魔窟
老人に魔窟までの道を聞いた俺たちは、その日のうちに村を出た。
「本当に行くのか?」
村の入口まで見送りに来た老人が、心配そうに尋ねる。
「見るだけになるかもしれませんけどね」
「お前、絶対見るだけで帰ってこないだろ」
ガルドが横から口を挟む。
「危なかったら帰るよ」
「その言葉、信用していいんだろうな?」
「もちろん」
「怪しい」
ティアにまで疑われた。
老人から聞いた話では、魔窟へ向かうには一度、元々村があった場所を通る必要があるらしい。今いる村から歩いて一時間ほど。そこからさらに森へ入り、しばらく進んだ場所に魔窟があるという。
村を出てしばらくすると、景色が変わってきた。
さっきまでの石だらけの土地とは違い、辺りには背の高い草が生え、近くには川も流れている。放置されているとはいえ、畑だったらしい土地もいくつも見えた。
「全然違うな」
ガルドが言った。
「あっちで暮らしたいのも分かる」
さらに進むと、崩れた家が見えてきた。一軒ではない。何十軒もの家が並んでいた跡がある。
屋根が落ちた家。壁に大きな穴が開いた家。雑草に覆われた道。その奥には壊れた水車まで見える。
ここが元の村か。
「直せそう」
ティアが言った。
「家はな」
ガルドがしゃがみ、地面を触る。
「畑もまだ使えると思うぞ。何年も放置されてるから大変だろうけど、今の場所よりはずっとマシだ」
「問題は住み始めたら、また魔物が来ることか」
「ああ」
そのとき、崩れた家の向こうで何かが動いた。
三体。
さっき村を襲ったものと同じ、狼に似た魔物だった。こちらに気づいた一体が唸る。
「ちょうどいい」
俺は短剣を抜いた。
「ティア、下がってて」
「うん」
「俺は?」
「ガルドも」
「俺、一応戦えるぞ?」
「知ってる。でも三体ならいい」
「……なら任せる」
最初の一体が飛びかかってくる。
横へ避けながら首筋へ短剣を滑らせた。そのまま着地するより先に二体目が迫る。振り下ろされた爪を短剣で逸らし、懐へ入って腹に刃を突き刺す。
最後の一体が一瞬止まった。
逃げるかと思ったが、地面を蹴る。
「そっち選ぶか」
正面から避け、すれ違いざまに喉を切った。
静かになった。
「相変わらず早いな」
ガルドが近づいてくる。
「師匠に五年もやらされたからね」
短剣についた血を拭っていると、ガルドは俺ではなく死体の前にしゃがんだ。
「……やっぱり残るんだよな」
「そっち?」
「当たり前だろ」
ガルドは魔物の牙を確認し、今度は毛を掻き分け始める。
「毛皮も使える。牙も悪くない。骨も……」
「持ってく?」
「全部」
「即答だな」
「当たり前だろ。捨てるくらいなら全部持ってけ」
三体を収納する。
ベルガで渡した魔物とはまた違う種類だ。ガルドにとっては、それだけで価値があるらしい。
「魔窟って、こういうのがたくさんいるんだよな」
ガルドが呟く。
「老人はそう言ってたね」
「……宝の山じゃねえか」
「危険な場所じゃなかったの?」
「危険な宝の山だ」
「便利な言葉だな」
旧村を抜け、俺たちは森へ入った。
獣道のような細い道を進んでいく。途中で何度か魔物を見かけたが、数は多くなかった。
俺が二体を倒したあと、別の一体が木陰から飛び出してきた。
「今度は俺がやる!」
ガルドが前へ出る。
魔物が飛びかかってきたところへ、横から槌を振り抜いた。鈍い音とともに頭部が大きく弾かれ、魔物が地面へ転がる。
「どうだ」
「普通に戦えるじゃん」
「だから言っただろ!」
やがて魔物の死体が薄くなり始めた。
輪郭が透け、そのまま完全に消える。
「俺が倒すとこうなるんだな」
「普通はそれなんだけどね」
「お前に言われると腹立つな」
魔物が消えた場所を後にして、さらに森の奥へ進んだ。
やがてティアが立ち止まる。
「あれ?」
木々の隙間から黒いものが見えた。
近づくにつれて、それが何なのか分かる。
「……あれが魔窟か」
