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笑顔。

「……さて」

 さっき配られた進路希望用紙を見て、俺は一人で息を吐く。

 三年の始まりに配られた今、実質的な最終希望になる。

 変更自体はできるだろうが、苦い顔をされるだろう。

 前回はどう書いて提出したんだったか。

 恐らく現実的で、大人が喜びそうな希望を書いただろう。

「目を覚ます気もない、か」

 巫代さんの容赦ないセリフを思い出し、内心で苦笑する。

 事実そうだ。俺は、今年のことなんて考えていなかった。

 ここには、その場しのぎの噓を張り付けていた。

 だが、却って今は思いつかない。

 現実味を帯びたせいで、書くことが思いつかなくなった。

 そもそも俺は……何を目標に生きていけばいいんだ?

 一人で考えても、堂々巡りで終わってしまう。

「巫代さん」

 なので、人のを参考にしてみることにした。

「どうしたんですか、彼芽さん?」

「巫代さんはどうするのかと思って」

 丁度、用紙と睨めっこしている最中だったらしい。

「普通に進学を考えてます」

「ああ、そういえばそうだったな」

 そもそも、巫代さんとの始まりはそれだ。

 進学を目指していた彼女が、勉強を教えて欲しいと頼んできたのが始まり。

 そこには、色々な考えがあった。彼女なりの親孝行という思いが。

 今でも一緒に勉強しているが、そこはブレないようだ。

 しかし、彼女の用紙は未だ白紙だ。何かを消した形跡だけがある。

「……まさかと思うが、お嫁さんとか書いてないな?」

「まさか。流石に出しはしませんよ。そこまでお花畑じゃないです」

「……書きはしたのか?」

 あ、目を逸らすな。マジか、この人マジか。

 その場合、たぶん俺も一緒に呼びだされる。

 そんなことになったら、二度と学校に通えなくなる。

 最近の巫代さんは、やることがだいぶ過激になっている。

 それこそ、本気と冗談の区別ができないぐらいには。

 ただ、怒るに怒りづらいのが俺の立場的現状だ。

「やっふー! 二人とも何してるの?」

 音もなく現れる御園さん。

「御園さん。御園さんは進路どうする予定なんですか?」

「あたし? あたしは進学だよ?」

「というか、星摩さんの場合は強制ですよね?」

「そうなんだよぉ……気が付いたら、大学行きになってて……」

 項垂れ「勉強やだー!」と涙目になっている。

 なるほど、そういうパターンもあるのか。

 片桐さんたちは進学を促しつつも、あくまで最終決定は巫代さんに委ねている。

 対して、御園さんの家は、何が何でも大学に行けスタイルらしい。

 やはり、大学に行くとなると親の協力は必要不可欠か。

「けどやるからには全力だよ! 巫代ちゃんと同じ大学に行くために!」

「私まだ大学までは決まってないんですが……」

「そうなのか?」

「はい。具体的に専攻したい分野もないので」

「ピアノは? ピアノは駄目なの?」

「手慰み程度の実力ですから」

 実際、歩ちゃんにせがまれた時ぐらいしか弾いていない。

 後は……ストレス発散のために弾いてるな。

 突然弾き出したら要注意である。

「改めて勉強するのもいいんじゃないか? 嫌いではないだろ?」

 どうせ行くなら、好きなことを勉強できた方がいい。

 椅子を傾けながら「それもアリですかね……」と、悩んでいる。

「かなめんはどうするの?」

「俺は、実はまだ決まってなくて」

「意外ですね? 進学だと思ってました」

「それもいいんだが、俺の場合は親が……」

「あ、もしかしてセンシティブな話しちゃった?」

「いえ。別に不仲というわけではないんです」

 変に言い淀んでしまったせいで、御園さんにいらぬ心配をさせてしまった。

 御園さんは俺の過去について一切知らない。

