第三十一話 彼が迎え撃つは、大軍勢
「……やはりここにおったか?」
暗い洞窟の中で、虎丸がたいまつを奥に向ける。
灯りに照らされたのは、人間の姿のミハエルだった。
騎士の鎧を着たまま、洞窟の岩壁に寄りかかり、長剣を収めた鞘を地面に置いて腰を下ろしている。
彼らがいるのは、ツヴェルクの森の中の洞窟。
私と人間になる前の赤騎士が出会った、あの洞窟の中だ。
「虎丸……お前、よくここがわかったな?」
「昔、お主から話を聞いて、一人で行ってみたことがあったのよ」
「そうだったのか……」
「大臣殿たちには全てお話し、暇を告げてきた。お主も、拙者も、今や王国の騎士ではない。流浪の騎士よ」
「つくづく世話になる……。大臣殿は、吾輩に何かおっしゃったか」
「ただ一言。『許す』……と」
「そうか…………。ところで、なぜアリッサ殿がご一緒に?」
虎丸は、アリッサを連れて来ていた。
「そなたに話したいことがあるそうだ」
虎丸がそう言うと、アリッサが彼の前に進み出る。
だが、アリッサは何も言わない。
震えている。
怪物だった彼のことを怖がっていた。
しばらくしてから、勇気を出して話し始める。
「……子供の頃、メラニーがいつも話してました。洞窟の外にあった森の中で出会ったっていう、とても怖かったけれど、かわいそうだった赤いトロールの話を……。夢か、作り話だと思っていましたけど、あなたのことだったんですね」
「……そうです。まだ子供だった頃の吾輩です。その時はまだ人間に化けることはできませんでした」
怖がるアリッサに、ミハエルは優しく話しかけた。
そうされて、アリッサは言葉に詰まってしまう。
その様子を見て、虎丸が励ました。
「アリッサ殿、頼みたいことがあって来たのだろう?」
「吾輩に頼みたいこと?」
「……お願いです、赤騎士。また巨人になって、メラニーと王国を救ってください!」
アリッサは精一杯頭を下げて、頼み込んだ。
「アリッサ殿……!?」
そうされて、ミハエルは戸惑う。
アリッサは頭を下げたまま話し続けた。
「帝国の赤い堕天使を前に、みんな希望を失っていて……。あなたも、メラニーと一緒にいられなくなって、つらいのはわかります……。だけど頼れるのはもうあなたしかいないんです! どうかお願いです。ここに閉じ込もっていないで、メラニーを……王国にいるみんなを助けて!」
「大丈夫です、大丈夫です、アリッサ殿! 吾輩、元よりそのつもりですから!」
「……えっ?」
彼の答えに、アリッサは驚く。
「だからアリッサ殿、そんなにかしこまらないで」
「じゃあどうしてこの洞窟に……?」
ミハエルは恥ずかしくなって、言葉に詰まる。
「それは……」
「決戦を前にして、自分を見つめ直すために。子供の頃に住んでいたこの洞窟に帰りたくなったのであろう」
代わりに、虎丸が微笑みを浮かべながら、彼の事情を明かした。
「人生に行き詰まり、故郷に帰ることは誰にでもある。拙者などしょっちゅうよ」
「……そういうことです」
「それじゃあ?」
「ええ、アリッサ殿。姫様と黄昏の王国は、吾輩が必ずお救いします。だからどうかご安心を」
「……ありがとう、赤騎士」
アリッサに感謝されて、ミハエルはたずねてみた。
「アリッサ殿……、怪物だった吾輩を、まだ騎士と呼んでくれるのですか?」
「そうですね……。隠していたことは許せません。ですけど、あなたが真の騎士であることは、ずっと前から知っていますから。だからもう、怖がったりしません」
アリッサは、笑ってくれた。
「……アリッサ殿、ありがとう」
嬉しくて、ミハエルも笑い返す。
彼の今までの働きが、少なからず報われるかたちとなった。
アリッサと笑い合うミハエルに、虎丸は問いかける。
「それで、赤騎士、覚悟はできたか?」
「ああ……。正直、ここに来ていろいろ考えさせられた。迷いはあり、後悔もある。けれども、やはり止まるわけにはいかない。そなたらが来てくれたおかげで一気に吹っ切れた」
「それは、重畳。アリッサ殿と、ここまで足を運んだ甲斐があったというものだ」
「それから――ここで試した」
何のことなのか、虎丸は察す。
「ほう。それで?」
「……できた。今になってようやく」
「……あっぱれ。遂に完成したのだな。お主の禁術が!」
