。
「戻ろっか。早くしないと巫代ちゃんに恨まれちゃう」
ずっと悩んでいたことが吹っ飛んだ気分だ。
「そうだ、巫代さんは大丈夫ですか? 殺意の波動に目覚めていませんか?」
のに、すぐに次の悩みが出てきた。
「かなめん、よくそれで取られるかもなんて心配できたね?」
俺が怪我させられたとわかれば何をしでかすか。
「そっちは橘ちゃんが何とかしてくれてたよ?」
「咲里花が?」
……何故だろうか。
どうしようもない不安に苛まれてしまった。




