第三十四話 彼が飛ぶは、闇夜の大宮殿
「……来たか」
彼の降臨によって、地震が来たかのように揺れる地下の大工房。
眠る堕天使たちの中心にいるのは、白兜の大剣士だ。
「さあ、来い!」
地上の帝都の大通り、夕焼の堕天使十体が路面を踏み砕いて、彼に迫り来る。
『眠れ!』
ミハエルは竜の翼をはばたかせ、大通りの路面を低く飛んだ。
一瞬で大通りの奥まで飛んで、夕焼の堕天使十体を斬り砕く。
帝都の建物は一切壊さず、市民は誰も巻き込まずに。
たとえ狂戦士になろうとも、彼が身につけた力を制する技術が、ここまでの精密性を発揮させる。
『赤騎士、上から来るぞ!』
ミハエルの耳に、秘密の指輪の魔法で、虎丸の声が届く。
空を見上げると、上空から夕焼の大天使六体が急降下してきた。
『眠れ!』
ミハエルは竜の翼を上空へ、一気に急上昇。
炎の大剣で敵を全て粉砕し、跡形もなく焼却し、肉片一片たりとも落とさない。
そのまま空の上から、帝都の様子を伺った。
メラニーは、下に見えるあの大宮殿の中のどこかにいる。
救出には行けるが、堕天使に襲われて、大宮殿を破壊してしまう可能性が高い。
彼女と帝都にいる人たちの安全を考えるならば、このまま堕天使を引きつけ、叩き潰すのが上策か。
夕闇の大帝国は、彼女にとって、母親がいる場所でもあり、もう一つの故郷。
ここにいる人たちは、近い将来、彼女が治めることになる民たちでもあるのだ。
『青武士、今どこにいる!?』
「予定通り、姫様がいらっしゃる大宮殿の屋根の上よ!」
空の上からの帝都突入時、彼の背中から飛んだ虎丸は、そこに降りていた。
「ここにも白衣の騎士団が邪魔してくるが、姫様は、すぐ目の前だ!」
そのとおり、虎丸が立っている周りの屋根の上には、夕焼の騎士二十人が登ってきて、ここは一歩も通さんと剣を構えていた。
下に見える通路には、黒兜の強化兵九十人が陣形を組んで道を塞いでいる。
『堕天使は吾輩が引きつける。お前は姫様を頼む!』
「承知! それから大工房の探索だな!」
虎丸は迷わず、屋根の上を駆け出した。
周りの夕焼の騎士たちが迎え撃ってきた瞬間、獣と鬼と化した肉体を躍動させ、両手の二刀を振り回す。
「《秘剣・八艘飛び》!」
夕焼の騎士二十人、黒兜の強化兵九十人を、たちまちの内に斬り伏せ、大宮殿の内部へと突入した。
白衣の騎士団によって守られた大宮殿の中を、縦横無尽に駆け巡る。
メラニーの位置は、彼女が持つ秘密の指輪の魔法を通じて伝わっていた。
謁見室を出た彼女が今降りている場所は、大宮殿の下へと続く階段だ。
「本当に倒してくれるんでしょうね!?」
「ええ、我が堕天使と騎士たちが、あの化物を必ず!」
皆が階段を下りている中、メラニーが見ている前で、女帝とアルフレッドが言い合っている。
側にいる女騎士ルーチェと家臣たちは黙っているだけだ。
彼女の左手の薬指には、秘密の指輪があった。
夕闇の大帝国の女帝と皇太子である親子二人の口から、市民を避難させる事案が一度も出なくて、メラニーは苛立つ。
ミハエルたちが巻き添えにすることはないだろうが、気が気でない。
「それで、私たちは、どこに行けばいいというの!?」
「大宮殿を出て、安全な場所に……」
「バカ言わないで! あの化物がいつ襲ってくるか――」
女帝は、どこかに逃げたいが、大宮殿も離れたくないようだ。
それを聞いて、メラニーはとうとうしびれを切らして、一計を案じる。
「お母さま……大工房に逃げましょう」
母親に笑顔を振りまいて、メラニーは言った。
「そこには、大巨人と堕天使がいます。地下なので、化物にも見つかりませんわ」
