第十八話 彼が隠れるのは、妖精の森
「……そういうことですか」
メラニーは、自分を連れ去るための帝国の陰謀だったことを悟る。
自分がいかに愚かだったことも。
「そういうことであれば、お帰りください。私は城に戻ります」
彼女はそう言って、跪く白毛皮の重戦士に背を向けた。
黄昏の王国の王女としての矜持が、彼女にそうさせる。
「戻られるというのですか?」
白毛皮の重戦士は、跪いたまま呼びかけた。
「あんな父親の元へ」
メラニーは足を止め、キッとなって騎士の方を振り返る。
「口が過ぎますね。一介の騎士ごときが。身の程をわきまえなさい」
「ご無礼は承知しております。ですが、姫様。どうかあなたのために言わせてください。あなたのお父上は、国王失格、父親失格です」
「あなた、何様のつもり?」
「これは私の言葉ではありません。我が主の御言葉です」
誰のことなのか、メラニーはすぐに気づいた。
「姫様、我が主は、お父上とは違います。帝国に来てくだされば、我が主は何もかも与えてくださる。自由も、富も、本も、外の世界も、栄光も。この世の全てを」
重戦士の言葉は嘘偽りではないと、彼女は心惹かれる。
「どうしてそこまでできるのかは、ご存知のはず。我が主は、この世界の支配者であり、あなたを誰よりも愛していらっしゃるのですから!」
確かに、あんな父親が支配する王国と比べたら――、天国と地獄だ。
「それに、これは黄昏の王国のためにもなりますよ。あなたが来てくだされば、戦争を終わらせることができるのですから。お父上の愚かな行いがきっかけとなって始まった、この戦争が」
彼女の脳裏に、黄昏の王国の人たちの姿が浮かんだ。
「……私の友人、臣民と騎士たちのためにもなるというの?」
「そうです! あなたのご友人、臣民、騎士たちのためにも!」
二度と戻らない、死んでいった者たちの姿も。
「さあ、姫様。私たちと共に参りましょう。あなたの帰りを、お母様が待っていますよ!」
白毛皮の重戦士は片ひざをついたまま、彼女に手を差し出す。
――この手を取れば、全てが手に入る。
メラニーは、ゆっくりと手を伸ばして、
「――御免!」
愛馬に乗って、颯爽と現れたミハエルによって、馬上へと抱きかかえられる。
「それー!!」
ミハエルは、メラニーを抱いたまま愛馬の馬腹を蹴り、駆け去った。
「しまった! 追えー、追えー!」
白毛皮の重戦士がすぐに立ち上がり、兵士たちに追わせる。
ミハエルは馬を走らせ、森からの脱出を目指す。
「赤騎士!」
その馬の上に乗せられて、メラニーが機会を奪われたことに憤る。
「あなた、どういうつもり!?」
「駄目です、姫様! 夕闇の大帝国に行けたとしても、あなたは決して幸せにはなれない!」
彼女を抱えながら、ミハエルは叱り飛ばす。
「あなたに……どうしてそんなことがわかるの!?」
「ずっと見てきたからです! 帝国の者たちは、自らの欲望のために何の罪のない人々の命を大勢奪ってきた! あなたは、今までの戦争で何を見てきましたか!? 貿易都市やこの間の怪事件のことを、もうお忘れですか!?」
貿易都市の戦いで多くが犠牲となり、怪事件では六人の娘が命を奪われた。
「帝国は何もかも与えながら、あなたを可愛い人形にするでしょう。あの騎士たちや堕天使のように、自分たちにとって、都合のいい人形に。そんなものになって、本当に幸せだと言えますか!? 帝国の連中は恵まれているだけで、あなたの御父上と何も変わらない……。自分のために家族の心も平気で食べる……怪物だ!」
二人の間が、沈黙に包まれる。
「……そうです。怪物だ」
自身の言葉に、ミハエルは苦しみ、
「あなたに……何がわかるのよ!」
メラニーは、それしか言えなかった。
その直後、森の中から黒兜の帝国兵たちが立ちふさがる。
「逃がさんぞ!」
「くっ、こっちへ!」
ミハエルは手綱を引いて、走る馬の向きを誰もいない方へ変えた。
「道はわかるの!?」
「はい! この森については詳しいですから!」
「……えっ?」
しかし、またすぐに帝国兵が現れ、別方向に逃げざるを得なくなる。
それから何度、方向を変えても、帝国兵は次から次へと現れた。
この森は、既に夕闇の大帝国の帝国兵たちによって包囲されていたのだ。
黄昏の王国の領土内だというのに、なぜ?
