第二十二話 彼が経験する、初めての別れ
ミハエルは、城壁の上の歩廊でメラニーと会う。
「月が、きれいですね」
「そうですな……」
「……戦争や交渉があることが嘘のようです」
「…………」
ここで話す気でいた。
「父のしたこと、どう思いますか?」
「陛下のしたこと……帝国との話し合いですか?」
メラニーは、呆れているようだった。
「ひどいでしょ、あなたたちが勇敢に戦っているというのに……」
「ですが、陛下の言うことも、一理あるかと……」
「あの人、口では立派なこと言いますけど、結局は、自分のためなんですよ」
「こう言っていましたな。王国と民のために、戦争はもう続けられないと……」
「何が王国と民のためですか。国王という今の自分の地位と暮らしを維持したいだけなんです。あの人の贅沢すぎる暮らしのせいで、今までどれだけのお金が無駄遣いされたことか」
国王である父親について、メラニーは愚痴をこぼす。
「ならば陛下は……帝国との和睦の際に、ご自身のお立場は何としても守るつもりだと?」
「そういう人なんです。他の人のことなんて何も考えていない……。娘の私にだって、何をしたか知っているでしょ?」
紅姫メラニーは、ただの娘に戻った。
「存じています。陛下は、メラニー様をお城の中に閉じ込めました」
「私は、外の世界を見てみたかった……。なのにお父様は、私が大きくなっても、歪んだ愛を押しつけて……」
「だから吾輩は……、あなたにさまざまな物語を語って、遂には異世界まで連れて行きました」
「あの旅行もそうですが、初めのあの時は本当に驚きました……。ご自分の武勇を語るばかりだったあなたが、いきなり恋愛小説を持ち出してくるんですもの」
「あなたのことを知って、あなたに楽しんでいただこうと……」
「しかもあんなに続きが気になる物語だなんて……。現実でもそうです。あなたは、私の王国と大事な友人たちを何度も救ってくれました。……私のことも」
「それが……、騎士の務めですから」
ミハエルとメラニーは、楽しそうに笑い合う。
「次は悪の騎士となって、あなたをどこかへ連れ去ってしまいましょうか……」
「いいですね……。けどここには、アリッサや大臣もいますから……」
それから、二人はまた黙り込む。
「……メラニー様、お話したいことがあります」
「なんですか? まさか、あなたが『人間』でないとでも?」
彼女の思わぬ一言に、ミハエルは口を閉ざした。
「……なぜそのようなことを?」
「いえ、そんな噂を小耳に挟んで……」
赤騎士の名誉を陥れるため、黒太子が仕掛けた情報工作。
あちらにとってはただの偽情報で、全くのでっち上げ……のはずだったのだが。
「冗談が過ぎますよね。あなたが人間ではないなんて……そんなわけないのに」
「……いいえ、姫様。それは違います」
「……えっ?」
「それは、事実なのです」
メラニーの顔から笑みが消える。
「ちょっと、赤騎士。何を言って……」
「人間に化けているだけで、吾輩は……、人間ではないのです!」
「どうして……?」
「ここに来て、あなたとお会いしたかったから! あなたに助けられたご恩をお返ししたかったから! ……いいえ、それだけではありません!」
「……なぜそのようなことを言うのです?」
「吾輩は、真の騎士……。あなたにもう嘘はつきたくない! 姫様、吾輩は……」
「もういい加減にしてください!」
彼女が、とうとう怒り出す。
「何かと思えば、わけのわからないことを! 私を楽しませるための新しいお遊びですか!? だったら、赤騎士! おふざけにも程がありますよ!!」
彼女は、信じようとしない。
「まったく、もう、お父様やアルフレッドだけでなく、あなたまで……あなたまで、どうして私を苛立たせるんですか……」
――彼だけは、不器用な彼だけには、
「……あなたには、笑わせてほしいのに」
城に囚われた私を救う、騎士でいて欲しいから。
「……そうですか、姫様」
だからこそ、彼は、彼女に知ってほしい。
「ならば……直に、お見せするかありませんな」
彼女だけは、裏切りたくないから。
