第三十二話 彼が制すは、竜と鬼
「儀式を始めよう」
『「御意」』
私は魔法など使わず、ただ儀式を執り行う導師となって、黄昏の空から下にいる二人に呼びかける。
「赤髪の赤騎士よ――暴れよ」
大地に立つ、巨人の赤騎士に。
「青浪の青武士よ――荒れよ」
彼の足元に立つ、人間の青武士に。
巨人と人間、大と小、二人の肉体に変化が起こる。
『《火竜――』
ミハエルの巨人の角が生えた頭に、さらに竜の二本の角が生える。顔が凶々しく、歯が牙となり、背中から竜の翼が広がる。
「《猛虎――」
虎丸は、虎のように毛が逆立って、身体と両手両足が図太く膨れ上がり、指と爪が肥大し鋭利に尖っていく。
二人は、己の肉体を『獣』と化したのだ。
これだけでは、終わらない。
変異は、さらに続く。
「暴れ、荒れ、乱れ――狂え」
次は、精神。
「狂え、狂え、狂え、戦に狂う鬼たちよ」
『――赤鬼》』
「――青鬼》」
自らの意思で、『鬼』とも呼べる『狂気』が、心の中に取り憑いた。
「狂え、狂え、狂え、狂え――戦え」
二人の闘争本能が高ぶり、昂ぶり、荒れ、暴れて、狂い、狂い、狂っていく。
「戦え、闘え、戦え、闘え、戦え」
肉体に『獣化』、精神に『狂化』。
二人の内で、二つの衝動が吹き荒れ、彼の中では『破滅』と混ざり合う。
これを、人の心で制する。
「抑え、律し、制し、打ち克て」
我に克つ、人の心で、己の霊とする。
二重詠唱ならぬ、二重憑依。
これこそ、私が授け、友が教え、遂には彼が完成させた禁術。
さらなる怪物になるための――。
『暴れ、狂え、律し――』
「荒れ、乱れ、制し――」
「戦え、戦え、闘え、闘え、そして勝て――私の祝福を受けし狂戦士たちよ」
火の巨人の赤騎士が、鬼の貌で、竜の翼を羽ばたかせ、黄昏の空へ舞い上がる。
王国の者たちと帝国の者たちには小さな鳥のように見え、何が飛び上がったのかわからない。
誰も理解できないうちに、火の巨人の赤騎士は、空の上でもう一度、竜の翼を羽ばたかせる。
真っ赤な炎の大剣を振りかざし、夕焼の堕天使の軍勢めがけて、落雷のごとく斬りかかった。
「乾杯」
「「乾杯!」」
夕闇の女帝と大帝国の諸侯たちが、楽しそうに杯を上げる。
場所は、帝都の中心にある大宮殿、最上階の謁見室だ。
玉座に座る女帝は、笑顔だった。
周りの諸侯たちは、媚びるように集まっている。
冷静なのは、警備についている白衣の騎士たちだけだ。
メラニーは、母親の側に、紅いドレスを着て立っていた。
乾杯などできるわけがない。
謁見室の東側は、展望台になっていた。たくさんの明かりが輝く帝都の美しい夜景と、もっと奥にある夕闇の地平線が一望できた。
帝都の人たちは、下層民に至るまで、戦勝気分に酔いしれ、酒を飲み交わす。
皆が意識を向ける東の方角には、ずっと敵国だった黄昏の王国がある。
今度こそ、王国を滅ぼせる。長かった戦争に勝てるのだ。
「ようやく終わるわ。何年も続いたこの戦争が。そして、黄昏の王国も……」
女帝は心の中で、夫はせいぜい惨たらしく焼け死んで欲しいわねと願った。
「そして始まるのよ。私たちの夕闇の大帝国が全世界を永遠に支配する日が。私の息子がもたらしてくれた夕焼の大軍勢によって」
どの世界でもこんなものだ。
戦場を知らない戦争好きな者どもの振る舞いは。
兵士と敵側のことなど考えもせず、自分たちの勝利と安全と、火の粉が降りかからないことを疑わない。
「嬉しくてたまらないでしょ。メラニー。世界があなたのものになるんだから」
「世界ですか……。ごめんなさい、お母様。想像がつきません」
メラニーは落ち着いて、適当に返事をした。
