錆びた鍛治の町
翌朝、俺たちはベルガへ向けて町を出た。
「遠い?」
「歩いて三日くらい」
「馬は?」
「高い」
「馬車は?」
「高い」
「ノア、お金あるって言ってた」
「あるのと無駄遣いしていいのは別なんだよ」
ティアは不満そうに俺を見る。昨日買ったばかりの靴で三日歩かせるのは少し気になったが、疲れたら休めばいい。
「まあ、疲れたら言えよ」
「疲れた」
「まだ町の門見えてるぞ」
「言えって言った」
「言ったけど、せめて見えなくなってからにしない?」
そんな調子で何度も休憩を挟みながら歩き続け、三日目の昼過ぎ。緩やかな丘を越えたところで、ようやく目的地が見えてきた。
「あれがベルガだ」
「大きい」
遠目に見えるベルガは、俺たちが出発した町よりずっと大きかった。高い石壁に囲まれ、その向こうには大小様々な煙突が並んでいる。さらに奥には山々が連なっていた。
「昔は鍛冶の街としてかなり栄えてたらしい。師匠も来たことがあるって言ってた」
「どんな街だった?」
「朝から夜まで鉄を叩く音がして、うるさくて眠れなかったって」
街へ近づくにつれて、師匠が見たベルガとは随分違っていることが分かってきた。
まず、人が少ない。
何台もの馬車が並んで通れそうなほど広い街道なのに、すれ違う商人はまばらだった。巨大な門にも人の列はなく、俺たちは簡単な確認だけで街へ入ることができた。
「……思ってたよりひどいな」
建物は多い。道も広い。かつて大勢の人間が暮らしていたことは一目で分かる。それなのに、閉まっている店がやけに多かった。
特に目立つのが工房だ。炉は冷え、看板は外され、扉に板が打ちつけられている場所もある。
「鍛冶の街じゃないの?」
「だった街、だな」
それでも、武器を作る仕事そのものが消えたわけではなかった。
少し歩くと、大きな建物から大量の剣を積んだ荷車が出てきた。開いた扉の向こうでは、巨大な機械が規則正しく金属を叩いている。
同じ形の剣が次々と出来上がっていた。
「鍛冶屋、あるじゃん」
「あれは工場だな」
「違うの?」
「機械で生産してるんだろ」
十五年前までのベルガでは、魔物の素材を使った武器が作られていた。
牙、角、骨、甲殻。それぞれ硬さも性質も違う素材を見極め、削り、時には金属と組み合わせて一本の武器にする。それには長い修業と経験が必要だった。
だが、世界が変わった。
魔物は殺しても魔窟からリスポーンするようになり、死体も切り取った部位も消えてしまう。新しい魔物素材が手に入らなくなり、昔から残っていた素材も十五年の間にほとんど使われた。
一方、金属だけで作る武器なら機械で十分だった。同じ形のものを、安く、早く、大量に作れる。わざわざ何年も修業した職人が一本ずつ作る必要はない。
魔物素材を扱うという鍛冶師にしかできなかった仕事が消えたことで、ベルガの鍛冶師も次々と姿を消していったらしい。
「師匠が見た頃は、あっちでもこっちでも人が鉄を叩いてたらしいけどな」
「今は機械が叩いてる」
「十五年で変わるもんだな」
俺たちは大通りを歩き続けた。
目的は鍛冶師だ。
とはいえ、残っている工房を一軒ずつ訪ねるのも面倒だなと思い始めたときだった。
カン、と音がした。
少し間が空いて、またカン、と鳴る。
一定の速さで響き続ける機械とは違う。
「ノア」
「ああ」
音を辿って細い路地へ入ると、古びた小さな工房があった。
周囲の工房と同じように年季が入っているが、煙突からは細い煙が上がっている。
中を覗く。
一人の青年が槌を振るっていた。