「ああ。お前のおかげだ、青武士!」
喜び合う二人の話していることが、アリッサにはわからない。
――そろそろ、私も行くとしようか。
「……決戦に向けて、準備は整ったようだな」
暗い洞窟の中、赤騎士たちの前に、私は闇を縫うように現れた。
「魔法使い殿!」
「メラニー姫の様子を見てきた」
私の言葉に、三人とも耳を傾ける。
「安心しろ。彼女は無事だ。帝都で、お前が来るのを待っている」
彼女は、秘密の指輪を使えば脱出はできる。だが王国の運命がかかっている以上、やっと愛する娘に会えたばかりの母親の元を離れるのは、賢明ではないと判断したのだ。
「そうですか……」
彼女の無事を知って、ミハエルは安堵した。
「では、帝国の……黒太子の動きは?」
「夕焼の堕天使を全て投入。本気で、黄昏の王国を滅ぼす気だ」
「堕天使の数は?」
「一万。大軍勢だ。火の巨人の再来だと、黒太子が言ってきているようだな」
その数に、ミハエルと虎丸は動じなかったが、アリッサは愕然となる。
「い、一万……勝てるのですか?」
「赤騎士が火の巨人になったとて、間違いなく数で押し切られる物量差です」
怯むアリッサに、私は正直に告げる。
彼が、火の巨人のままなら――。
「どうする、赤騎士。私が片づけてやろうか?」
「いいえ、魔法使い殿。最後まで吾輩にやらせてください!」
私の申し出を、彼はあっさりと断った。
「そうか。それで、イチか、バチか、挑んでみるか?」
「とんでもない。吾輩、騎士としていつでも死ぬ覚悟はできていますが、負けるとわかっている戦に、無策で挑んで命を落とすことは断じてできません!」
「武士である拙者も、全くもって同意見よ」
続けて、虎丸が言ってくる。
「負け戦とわかって無闇に散るは、永遠の華とはなろうが、明日のためには決してならぬ。ましてや、王国の運命がかかっているのだ。これを行うは、度し難き愚の骨頂。大勢の兵と民をを犠牲に敗れるなど、万死に値する愚将の行いよ!」
「そうです。真の騎士と真の武士たるもの、無謀な戦いは決してせず、よく考え、よく調べ、時には退いて――最後には勇敢に戦い、必ずや生き残って勝利する! そう教えてくれたのは、魔法使い殿。あなたです!!」
「そのとおりだ。よく言った、二人とも!」
二人の生きて、勝つ覚悟を、私は心から讃える。
「それで、どうする気だ?」
「奴が全力を出してくるならば、吾輩たちも全ての力を解き放つまで」
「拙者たちのすべての力をな」
ミハエルは固い決意を示し、虎丸は楽しげに微笑む。
私は、愉快に笑った。
「なるというのだな――さらなる怪物に?」
赤い夕陽が、昇っている。
天が朱に染まり、地が闇で覆われようとしていた。
黄昏と夕闇の境目。
日没、はもうすぐだ。
真っ赤な空の上を、鴉が飛ぶ。
見下ろす何もない草原に、一本の線となって横に延びているのは、長城の城壁。
夕闇の大帝国と接する西の国境に沿って建てられた、黄昏の王国、西の防衛線。
横一杯にどこまでも広がって、下から見れば断崖絶壁の谷のようにそびえ立つ。
そこの中心に建てられている城塞都市に、黄昏の王国軍が集結していた。
戦闘準備は、既に終えてある。
後方の王国の領土では、民たちの避難が順調に進行している。
総指揮は、黄昏の大臣。
城塞にある指令所の窓から側近たちと共に、西の方を見ている。
城壁の歩廊で待ち構える騎士ヤーコプが率いる王国の騎士たち兵士たち、都市の中に仕える貴族、役人、使用人たちすらも、西の方角を見つめていた。
息子を失ったばかりだというのに、大臣の眼に陰りはない。
弟を失った、もう一人の息子、騎士ヤーコプも同様だ。
ここにいる皆が、不屈の眼をしていた。
やがて、西の夕陽の向こうから、真っ赤な巨人たちの大軍が見えてくる。
夕闇の大帝国の堕天使たちだ。
一体、一体が赤い。
歩く巨体が、溶岩となって燃えている。
夕闇ではなく、夕焼の堕天使。
王都に二十体以上も現れた、新たな厄災。
そんなものが、十体と来ている。
いや、もっといる。
数えよう。
百体。
悪夢だ。
やがて数は、千まで膨れ上がった。
夕焼の堕天使の大軍勢。
夕暮れの空には、赤い鳥の翼で、空を飛んでいる奴らもいる。
夕闇の大天使じゃない。
夕焼の大天使だ。