やがてミハエルは、帝国の思惑通りだとわかっていながら、山の洞窟の前まで追い詰められる。
「姫様、この洞窟の奥へとお逃げください」
ミハエルは馬から降りて、馬の背に乗っているメラニーに言った。
「いいですね。吾輩が呼びに来るまで、洞窟の中に隠れているのですよ」
「あなたはどうするの?」
「なあに、すぐに済みますので」
そこまで言って、ミハエルは、愛馬のお尻を手で優しく叩く。
愛馬は洞窟の中へゆっくりと進み、上に乗るメラニーは振り返って、彼の方をじっと見つめ続けた。
「さあて……」
ミハエルは、森へと戻る。
間もなくして、白毛皮の重戦士を先頭に、帝国の大部隊がやって来た。
その数、百人以上。
白毛皮の重戦士一人、白衣の騎士十人、黒兜の兵士が百人だ。
そんな大部隊が、蟻が通る隙間もなく、ミハエル一人を取り囲む。
ミハエルは、彼女が隠れる洞窟を背にして、たった一人で敵部隊と対峙した。
「姫様は、後ろの洞窟の中だな?」
彼の正面に立った、白毛皮の重戦士が聞いてくる。
「お前たち、帝国からは、黒太子の転移魔法でやって来たんだな?」
ミハエルは答えず、逆に聞き返す。
「そうだ」
白毛皮の重戦士の方は、正直に答えた。
余裕を見せ、優位だと見せつけるために。
「大人数の転移は不可能だから少人数の転移を繰り返し、洞窟も多くて、身を隠しやすいこの森に潜伏していた」
「そうだ」
「その転移魔法で、姫様を帝国までお連れするつもりか?」
「そうとも。我が主と黒太子様のために」
「そして、お前たち全員が、堕天使の力を取り込み、肉体を強化している」
「そのとおり。堕天使をバラバラにして、一一一〇人が堕天使の血を浴び、肉や骨まで喰らって、九百九十九人の屍を踏み越えてな。戦力は、私一人で千人、騎士は一人ずつ百人、兵士一人一人が十人に匹敵する。我々が持っている武器や防具や装備も、強力だぞ。堕天使の爪や歯や骨から造られたものだからな!」
「……むごい真似をしおって!」
「そういう貴様はなんだ。赤髪の赤騎士ミハエル・フォン・シュバルツ。一介の騎士ごときが、黒太子様だけでなく、紅姫様にまで無礼な真似をしおって。御二方をなんだと心得る?」
「知っている。紅姫様はお優しい方であり、黒太子は悪党だ!」
「いいや、違うな。黒太子様は、世界の支配者の座を継ぐべき御方であり、紅姫様は、その伴侶となるに相応しい御方だ。そんな御二人の間にいる貴様は、帝国と王国にとって目障りであり、世界にとっても邪魔なんだよ! つまり滅ぶべき悪党は、貴様の方だ! 赤髪の赤騎士ミハエル・フォン・シュバルツ!!」
白毛皮の重戦士の気配が一変する。
変身し、巨大化したのだ。
『ウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオー!!!』
毛深く、骨と肉は増強され、爪と牙が尖る。
夕闇の堕天使、第二の改造型。四足歩行の巨大な獣人形態。
夕闇の大魔獣に。
『どうだ、素晴らしい姿だろ!? これが我が力! 黒太子様の御力だ! 貴様とは違うのだよ、貴様とは!!』
「さっきからベラベラと口が達者な奴め……」
大魔獣は嗤い、ミハエルは剣を抜く。
『さあ、我が大魔獣と百人の堕天使の力で、貴様を喰らい尽くしてくれる!!!』
「いいや。貴様らともども――眠らせる!」
そのために、彼は――鬼となる。
――洞窟の中で、メラニーは馬から降りて、彼を待った。
「……遅いわね」
「ヒヒーン……」
――白衣の騎士二人と、黒兜の兵士八人が、瞬く間に斬り砕かれた。
『……なんだ、ソレは?』
「ウウウ……」
『一体なんなんだ、貴様のソレはああアアアアアアアアー!!?』
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーー!!」
鬼の形相で、彼は言った。
本物の怪物の力だよ――。
「……姫様」
「赤騎士?」
「終わりましたぞ」
メラニーは馬を引っ張って、洞窟を出る。
入り口に、血まみれの赤騎士が立っていた。
「吾輩がいいと言うまで、目を瞑り、鼻を覆っていてください」
「……あなた、一人でやったの?」
メラニーは馬に乗り、鼻を掛け布で覆って、目を瞑った。
ミハエルが馬を引っ張って、森の中を進んだ。
彼女の鼻を、血の臭いが襲う。
特に強かったのは、巨大な獣の血の臭いだ。
「……もういいですぞ」
しばらくして目を開けると、ミハエルが血まみれのまま優しく微笑んでいた。
「さあ、帰りましょう」
「……あんなところに帰って、どうするというの?」
メラニーは、言わずにはいられなかった。
「私はもう……あんなところいたくない! 箱入り娘は、もううんざりよ!」
彼が相手だからこそ言えた、彼女の心からの叫びだった。
「帝国でも幸せになれないと言ったわね。本当にそう言える!? 少なくともあそこに愛はある! お父様はいないじゃない!」
「姫様……」
「やめてよ! 民とか、義務とか言わないで! ……もうアリッサにだって会いたくないの」
一番の友人すら苦しみになってしまったことが、メラニーはとてもつらい。
馬に乗ったまま、馬の首の上に伏せってしまう。
「……帰りたくない。もうどこにも」
「…………」
「……お願い、赤騎士。私を自由にしてよ」
「……わかりました」
ミハエルは、優しかった。
「それでは逃げるといたしましょう。初めにあげた本に出てくる二人のように」
彼の呼びかけを聞いて、メラニーは起き上がる。
「待って。あなたそんなことしたら……」
「姫様をさらった裏切りの騎士ですな……」
「だめ。だめ、だめ、だめ、裏切りの騎士なんて……」
「……構いませぬ。姫様のためなら」
「だめよ。あなたは王国にいないと。真の騎士になるのが夢だったんでしょ」
彼女は、彼にそうして欲しかった。
「それは困りましたな……」
彼は、それが嬉しかった。
「わかりました。それではこうしましょう。姫様、あとほんの少しだけお部屋でご辛抱ください」
「えっ?」
「待っててくれませぬか。吾輩が困った時に助けてくれる人を連れてきますので」
お姫様や騎士が、困った時に助けてくれるのが、魔法使い。
つまり、久しぶりに私の出番というわけさ。