年齢は二十歳を少し過ぎたくらいだろう。煤で汚れた服を着て、真っ赤に熱した鉄を何度も叩いている。工房の隅には包丁や農具が置かれていて、武器らしいものはほとんど見当たらない。
「いた」
ティアが言った。
「何が?」
「鍛冶屋」
「見習いっぽいけどな」
通りで見た工場なら、同じ作業を機械が勝手にやっている。それなのに青年は汗だくになって、自分の腕で槌を振るっていた。
しばらく眺めていると、ようやく俺たちに気づいた。
「……客?」
「見てただけ」
「そうか」
青年はそれだけ言って、また鉄へ向き直ろうとした。
「ちょっと聞いていい?」
「何だ?」
「なんで手で作ってる?」
青年が振り返る。
「なんでって?」
「金属だけなら機械の方が早いだろ」
「ああ」
青年は手にした槌を見て、少しだけ苦笑した。
「俺が五歳くらいの頃は、こんな街じゃなかったんだよ。どこの工房にも火が入ってて、そこら中から槌の音がしてた。魔物の牙や骨を削ったり、甲殻と鉄を組み合わせたりして、いろんな武器を作ってた」
「覚えてるんだ」
「毎日のように工房を覗いてたからな。俺も鍛冶師になるって決めてた」
だが、そのすぐあとに世界が変わった。
「魔物素材が手に入らなくなって、鍛冶師はどんどんいなくなった。金属だけなら機械で十分だ。安いし早いし、昔みたいな技術もいらない」
「それでも続けてる?」
「他にやりたいこともないからな。それに――」
青年は工房を見回した。
「まだ、諦めたくない」
その言葉だけは、少し力がこもっていた。
「まあ、俺はまだ見習いだけどな」
俺も工房の中を見る。
古い炉に、使い込まれた道具。壁には何枚もの古い設計図が貼られていた。その中には、魔物の牙や骨らしきものを組み込んだ武器も描かれている。
「魔物素材、加工できる?」
「は?」
「もしあったら」
「昔の素材でも持ってるのか?」
「いや。新しいやつ」
青年が眉をひそめた。
「あるわけないだろ」
「あったら?」
「……俺はほとんど経験ない。世界が変わったとき五歳だったんだぞ。でも、師匠からやり方は教わってる」
「師匠いるんだ」
「ああ。今日は出てるけどな」
「そっか」
俺はもう一度、青年を見る。
さっきまでの話が嘘には見えなかった。
五歳の頃に憧れたものを、十五年経った今でも一人で追いかけている。
それだけ分かれば、今は十分だった。
「ティア、扉閉めて」
「うん」
「え?」
青年が困惑している間に、ティアが工房の扉を閉めた。
「ちょっと待て。何する気だ?」
「見せた方が早いから」
俺は収納魔法を使った。
ドサッ、と重い音が工房に響く。
昨日殺した魔物の死体が、青年の目の前に転がった。
「…………は?」
青年が固まる。
俺は床に転がった魔物を指差した。
「これなら?」
「……何だ、これ」
「魔物」
「見れば分かる!」
青年は槌を放り出すと、魔物のそばにしゃがみ込んだ。恐る恐る皮膚に触れ、牙を確かめ、首に残った傷口を見る。
「本物……?」
「昨日殺した」
「昨日?」
「ああ」
青年が勢いよく俺を見る。
「なんで死体が残ってる?」
「それは秘密」
「いや、魔物は死んだら消えるだろ」
「普通はな」
「じゃあ、これは何なんだよ」
「だから魔物だって」
「そういう意味じゃない!」
青年は混乱していたが、すぐに視線が死体へ戻った。
牙を触り、爪を見る。今度は皮膚を指で押し、何かを確かめるように何度も角度を変えて眺め始めた。
さっきまでとは目が違う。
「……すげえ」
小さく声が漏れた。
「こんな状態の素材……初めて見た」
俺は少し笑った。
「加工できそう?」
「やらせてくれ!」
青年は魔物から目を離さないまま答えた。




