グレイザの長
グレイザの門をくぐって最初に感じたのは、外から見た以上に人が多いということだった。
大通りには店が隙間なく並び、商人や旅人、荷物を積んだ馬車が行き交っている。ベルガでは閉まっている店も多かったが、ここでは逆に空いている建物を探す方が難しそうだった。食べ物の匂いもあちこちから漂ってきて、隣を歩いていたティアはさっきから右を見たり左を見たり忙しい。
「ノア」
「駄目」
「まだ何も言ってない」
「何か食べたいんでしょ」
「うん」
「さっきもらったパン食べてたじゃん」
「あれは街に着く前」
「一時間も経ってねえよ」
ガルドに言われてもティアは気にせず、肉を焼いている屋台を目で追っている。
「先に宿探そう。荷物置いてから」
「じゃあ早く」
「なんで俺が急かされてんの?」
大通りを歩きながら宿を探す。その途中でも、門の外で見たのと同じ首輪をつけた人間を何度も見かけた。店から荷物を運び出している男、道の掃除をしている女、建物の修理をしている集団。その全員に同じような首輪があり、近くには必ず監視している人間がいる。
気になるのは俺たちだけらしい。街の人間は奴隷の横を何事もなく通り過ぎ、奴隷の方も黙々と仕事を続けていた。
「本当に多いんだな」
「言っただろ。この街じゃ珍しくないって」
「ベルガにはいなかったじゃん」
「街によって違うんだよ。グレイザは特に多い」
「なんで?」
「俺も詳しくは知らねえ。昔からってわけじゃないらしいけどな」
十五年前に世界が変わったことと関係しているのかもしれない。
そう考えながら歩いていると、前を歩いていたティアが止まった。
「ここ」
見ると、宿ではなく串焼きの屋台だった。
「違う」
「ここがいい」
「宿を探してるんだよ」
「食べながら探せる」
「……一本だけね」
「甘やかすなよ」
結局三人分買った。
串焼きを食べながらしばらく歩き、大通りから一本入ったところで手頃な宿を見つけた。四日分の旅の疲れもあるので今日は休み、仕事や情報集めは明日からにしようと思っていたのだが、部屋を取って一階へ戻ったところで宿の主人に呼び止められた。
「お客さんたち、ベルガの方から来たのか?」
「そうですけど」
「やっぱりか。門番から聞いたんだが、三人組の旅人が来たっていうからな」
「三人組なんて他にもいるでしょ」
「そりゃいるが、子供連れで、その兄ちゃんは見たこともない黒い防具を着てる」
俺は自分の胸を見る。
ガルドが作った防具だ。
「目立つ?」
「少しな」
「だから普通の色にしろって言ったんだよ」
「素材の色なんだから仕方ねえだろ」
ガルドが反論する。
主人は俺たちを見ながら笑っていたが、ふと思い出したように手を叩いた。
「そうだ。お前さんたち、明日の朝って予定あるか?」
「今のところは」
「だったら役所に寄ってくれないか。長が旅人と話したがってるんだ」
「街の長が?」
「ああ。最近、外から来た人間には周辺の様子を聞いてるらしい。街道の魔物とか、他の町の状況とかな。ここは商人が多いから、道が危なくなると困るんだよ」
なるほど。それなら俺たちだけを特別に呼んでいるわけでもないらしい。
「何かもらえます?」
「お前、長相手にもそれ言うなよ」
ガルドが呆れた顔をする。
「話聞いたら金くらい出るんじゃねえか?」
主人が笑いながら言った。
「じゃあ行きます」
「結局金かよ」
翌朝、宿の主人に教えてもらった建物へ向かった。
街の中央近くにある三階建ての大きな建物で、昨日見た奴隷たちが働いている場所とは違い、入口には制服を着た人間が立っていた。事情を話すとすでに連絡が来ていたらしく、そのまま中へ通される。
「本当に三人で行くのか?」
廊下を歩きながらガルドが聞いてくる。
「駄目なの?」
「ティアが必要か?」
「いる」
「なんで?」
「一人だけ宿に置いてったら何するか分からない」
「失礼」
「昨日、勝手に屋台行こうとしてただろ」
「行ってない」
「俺が止めたからな」
そんな話をしているうちに、案内していた男が一つの扉の前で止まった。
「こちらです」
扉が開く。
中は思っていたより普通の部屋だった。大きな机と本棚、来客用らしい椅子が並んでいる。その奥に、一人の男が立っていた。
年齢は四十くらいだろうか。綺麗に整えられた服を着ているが、貴族のような派手さはない。俺たちを見ると椅子から立ち上がり、自分からこちらへ歩いてきた。
「初めまして。グレイザへようこそ」
「どうも」
「私がこの街を預かっている、セイルです」
男は穏やかに笑い、俺たちにも座るよう勧めた。
「急に呼び出して申し訳ありません。この街は外から来る商人や旅人が多いので、時々こうして話を聞かせてもらっているんです」