 なので、この反応は至極当然だった。

「単純に、これ以上は親に迷惑をかけたくないんです」

「偉いなぁ、かなめんは」

 御園さんが偉人でも見たかのように、大袈裟に感心している。

「ま、かなめんならどっち選んでも上手くいくよ!」

「いや、筆記は自信あるんですが、面接が少し……」

「確かに……かなめんは表情が硬いもんね……」

「あの、たぶんそっちじゃないと思いますよ?」

 呆れながら、けれど微笑んで指摘する巫代さん。

「やっぱり笑顔だよ! ほら、ニコッ!」

「――くかかか」

「え、何それ知らん、こわ……」

 普通にドン引きされてしまった。

 これ、そんなに駄目だろうか。

「それやめてくださいって言いましたよね?」

「……悪い」

「あのかなめん全肯定ウーマンが怒った……⁉」

 久しぶりに冷たい眼差しで見られた。

 本当に嫌いなようだ。今ここに封印が決定した。

「――崖君、ちょっといい?」

「はい……? 何ですか?」

 クラスメイトが一人、及び腰で話しかけてくる。

「この後、教材運ぶの手伝ってくれる? 女子だけだと大変で……」

「あ、構いませんよ。後で行きます」

「ありがとう~、それじゃあよろしくね?」

 たったと去っていく。

 振り返ると――巫代さんがすごい目力で見ていた。

「違うからな? ただの雑用だぞ?」

「ですが最近、話しかけること増えましたよね」

「いや、体のいい雑用だから、きっと」

 だから、露骨に不機嫌になるのは勘弁してほしい。

 だが、御園さんの言う通り話しかけられる機会は増えた気がする。

 その原因は恐らく――

「……星摩さんのせいですよ」

「あたし⁉」

 御園さんが話してるなら。そういう雰囲気はある。

 なんやかんや言って人気者なんだ、この人。

……にしても、笑顔か。

 笑顔は疎か、怒りや悲しみの表情ができない。

 せめて愛想笑いの一つでもできればいいが、それすらできない。

 筋肉が動かないというより、そもそも脳が命令を拒否してしまうのだ。

「――巫代さん。悪いがこの後、咲里花に呼びだされて……」

 HR終わり、一言目からミスをした。

「何ですか?」

「……中学のことで話があるらしい」

 冷ややかで、圧のある笑みが崩れる。

「……あまり、無理しないでくださいね」

「ああ。大丈夫だ」

 俺よりも不安そうにするから、うっかりそう言ってしまった。

 本当は、焦燥感で落ち着かない。

この話題に関して、咲里花は滅多に口にしない。

口にしたということは……何かあったということ。

「あの………………いえ、気を付けてください」

「巫代さんも」

 何かを言おうとして、必死に引っ込めてくれた。

 巫代さんのためにも、何事もないといいが。

『どこ行けばいい?』

『駅前でいい。都合が良いから』

『どこか行くのか?』

『違う。来ればわかるわ』

 説明不足感が否めないが、咲里花がそう言うなら。

 連絡ができる以上、咲里花の身に何かがあったわけではない。

 それだけは安心材料だ。

 それでも、姿を見つけると安堵してしまう。

「咲里花、いったい――」

「おお! ホントに彼芽だ!」

 口を開こうとした咲里花を、誰かが遮る。

 額に手を当てている影から、見知らぬ男子生徒が出てくる。

「いやー、久しぶりだな!」

 そして、とても馴れ馴れしく肩を組んでくる。

「……えっと、どなたですか?」

 申し訳ないが、そう口にする他ない。

 中学時代の知り合いまでは推測できるが、そこまでだ。

 二人して、目を丸くしている。

「はは! 彼芽お前、面白い冗談言うようになったのな!」

「池田。コイツに小粋なジョークが言えると思う?」

「あー……やっぱりか?」

 途端に、空気が重くなる。

「覚えてない? 池田拓真、中学の同級生」

 名前を聞いても、ピンと来ない。

