刻印
十五年前より前のセイルについては、結局何も分からなかった。何人に聞いても同じで、世界が変わった頃に突然グレイザへ現れ、それ以前にどこで何をしていたのか、家族がいるのかさえ知っている者はいない。
宿に戻った俺はベッドに腰掛け、昨日から集めた情報を頭の中で整理していた。向かいではガルドが椅子に座り、ティアは買ってやった干し肉を食べている。
「セイル本人を調べるのは、もう無理そうだね」
「十五年前より前を知ってる奴がいねえんだから仕方ねえだろ。本人に聞くか?」
「どこから来たんですか、家族はいるんですか、地下に魔物飼ってますよねって?」
「最後ので捕まるな」
それに本人へ聞いて素直に答えるとも思えない。セイルについて調べていることを知られれば、今まで以上に警戒される可能性もある。
「じゃあ、周りを調べようか」
「周り?」
「セイルと一緒にいる人たち。ティアが最初に潜ったとき、セイルと話してた人いたんでしょ?」
「いた」
「その人、一日見張ってみてよ」
ティアが干し肉を食べる手を止めた。
「一日?」
「うん」
「長い」
「干し肉」
「もうある」
「じゃあ夕飯も好きなの頼んでいいよ」
「やる」
「お前、こいつの扱い分かってきたな」
ガルドに言われながら、俺はふと気になった。
「そういえばさ、ティア」
「なに?」
「一人ならかなり長く透明になれるんだよね?」
「うん」
「前からちょっと気になってたんだけど、それならなんであのオークに捕まってたの?」
最初にティアと出会ったときのことだ。あのオークはティアを逃がさず、自分を透明にさせるために連れ回していた。姿を消したまま長時間逃げられるなら、どこかで逃げ出せてもよかったはずだ。
「匂い」
「匂い?」
「透明になっても匂いは消えないから。あいつ、鼻がよかった」
「ああ……」
言われてみれば単純だった。
「何回か逃げたんだよね?」
「逃げた。でも見つかった。隠れてても近くまで来ると分かるみたいだった」
ガルドがティアを見る。
「じゃあ足音も消えねえのか?」
「消えない」
「触ったら?」
「普通にいるって分かる」
「姿だけか」
「うん」
透明になると言っても、本当に存在そのものが消えているわけではないらしい。姿が見えなくなるだけで、匂いも音も残る。
「じゃあ今回は大丈夫そうだね。相手は人間だし」
「犬連れてたら?」
「逃げて」
「分かった」
「あと無理はしないでね。何もなかったら何もなかったでいいから」
ティアは残っていた干し肉を口に入れると、ベッドから降りた。
「じゃあ行ってくる」
「今から?」
「一日見るんでしょ?」
まだ朝だ。確かに始めるなら早い方がいい。
「夕飯までには帰ってきてね」
「好きなの頼んでいい?」
「約束したからね」
それだけ確認すると、ティアは部屋を出ていった。
それから俺とガルドは街を回りながら仕事を探すことにした。ティア一人に働かせて宿で待っているのも悪いし、グレイザに来てからほとんど金を稼いでいない。とはいえ、何かを始めてもセイルのことが気になり、結局まともな仕事は見つからなかった。
夕方になって宿へ戻っても、ティアはいなかった。
「遅えな」
「一日って言ったからね」
「まさか本当に一日中張り付いてんのか?」
「真面目でしょ」
「食い物が懸かるとすげえな」
外が暗くなり始めた頃、ようやく扉が開いた。
「ただいま」
「おかえり。大丈夫だった?」
「疲れた」
ティアはそのままベッドに倒れ込んだ。
「透明になるのってやっぱり疲れる?」
「違う」
「じゃあ何?」
「ずっとおじさん見てるのが疲れた」
「そっちか」
ガルドが笑う。
「何してた?」
「仕事」
「それだけ?」
「ずっと仕事してた。書類持っていったり、人と話したり、ご飯食べたり」
「本当に一日見てたんだ」
「見てた」
ティアが身体を起こす。
「でも最後に変なの聞いた」
俺とガルドが同時にティアを見る。
「どんな?」
「あの人が、別の人と話してた」
ティアの話では、夕方になって例の側近が役所の一室へ入ったらしい。そこにはもう一人、若い男がいた。ティアが聞いた限りでは、最近セイルの近くで働き始めたばかりらしく、分からないことを何度も尋ねていたという。
そして仕事の話が一段落したところで、その男が聞いた。
――そういえば、あの儀式って何の意味があるんですか?