「……そうね。そこなら安全だわ! すぐに行きましょう!」
女帝がメラニーの意見を聞いて、アルフレッドは困惑する。
「ルーチェ!」
間髪入れず、メラニーは、ルーチェに命じた。
「すぐに騎士団を動員して、あの化物を討伐しなさい。それから帝都にいる民たちの避難を。急いで!」
「……かしこまりました、姫様」
内容が敵の討伐であるため、アルフレッドも何も言えない。
メラニーのこの言葉の真意は、市民を避難させることと、地下の大工房に行くことにあった。
「行くわよ、アルフレッド!」
「は、はい!」
女帝の指示に、アルフレッドは従って、メラニーたちは宮殿の地下にある大工房に向かう。
彼女の下への移動は、秘密の指輪を通じて、ミハエルと虎丸にも伝わった。
「これは……そういうことか」
『姫様……感謝いたします!』
空中で喜ぶミハエルに向かって、夕焼の堕天使と大天使が襲ってくるが、
『眠れー!』
出現した途端、そこに飛んで行き、死神の如く断罪する。
されども、されども、夕焼の堕天使と大天使は出てくる。
帝都に何十人と残留する夕焼の騎士たちが変身してくるのだ。
『いくらでも来るがいい――兄弟たちは、ここで全て眠らせる!』
虎丸は、斬る。
二刀を振り回し、邪魔する白衣の騎士たちと黒兜の兵士たちを斬って、斬って、時間稼ぎすらさせず道を斬り開いて、大宮殿の中を一気呵成に突き進む。
自身が仕える姫様の元へ、友が愛する彼女の元を目指して。
やがて大宮殿の敷地内にある、地下の大工房へと続く大きな入口が見える外の通路まで辿り着く。
ぽっかりと穴が開いたそこまでの道を、白衣の騎士たちが立ち塞がっている。
だが、突破されるのは明白だ。
そんなこと、白衣の騎士たちにはわかっていた。
騎士たちの目的は、あの団長が来るまで持ちこたえることにあったのだから。
「お前たち、下がれ」
虎丸の背後から、声が聞こえた。
虎丸が振り返ると、後ろにいた白衣の騎士たちが左右に退いて、前に道を作る。
騎士たちが剣を掲げる道の奥から、あの女が、歩いてくる。
片手の細剣を持って、虎丸の前に歩いてくるのは、黒髪の美しい女騎士。
白衣の騎士団長ルーチェだった。
「やはり、お主が立ちはだかるか。白衣の女騎士」
虎丸は獣化と鬼化を解くと、兜と面頬を取り外して足元に置き、素顔を見せた。
「行かせはしない。アルフレッド様と姫様の元には」
「いや、まかり通る。お主との決着をつけた後でな」
長年に渡る強敵を前にして、胸の内に悦びがこみ上がる。
女騎士に敗れて以来、虎丸はこの時をずっと待ち望んでいた。
白衣の女騎士は何の感慨もなく、ただ冷静に相手を見計らう。
「……いいのか。鬼と獣にならなくて?」
「お主が相手では却って邪魔よ。技が鈍るのでな」
「勝てると思うなよ。貴様ら二人とも、私が斬り捨てるまでだ」
「だろうな。お主であれば、あの怪物となった赤騎士とて討てる。だが負けはせぬよ。赤騎士も、拙者も」
ルーチェの言葉は、嘘偽りではなかった。
だから、ルーチェは信じられない。虎丸の言うことも、嘘偽りではないことが。
――できる。この剣士には、私に勝てるだけの技量がある。
なぜこんな若造が、この私に――。
「貴様……なぜ?」
「『数多の剣の生涯を渡ってきたこの私と渡り合える?』でござるか?」
その心中を、虎丸は暴いた。
「……貴様、私の正体に?」
「左様。見抜いておる。異世界転生を繰り返し、魂と技を継承し、時には自ら剣となって、剣の研鑽を積み重ねてきた剣士。秘剣、魔剣、魔法剣、ありとあらゆる世界の剣と技を極め、極め、極め尽くしてきた、いわば世界を超越した、剣の女神」
