デート延長戦。
――それから、すぐに家に戻った。
文化祭の打ち上げの後に、友達の家に泊まるなんて嘯いた。
「お姉ちゃんだいじょうぶ?」
歩が寂しそうに声を掛けてくれる。
「大丈夫ですよ。お姉ちゃんはとっても強いんです」
「はやくかえってきてね? 歩、いいこにしてるから!」
「はい。きっと、サンタさんも来てくれます」
「うん! そうだ! あしたは――」
目いっぱい、お洒落をして。
けど一秒が惜しくて、待ち合わせ場所に駆け出す。
目的地が見えてきても――彼はいない。
身だしなみとかチェックしたり、頻りにスマホをチェックする。
何か連絡がないか。時間を確認しながら待ち続ける。
――彼芽さんは来ない。来ないまま一時間が過ぎた。
陽が落ちて周りが暗くなる。行きかうライトが嫌に眩しい。
本当はただ用事があっただけかもしれない。明日になればまた会えるかもしれない。
あるいは既に彼芽さんは……
恐ろしい想像を掻き消すように、大きく息を吐く。
白い息が宙を舞う。体の震えと比例するように不安が大きくなる。
人通りが減って、合わせて灯りも減る。世界に自分一人だけになったようだった。
怖くなって蹲る。自分の手を自分で握って誤魔化す。
冷たい……彼芽さんの手はもっと、あったかかった……
「――帰る場所があるだろ。マッチ売りの少女じゃあるまいに」
声を聞いて顔を上げる。
「それでも、買って欲しいものがあったんです」
私が上げられるものも、出来ることも大してない。
彼芽さんの言う通りだ。結局、私に出来るのは一緒にいることだけ。
待っている間に考えついた結論だった。
「買わない。そんな貴重な物」
「今なら彼芽さんだけ安売り大特価です」
「バーゲンしてても買わない」
「じゃあ何で来たんですか」
私のことなんて無視してしまえばよかったのに。
そうしないのは、少なからず思うことがあったからだ。
「……風邪、引かれたら寝覚めが悪い」
「二度と目覚める気もないのに、ですか?」
自分でも驚くほどに、言い方が厳しくなってしまった。
怒ったり責めたりしない。そう決めてたのに。
言い淀む。いつもみたいに、困ったように眼鏡を弄る。
「わかってるなら早く帰れ」
去ろうとするから咄嗟に腕を掴む。
振り払う仕草はしても、強引には振り払いはしない。
プールの時もそうだった。私のことを案じて無理をしない。
「離せ」
「嫌です離しません」
「頼むから離してくれ」
「嫌だ! もう絶対離しません!」
もう二度と、大事な人の手は離さないって決めたんです。
「私の幸せがどれだけ脆いかを知りました……!」
自分の手から離れた時、いとも簡単に奪われることを知った。
自分の手の届かない場所では、何もできないことを知った。
「だから絶対に離しません!」
強く握る。手がくっついてしまうぐらい強く握る。
せめて、近くにいる時は見失わないように。
「……だったら尚の事、離してくれ」
「や!」
もうほとんど駄々だ。
「――離せって言ってるんだ、この馬鹿!」
怒鳴られて体が竦む。
初めて大きな声を出されたせいもあっただろう。
ちょっとだけ力が抜けたのを見逃さず、振りほどかれる。
「痛いんだよ。ただでさえ握力が強いんだ」
「……すみません」
「ゴリラの世界では腕を握り潰すことを、繋ぐって言うのか?」
大袈裟に腕を振っている。
そのアピールは過剰じゃないでしょうか、とも言えず。
子供のようにいじける私を見て、白い息を吐く。
「……少なくとも、俺が知ってるのはこうだぞ」
宙ぶらりんになっていた手を掴まれる。
冷え切った手の表面が温かくなっていく。
不思議だ。彼芽さんだって冷え切ってるのに、すごく温かい。
「違います」
「ゴリラの世界の流儀は知らないぞ」
「ゴリラじゃありません。私の知ってるのはこうです」
指の隙間に指を入れて絡ませる。
思ったより大きい。でも、指先に向かって細くなってる。綺麗な手だ。
手の骨格一つ一つがわかるようで嬉しい。心がポカポカしてくる。
同時に、自分の手も伝わっていることが気恥ずかしい。
照れ臭そうに眼鏡を弄っている。でも、離そうとはしない。
「手、思ったより冷たいな」
「どこかの誰かさんが待たせるからです」
「……悪かった。いつものファミレス行くか」