「お、覚えてないか? 二人三脚で一緒に優勝しただろ?」

「あんたの周りで、一生ゲハゲハ笑ってた奴よ」

 ゲハゲハ……あ。

 記憶の中で、それらしき人物が該当した。

「女子に片っ端から告白してた、あの池田さんですね」

「そうそれだ! 覚え方が酷くても、この際どうでもいいや!」

 咲里花が「あんたそんなこと……」と、軽蔑の眼差しを向けている。

「それで咲里花? この人がどうかしたのか?」

 ただ会わせるために呼んだとは、到底思えない。

「お、相変わらず橘にはタメなんだな! 二人はどこまで行ったんだ?」

 何となく思い出してきた。しょっちゅう、俺と咲里花を茶化していた。

 丁度、今みたいな感じで。

「……今は私だけじゃないわよ」

「何⁉ まさかの恋敵登場か⁉」

「うっさいわね。話が進まないでしょうが」

 こうやって度々、咲里花を苛つかせていた。

 その皺寄せが、いつも俺に回ってきていたのだ。

 本気の睨みに、流石の池田さんもどもる。

 そして、場をキッチリと整え始めた。

「実は最近、mいlsnあmdを見たって話を聞いてよ?」

「――は?」

 謎の文字列が頭の中で反響する。

 意味はわからない。ただ、聞いた途端に――

「もしかしたらみmmnあmmmいが、彼芽にまた手え出してんじゃないかって……」

「それで池田が心配して……待って、どうしたの?」

 視界が三十度程、ズレる。そして戻る。

 また三十度ズレて、そして戻る。

 繰り返しの内に平衡感覚を失い始める。

「無理もねぇよ……あいつ、相当彼芽に酷いこと――」

「そうじゃないの! 何か変なのよ……⁉」

 突如として、顔の左半分に痛みが走る。

 皮膚がじわじわと爛れ、広がっていく感覚。

 傷痕が有りもしない熱を帯びていく。

「な、何だ⁉ 今でも傷が痛むのか⁉」

「違う。そんなはずないわ。こんなの初めて見る」

「ふたり……っ、はっ」

「え?」

「いったい、何を言ってるんだ……?」

 謎の単語を聞いた瞬間に、体がおかしくなった。

「彼芽君!」

 痛みに耐えられず立っていられなくなった。

 それだけじゃない。左目の影が。

「……今から言う言葉を、落ち着いて聞いて」

 咲里花が優しく背中をさすってくれる。

「聞き取れなかったら……手をグーパーしてくれる?」

 左半分を手で押さえながら、何とか頷く。

 咲里花が、ゆっくりと言葉を発する。

「――mmmlなほがyみ」

 震える手で握り拳を作って、緩める。

 同時に、左目の黒い靄が蠢き始めている。

「……わかったわ」

「な、何がわかったんだ⁉」

「今からあのクソアマの話するの禁止よ」

 その言葉でようやく理解する。

 咲里花が、心の底から嫌悪する相手は、恐らく世界に一人しかいない。

――靄が、形を変える。

 生き物のように動き、人の形を成し始める。

 冷や汗が垂れて、呼吸が異常な程に早まる。

 それでも、確認しなければならない。

「……あの子、が、どうか、したのか?」

 広がる影を押さえつけながら、見上げる。

 しどろもどろになった池田さんは、言葉を詰まらせる。

「――最近、姿を見たって人がいるらしいの」

「……そうか」

 代わりに、咲里花が答えてくれた。

 今の今まで、影すらなかったが……そうか、ちゃんと生きてるんだな。

「ちょっと……⁉」

「ありがとう二人とも。だが、悪い……今日は帰るよ」

「帰るって……そっちは改札じゃ……」

 胸の奥が複雑怪奇に歪む。

 安堵や恐怖と言う、相容れないもの同士が入り乱れている。

 そのせいか、呼吸も視界もまともに機能してくれていない。

 今はただ、とにかく。体が落ち着く場所を求めてる。

……何分歩いただろう。

 何故か、一向に家に辿りつかない。

 いや、そもそもおかしい。俺はなんで歩いてる?

 電車に乗らなきゃ、帰れないだろ……?