「街道のことですか?」
「それもあります。魔物の数、近隣の村や街の様子、最近変わったことがなかったか。ここに座っているだけでは分からないことも多いですから」
机には飲み物まで用意されていた。ティアがすぐに手を伸ばし、俺も一口飲む。
「ベルガから来られたとか」
「はい」
「最近のベルガはどうでした?」
「静かでしたよ」
「そうですか。昔はこの辺りでも有数の鍛冶の街だったのですが、今では随分寂しくなったと聞きます」
ガルドが少しだけ反応したが、何も言わなかった。
セイルはベルガまでの街道で見た魔物や、途中で立ち寄った場所について聞いてきた。俺たちも答えられる範囲で答える。魔物と何度か遭遇したことは話した。
話している限りでは、普通の街の長にしか見えなかった。物腰も柔らかく、俺たちの話を途中で遮ることもない。
「ところで」
セイルが飲み物を置いた。
「少し気になる噂を耳にしましてね」
「噂?」
「ええ。ここから数日ほどの場所に、聖堂を中心にできた小さな村があります。ご存じですか?」
一瞬だけ、ガルドを見る。
「さあ」
「ベルガからこちらへ来るなら、街道から少し外れていますからね。知らなくても不思議ではありません」
セイルは変わらず笑っていた。
「その近くにあった魔窟が、消えたらしいのです」
ティアが俺を見る。
俺はティアを見ない。
「魔窟って消えるんですか?」
「私も初めて聞きました」
「じゃあ噂じゃないですか?」
「そうかもしれません。ですが、なかなか興味深い話でしょう?」
「確かに」
俺は飲み物をもう一口飲んだ。
「十五年間存在していた魔窟が突然消えた。近隣の者が確かめたところ、本当に跡形もなかったそうです」
情報が早い。
まだ数日しか経っていない。
「崩れたとか?」
「その可能性もあるでしょう。ただ、魔窟は普通の洞窟とは違います。これまで自然に消滅したという話を私は聞いたことがありません」
「俺たちも魔窟に詳しくないので」
「そうですか」
セイルの視線が一瞬だけ俺の防具へ落ちた。
「珍しい防具ですね」
「これ?」
「ええ。見たことのない素材に見えます」
「ベルガで買いました」
隣でガルドが咳をした。
「ベルガで?」
「はい」
「まだあの街には、これほどの物を作れる職人がいるのですね」
「俺たちも運がよかったです」
「なるほど」
セイルはそれ以上聞かなかった。
ただ、なんとなく嫌な感じがしたから嘘をついた。
質問の仕方が妙に丁寧なのだ。魔窟が消えたことを知っているのに、俺たちがそこを通ったのかとは直接聞かない。
「すみません。せっかく来ていただいたのに、妙な話ばかりしてしまいましたね」
「いえ」
「グレイザにはしばらく?」
「まだ決めてません。仕事があれば」
「仕事なら困らないでしょう。この街には常に人手が必要です」
そこでセイルが少し表情を変えた。
「ただ、昨日街へ入ったのであれば、この街の制度を見て驚かれたかもしれませんね」
「奴隷ですか?」
「ええ」
あっさり認めた。
「十五年前、この世界から死というものがほとんど失われてから、人間は変わりました。殺しても戻ってくる。それが分かってから、他人を傷つけることへの抵抗が薄れてしまった者が増えたのです」
セイルは少しだけ視線を落とす。
「争いは増えました。殺し合いも珍しくなくなり、このままでは外敵ではなく内紛で街が壊れる。そう判断し、身分を分けました」
「だから奴隷に?」
「そう呼ばれていることは否定しません」
セイルは俺を見る。
「決して好ましい制度だとは思っていません。しかし、今の世界で昔とまったく同じやり方を続けることもできない。街を維持するために必要だった。それだけです」
「ふーん」
「納得できませんか?」
「昨日来たばっかりなので、まだ分かりません」
「それでいいと思います」
セイルは笑った。
「自分の目で見てください。グレイザがどんな街なのかを」
その後は簡単な話だけで終わった。
建物を出ると、ティアが大きく息を吐く。
「疲れた」
「お前ほとんど喋ってねえだろ」
「座ってた」
「それで疲れるのかよ」
ガルドが呆れながら歩き出す。
俺は一度だけ、さっきの建物を振り返った。
「どうした?」
「いや」
近くの魔窟が消えたという噂。俺たちがベルガ方面から来たこと。俺の防具。
何か警戒されている気がした。
「腹減った」
ティアが言う。
「朝食べたでしょ」
「話してたら減った」
「じゃあ仕事探すついでに何か食べようか」
「お前も切り替え早えな」
ガルドに言われながら、俺たちは大通りへ向かった。
ただ、セイルの顔だけは頭に残っていた。




