【第3話】王宮が回りません!連れ戻しに来たバカ王子
王都・第一王子執務室。
「なぜだ! なぜ書類がこれほどまでに山積みになっているのだ!?」
第一王子アルベルトは、執務机の上に崩れ落ちそうな書類の塔を見上げて悲鳴を上げていた。
クラリスが王都を去って二週間。
王宮の行政機能は完全に麻痺していた。
これまでクラリスがたった一人で処置していた財務監査、他国との貿易手形の発行、領主からの各種申請処理。それらすべてが完全に滞り、書類の承認を求める官僚たちが悲痛な顔で執務室へと殺到していたのだ。
「で、殿下! 商務伯爵より『魔石輸入の手続きが止まっているため、王都の魔導具が使えなくなる』と悲鳴が上がっております!」
「財務卿も『過去の不整合データを誰が修正するんだ』と激怒しておられ……っ!」
「知るか! 私にそんな細かい計算ができるわけないだろう! ミリア! お前が手伝え!」
「えぇ~? 王子様ぁ、私そんな難しそうな紙っ切れ見ても頭が痛くなっちゃう~」
隣で優雅にお菓子を食べていたミリアが、困り顔で首を振る。
さらに悲劇は重なった。ルークが王都から姿を消したことで、王宮の重臣たちや近衛騎士団に供給されていた『特効栄養ポーション』の在庫が底をついたのだ。
不眠不休で書類仕事に追われる官僚たちは次々と倒れ、王宮はまさに地獄絵図と化していた。
「くそっ、クラリスめ……! 私を困らせるためにわざと姿をくらましおって! それにあの生意気な平民薬師め!」
アルベルトは髪をかきむしり、激怒のあまり机を叩いた。
「おい、自警団と近衛の残党を集めろ! あいつらの潜伏先は割れている! 連れ戻して、死ぬまで書類を書かせてやる!」
* * *
その頃、港町アストリアの『ルーク薬草店』。
爽やかな秋晴れの下、私とクラリス様は店の前で新しい看板の設置作業を行っていた。
「ルーク殿、少し左が下がっておりますわ」
「これくらいですか?」
「ええ、ぴったりです! ふふ、とても可愛らしい看板になりましたわね」
クラリス様は満足そうに微笑んだ。
ここでの生活にもすっかり慣れ、彼女の表情からは以前のような悲壮感が完全に消えていた。肌にはツヤが戻り、目の下のクマも綺麗に消え去っている。
(ああ……今日も推しの笑顔が眩しい。これだけでも王都から逃げてきた甲斐があったというものだ)
私言たちが和やかに談笑していた、その時だった。
どたばた、と横暴な足音が響き、薬局の前の通りに十数人の重装騎士たちが押し寄せてきた。
街の住人たちが驚いて遠巻きに見守る中、馬に乗った男が不遜な笑みを浮かべて前に進み出る。
アルベルト王子である。
「ハッ! こんな場すえのボロ店舗に隠れていたとはな。探したぞ、クラリス!」
「アルベルト……殿下……!?」
クラリス様が目を見開き、一瞬身体をこわばらせた。
私はすさっとクラリス様と王子の間に割り込み、彼女を背中に隠すように立った。
「これはこれは、王太子殿下。このような辺境の小さな薬局に、何の御用でしょうか?」
「白々しいぞ、平民! 貴様がクラリスをそそのかして連れ出し、さらには王宮へのポーション納品を独断で打ち切ったことは分かっているのだ!」
アルベルトは馬の上から私を指さし、勝ち誇ったように叫んだ。
「クラリス! お前の身勝手な家出のせいで、王宮の業務がどれほど滞っているか分かっているのか! 改心して今すぐ王都へ戻り、以前の倍の書類を処理しろ! さすれば、前回の無礼を赦してやらんでもない!」
「倍の書類……ですか?」
クラリス様が私の背後から静かに一歩前へ出た。
その瞳には、かつてのような恐怖や遠慮の色は微塵もなかった。
「ええ、そうですわ殿下。私が王宮を離れたことで、公務が滞っているのは当然の帰結です。何しろ、殿下ご自身は一切の書類精査を行えず、ミリア様も何一つ実務をおできにならないのですから」
「なっ……何だと!?」
「ですが、私はすでに貴方との婚約を解消された身。そしてこの国の公務員としての職も退職いたしました。現在の私は、ルーク殿の薬局で雇われている一人の事務員に過ぎません。貴方の命令を聞く理由はどこにもございませんわ」
