ベルガの未来
「……何だ、これは」
低い声が工房の入口から聞こえた。
振り返ると、白髪交じりの男が立っていた。年齢は六十前後だろうか。大柄で、服の上からでも腕の太さが分かる。手には買い物袋を提げていたが、それを置くことすら忘れて、俺が出した魔物の死体を見つめている。
「師匠!」
見習いが立ち上がった。
「お前……これはどうした」
「この人が持ってきたんだ」
男の視線が俺へ向く。
「持ってきた?」
「昨日、俺が殺しました」
「昨日?」
当然の反応だった。男はすぐに死体へ近づくと、しゃがみ込んで傷口を確認した。皮膚に触れ、牙を掴み、今度は腹部を押す。
「古い保存品じゃないな」
「分かるんですか?」
「何年この仕事をしてきたと思ってる」
男はそう答えると、俺を睨むように見た。
「説明してもらおうか」
「全部は無理です」
「なら衛兵を呼ぶ」
「それは困る」
「じゃあ話せ」
面倒な爺さんだ。
俺はティアを見る。ティアは特に気にしていないらしく、工房の隅に置かれた椅子へ勝手に座っていた。
「俺には、殺した魔物をリスポーンさせない方法があります」
見習いがこちらを見る。
師匠の男は表情を変えなかった。
「方法?」
「そこは秘密です。ただ、俺が倒した魔物なら死体を残せる。昨日も三体倒しました」
「三体?」
「あとオークも一体あります」
「四体もあるのか!?」
今度はさすがに声を上げた。
「全部見せる?」
ティアが聞いてくる。
「ここに四体並べたら狭いだろ」
「確かに」
「お前ら……」
師匠は額を押さえた。
それから改めて死体へ視線を落とす。
「本当に、十五年ぶりの新しい素材か……」
その声は、さっきまでよりずっと小さかった。
しばらく死体を調べたあと、男は立ち上がった。
「それで、何が目的だ」
「武器を作ってほしい」
「金は?」
「あります」
「いや、素材を持ち込んでくれるなら、金はいらん」
「いいんですか?」
「むしろこっちが払いたいくらいだ。十五年間、まともに触れてないからな」
話が早い。
「じゃあ――」
「俺にやらせてくれ」
割って入ったのは見習いだった。
「俺が作る」
師匠が見習いを見る。
「駄目だ」
即答だった。
「なんでだよ」
「お前にはまだ早い」
「やり方は全部教わった」
「知っているのと、できるのは違う」
「でも――」
「失敗してからでは遅い。十五年ぶりに手に入った素材だぞ」
見習いは何も言えなくなった。
師匠は死体を指差す。
「お前が今まで触ってきた魔物素材は、昔の残り物の欠片ばかりだ。それも練習と呼べるほどの量じゃない。知識は教えた。鉄を扱う腕もついてきた。だが、魔物素材を扱う経験だけはどうにもならん」
「……分かってるよ」
「なら今回は見ていろ。俺がやる」
見習いは明らかに不満そうだったが、それ以上は言い返さなかった。
「ノアと言ったな」
「はい」
「どんな武器が欲しい?」
「短剣を」
腰に差している短剣を見せる。
「これくらいの大きさで、できるだけ丈夫なものがいい」
「分かった。素材はこちらで選ぶ。明日の夕方には形にしてやる」
「そんなに早く?」
「誰に言ってる」
師匠は少し笑った。
「ここはベルガだぞ」
その言葉には、廃れた街の鍛冶師とは思えない自信があった。
俺は魔物の死体をそのまま預けることにした。
工房を出る直前、振り返る。
見習いは師匠の隣に立っていた。
だが、その顔は少ししょんぼりしている。
さっきまであれだけ嬉しそうに魔物を触っていたのに、今は師匠が素材を確認する姿を黙って眺めているだけだった。
「……ティア」
「何?」
「明日、ちょっと早起きするぞ」
「嫌」
「即答するなよ」
「何するの?」
「魔物を狩る」
ティアが俺を見る。
「また?」
「あいつ、経験が足りないんだってさ」
それなら話は簡単だ。
「経験できるくらい持ってくればいい」
「いっぱい?」
「いっぱい」
「収納できる?」
「できる」
「じゃあいいよ」
「早起きは?」
「嫌」
「そこは変わらないんだな」
翌朝、結局ティアを起こすのにかなり時間がかかった。
ベルガの周辺には魔物が多い。そもそもこの街が鍛冶で栄えた理由の一つが、周囲で様々な魔物素材が手に入ったことだった。
今では魔物を狩っても素材は手に入らない。
俺以外には。
「いた」
ティアが指差す。
林の向こうに、小型の魔物が数体いた。
「五体か」
「全部?」
「全部」
俺は短剣を抜いた。
数時間後。
「……狩りすぎたかな」
収納魔法の中には、朝から狩った魔物が十体以上入っていた。
小型ばかりだが、種類はできるだけバラけるようにした。牙が発達したもの、硬い皮膚を持つもの、角のあるもの。練習なら色々あった方がいいだろう。
「帰るか」
「お腹すいた」
「帰ったら食おう」
「今」
「昨日買った干し肉あるだろ」
「もうない」
「嘘だろ?」
三日分くらい買ったはずなんだけど。
ティアの食費については、そろそろ真剣に考えた方がいいかもしれない。
ベルガへ戻り、昨日の工房へ向かう。
扉を開けた瞬間、熱気が押し寄せてきた。
「こんにちは」
「来たか」
奥から師匠の声がした。
見習いもいる。