岩山の一部に、大きな穴が開いていた。
自然にできた洞窟には見えない。入口を囲む岩は妙に滑らかで、黒い石が組み合わさったようになっている。その表面には、聖堂で見たものとは違う奇妙な紋様が刻まれていた。
「聖堂とちょっと似てるな」
「どっちも十五年前に現れたからな」
ガルドが答える。
「片方は人間が生き返る場所。片方は魔物が生き返る場所か」
「魔王が何考えてこんなもん作ったのかは知らねえけどな」
入口の前まで来る。
中から冷たい空気が流れてきた。
「ティア」
「見てくる?」
「頼める?」
「うん」
ティアの姿が消えた。
足音まで消えるわけではないが、小さな体で慎重に進めばほとんど聞こえない。
俺とガルドは入口で待つ。
「便利だな、あいつ」
「でしょ」
「お前、よく最初に会った奴があんな能力持ってたな」
「運がいいんだよ」
「本人の前でも言ってやれ」
「調子に乗るから嫌だ」
少しすると、何もなかった場所からティアが現れた。
「いた」
「何体?」
「見えるところに六。奥にもいる」
「種類は?」
「狼が四。でっかいトカゲみたいなのが二」
「道は?」
「一本道。少し行くと広くなってる」
「分かった」
俺は短剣を抜いた。
「じゃ、行こうか」
「軽いなあ……」
魔窟へ足を踏み入れる。
最初の六体を倒すのに、それほど時間はかからなかった。
狼型の動きはもう見ている。二体を俺が先に仕留め、残りをガルドと分ける。
トカゲ型は皮膚が硬かったが、腹側は柔らかい。
「下だ! 腹を狙え!」
ガルドの声に合わせて潜り込み、刃を突き立てる。
戦いが終わる。
俺が倒した四体は、その場に死体を残していた。
一方、ガルドが仕留めた二体は徐々に輪郭が薄くなり、やがて消えていった。
「俺が倒した奴は、ここで復活するんだよな」
「らしいね」
「どこに出てくるんだ?」
「知らない」
「魔窟については俺も詳しくねえんだよ」
「じゃあ待ってれば分かるんじゃない?」
「復活した奴にわざわざもう一回襲われるために待つのか?」
「嫌なら進もう」
「進む」
俺が倒した四体を収納し、奥へ向かう。
少し進んだところで、低い鳴き声が聞こえた。
「ノア」
「うん」
通路の奥から二体の魔物が姿を現した。
ガルドが目を細める。
「……あいつら」
「知り合い?」
「さっき俺が殺した奴らだよ!」
片方は狼型。もう片方はトカゲ型。
ガルドが槌で潰したはずの頭も、傷一つない状態に戻っている。
「本当に復活した」
「だからするって言ってんだろ!」
二体がこちらへ走ってくる。
「じゃ、今度は俺がやる」
狼型の突進を避け、首へ刃を入れる。続いてトカゲ型の攻撃をかわし、腹側から心臓を狙った。
二体が倒れる。
今度は消えない。
「……同じ奴を二回殺したのに」
ガルドが死体を見下ろす。
「俺が殺したときは戻って、お前が殺したら終わりか」
「そういうこと」
「改めて見ると、とんでもねえな」
二体も収納する。
「それよりガルド」
「なんだ?」
「今ので素材二体分増えたよ」
「……確かに」
「俺が倒した方がお得だね」
「次からとどめは全部お前に任せる」
「切り替え早いな」
「素材が消える方が悪い」
さらに奥へ進む。
ティアが偵察し、俺たちが後に続く。魔物が多ければガルドも戦い、俺がとどめを刺す。
最初は狼。
次はトカゲ。
さらに奥では、人間ほどの大きさがある蜘蛛のような魔物も現れた。
途中で一度、ガルドが勢い余って蜘蛛の頭を槌で潰した。
「あ」
「やったね」
「……まだ死んでないかもしれない」
「頭潰れてるよ」
「ちょっと待て。確認する」
数秒後、蜘蛛の死体が薄くなり始める。
「ガルド」
「言うな」
「素材」
「言うな!」
消えた蜘蛛とは、少し先でもう一度戦うことになった。
今度は俺が仕留めた。
普通なら、倒した魔物はいずれ魔窟へ戻ってくる。長くいればいるほど、倒したはずの魔物と再び戦うことになる。
だが、俺がとどめを刺した奴は戻らない。