「あら、そう。けど、大丈夫。これから外の世界を知れば知るほど、実感していくわ。世界を支配することの素晴らしさがね」
メラニーは、支配などごめんだと思った。
外の世界のどこにだって、そこで懸命に生きている人たちがいる。
火の巨人がそうだった。
メラニーの心は、彼を信じる想いで溢れている。
だが、怖くてたまらなくもあった。
なぜならば、大軍勢。夕焼の堕天使が一万体も存在するから。
数々の世界を滅ぼしてきたという、『破滅』の再来。
そんなものが、みんながいる黄昏の王国に向かっているのだ。
――赤騎士。
彼女は、左ポケットの中に手を入れて、仕舞ってある秘密の指輪に触れる。
指輪から感じてきたのは、炎のような熱さ。
メラニーの心に、彼の存在が伝わってきた――。
竜と化した、火の巨人の赤騎士が、空から突撃する。
炎の大剣を前に突き出し、竜の翼を羽ばたかせ、地上にいた夕焼の堕天使たちを一挙に蹴散らしていった。
大軍勢の中を突き破り、奥まで達したところで、進撃を止め、そこで炎の大剣を振り上げる。
――眠れ。
前にいた堕天使たちに勢いよく振り回し、八体まとめて炎の肉塊に変えた。
圧倒的な力を見せつけたところで、心を奪われた堕天使たちは止まらない。
周りから夕焼の堕天使たちが大剣を振りかざし、夕焼の大魔獣たちが大爪を振り上げて、何十体と押し寄せてきた。
『ウオオオオオオオオオ――!!』
ミハエルが、竜と巨人の咆哮を二重に轟かす。
その瞬間、彼の巨体が、真っ赤に光る。
――眠れ。
竜と火の巨人、体内に宿る二つの炎を一つに燃焼させて、口から熱線ともいうべき炎を発した。
超高熱度のそんなものを浴びせられ、夕焼の堕天使たちの紅蓮の巨体が一瞬にして焼却される。
灼熱世界の溶岩にも耐える、頑強な肉体と、不死身の再生力も、全くの無意味。
まだ浴びせられていない堕天使と大魔獣たちが、同じように大剣と口から灼熱の炎を発するが、巨大な彼の体と鎧は平然と耐え抜く。
その兄弟たちにも、熱線を浴びせる。
竜がするように、ミハエルは前方に炎を吐きまくって、そこにいた夕焼の大魔獣、堕天使たち数十体をまるごと焼き払って、消滅させた。
そこまでしても、一万の大軍勢には微々たるもの。
すぐさま前左右、後ろから、次なる堕天使と大魔獣が何百、何千と迫りくる。
そこまでの数を持ってしても、赤い怪物は止められない。
――眠れ。
火の巨人の赤騎士ミハエル・フォン・シュバルツは、竜と巨人の姿で、狂うがまま暴れまくる。
――眠れ、眠れ。
炎の大剣を何度も振り回し、灼熱の熱線を何度も吐いて、夕焼の堕天使たちを次々と屠っていく。
心を奪われ、傀儡にされて、奴隷にされた、哀れな火の巨人たちを確実に葬り去っていく。
――眠ってくれ。安らかに。
帝国の堕天使を一体残らず、破壊するために。
火の巨人たちを一人残らず、眠らせてあげるために。
己の巨大な火の手を、兄弟たちの血と炎で真っ赤に汚しながら。
それでも彼は、騎士として、己の使命を遂行する。
続けて、上空から夕焼の大天使たちが何十体と飛来してきて、ミハエルは竜の両翼を羽ばたかせる。
再び空へと舞い上がり、嵐の如く飛びながら、宙にいた夕焼の大天使たちを次々と大剣で両断し、口から炎弾を連発して爆砕していく。
空中の大天使と地上の堕天使たちも、口から炎を吐き、大剣を炎を放って、追撃してくるが、ミハエルは縦横無尽に飛行して回避し、再び地上の大軍勢へと突撃をかけた。
今度は、空から灼熱の炎を浴びせながら。
「なんだ、あれは……?」
それを見て、夕闇の黒太子アルフレッドがつぶやいた。