「……そうだ。それが私だ」
「それほどのお主が、なぜ黒太子に仕えているかは、あえて聞かぬでおこう……。とにかく拙者如き若輩者が、そなたの高みに届かぬのは確かに道理……。普通であればな」
「それなのに、なぜお前は、この私と戦える? なぜ私と剣を交えられる?」
「なあに。拙者の故国には、剣の神がたくさんおる。拙者が渡ってきた数々の世界にもな。その御霊一人一人に教えを乞い、一心同体となりて、研鑽と修行を積み重ねていけば……」
「貴様の……あの降霊術でか?」
「然り。それならば、若いうちにお主の高みにまで手が届くのも、決してできないことではないであろう?」
その名手となった、虎丸ならではの修行法だ。
「そして……、拙者の手がそこまで届いたのは、ミハエルがいたおかげだけではありません。そなたという強敵がいてくれたからこそ。感謝いたしますぞ、剣の女神。白衣の騎士団長ルーチェ殿」
「……いいだろう」
ルーチェは、細剣を構え直した。
「決着をつけてやる。八つ裂きにしてな」
「……望むところ」
虎丸は直立し、両手の二刀を左右に広げる構えを見せる。
「では、尋常に――」
「いくぞ」
白衣の女騎士ルーチェは、目の前の相手を全生涯最強の敵と認め、この技を解き放つ。
「《秘剣・八艘飛び》」
虎丸から盗んだ技を。
超高速の八連撃。
全生涯最強の敵が、最も得意とする奥義。
今まで見てきた中で、最も目を奪われた剣技。
二度見ただけで盗み取り、極めたばかりのこの技で決めにかかる。
なぜならば、相手も必ずこの技で仕掛けてくる。
そして、私がこの技を使えば、私はさらにもっと強くなれる――。
だから、同じ技で決めにかかった。
ルーチェの思惑通り。相手との何倍にも渡る剣の生涯の差が、自身の剣を相手の剣よりわずかばかり速くさせ、全生涯において最速最強の斬撃へと至らせる。
ほんのわずかばかりの差だが、勝つためには、その差だけで十分だった。
なぜならば剣と剣の闘争において、そのほんのわずかばかりな差こそが、決定的な勝敗と生死の境目になるのだから。
白衣の女騎士ルーチェは、至高の八連撃を繰り出しながら確信していく。
忠誠を誓った、愛する主君のための勝利を。
――そして、気づく。
目の前の敵が振るうのは、《八艘飛び》ではない。
かつて《八艘飛び》に敗れ、海の藻屑となるはずだった荒武者がいた。
落ち延びた荒武者は、己を呪い、仇を怨み、次なる戦いのため極限の修練を積み上げて、遂には《八艘飛び》を破るための技を編み出した。
その荒武者こそ、後に高倉浪平と名を変えた幼き主君と共に、異界へ流れた一族の一人で、仇の息子である高倉虎丸を、一族の中で誰よりも深く憎悪する。
それなのに――、その人は、虎丸の師となってくれた。
打ち据えられたことは数知れず。
されど、そうされてきたのは稽古の時のみ。
その人は、師の一人として、まごうことなく強くしてくれた。
虎丸は、先生に深く感謝しながら、授けてくれたこの技で、
「《秘剣・――」
仕掛ける。
「《八艘返し》!」
あの技を見せたのは、私に使わせ、この返し技で返り討ちにするため――。
全ては最初から仕組まれていたことに気づきながら、白衣の女騎士ルーチェは、八回斬られていった。
「――なんだ、負けちまいやがって」
地下の大工房で、白兜の大剣士がぼやく。
そこの中心で腰を下ろしていると、地上まで続く階段を、アルフレッドたちが慌ただしく駆け降りてきた。
息を切らせて、大剣士の前までやって来る。
メラニーが、一緒だった。