そして、作業台の上に一本の短剣が置かれていた。
「できたぞ」
「もう?」
「昨日言っただろ」
手渡された短剣を受け取る。
見た目は思っていたより普通だった。
刃は黒みがかった金属で、その中心に薄く白い筋が走っている。
「魔物の牙を砕いて、金属に混ぜてある。全部を魔物素材にするより、お前にはこっちの方が使いやすい」
握ってみる。軽い。
だが、今まで使っていた短剣より明らかに硬いのが分かる。
「すごいな」
「当たり前だ」
師匠は満足そうに笑った。
その隣で、見習いが短剣を見ている。
やっぱり少し悔しそうだ。
「ちょうどよかった」
「何がだ?」
俺は工房の中央へ進んだ。
「少し場所空けてもらえます?」
「なぜだ」
「お土産があります」
「土産?」
収納魔法を使う。
ドサッ。
一体目。
「……おい」
ドサッ。
二体目。
「ちょっと待て」
三体目。
「まだあります」
「待てと言ってるだろ!」
結局、全部は出せなかった。
五体目を出したところで、本気で止められた。
「お前、何をしてきた!?」
「魔物狩り」
「見れば分かる!」
「練習用です」
俺は見習いを見る。
「経験が足りないんだろ?」
「……俺の?」
「ああ」
見習いが目を丸くする。
「これだけあれば失敗しても大丈夫だろ」
「いや……」
「足りなかったらまた狩ってくる」
「そういう問題じゃ――」
「いい」
師匠が言った。
床に並んだ魔物を見ながら、ゆっくり頷く。
「これだけあるなら、いくらでも失敗できる」
「師匠」
「やってみろ」
見習いの顔が一気に明るくなった。
「いいのか!?」
「ただし、最初から武器を作ろうとするな。まず素材ごとの性質を覚えろ」
「ああ!」
昨日とはまるで違う顔だった。
魔物の死体に駆け寄り、どれから触ろうか迷っている。
俺は完成した短剣を腰に差した。
悪くない。
いや、かなりいい。
そしてもう一つ。
ベルガへ来る前から探していたものが、少し見えてきた気がする。
「なあ」
俺が声をかけると、見習いが振り返った。
「何だ?」
「ちょっと話がある」
俺は近くの椅子に座った。
「俺とティアは旅をしてる」
「見れば分かる」
「目的があってな。五年前に連れ去られた俺の村の人たちを探してる。それと、十五年前に消えた魔王を探してる」
見習いの表情が変わる。
「魔王?」
「ああ」
「なんで魔王を?」
「俺の師匠との約束だ」
俺は腰の短剣に触れた。
「まだ何も分かってない。どこにいるのかも、生きてるのかも。ただ、見つけるつもりだ」
「見つけてどうする?」
「それは見つけてから決める」
「……ずいぶん曖昧だな」
「俺もそう思う」
ティアが隣で頷いた。
「ノア何も分かってない」
「お前はもう少し俺の味方してくれない?」
「仲間だから?」
「そうだよ」
見習いが俺たちを見ている。
「それで?」
「仲間を探してる」
「一緒に来ないか?」
工房が静かになった。
見習いが俺を見る。
「……俺が?」
「ああ」
「なんで?」
「鍛冶ができる」
「まだ見習いだぞ」
「だから?」
「だからって……」
俺は床に転がる魔物を見る。
「経験が足りないなら、これから積めばいい。素材なら俺が持ってくる」
見習いは何も言わない。
「それに、お前はこの街を昔みたいにしたいんだろ?」
「……できるわけない」
「今はな」
俺は続ける。
「ベルガから鍛冶師が消えたのは、魔物素材がなくなったからだ。だったら、また魔物素材が手に入るようになればいい」
「そんなの、お前にしか――」
「だから魔王を探すんだよ」
見習いが黙った。
「十五年前、魔王が世界を変えた。それで魔物と人間がリスポーンするようになった。だったら魔王を見つければ、元に戻す方法が分かるかもしれない」
もちろん保証なんてない。
魔王を見つけたところで、世界を元に戻せるのかも分からない。
「でも、可能性はある」
俺は工房を見る。
火の入った炉。
壁に残された古い設計図。
そして、床に並ぶ魔物たち。
「もし世界を元に戻せたら、また魔物の素材が手に入る。そうなればベルガで鍛冶師が必要になる」
見習いがゆっくりと周囲を見渡した。
「この街を、もう一度鍛冶の街にできるかもしれない」
俺は立ち上がった。
「俺は魔王を探す。お前は鍛冶師になる。それで、いつかベルガを昔みたいな街にする」
「……簡単に言うなよ」
「魔王だぞ?」
「知ってる」
「十五年間、誰も見つけられてない」
「じゃあ俺たちが見つける」
「お前な……」
見習いは呆れたように俺を見る。
それから、床の魔物へ視線を落とした。
しばらく黙ったあと、小さく笑う。
「本当に変な奴だな」
「よく言われる」
「私は言われない」
「ティア黙れ」
見習いはもう一度、魔物の牙に触れた。
昨日まで、この街には存在しなかったもの。
十五年間、触れることすらできなかったもの。
それが今、目の前にいくつも転がっている。
「師匠とも話し合っといてくれ」
俺は返事を急かさなかった。
旅に出るかどうかなんて、その場で簡単に決められることじゃない。
ただ一つだけ確かなのは、昨日まで止まっていたこいつの時間が、少しだけ動き始めたということだった。




