貴方のこと。
「――どうすれば!」
電話先の星摩さんに縋るように訴える。
『いや、渡しなよ巫代ちゃん』
無慈悲な一言にぐうの音も出ない。
自室の机に置かれた、バレンタインチョコ。
星摩さんの協力もあり、前日に完成したものだ。
『一番に渡すって、独占欲丸出しにしてたじゃん』
「それはそうなんですが……」
いざ渡すとなると、心臓が馬鹿みたいに鼓動してしまった。
意思に反して、呼吸が早まって……気が付けば逃げていた。
思えば今まで、私からプレゼントを渡したことがなかった。
言わば、初プレゼントである。それを自覚したら、尚のこと渡せなくなった。
『あ、橘ちゃんからメール来た』
私の方にも来ている『どういうこと?』と、端的な文面が恐ろしい。
『巫代ちゃんって、我は強いけどメンタルクソ雑魚だよね』
「何ですか? 面倒臭いって言いたいんですか?」
『……せっかく作ったんでしょ?』
逆ギレをしてみるも、間をおくだけで今回は取り合ってくれない。
『ああもう! この時間が無駄だよ! 早く呼び出す! いいね?』
「あ、まっ」
……遂に、星摩さんにも愛想を尽かされてしまった。
当然だ。あんなに手伝って貰ったのに、直前でうだうだとやっている。
「――よし」
きっと、今日渡せなかったら来年も渡せない。
こうなったら、清水寺からジャンプです。
『――もしもし? 巫代さん』
自分から掛けたのに、体が強張る。
「あの、彼芽さん……」
言おう。家に来て欲しいと。
なのに、口は開いたり塞いだり。言葉が続かない。
変な間ができてしまったせいだろう。彼芽さんの方から口開く。
『気にしなくていいぞ?』
「……はい?」
あっけらかんと口にする。
『バレンタインと言っても、チョコが全てじゃない』
気を遣ってくれた言葉なのは理解できた。
それでも、一瞬ムッとなってしまう。
『ただ……話しぐらいはしたい』
ですが、それも引っ込んでしまった。
そういえば今日は、逃げてばかりでまともに話せていなかった。
主に私のせいですが、それは置いておいて。
彼なりに、バレンタインを特別に思ってくれている証拠。
控えめな彼芽さんの、精一杯のおねだりなんだ。
可笑しくて、可愛くて、肩の荷が急に軽くなる。
「何ですか? 私のチョコ欲しくないんですか?」
『そういう訳では……』
それはそれとして、用意していない前提なのが腹立つ。
我ながら意地悪な質問だ。
『……欲しい』
「なら、家に来てください」
そう言って、返答も待たずに電話を切る。
しばらくして、家のインターホンが鳴った。
「――お邪魔します」
「あ、おじさんおかえり!」
「ただ……こんにちは、歩ちゃん」
「チッ」
「チッ、って巫代さん」
あと少しで「ただいま」と言いそうだったんですが。
ですが、あともうひと押し。
「歩ちゃん、これあげる」
「クッキーだ! あ……」
嬉々としていた歩が、少しだけしょんぼりとしてしまう。
「い、嫌だったか?」
「――あらあら。歩、チョコ飽きちゃったのね?」
キッチンからお母さんがやってきた。
「この子、巫代のチョコ沢山食べちゃったから」
「あ、そういうことですか」
「でもたべるー」
嬉しそうに頭の上に掲げて、机に持っていく歩。
その姿を見て、胸を撫で下ろしながら私の方を見る。
むず痒くなって、身体を捻って視線から逃れた。
「片桐さんもこれどうぞ」
「あら。お母さんも捨てたものじゃないかしらね?」
「お母さん。いくらお母さんでも許さないですよ?」
「……片桐さん。穏歩さんにも渡しておいてください」
というか、私はまだ貰ってない。
いえ、こればっかりは私が悪いですね。逃げてた訳ですから。
お母さんをしっしと追い払い、私の部屋に連れていく。