地上を赤毛の四本足で闊歩している紅蓮の巨獣は、夕焼の大魔獣だろう。
できれば夕闇の大魔獣であって欲しかったが、残念、そうじゃなかった。
遠くの方をよく見てみると、大軍勢の奥の方に見える夕陽と夕空がいつもよりもっと赤くなっている。
夕焼の堕天使たちが、夕陽と夕空を燃やしているように見えた。
おそらく、軍勢の奥にもっといる。
夕焼の堕天使たちが、何百、何千と。
業火を司る堕天使たちが、地獄から黄昏の王国を滅ぼしにやって来たんだ。
「伝令より報告」
誰も、何も言わない。
「夕焼の堕天使。総数一万!」
誰も。何も。
「…………やれやれ」
しばらくしてから、大臣がため息をついた。
「一万というのは、本当だったな」
ここにいる者たちの誰もが、もはや実感していた。
黄昏の王国の滅びの時だと。
そこまで思っても 逃げるどころか、取り乱す者すらいない。
避難が進んでいる王都でも同じである。
彼らには、希望があったからだ。
その時、巨人の足音が地響きとなって聞こえてきた。
皆が、北の方を振り返る。
やって来たのは、赤く燃える真っ赤な巨人。
あの時、王都で夕焼の堕天使たちをやっつけくれた巨人だった。
あれが、王国の英雄、赤髪の赤騎士ミハエル・フォン・シュバルツ。
果たして、敵か、味方か。
真っ赤な巨人の大きな片手が上げられて、親しげに手を振ってきた。
赤騎士らしい。
城塞内で、騎士と兵士たちから歓声が上がった。
その中で、ヤーコプは密かに微笑んでいる。
喜べない人たちは、冷や汗をかきながら真っ赤な巨人をじっと見つめ続けた。
「どうする気だ、赤騎士?」
大臣がつぶやくと、真っ赤な巨人はうなずいて、西の方へと向かって行く。
「……一人でやる気か?」
相手は一万だぞ、と大臣は心配してくれた。
真っ赤な火の巨人のミハエルは、一人ではない。
彼の大きな肩の上には、私が立っている。
私の隣には、虎丸が座っていた。
アリッサは、王都まで送り届けた。今頃、涙をこらえて、懸命に民たちの避難を手伝っていることだろう。
「大臣殿たちには何も言わなくてよかったのか?」
『ああ。言わずとも伝わっている』
虎丸は、武器は腰の二刀、背中の一刀といつも通りだが、防具は騎士の鎧ではなく、武士が着る兜と鎧に着替えていた。
青と白を基調に染め上げ、空と海が今にも浪立つような造形をした故国ゆかりの戦兜と戦鎧だ。
鎧の上には、白い虎の毛皮を羽織っている。
また今は脱いでいるが、白虎の面頬付き。
義兄から頂戴した、友のための戦装束である。
やがて、ミハエルの巨人の足が止まった。
前方に見えるのは、平原を埋め尽くす、奴隷にされた火の巨人たち一万。
夕焼の堕天使が、一万人だ。
空を飛んでいる夕焼の大天使、地面を這い回る夕焼の大魔獣まで、何千といる。
赤い夕空をさらに焦がすこの光景こそ、まさしく破滅と地獄の大軍勢。
こんなものを見れば、誰もが世界の滅亡を予感し、絶望してしまうだろう。
『来たな!』
夕焼の大軍勢の前に、先導している騎馬がいた。
馬に乗って、作り声で叫んできたのは、白衣の騎士だ。洗脳されている。
『見ろ! この夕焼の堕天使の大軍勢を! 私の力の全てを!』
使い魔に変えた騎士の口を使って、叫んでいるのは、夕闇の黒太子アルフレッドだった。
本人は今、大軍勢のもっと後ろにいて、そこから見ていることだろう。
『赤騎士! いくら貴様が火の巨人でも、これほどの兄弟たちを相手に勝ち目などあるか!? 魔法使い! やはり手を出すか? 出すのかな!? 出してみろ!』
私たち三人は、互いに見合わせる。
「二人とも、準備はいいな?」
ミハエルと虎丸は、うなずいた。
彼の肩の上から、私は夕暮れの空へと浮かび上がり、虎丸は顔に面頬をつけて地面へと飛び降りる。
巨人のミハエルは、炎の大剣を右手に持って、その場に立った。
『……何をする気だ?』
よく見ていろ、黒太子。
「儀式を始めよう」
『「御意」』
私は魔法など使わず、ただ儀式を執り行う導師となって、黄昏の空から下にいる二人に呼びかける。
大地に立つ、巨人の赤騎士に。
彼の足元に立つ、人間の青武士に。
「赤髪の赤騎士よ――暴れよ」
火の巨人である、彼の巨体に――変化が起きる。
彼女を救うため、さらなる怪物に。




