怪しい
しばらく待っていると、何もないところから小さな足音が近づいてきた。
「戻った」
突然聞こえた声に、ガルドが肩を跳ねさせる。
「びっくりさせんな!」
「おかえり。大丈夫だった?」
「うん」
ティアの姿が現れる。怪我もなさそうなのを確認してから、俺たちは長居せず宿へ戻った。部屋に入って扉を閉めると、ティアは真っ先にベッドへ座る。
「干し肉」
「報告が先」
「約束した」
「分かったから。ちゃんと買うから」
それでようやくティアは話し始めた。セイルが部下らしき男と話していたこと。魔窟が消えた村に三人組の旅人が滞在していたと把握していて、俺たちについてもう少し調べるよう指示していたこと。ただし、何もしないようにも命じていたらしい。
「やっぱり俺たちを疑ってるのか」
ガルドが腕を組む。
「まあ、そっちは予想してたからね。それより地下の話」
ティアは頷いた。
「すごいのがいた」
「すごいの?」
「魔物。大きいやつ」
「どれくらい?」
「この前のより大きい」
魔窟で戦ったボスより大きいとなると、普通の魔物ではない。ただ、ティアによれば地下の魔物は巨大な鉄格子の中に入れられ、身体を何本もの鎖で拘束されていたという。
「じゃあ捕まえてんのか?」
「たぶん」
「セイルは?」
「知ってた。自分で鍵開けて入ってきた」
ティアはそこで、セイルが鉄格子の前に立って魔物へ手をかざしたことを話した。手の周りに現れた光のようなものが魔物へ入り、それまで横になっていた魔物が身体を起こしたらしい。ただ、すぐにまた伏せてしまったという。
「それでセイルが、まだまだ足りませんねって言ってた」
「何が足りねえんだ?」
「知らない」
ガルドが俺を見る。当然、俺にも分からない。
「強くしてるとか?」
「そう見えた」
「でも治療してただけかもしれないよね」
俺が言うと、ガルドが眉を寄せた。
「治療?」
「危険な魔物を捕まえて、何かのために生かしてるだけかもしれない。研究とか」
「街の地下でか?」
「怪しいとは思うよ。でも鎖で繋いで閉じ込めてるんでしょ?」
「うん」
「だったら少なくとも、あの魔物を自由にしてるわけじゃない。セイルが何か悪いことをしてるって決めつけるにはまだ早いかな」
俺たちについて調べているのも同じだ。魔窟が十五年間一度も消えたことがないのなら、その直前まで近くにいた旅人を調べるのは不自然ではない。むしろ街を預かる立場なら当然とも言える。
「結局、怪しいけど何も分からねえってことか」
「そういうこと」
「じゃあ潜入した意味あった?」
「地下にとんでもない魔物がいるって分かった」
「十分でかい情報だな」
「あと干し肉」
「それは情報じゃない」
ティアは満足そうに頷いた。
◇
翌朝、約束通りティアの干し肉を買うために街へ出ると、中央の広場にかなりの人が集まっていた。何かあったのかと思って近づいてみると、広場の端に大きな馬車が何台か止まっている。
「また奴隷か」
ガルドが言った。
馬車から降ろされていたのは十人ほどの男女だった。年齢はばらばらで、全員の手には拘束具がつけられている。昨日まで街で見ていた奴隷とは違い、まだ同じ首輪はつけていないらしい。
「新しく来た奴隷?」
「たぶんな」
周囲の人間は特に驚いていない。それどころか立ち止まって眺めている者も多く、グレイザでは珍しくない光景らしい。
人混みの向こうからセイルが現れた。
昨日と変わらない穏やかな表情で奴隷たちの前まで歩いていく。
「長旅、お疲れさまでした。順番に行いますので、少しだけお待ちください」
奴隷に向ける言葉とは思えないほど丁寧だった。
最初の男が前へ出される。
「背中をこちらへ」
男が言われた通りに背中を向けると、セイルはその後ろに立ち、手をかざした。触れてはいない。
その瞬間、隣にいたティアが俺の服を引っ張った。
「昨日と同じ」
「え?」
「あの手」
俺はセイルを見る。
その手の先で淡い光が現れた。男の服越しに何かが浮かび上がり、やがて光が消える。
「終わりましたよ」
男が戸惑ったように振り返る。
「……もう?」
「ええ。痛みはなかったでしょう?」
「はい」
「それなら結構です」
次の奴隷が前へ出る。
同じだった。
セイルが背中へ手をかざし、光が現れる。それだけで終わる。
「昨日の魔物にも、ああやってたの?」
俺が小声で聞くと、ティアは頷いた。
「でも昨日は魔物に光が入ってた」
「今日は?」
「分かんない」
俺にも分からない。
十人全員が同じ処置を受けた。最後の一人が終わると、セイルは奴隷たちへ向き直った。
「今、皆さんの身体に管理用の印を付けました。痛みを与えるためのものではありませんので安心してください。また、グレイザでは奴隷への不必要な暴力は禁止されています。所有者から度を越した扱いを受けた場合は管理所へ申し出てください」
