夏の夜。
「――お邪魔します」
「どうぞ」
彼芽さんに招かれて居間を覗いた。
香ってくるたこ焼きや、焼きそばの匂い。
カーテンレールには少しだけ提灯が飾られている。
どこからともなく、祭りの喧騒が聞こえてくるよう。
……ようではなく、実際に喧騒がパソコンから聞こえてきていた。
「これって」
「ネット配信の生中継を拝借して、それっぽくした」
まるで小さな夏祭り。この部屋だけの祭りです。
これなら。いえ、むしろこのままでは失礼になる。
一旦、部屋を借りて着替え直した。
「巫代さん、その姿は……」
「これがないと、夏祭りは始まりませんから」
浴衣姿でくるりと回って見せる。
これで察せないほど、ニブチンでもないはずだ。
「……よく似合っている」
視線を逸らして眼鏡が揺れていた。
八十点ですが、満足して隣に座る。
「沢山、作りましたね」
机に並べられた料理の数々。
どれもが、夏祭りに因んだ物ばかりだ。
「りんご飴もあるぞ」
「ありがとうございます」
いつもよりも真っ赤に見えるりんご。
一口食べると甘い味。そして、蘇る苦い記憶。
「大丈夫か? 酸っぱかったか?」
「違うんです。去年のことを思い出してしまって……」
「……りんご飴だったな」
彼芽さんがりんご飴を買いにいった直後、歩とはぐれた。
あの時は見も凍るような恐怖で取り乱してしまった。
彼がいなければ、どうにもならなかったかもしれない。
「悪いな。気が利かなくて」
「いえ、責めてるわけではないです。美味しいです」
ただ、懐かしくなってしまった。
あの頃はまだ、この人のことを変人としか見てなかった。
今でさえ見ているのだから、それはしょうがない。
料理に手をつけていく。
手をつけながら、彼芽さんは私の顔を温かい目で見ていた。
彼芽さんは料理が好きなのだと思う。
私たちに作る時、どことなく楽しそうに見えるから。
「彼芽さん」
頃合いを見て、むき直す。
あっちも何かを察して座り直していた。
「お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。開けてもいいか?」
「どうぞ」
考え深そうに包みを開ける。
「おー。玉子焼き機だ」
男の子に渡すには地味な誕生日プレゼントかもしれない。
「丁度、新しいのが欲しかったんだ」
瞳がイキイキとしているのを見て、安堵する。
新しい玩具を買ってもらったような様子だ。
不意に恥ずかしそうに頬を掻く。私の視線に気付いたようだ。
「改めてありがとう」
「はい――これで、毎日美味しい卵焼きを作ってください」
そう言うと、急にだんまりしてしまった。
かと思えば、ジトっとした視線を感じた。
「……巫代さんは平気でそういうことを言う」
「どういうことですか?」
「……まるでプロポーズみたいだ」
意味がわからず首を捻る。
「……何ですか? 嫌ですか?」
「恥ずかしくなったからって、圧をかけるな」
捻った後に理解してしまった。
もしかしたら、覚えがないだけで言っていたかもしれない。
「嬉しいが、男としては立つ瀬がないな」
「別に、噓は言ってないんですから、いいじゃないですか」
「拗ねないでくれ。今から早速作るよ」
「あ、それなら」
一緒にキッチンに付いていく。
浴衣が汚れないようにエプロンを借りた。
「私が彼芽さんの分を作ります」
「できるのか?」
「できますよ。舐めないでください」
不安気にしながら先に作り始める。
いつ見ても見事な手際です。
「いつから料理を始めたんですか?」
「本格的に始めたのは、中学生の時だな」
話しながら流れ作業のように進めていく。
「何か一つでも役に立とうと思ったんだ」
彼芽さんはこういう所がある。
発端は常に「誰かのため」という考え。
それを悪いというつもりはない。
そうこうしているうちに、あっという間に完成してしまった。