「打ち上げに使っているそうですが……私は構いませんよ」
繋いだ手を持ち上げてみせたら、しばらく無言で見つめていた。
すると、思い至ったように私を優しく引っ張って行く。
「どこ行くんですか? 多分、この時間は……」
「ちょっとだけ当てがある。少し歩くぞ」
この時間、この時期になると閉まってるか、席が埋まってるだろう。
二十分ぐらいだろうか。言った通り少し歩いた。
辿り着いた場所は恐らく喫茶店だった。ちょっと古びている。
言い方を悪くするなら、あまり目を惹かない。若者向きの場所ではなかった。
名前は「一期一会。」というらしい。聞いたことない、きっと個人経営だ。
私の疑問より先に、扉の『クローズ』の看板を無視して開けていた。
「ごめんね~、もう閉め――おや、彼芽君」
落ち着いた雰囲気のお店。檜の香りと、淡い光が心を落ち着ける。
「店長すみません。この時間はどこも空いてなくて」
「いいよいいよ! 外、寒かったでしょ?」
初老の男性がにこやかに笑う。そのまま隣の私の方を見た。
「君が友達を連れて来たのも初めてだ。嬉しいよ!」
「あの、後で材料費は払うので、キッチン借りていいですか?」
「いやいや! 折角だ。余りもので良ければ腕を振るわせてくれないかな?」
「そう言う訳には」
「勿論、代金は貰うよ。それなら文句ないだろう?」
申し訳なさそうにしながらも、言い包められていた。
時間外にも限らず私たちを快く受け入れてくれた人。
関係性が読めないまま席に着かせてもらった。
「あの、ここは?」
「俺のバイト先。で、俺の店長」
「こんばんは。君のお名前は?」
「片桐巫代です」
「巫代君か。そっかそっか」
カウンターの奥で嬉しそうに準備している。
「こんなお洒落なお店があったんですね」
「まぁ、学校の連中……と言うか、学生客はあんまり来ないな」
「お友達連れて来ていいのに、連れて来てくれないだろう?」
「俺にそんな友達はいません」
「あの、橘さんは?」
「咲里花にも教えてない。あいつに教えたら毎日冷やかしに来るだろ」
ああ、やりかねない。シフトの日は必ず通うだろう。
悪いとは思いつつも、私だけということに胸が高鳴っている。
「どうぞ。熱いから気を付けてね?」
「あ、ありがとうございます」
ホットココアから、香りと一緒に湯気が立ち昇る。
見ているだけで体が温まってくる。
「店長、これメニューの奴ですよ?」
「気にしない。常連になって貰うためのサービス」
「サービスって、そう言うことするから計算合わないんですよ」
笑って誤魔化しながら店長さんが戻っていく。
彼芽さんの口調からも、この人を慕っているのが伝わってくる。
ただの上司と部下、という関係では無さそうだ。
私の視線に応えるように口を開く。
「店長は爺ちゃんの会社での後輩なんだ」
「お爺さんの、ですか?」
「そうそう。彼芽君のお爺ちゃん、先輩には世話になったよ」
「俺、こんな見た目だから面接でいい顔されなかったんだ」
あまり雇用主に好かれる見た目ではないだろう。
仕方がないとは言え、心がズキッと痛む。嫌な記憶が蘇ってくる。
「どこから聞いたのか、店長が連絡してくれたんだ」
「何せ、この店は先輩の助けでできた店だからね。話を聞いた時は運命だと思ったよ」
最後に「愛想は無いけどね」と付け加えつつ。
少しして、店長さんが料理を運んでくる。
ショートケーキとチョコケーキを一つずつ。
「こんな物しかなくてごめんね?」
「……店長。本当に余りものですか?」
「馬の口を見る物ものじゃないよ?」
「馬の口……?」
「善意の贈り物を疑うなと言う意味。店長は、そう言う諺が好きなんだ」
店名を指さしながら、そう教えてくれる。
「ああ、そう言えば。お洒落な名前ですよね」
一期一会。その時の出会いは一生に一度かもしれない、だから大切にする。
交流の場としての名前には、ぴったりかもしれない。
「――と、思うな。普通は」
見透かされるのにも慣れてきた。
「違うんですか?」
「後で教えるよ――店長、蠟燭貰えますか?」
「蠟燭?」
もったいぶって教えてくれない。
「明日だろ。誕生日」
「……覚えててくれたんですか?」
「まぁ……ささやかだが祝わせてくれ」
……ささやかなんかじゃない。心の中では有頂天だ。
