潜入
セイルと別れたあとも、あの会話が頭に残っていた。近くの魔窟が消えたことを知っていた。それだけなら噂が広まっただけで説明はつくし、俺たちがベルガ方面から来たことも、門を通った以上調べようと思えば分かる。ただ、俺の防具まで気にしていた。魔窟で倒した巨大な魔物の甲殻からガルドが作ったものだ。セイルがどこまで知っているのかは分からないが、少なくとも俺たちに興味を持っているようには感じた。
その日の夜、宿の部屋で俺は二人に話した。
「セイル、怪しくない?」
「いきなりだな」
ガルドは椅子に座ったままこちらを見る。ティアはベッドの上で、村でもらった干し肉を食べていた。
「近くの魔窟が消えたって話、もう知ってた」
「町長なんだから情報くらい入ってくるだろ」
「それはそうなんだけどさ」
「じゃあ何が怪しいんだよ」
「分かんない」
「お前な」
ガルドが呆れた顔をする。証拠なんてない。話している間のセイルも普通だったし、俺たちを問い詰めることもなかった。奴隷についても自分から説明していた。それでも、俺たちが街へ来た翌朝に呼ばれ、ちょうど魔窟の話をされ、そのうえ防具まで見られたのが引っかかっている。
「俺たちが魔窟の近くにいたって知ってるのかな」
「だったら直接聞いてくるんじゃねえか?」
「それをしなかったのも気になる」
「何しても怪しむじゃねえか」
「そう言われるとそうだね」
「じゃあどうすんだよ」
俺は干し肉を食べているティアを見た。ティアの口が止まる。
「やだ」
「まだ何も言ってないけど」
「今ので分かった」
「さすが」
「褒めてもやだ」
「干し肉買ってあげる」
「行く」
「早えな」
ガルドが呆れている。
「町長のところに入って、何か変なものがないか見てきてほしい」
「変なものって?」
「俺たちのことを調べてる証拠とか、隠してるものとか。何もなかったらそれでいい」
「それ探すの?」
「うん。俺も行く」
ティアが首を横に振った。
「無理」
「なんで?」
「二人だと長く消せない」
魔窟でボスと戦ったときも、ティアは俺まで透明にしてくれた。ただ、自分以外まで透明にすると魔力の消耗が大きく、長時間は維持できない。今回はどれだけ時間がかかるか分からないし、町長の建物の中で途中から俺だけ姿が現れたら、さすがに誤魔化せない。
「途中まで一緒に行って、危なくなったら俺だけ先に――」
「それ意味あるか?」
ガルドに止められた。
「ティア一人の方が入りやすいだろ。お前まで透明にするなら、ずっとティアに触ってなきゃならねえんだぞ」
「抱えていけば?」
「嫌」
ティアに即答された。
「魔窟ではやったじゃん」
「あれは仕方なかった」
「今回も仕方ないってことに」
「しない」
正論だった。十一歳のティアを一人で送り込むのは不安だが、潜入だけなら俺より向いている。むしろ俺がついていく方が邪魔になる可能性が高い。
「危なくなったらすぐ逃げて。見つかっても戦わなくていいから」
「分かった」
「あと食べ物があっても触らないでね」
ティアが黙った。
「ティア?」
「食べない」
「今の間は何?」
「何でもない」
ガルドがため息をついた。
「建物の近くまでは三人で行くぞ。俺たちは外で待ってりゃいい。何かあったらすぐ動けるしな」
「そうしよう」
ティアが残っていた干し肉を口に放り込み、立ち上がった。
夜のグレイザは昼間より静かだった。それでも大通りにはまだ人がいて、酒場からは笑い声が聞こえてくる。俺たちは昼間セイルと会った建物から少し離れた路地まで来ると、周囲に人がいないことを確認して立ち止まった。
「本当にここに入るの?」
ティアが建物を見る。
「嫌ならやめてもいいよ」
「干し肉」
「成功したらね」
「行ってくる」
「お前らの信頼関係どうなってんだ」
ガルドが小声で呟く。
建物の正面には昼間と同じように見張りが立っている。夜だから人数は少ないが、堂々と入れる状態ではない。
「裏から入った方がいいかな」
「正面から行く」
「大丈夫?」
「誰かが開けたときに入る」
そう言うと、ティアの姿が消えた。服も靴もまとめて見えなくなり、何もない場所から声だけが聞こえる。
「行ってくる」
「気をつけてね」
「うん」
足音が遠ざかっていく。俺とガルドは路地から入口を見ていたが、しばらくすると一人の男が建物から出てきて、扉が開いてすぐに閉まった。ティアが入ったのかどうかすら俺たちには分からない。
「便利すぎるだろ、あいつ」
「でしょ」
「なんでお前が自慢げなんだよ」
「仲間だから」
「そういうところだけ素直だな」
あとは待つしかない。俺たちまで建物の周りをうろついて怪しまれても困るので、少し離れた場所へ移動した。
建物の中へ入ったティアは、昼間歩いた廊下を進んでいた。夜でも何人かが残っているらしく、ときどき人が通る。そのたびに壁際へ寄ってやり過ごしながら、昼間案内されたセイルの部屋へ向かう。
扉の前まで来たところで、中から声が聞こえた。
「――例の件は?」
セイルの声だった。もう一人いるらしい。
「まだ確認できていません。ただ、魔窟が消えたのは間違いないかと」