今度は私の番。彼芽さんの手順も見ていたので、バッチリです。
腕捲りをして挑んだ。
「…………すいません」
私の目の前にある見事な卵焼き。
対して、彼芽さんの前にある見事なスクランブルエッグ。
「最初はこんなもんだ。味は美味しい」
「気休めはやめてください」
「事実だ。味付けはしっかりしているから、後は形だけだ」
そうやってどんどん口に運んでいく。
私も口に運ぶ。クオリティの差に涙が出てきそうです。
せっかくの誕生日。何かしてあげたいと思っていたのに。
「何かして欲しいことありませんか?」
「藪から棒だな」
「誕生日ですから。何でもいいんですよ?」
滅多に自我を出さない人だ。
だからこそ、こういう時ぐらいは言ってほしい。
顎に手を当てて深く考えている。
今さらですが、何でも、は言い過ぎかもしれない。
「……巫代さんこっち来てくれ」
ドキドキしながら近づく。
「背を向けてくれ」
「こ、こうですか?」
緊張しながら背を向けた。
すると、ゆっくりと後ろに倒された。
「あの、これは?」
「男の膝は硬いか?」
「そうではなくてですね?」
これではまるで膝枕。
いえ、されることはいい。嬉しいですから。
問題点はそこではない。
「巫代さんは今日のために、色々と頑張ってくれただろ?」
私の髪を撫で、たまに遊び、また優しく撫でる。
「だから、労いたいんだ」
この人は、本当にどこまで行ってもこれです。
誰かのために生きることが、ひいては自分のためになる。
逆にいえば、そうすることでしか自分に価値を見出せない。
「根っからの奉仕体質ですね。そういうところが嫌いです」
申し訳なさそうに口を開こうとする。
開く前に指で止めた。
そういうところに惹かれてしまった。
駄目だとわかっていても、蜜に誘われる蝶のように。
「おっと」
体を持ち上げて、肩によりかかる。
隙間もないぐらいに体を密着させる。
互いに無言で、パソコンに映る花火を見ている。
噓です。私は花火なんてほとんど見ていない。
画面に映るそれは、私の目を奪えない。
「もう一つ、思い出していたんです」
りんご飴を食べている時、もう一つの苦い思い出を。
「貴方は、愛を呪いだと言いました」
感情とは呪いだと。
互いが互いに縛り合って、動けなくなる。
「貴方にとって、私は何ですか?」
時折不安になる。
私にとって彼芽さんは大切な人で、大事な人です。
誰にも譲る気はなくて、手放すつもりはない。
ですが、反対は?
彼芽さんにとって私は何か。
私と同じ大切な人?
それとも、この世に縛る楔、或いは呪い?
見上げた顔は相変わらずピクリともしない。
ただ、瞳の奥が様々な灯りを見せる。
困惑、不安、恐怖、憐憫、諦観、喜悦。
僅かな正の感情を灯らせながら、揺れている。
それらが何を意味するかはわからない。
顔が近づいてくる。私はただ目を瞑った。
これが解答なのか。それとも誤魔化しなのか。
どちらにせよ、これで黙らされるんですから、安い女です。
「……浴衣って、下着を着けないそうですよ」
「……それは正しくない情報だろ」
「どうですかね。確かめて見ればいいのでは?」
また、困ったように眼鏡を弄っている。
ああ、やっぱり。私はこの人を困らせるのが好きだ。
私のことを考えて、私のために脳を使っている。
それが堪らなく嬉しい。
この人は私に縛られているのだから。
「――巫代さん」
気が付けば雨も上がり、雲の陰から月が顔を出していた。
「浴衣、また着たのか」
「今日はこの格好でいたいんです」
褒められたのが嬉しい。そんな安直な理由。
「それは?」
「花火。一応買ったんだが、やるか?」
提案に頷いた。
夜闇も深く、できるのは線香花火くらいな物。
ぬかるんだ地面。肌に張り付く湿気。
そんな中、小さく散る花火は――
なんて、心許ないものでしょうか。
わけあって変な時間に投稿です。ご了承ください。