ですが、素直には喜べない。今日祝うのは、明日は祝えないと言うこと。
だから、上がる口角にブレーキが掛かる。
「ハッピーバー……あの、手を離してくれ」
「え、嫌です」
「合いの手が打てない」
軽く振りほどこうとするので、強めに手を握る。
さっきからずっと、テーブルの上で彼芽さんの右手を拘束している。
諦めたように、そのままバースデーソングを歌い終えた。
「あの、食べられない」
「私は食べれますから、問題ありません」
「巫代さんはな? 俺は右利きなんだが?」
「なら――はい、あーん」
チョコケーキを口元に運ぶ。
「……もしかして復讐か?」
「まさか。お礼ですよ」
「さすがに人前では……」
「今、店長さんいません」
温かい目で奥に引っ込んだ。
「おのれ店長……あーん」
口を開けたのですかさず突っ込む。
「……味、わからないな」
「じゃあ次、私です」
「いや、巫代さんは自分で……あ、はい、わかりました」
プルプルと震える左手で一生懸命届けようとしている。
口の中でスポンジのフワフワとした食感が広がる。
生クリームも甘いけどくどくない。いくらでも食べられそうだった。
「美味しいです……!」
「良かったな。当たりだ」
「……景品でも貰えるんですか?」
「店長の料理はその日毎に味が変わる。その日の味はその日だけ」
その日の味はその日だけ……
「一期一会って、そういうことですか」
「不味くなることはないが、味はガチャだ」
「元々はそのままの意味だったんだけど……いつしかそんな風にね……」
カウンターの奥から、遠い目で言っている。
「今ではギャンブル気分の常連客が増えてる」
良いことなのか悪いことなのか。店長さん的には嬉しい悲鳴のようだ。
ケーキの食べさせ合いも最後まで続き、最後の一口が名残惜しかった。
「すみません店長。ありがとうございました」
「私も、とても美味しかったです」
「それは良かったよ」
わざわざ玄関まで見送りに来てくれた。
彼芽さんが片付けを手伝おうとしたが「今、君は客だよ?」と釘を刺されていた。
「あ、そうそう。来月のシフトどうする?」
握った手がピクリと動く。
握る力が弱々しくなり、不自然な間が生まれていた。
「決まったら教えてください。私、見てみたいです」
「お、それはいいね。歓迎するよ」
「はい是非。見て見たいです」
「そうだ。こんな可愛い彼女がいるんだ。クリスマスのシフトはお休みにしとくね」
「……変なところで気を遣わないで下さい」
呆れたように肩を落とした。
店を後にして、特に目的もなくぶらぶらと歩く。
二人で示し合わせたわけでもない。ただ、なんとなく行きたい方がわかる。
まるで、一つの体みたいになんの迷いもなく歩ける。
立ち止まるタイミングでさえ、意思疎通がなくてもいい。
目の前には大きな病院があった。
「……夏休みぐらいから、どんどん細くなってた」
ため息混じりの吐露だった。
過去を見るように明後日の方向を眺めている。
「日に日に弱っていく姿を見るのは、辛かった」
「けど、貴方は逃げませんでした」
毎週、必ず勉強会を開かない日がある。
今の私は知っている。その日がお見舞いの日だと言うことを。
そして、一度たりとも欠かしたことがないことも。
「誕生日とか祝ってあげたんですよね」
彼芽さんのことだ。きっとそうしたんだろう。
肯定するようにゆっくりと頷く。
「近いうちに死ぬってわかってたのにな」
もしかしたら良くなるかもしれない。そんな願望もあったのだろう。
「だがそれでも、生きてる限りはやれることをやるべきだと思って」
死ぬとわかっているからこそ、彼芽さんができる全てをした。
本当に強い人だ。目を背けることもできただろうに。
終わりに向かう命を真っ向から受け止めた。
「それが、俺の罪滅ぼしだから」
「それは罪滅ぼしとは言いません。恩返しと言うんです」
そこに罪悪も責任も存在しない。ただ、善意に善意で返しただけだ。
いったい、この人に何の罪を問えるというのだ。
「ありがとう」
背筋が少し伸びる。背負っていたものが軽くなったように。
――歩いているうちに、妙に灯りが煌びやかになっていた。
どうやらショッピングモール近くにやってきたようだ。
夜も更けてきたから、閉まっているお店も多い。