「原因は?」
「不明です」
ティアは扉の近くで動かず、そのまま話を聞いた。
「村の者は?」
「詳しいことは何も。ただ、魔窟が消える前から三人組の旅人が滞在していたそうです」
少しの沈黙があった。
「今日の三人ですね」
「おそらく」
「そうですか。もう少し調べてください。ただし、彼らには何もしないように」
「よろしいのですか?」
「まだ何者か分かりませんからね。偶然立ち寄っていただけかもしれません」
そこで話が途切れ、部屋の中から足音が近づいてきた。ティアはすぐに扉から離れて廊下の端へ移動する。扉が開き、一人の男が出てくると、そのまま廊下の向こうへ歩いていった。
セイルが自分たちを調べている。それだけでも来た意味はあったが、ティアは戻らなかった。ノアに頼まれたのは、それ以外にも何か変なものがないか探すことだった。
建物の奥へ進む。いくつかの部屋を覗いてみたものの、書類が並んだ部屋や使われていない会議室、物置くらいしかない。机の上に置かれた紙も見てみたが、何が重要なのかティアには分からなかった。
そのまま廊下の突き当たりまで進んだところで、階段を見つけた。上にも続いているが、下にも続いている。
ティアは地下へ続く階段を覗いた。
暗い。
少し迷ったあと、そのまま下へ降りる。
地下には明かりがほとんどなく、壁沿いに小さな灯りが置かれているだけだった。上の階と違って人の気配もなく、階段を降り切った正面には大きな扉がある。近づいてみたが鍵がかかっている。
ティアはその前を通り過ぎ、さらに奥へ進んだ。
そこで足を止める。
低い音が聞こえた。
最初は何の音なのか分からなかった。もう一度聞こえたところで、ティアの表情が変わる。
唸り声。
人間じゃない。
魔物だ。
ティアは声が聞こえた方へゆっくり進んだ。廊下の奥にもう一つ扉がある。さっきの声は間違いなく、その向こうから聞こえていた。
街の中央にある町長の建物。その地下に魔物がいる。
ティアが扉へ近づこうとしたとき、後ろから足音が聞こえた。
誰かが階段を降りてくる。
ティアはすぐに壁際へ寄った。透明になっているとはいえ、ぶつかれば気づかれる。足音はゆっくり近づき、やがて一人の男が姿を現した。
セイルだった。
ティアは息を殺して動かない。セイルはそのまま目の前を通り過ぎ、魔物の声が聞こえた扉の前で立ち止まった。懐から鍵を取り出し、扉を開ける。
セイルが中へ入る。
扉が閉まる直前、ティアも隙間から中へ滑り込んだ。
部屋は広かった。壁際にいくつもの灯りが並び、その中央には巨大な鉄格子がある。さらに鉄格子の向こうから何本もの太い鎖が伸びていた。
ティアは中を見て、動きを止めた。
大きい。
暗くて全身までは見えない。それでも、太い四肢と大きな爪、地面に横たわっているだけで人間の何倍もある身体が見える。魔窟で戦った黒い甲殻の魔物と比べても大きかった。
ただ、大きさの割には動かない。
身体には何本もの鎖が巻かれ、首にも太い枷がつけられている。魔物はティアたちに気づく様子もなく、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。
セイルは鉄格子の前まで歩いていくと魔物が目を開ける。
低い唸り声が地下に響いた。
それでもセイルは逃げなかった。
ティアは壁際からその様子を見ていた。捕まえているだけなのか、それとも別の理由があるのかは分からない。ただ、セイルがこの魔物の存在を知らなかったということだけはあり得ない。
セイルは、片手を上げて鉄格子の向こうにいる魔物へ手のひらを向ける。
ティアには何をしているのか分からなかった。
しばらくすると、セイルの手の周りに薄い光が現れた。その光は少しずつ集まり、細い筋となって鉄格子の隙間を抜けていく。
魔物の身体へ吸い込まれた。
次の瞬間、魔物が身体を動かした。
鎖が引っ張られ、重い金属音が部屋に響く。
ティアは思わず後ろへ下がった。
魔物がゆっくりと身体を起こす。
横になっていたときより、さらに大きく見えた。
ただ、暴れ出すことはなかった。立ち上がろうとして少し身体を持ち上げたものの、すぐに力が抜けたように再び地面へ伏せる。
セイルはしばらく手を向け続けたあと、ゆっくり下ろした。
「……まだまだ足りませんね」
魔物が低く唸る。
セイルは鉄格子の向こうを見たまま、静かに続けた。
「先は長そうです」
それだけだった。
何が足りないのか。
何をしようとしているのか。
ティアには分からない。
さっきの光が魔物を強くしたのか、それとも怪我や弱った身体を治しただけなのかも分からなかった。
ただ、ここに魔物がいることをセイルは知っている。
そして、何かをしている。
ティアはそれ以上近づかなかった。
ノアに言われたことを思い出す。
危なくなったら逃げる。
少なくとも、目の前の魔物が普通ではないことは分かった。何のためにここにいるのかまでは分からなくても、ノアに伝えるには十分だった。
セイルが鉄格子を見ている間に、ティアは静かに扉の近くまで移動した。