「……えっ?」
メラニーが気づいた時には、ミハエルは胸壁の上によじ登って、
「どうか、見てください。吾輩の正体を!」
勢いよく、城壁の外側の方へ飛び降りた。
「――赤騎士!」
メラニーは叫んだが、彼の姿は城壁の下へと落ちていく。
彼女は胸壁から顔を出して、城壁の下の様子を伺うが、真っ暗で何も見えない。
彼の姿は、完全に闇の中に沈んでしまっている。
「ああ、そんな、そんな……。誰か、誰か!?」
彼女は混乱し、誰でもいいから助けを呼ぼうとすると、
『………………メラニー様』
壁の外に広がる闇の底から、彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。
「……ミハエル?」
メラニーがまた、胸壁の外の方を振り向くと、
『……はい』
闇の底から、『彼』は現れた。
「……ミハエル?」
『はい』
彼女の目の前に。
「…………そんな、そんな!?」
彼女は、はっきりと見た。
『そうです。これが、吾輩です』
彼は、はっきりと己を露わにする。
『これが、赤髪の赤騎士の真の姿です』
メラニーは、赤い怪物の前から走り去って行った。
全てから逃げるように、悲しみの涙を流しながら。
――城壁の外側の地面で、人間の姿に戻った赤騎士は茫然と立ち尽くす。
「これで、よかったのか?」
後ろから虎丸が、話しかけた。
「もちろんだとも……。姫様には、本当のことを知って欲しいから」
「……まったく。お主は、本当に不器用でござるな」
全くだ。
ダメだぞ、赤騎士。
騎士たるもの、貴婦人を泣かせてどうする。
「夜遅く、失礼するよ」
だから私は、彼女の部屋に行った。
「だ、だれ!?」
机の上にうずくまっていたメラニーは起き上がり、涙に濡れた顔を上げる。
「あなた……、魔法使いさん?」
「そうさ。彼を騎士にしてあげた魔法使いさ」
私の気軽な挨拶に、メラニーは緊張する。
「私に何か御用ですか?」
「無礼は承知している。けど、どうしても君に彼のことを知ってほしくてね」
「彼のこと……、彼があんな怪物だったことですか!?」
「そうだ。彼が人間になる前の、怪物としての本性をだ」
「そんなの……知りたくありません!!」
「彼は、人喰いの怪物なんかではないよ」
「……えっ?」
「彼は、かわいい子さ。一人ぼっちで、寂しがり屋で、外の世界を夢見てきた、かわいくて、かわいそうな子なんだ。箱入りの君のようにね」
何も言えない彼女に、私は水晶玉を持ち上げて見せた。
「それは?」
「元は彼の拾い物だよ。さあ、見てごらん。彼の本性を」
魔法の水晶玉の中に、私は彼の姿を映し出す。
彼が、赤い怪物だった頃を。
真っ暗な洞窟の中で、ずっと一人ぼっちで暮らしていた寂しそうな姿を。
洞窟の外に出たら人間たちにいじめられて、また洞窟の中に泣きながら逃げ込む羽目になるかわいそうな姿を。
偶然にも魔法の水晶玉を拾って、外の世界を覗き見るかわいい姿を。
だから彼は、外の世界に憧れた。
いつか人間の騎士になって、世界中を旅するという叶わぬ夢を。
メラニーは、痛感する。
まるで、お城に囚われていた自分のようではないか。
さらには、まだ幼かった頃の思い出がよみがえる。
「彼に、見覚えがあるだろ?」
「……まさか?」
「そうだよ。君は、一度だけ彼と会っている」
「あの時の……」
子供たちにいじめられていた赤い怪物を、幼かった彼女は、勇気を出して助けてあげた。
「だから彼は、君に恋をした」
「恋?」
「だから彼は、叶うはずもなかった夢を見た。人間の騎士になれる夢を。もしそうなれれば、お姫様である君のそばにいられるから」
「……叶うはずもなかったその夢を、魔法使いであるあなたが叶えた?」
「そうとも。彼と君のために」
彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「あなたはなぜ、私の前に現れたの?」
「なあに、彼のことをフォローしたかっただけさ。友達としてね」
そのぐらい、誰でもしていることだろう?