凛とした声が街道に響き渡る。
クラリス様の言葉には、自分の足で立ち、自分の人生を選び取った強さが宿っていた。
アルベルトは顔を真っ赤に怒らせ、見苦しく叫んだ。
「黙れ! 公爵家の令嬢でありながら、こんな平民の男と薄汚い店で暮らすなど正気か! 貴様には王族としての義務があるのだ! 黙って私に従えばいいのだよ!」
「断固、お断りいたします」
クラリス様はきっぱりと言い放ち、胸を張った。
「私は今、生まれて初めて人間らしい生活を送っております。温かいご飯を食べ、夜はぐっすり眠り、自分の仕事が誰かの役に立っていることを実感できる……。ルーク殿が私に教えてくださったこの素晴らしい日々を、貴方のような方に踏みにじらせはいたしません!」
「クラリス様……」
私の胸に、熱いものがこみ上げてきた。
推しが、自分の意思でブラック環境を拒絶し、私と共に歩む道を選んでくれたのだ。
アルベルトは怒りのあまり震え上がり、腰の剣に手をかけた。
「ええい、生意気な! 説得など無用だ! 騎士たちよ、その男を叩きのめし、クラリスを力ずくで連行しろ!」
「はっ!」
武装した騎士たちが一斉に剣を抜き、こちらへとにじり寄ってくる。
(やれやれ……力づくで来るとは、本当に救いようのないブラック上司だな)
私は溜め息を突き、懐から一本の紫色のポーション瓶を取り出した。
「クラリス様、少し耳を塞いでいてくださいね」
「え? ええ、わかりましたわ」
私はポーションの栓を抜き、前方の地面に向かって思い切り叩きつけた。
パリンッ!
ガラスが割れる音と共に、濃密な紫色の煙が爆発的に広がり、瞬く間に騎士たちを包み込んだ。
「ぐわっ!? なんだこの煙は……ゴホッ、ゴホッ!?」
「か、体が……力が抜ける……!?」
『特製・筋筋膜弛緩ポーション・強力拡散型』。
前世の知識で調合した、吸い込むだけで全身の筋肉がフニャフニャになり、脱力感に襲われる超強力な催眠殺虫剤……ならぬ催眠ポーションだ。
わずか数秒で、襲いかかろうとしていた十数人の騎士たちが、糸の切れた人形のように地面へへなへなと崩れ落ちていった。
「な、なんだこれは!? 貴様、何をした!?」
馬の上で一人残されたアルベルトが、恐怖に顔を引きつらせる。
「ただの強力な筋トレ後のような脱力感ですよ。命に別状はありませんが、半日は立ち上がれません」
私は眼鏡のツルを押し上げ、アルベルトを見上げた。
「殿下。貴方は相変わらず、現場の人間を力で抑え込めると思っていらっしゃるようだ。ですが、物理的な脅迫で優秀な人材を引き留めることなど不可能です。速やかにお引き取りください。さもなければ、次は『三日間激しい腹痛が収まらないポーション』をお見舞いしますよ」
「ひっ……! お、覚えていろ! この不敬者どもめ! タダで済むと思うなよ!」
アルベルトは無様に悲鳴を上げると、倒れた騎士たちを見捨てて、一人だけで馬を返して逃げ去っていった。
静まり返った街道に、遠巻きに見ていた街の住人たちから歓声が上がる。
「ルーク殿……ありがとうございました」
クラリス様が私の隣に並び、ほっと安堵の息を吐いた。
「いいえ、クラリス様ご自身がハッキリとお断りされたのが一番です。本当に強くなれましたね」
「ええ……ルーク殿がそばにいてくださるから、私は強くなれるのですわ」
彼女は恥ずかしそうに頬を染めながら、アイスブルーの瞳でじっと私を見つめてきた。
「ですが……あの様子では、アルベルト殿下がこのまま諦めるとは思えませんわ」
「そうですね。あの手のタイプは、自分の思い通りにならないとさらに愚かな行動に出るのが世の常です」
私は遠ざかる王子の背中を見つめながら、静かに思考を巡らせた。
社畜時代、炎上案件を何度も鎮火させてきた私の勘が告げていた。
バカ王子は間違いなく、近いうちに決定的な失策(致命的なエラー)をやらかす、と。
そしてその予感は、思っていたよりも早く、最悪の形で現実となるのだった。