普段通りの部屋なのに、普段と違う。
いつもどうやって座っていたか、わからなくなってしまった。
それは彼芽さんも同じようで、ちょっとぎこちない。
「――どうぞっ」
「痛っ」
顔が見れないので、突き出したら当たってしまった。
額をさすりながら、渡した箱をじっと見ている。
「……あの、開けないんですか?」
「ああいや……二人には悪いが、今日貰った中で一番嬉しい」
「は? 他の女に貰ったんですか?」
言葉そのものは嬉しいが、普通に引っ掛かる。
「義理だ。御園さんと……それから咲里花からだ」
……ちゃんと、会ってくれたんですね。
安心した。ですが心はモヤモヤする。
「……あ」
彼芽さんが箱を開けた瞬間、短く声を漏らす。
不安になっていると、鞄から何かを取り出した。
「……被ったな」
今、彼芽さんの手には二つのマフィンがある。
言わずもがな、彼芽さんの方が綺麗に整っている。
ただ、それよりも――
私は、マフィンを贈る意味を知っているということ。
何とも、微妙な空気が流れてしまった。
「ふふ、あはは」
不思議と笑いが零れてしまった。
二人で、お互いのマフィンを食べ合う。
こんな些細なことですが、彼芽さんと通じ合えた気がして。
受け取った彼芽さんのは、文句なしで美味しい。
ただ、意識は彼芽さんの方ばかりに向いてしまう。
「ごちそうさま。美味かった」
「……本当ですか?」
勘ぐるように訊く。
「……そうだな。もう少し甘さ控えめな方が好きだ」
「そうですか……」
「……どうかしたのか?」
声色が、私を心配するものになった。
「今回のチョコ作り、とても苦戦したんです」
作ることよりも、何を作るかということに。
「彼芽さんの好みがわからなくて、とても」
橘さんは、すぐに思いついてたんだと思う。
なのに私は、何も思い浮かばなかった。
それがたまらなく、悔しかった。寂しかった。
「だから私、もっと彼芽さんのことを知りたいと思いました」
私は、もっと知るべきなんです。
彼芽さんの幸せになるには、それが必要だ。
「巫代さん、気持ちは嬉しいが――」
「そこで、これを使います」
遮るように立ち上がる。
予め用意しておいた物を棚から取り出す。
「日記帳?」
「これを使って、お互いに訊きたいことを書き合うんです」
「……交換日記みたいなものか?」
微妙に違うが、形式的にはそれが近いだろう。
彼芽さんは自分のことは話さない。
ですが、律儀なので質問したことには基本的に答えてくれる。
これなら、毎日一つずつ彼芽さんのことを知っていける。
「それで来年には――貴方好みのチョコを作って見せますから」
日記帳を抱いて、改めて決意を胸にする。
彼芽さんが照れくさそうに、ですが私の目を見る。
「それは、断るわけにはいかないな」
「では早速、この質問に答えてください」
「早いな?」
一つ目を日記帳に書き入れて、彼芽さんに渡す。
「……まじか」
彼芽さんが、困ったように片眼鏡を直した。
「――巫代ちゃんおはよー!」
「おはようございます、星摩さん」
「お、その感じは渡せたみたいだね! ヒューヒュー!」
星摩さんがわざとらしく茶化してくる。
教科書を入れようとして、ふと中に先客がいることに気が付く。
「いや、乙女ですか」
「ん? 何それ?」
「日記です」
早速、一ページ目を開いて――即座に突っ伏して隠した。
「え⁉ どうしたの⁉」
「……その、すみません。今、私すごい顔してると思うので」
彼芽さんは私の質問に対して「全部」と書いていた。
そこには何度か消した跡もあって。
……まずいです。もしかしたら、私の方が耐えられないかもしれない。
その日は、吊り上がり続ける口角と格闘することになった。