昨日、広場で行われたもの。
新しく連れてこられた奴隷たちに、セイルが一人ずつ刻んでいた印のことだった。
「それで?」
俺が聞くと、ティアが続ける。
「最初は管理のためって言ってた」
「セイルが俺たちに言ったのと同じか」
「うん。でも新人の人が、なんでセイルにしかできないのか聞いた」
そこから話が変わったらしい。
刻印はただ奴隷を管理するためだけのものではない。
セイル自身の能力によって作られたもの。
そして、その印が刻まれた人間が感じた苦痛を、力として集めることができる。
「……苦痛?」
ガルドが聞き返した。
「そう言ってた」
「苦痛を集めるって、どういう意味?」
「怪我したり、疲れたりして苦しいと、それが力になるって」
「本人は?」
「痛いまま」
苦痛そのものを取り除くわけではない。
奴隷が痛みを感じる。疲れる。怪我をする。その苦痛が消えることはなく、同時に何か別の力へ変わり、セイルへ蓄えられる。
俺は昨日の広場を思い出した。
十人ほどの奴隷。
一人ずつ背中へ手をかざし、刻印を付けていたセイル。
痛みはないと言っていた。
それ自体は嘘ではなかった。
「集めてどうするの?」
「新人の人も聞いてた」
「なんて?」
「別のやつに与えられるって」
俺は黙った。
ガルドも何も言わない。
ティアだけが話を続ける。
「でも、詳しくは教えてなかった。自分も全部は知らないって。セイルの能力だから、余計なことは知らなくていいって言ってた」
「他には?」
「刻印された奴隷を勝手に街の外に出すなって。死んで印が消えたら、聖堂から戻ったあとにまたセイルのところに連れていけって」
そこで会話は終わったらしい。
ティアはそのあともしばらく側近を追ったが、もう重要そうな話は聞けず、そのまま宿へ戻ってきたという。
「……繋がったな」
ガルドが呟いた。
俺も同じことを考えていた。
セイルは奴隷に、自分にしか付けられない刻印を施している。
その刻印は、奴隷が感じた苦痛を力へ変えて集める。
そして集めた力は、別の誰かに与えることができる。
「ティア」
「なに?」
「地下でセイルが魔物にやってたの、もう一回教えて」
「手を向けてた。そしたら光みたいなのが魔物に入った」
「そのあと魔物は?」
「ちょっと元気になった。起きようとしてた」
「セイルは何て言ってた?」
「まだまだ足りませんねって」
ガルドが深く息を吐いた。
「どう考えてもそれじゃねえか」
「たぶんね」
奴隷から集めた苦痛を、セイルは地下の魔物へ与えている。
まだ実際に見たわけではない。それでも、ここまで揃えば偶然で片付ける方が難しい。
「じゃあ、この街に奴隷が多いのって……」
ガルドがそこまで言って止まった。
俺も同じことを考えた。
セイルは、死ななくなった人間同士が争わないようにするため、グレイザに今の制度を作ったと言っていた。
本当にそれだけなのか。
「少なくとも、奴隷を利用してるのは間違いなさそうだね」
「どうする?」
「まだ分からないことがある」
「何だ?」
俺はティアが見たという地下の魔物を思い浮かべた。
鎖で繋がれ、鉄格子の中に閉じ込められた巨大な魔物。
セイルは十五年前に突然この街へ現れた。
奴隷を集める仕組みを作り、その奴隷たちへ自分の能力で刻印を施している。
そこから苦痛を集め、地下の魔物へ与えている。
でも、一番重要なことが分からない。
「なんで、そんなことしてるんだろうね」
ガルドも答えない。
ティアも首を傾げた。
地下の魔物を育てているとして、その先に何があるのか。
それを知っているのは、おそらくセイルだけだった。