進めば進むほど、確実に数が減っていく。
しばらくして、ガルドが後ろを振り返った。
「……静かだな」
「そう?」
「魔窟ってのは、倒しても倒しても魔物が戻ってくる場所なんだぞ。普通なら後ろからも来る」
俺も振り返る。
暗い通路には何もいない。
「でも一体も来ねえ」
「全部殺したからね」
「さらっと言うなよ」
ガルドはしばらく通路を見つめたあと、俺を見る。
「俺たち、本当に魔窟の魔物を減らしてるぞ」
「そのために来たんだけど」
「分かってる。分かってるけど……こんなの、たぶん誰もやったことねえ」
そうかもしれない。
俺たちはさらに進んだ。
どれだけ歩いただろう。
明らかに魔物の数が減ってきた。
「奥、広い」
偵察から戻ってきたティアが言った。
「どのくらい?」
「すごく」
「分かりやすい説明ありがとう」
「あと、一匹いる」
「一匹?」
ここまで数体ずつ固まっていたのに。
ティアが頷く。
「でも、すごく大きい」
ガルドと顔を見合わせる。
「帰る?」
「ここまで来て?」
「一応聞いただけ」
通路の先へ進む。
やがて壁が途切れた。
「……でか」
思わず声が出た。
そこは、今までとは比べものにならないほど広い空間だった。
そして中央に、一体の魔物がいる。
四本の脚。獣のような体。
だが、大きさがおかしい。
立ち上がれば俺の三倍近くはあるだろう。全身が黒い甲殻に覆われている。頭部からは二本の太い角が伸び、前脚には地面を抉れそうな爪が生えていた。
「ティア」
「うん」
「下がってて」
ティアが後ろへ下がる。
ガルドは腰の槌に手をかけた。
「俺は?」
「好きにして」
「扱い違わねえ?」
「戦えるんだろ?」
「言ったけどよ!」
その声に反応したのか、魔物がゆっくりこちらを向いた。
低い唸り声が空間全体に響く。
「来るぞ!」
魔物が地面を蹴った。
「速っ――」
巨体からは想像できない速度だった。
俺とガルドが左右へ飛ぶ。直後、魔物がさっきまで俺たちがいた場所へ突っ込んだ。
地面が揺れる。
「洒落にならねえぞ!」
「当たらなきゃ大丈夫」
「そういう問題か!?」
魔物が俺を追う。
大振りの爪を避ける。一度、二度。三度目を潜り抜けたところで懐へ入った。
「もらった」
首へ短剣を振る。
甲高い音が響いた。
「……硬っ」
刃が弾かれた。
「ノア!」
ガルドの声。
次の瞬間、横から前脚が飛んできた。
避けきれない。
腕で受けた瞬間、体が浮いた。
「ぐっ……!」
地面を何度も転がる。
「ノア!」
「大丈夫!」
すぐに起き上がる。
左腕が痺れている。
折れてはいない。
「正面から斬るな!」
ガルドが叫んだ。
「あの甲殻、普通の刃じゃ通らねえ!」
「早く言ってよ!」
「俺も今見たんだよ!」
魔物が再びこちらを向く。
ガルドが槌を構えた。
「どうする?」
「硬いなら隙間を探す」
「あるのか?」
「なかったら困る」
「作戦雑すぎんだろ!」
魔物が突っ込んでくる。
今度は俺が正面から走った。
「ノア!?」
角が迫る。
直前で横へ跳ぶ。
すれ違いざまに観察する。
首、脇、脚の付け根。
甲殻と甲殻の間に、僅かな隙間がある。
あるにはある。
だが狭い。
短剣を差し込めたとしても、暴れているこいつ相手に深く突き刺すのは難しい。
「弱点はありそう」
「じゃあいけるか?」
「たぶん」
「その『たぶん』やめろ!」
魔物が方向を変える。
俺は短剣を握り直した。
そのとき、魔物が急に進路を変えた。
向かった先にはガルドがいる。
「ガルド!」
「分かってる!」
ガルドが槌を構える。
振り下ろされる爪を避け、横から甲殻を思い切り殴った。
鈍い音が響く。
「硬すぎだろ!」
甲殻には傷一つついていない。
魔物が振り向く。
「まずい!」
だが、間に合わない。
巨大な前脚がガルドへ振り下ろされた。
「ガルド!」
轟音。
土煙が舞った。
俺は短剣を握ったまま、その中へ飛び込んだ。