奴隷たちは困惑したようにセイルを見ている。これから奴隷として扱われる人間に安心しろと言うのも変な話だが、少なくともセイルの態度だけを見れば、昨日聞いた話と変わらない。奴隷制度を必要なものだと考えている一方で、好き勝手に扱っていいとは考えていないように見える。
やがて奴隷たちが連れていかれ、集まっていた人も散り始めた。
「行こうか」
俺が二人に声をかけたときだった。
「ノアさん」
聞き覚えのある声に振り返る。
セイルが立っていた。
「おはようございます。昨日に続いてお会いしましたね」
「……おはようございます」
一瞬だけティアを見る。
昨夜、この男の建物に勝手に入った本人は何食わぬ顔をしていた。
「何か珍しいものでもありましたか?」
「いや、何してるのかなって。あれ、町長が全員にやるんですか?」
「ええ。私にしかできませんので」
「何なんです? あの印」
「奴隷を管理するためのものです。状態を把握するのにも役立ちますし、問題が起きた際にも便利です」
セイルは隠す様子もなく答えた。
「ただ、死亡すると消えてしまいます。聖堂で復活した場合は、職員からこちらへ連絡をもらい、もう一度印を付けなければなりません」
「聖堂の人も協力してるんですね」
「もちろんです。この街で奴隷制度を維持する以上、聖堂との連携は必要ですから」
セイルはそう言ってからティアを見る。
ティアは黙ったままセイルの手を見ていた。
「何か気になりますか?」
「……別に」
「そうですか」
セイルは小さく笑った。
「それでは、グレイザを楽しんでください。昨日も申し上げましたが、自分の目で見ていただくのが一番ですから」
そう言って去っていく。
しばらく三人でその背中を見送った。
「どう思う?」
俺が聞く。
「怪しい」
ティアが即答した。
「昨日からそれしか言ってないじゃん」
「だって怪しい」
「俺も怪しいとは思うけどな」
ガルドもセイルが消えた方を見る。
地下の魔物にしたことと、奴隷にしたこと。動作は似ている。ただ、それだけで何が繋がっているのかは分からない。
「もうちょっとセイル本人を調べてみようか」
「また潜り込むの?」
「今日は普通に聞く」
「最初からそうしろよ」
ガルドに言われた。
◇
それから俺たちは、古くからグレイザに住んでいそうな人間を探した。最初に話を聞いたのは、広場から少し離れたところにある食事処の店主だった。白髪の混じった男で、この街には生まれたときから住んでいるらしい。
食事を注文したついでに、ガルドが何気なく尋ねる。
「この街の町長って、長いのか?」
「セイルさんか? 長いぞ。もう十五年くらいになるんじゃないか」
俺とガルドが同時に店主を見る。
「十五年?」
「ああ。ちょうど世界がおかしくなった頃だな」
聖堂と魔窟が現れ、人間が死ななくなった頃。
「元々この街の人なんですか?」
俺が聞くと、店主は少し考えた。
「いや、違ったはずだ。あの頃に初めて見たからな」
「じゃあ、十五年前にこの街に来た?」
「そうだったと思うぞ。当時は大変だったからな。人が死んでも戻ってくるなんて誰も理解できなかったし、あちこちで揉め事が起きてた。そんな中でセイルさんが色々動いてくれたんだ」
最初から町長だったわけではないらしい。混乱する街で人をまとめ、聖堂の管理者とも話をつけ、少しずつ街の仕組みを整えていった。それで住民から信頼され、やがて街を任されるようになったという。
「今のグレイザがあるのは、あの人のおかげって言う奴も多いよ」
「どこから来た人なんです?」
「さあ、そこまでは知らんな」
「家族とかは?」
「見たことないな。結婚もしてないはずだ」
話を聞き終え、今度は別の店へ向かった。
結果は同じだった。
十五年前に現れた。
それ以前は知らない。
家族も知らない。
さらに何人かに聞いたが、セイルがグレイザへ来る以前のことを知っている人間は一人も見つからなかった。
「これ以上は聞いても同じじゃねえか?」
店を出たところでガルドが言った。
「たぶんね」
「十五年前なんて世界中が混乱してたんだ。故郷がなくなった奴もいるだろうし、家族がいねえ奴だって珍しくない。過去を話してないだけかもしれねえぞ」
「分かってる」
俺も、それだけなら気にしなかったと思う。
十五年前に知らない街へやって来た人間なんて、いくらでもいるだろう。
でもセイルは違う。
十五年前にグレイザへ現れた。
それ以前の経歴を知る者はいない。
そして今は、この街の町長をしている。
地下には巨大な魔物を隠している。
その魔物に手をかざして何かをしていた。
さらに奴隷たちにも、自分にしか付けられないという印を刻んでいる。
もっと調べる必要がありそうだ。