大軍勢の後方にある城の塔の屋上から、望遠鏡を使って覗き見ている。
後ろには、白衣の女騎士ルーチェと四人の白衣の騎士が控えていた。
火の巨人の赤騎士が、空を飛び、炎を吐いて、堕天使たちを倒していく光景は、アルフレッドの想像を遥かに超えていた。
そんな黒太子の前に、再び、使い魔の鴉が舞い降りる。
「やあ」
鴉の口を使って楽しそうに話すのは、もちろん私だ。
「……お前か?」
「ああ、私だよ」
望遠鏡を下ろした黒太子が、真っ青になりながら私の方を見てくれる。
「どうやら後悔してくれているようだな?」
「……あれは、なんだ?」
「あれ? なんのことだ?」
「とぼけるな! あれは、なんなんだー!?」
「だから、あれって? はっきり言ってくれ。何のことか、さっぱりわからない」
「おちょくるなああー! 赤騎士のことに決まってるだろがあー!!」
「だから、赤騎士がどうしたっていうんだ?」
「なぜ巨人が空を飛べる!? 火を吐ける!? あんなに速く動ける!?」
「おいおい、何を言っている? 巨人が空を飛べて、火を吐けて、速く動けて、何がいけない?」
「巨人が飛べなくて、火が吐けなくて、ノロマなのが全世界の常識だろがあー! 全世界の人間の誰に聞いたって、そう答えるに決まってるううーー!!」
「いいや。世界は広い。あんなものが、全ての世界にたった一つあってもいい。それが、世界の可能性であり、魔法を使ってでも叶える奇跡というものだ」
「あってたまるかー! 御託はいい! さっさと教えろー!」
「わかった、わかった、教えてやる」
私はおちょくるのはやめて、ちゃんと答えた。
「赤騎士がやっているのは、何のことはない。ただの獣化と狂化の二重がけだ」
「……獣化と狂化?」
「ああ。憑依魔術の二重がけ。名付けて、二重憑依。肉体を竜と化し、精神を狂戦士に変え、総合能力を爆発的に底上げ倍増強化して、己の限界を遥かに超えているだけだ」
「……はあ?」
「だから竜のように空を飛べる、火も吐ける。また狂戦士になったことで、肉体の限界を超えて、もっと速く、もっと強くなった。後で、ものすごく疲れるが、火の巨人は火山と同じぐらいエネルギッシュだからな。一日中暴れていられるとも」
アルフレッドは口を閉ざし、ゆっくりと理解しながら、やがて恐れながらつぶやいた。
「火の巨人を……竜と狂戦士に!?」
「そうだ」
「……数々の世界を焼き尽くしてきた火の巨人に……同じく世界に『破滅』をもたらしてきた、竜の『獣性(じゅうせい』と人の『狂乱』を掛け合わせただと!?」
「それだけだ。火の竜の巨人の狂戦士と呼んだ方がわかりやすいかい?」
アルフレッドは、目の前に化物を見ているかのように絶句する。
「赤騎士は、己の肉体に竜を宿し、己の精神に私が与えた狂戦士の魂を取り憑かせて、その二つの力を、元から己にあった破滅の力と一つにして、戦っている」
「なぜ奴は、そんなバカなことを……?」
「彼女を守るため。兄弟を葬るため。お前に勝つために」
「なぜ貴様は……そんなイカれたことをしやがった!?」
「ひらめいてしまったのでね。ついやってみたくなった」
我ながら、私が一番イカれているな。
「そんなことをすれば、奴は……暴走する! とてつもない怒りと憎悪と破壊衝動に飲み込まれて、世界を滅ぼすまで止まらない!!」
そのとおり。そんなことをすれば、正気を失って暴走する。普通なら。
「お前たちは本当に、この世界を滅ぼす気かあー!?」
「大丈夫。彼は正気を保っている。世界を滅ぼしたりなんてことにはならないよ。私やお前と違ってな」
「ありえない……どうやって!?」
彼女のおかげだよ――。