「――綺麗」
目がチカチカするぐらいカラフルなイルミネーション。
真ん中に聳え立つ大きなクリスマスツリーに、目を奪われる。
いつもなら興味もないものが、やけに綺麗に感じてしまう。
「眩しいな」
「本当です。宝石みたい」
月も見えない夜だから、より一層の輝きを放つ。
「歩にも見せてあげたいです」
「そうだな。きっと喜ぶ」
花火の時みたいに大はしゃぎして、帰りたくないと我儘を言って。
遊び疲れて、まだ見ぬ明日を思って眠る。
「子供の頃って、根拠もなく明日は楽しくなるって思いませんでしたか?」
「あるな。その日が辛くても、明日はきっと良いことがある、みたいな」
宝箱の中に思いを馳せるみたいに。中身は宝石でいっぱいだと思い込んで。
「けど今は、何となくの明日しか見えません」
そこに煌びやかな輝きは無い。
ただ「朝霧の向こうには太陽がある」そんな漠然とした思いで生きている。
時々、見えないことが不安になる。未来の私はどうなるのか。
それでも合間に差す光を導にするしかない。
「それだけ大人になったんだ」
「……見えますか、明日」
「……真っ暗だ」
自分の未来には希望は無くて、苦痛に満ちている。
そう思ってしまうほどに、辛い経験を経てきた。
「――べっくしょん!」
寒さに耐えかねて大きなくしゃみが一つ。
「……そのくしゃみ、女の子としてどうだ?」
「……アウトですか?」
「チェンジ」
「スリーアウトですか」
「はぁ……攻守交代だ。じっとしてろ」
自分に巻いていたマフラーを取ったと思えば、器用に片手で巻いてくれた。
マフラーは鬱陶しいので普段はつけないが、首に冷気が入らないだけで随分と楽だ。
「けど、彼芽さんが」
「巫代さんといるとポカポカして暑いんだ」
「は、はい……」
恥ずかしくて俯くことしかできなかった。
攻守交代とは、こういう意味なんだ。
視界に入った赤いマフラーはちょっとだけぼろい。
「悪いな。中学の時に作った物だ」
「手作りなんですか?」
「授業で。捨てるのも勿体なくてずっと使ってた」
それを聞いたら更に温かく感じてきた。
「……誕生日プレゼント?」
「いや、そんなつもりは……どうせなら、もっとしっかりしたものを」
「いえ、いいです。これがいいです」
にやける口元を隠すようにマフラーを上げる。
年季も入っているけど、すごく安心する匂いがする。
「……恥ずかしくなってきた。別の渡すから返せ」
「駄目です。これはもう私のです」
取り上げようとするので体を逃がす。なんて子供みたいなじゃれ合い。
マフラーをきつめに巻いて、手でしっかり押さえておく。
絶対に返さない意思が通じたようで、照れながら空を見上げていた。
すると、何かに気が付いたのか目を開く。
「雪だ」
私が視線の先を追った時には、鼻に冷たい結晶がついた。
それを追いかけるように、しんしんと雪が降ってくる。
「――雪女」
蔑称の意図はないとわかっていても、反射的に反応してしまう。
「人の精気を奪ったり、冷気で人を凍り殺す」
「また、白装束の黒髪であるとも言われています」
何度も例えられた存在だ。私だって調べたことがある。
私の髪とは正反対だ。それでも、私は雪女と呼ばれた。
「だが、その多くは美人として描かれる」
――青天の霹靂だった。
「粉雪を纏う巫代さんは、背筋が凍りそうな程に綺麗な女性だ」
口が震えて言葉にならない。
「もしかしたら、雪女に会った人たちはこんな気持ちだったのかもな」
かじかんでいるせいなのか。あまりの感動によるものか。
そういう考え方が、そういう見方があったんだと。
「まぁ、視線だけで殺されそうにはなるが」
「は? 何ですか? やっぱり馬鹿にしてますか?」
「その睥睨。凍て殺されそうだ」
すごい人だ。
私にとって呪いの言葉だった。のに、嘘のように意味合いが変わった。
心が冷え切ってしまうような言葉を、こんなに温かいものにしてくれる。
「ずるいですよ」
「ずるい? 何が?」
「そうやって私を誑かして」
「悪魔みたいな言いようだな」
「ええ。私が雪女なら、貴方は悪魔です」
それも、とびっきり人間に優しい悪魔だ。
できればこの優しさが、私だけのものであれば良かった。
そしたら、この人は辛い思いをしなかった。