 そもそも、俺は今どこに……

「――あ、おじさんだ!」

「……え?」

 聞こえるはずのない声に、急激に意識がクリアになる。

 定まらない視界が突然戻って、呼吸も元に戻る。

「おねーちゃん! おじさんがいるよ!」

「え? 彼芽さんが?」

 玄関の向こうから、銀髪の少女が歩いてくる。

 その姿に、言いようのない感動が襲ってくる。

 まるで、生まれて初めて雪を見た子供のような。

「うぇひゃっ⁉ か、彼芽さん⁉」

――抱きしめていた。

 理由はわからない。ただ、そうしたかった。

「お姉ちゃんたちラブラブだぁ!」

「あ、あの、彼芽さん……歩が見ているので……!」

「……悪い」

「いえ、嫌ではないのですが……」

 巫代さんが手をもじもじさせながら、沈黙してしまう。

 ただ、二人とも違和感を感じ取ったのだろう。

 何も言わずに、俺をリビングまで通してくれた。

「おじさんお水―!」

「ありがとう、歩ちゃん」

 一生懸命にコップを運んで来てくれた。

 ちょっとだけ、胸の奥の違和感が和らいだ気がする。

 巫代さんは目の前で、こちらが話すのを待っている。

 何を話せばいいのか、何から話せばいいのか。

「……さっき、中学の同級生に会ったんだ」

「男ですか女ですか」

「……男だ」

 露骨に、安心した素振りを見せる。

 そんなブレない巫代さんに、むしろ余裕ができた。

「――あの子の姿を見たらしい」

 パキンッと、ひび割れたような音がした。

 実際には音はない。だが、空気が一変した。

 歩ちゃんが俺の服の裾を、プルプル震えながら握る。

 無理もない。それぐらい、お姉ちゃんの表情は恐ろしかったんだ。

「何か、されたんですか?」

「大丈夫だ。まだ、見かけただけらしい」

 本人かもわかってない様子だった。

 正直言って、自分でも状況がまだ理解できていない。

「名前が、聞き取れなかった」

「名前が?」

「名前だけが、バラバラになった」

 パズルの一箇所だけ、絵柄の違うピースを埋め込まれたような。

 その単語だけ、全く別の言語のように聞こえた。

「聞く度に、あの痛みが蘇るんだ」

 火傷の痕が広がっていくような気さえした。

「……PTSD、ですか?」

「わからない。だが、こんなことは初めてだ」

 あれから、あの子の話題を聞かなかった訳じゃない。

 その時は、普通でいられた。こんな風にはならなかった。

 そうやって考えてるうちに気が付く。

「俺は――あの子の名前を思い出せない」

 いつの間にか忘れていた。

 正確に言うなら、聞いた時と同じように崩れる。

 名前が像を成さない。

「俺は……俺は……」

 苦しみを誤魔化そうと、無造作に髪を鷲掴みにする。

 あの子の名前を思い出せない。

 こんなに苦しいのかわからない。

 得体の知れない恐怖が広がっていく。

「――大丈夫です」

 温もりが灯ったように、包まれていく。

 子供でもあやすみたいに、ゆったりと髪を梳かされる。

「私がいますから」

 自分でも驚くほど、安心した。

 前にも、同じようなことを言われた気がする。

「どんなに怖くても、私が一緒にいますから」

 記憶にはないが、確かに、どこかで。

 何も言えない。ただ、そのまま胸に預けてしまう。

「ずるい! 歩もぎゅーする!」

「はいはい。みんなでぎゅーしますよ」

 間に挟まるように抱き着いてくる。

 しばらく、そのまま抱きしめられていた。

「――今度、歩の運動会があるんです」

 そっと手を離して、そう伝えてくる。

「一緒に行きませんか?」

「おじさんもくるの⁉ やったー!」

 歩ちゃんのこの反応を見ては、断る余地はない。

「たぶん、今は何もわからないと思います」

 俺の不安を解すように、優しく語りかけてくる。

「だから楽しいことを考えましょう。楽しい未来を考えましょう」

 それは思考の放棄で、ただの後回しでしかない。

 現状は改善しない。次もこうなってしまうかもしれない。

 ただ、今はその言葉に甘えたかった。



 遅ればせながら、久しぶりの投稿です。そのせいか、とても長くなりました。

 それと、ちょっとした報告なのですが新しい作品の投稿を始めました。次のどこかに投げる用の作品です。

 正直に言って、この作品に限らず創作のモチベーションが少し落ち込んでいたので、少しでも自信や刺激を受けたいと思い挑戦しました(これで悪くなったら、元の木阿弥ですが……)。

 当然ですがこちらも完結まで書き切りますのでご安心ください。ただ、新しい作品と併せて読んでいただけると「お?」と、思う瞬間があるかも……しれませんね。今作とは方向性が違うので、こちらの方が好きな方は肌に合わないかもしれませんが……そこはご了承ください。

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