表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第五部 解放篇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

78/81

第七十八章 それぞれの明日

 辞令は、突然やってくる。

 蝕域の門が消えてから十日。基地にはようやく日常が戻りつつあった。洗濯物が干され、訓練場に声が響き、食堂からペトラの鼻歌が聞こえる。そんな穏やかな朝に、それは届いた。


 最初に知らせを受けたのは、フィンだった。

 格納庫で機体の点検をしていた。いつもの日課だ。戦いが終わっても、機体を見る習慣は変わらない。

「フィン少尉」

 ロッテの声が格納庫に響いた。青い目はいつも通り冷静だったが、手に持った通達書がわずかに震えている。

「前線司令部より正式通達。フィン少尉に対し、エースパイロットの称号を授与。二つ名は——『調和の翼』」

 フィンの手が止まった。

 持っていた整備用の布が、ぽとりと落ちた。

「え」

「おめでとうございます」

 ロッテが微笑んだ。淡い金髪がふわりと揺れる。この通信士官が笑顔を見せるのは珍しい。

「調和の——翼?」

「門の前での群体突破。上位個体の壁を打ち破った戦術的功績。調和型適性の極限運用。それらを総合して、正式に記録されました」

 フィンは呆然と立ち尽くした。

 訓練番長。それがかつてのあだ名だ。才能がない。センスがない。ただ訓練だけは誰よりもやる。そんな自分が——エースパイロット。

「嘘だろ」

「嘘じゃないよ」

 背後から声がした。振り返ると、エーリヒが壁にもたれて立っていた。丸い眼鏡の奥で、灰緑色の目が穏やかに笑っている。

「お前にふさわしい名前だ、フィン」

「エーリヒ——」

「ちなみに僕にも辞令が出てる」

 エーリヒが通達書をひらひら振った。

「『最高の僚機』。フィン少尉と共にその名を記録する——だってさ」

 フィンの目が大きく見開かれた。

「お前も——」

「まあ、僕は横にいただけだけどね」

「横にいただけって——お前がいなかったら俺は死んでたぞ!」

「大げさだよ」

「大げさじゃない!」

 フィンがエーリヒの両肩を掴んだ。力がこもる。青緑色の目が真っ直ぐにエーリヒを射抜いた。

「お前が後ろにいてくれたから、俺は前に飛べたんだ。最高の僚機って——当たり前だろ」

 エーリヒは目を瞬いた。

 それから、眼鏡を押し上げて笑った。

「ありがとう。でも肩、痛い」

「あ、ごめん」

 慌てて手を離す。二人は顔を見合わせて、同時に吹き出した。

 格納庫に笑い声が響いた。飾り気のない、ただの笑い声が。


 同じ日、整備棟の一角。

 ガルベルトが書類を広げていた。表紙には「新技術教育プログラム」とある。琥珀色の目が一行一行を追う。

 ガルベルトの魔道整備と、奏太の物理整備。二つが融合して生まれた新しい整備体系。蝕域での戦いがその有効性を証明した。

 もはや秘伝じゃない。次の世代に伝える技術だ。

「カティア」

 整備棟の作業台で部品を磨いていたカティアが、びくりと顔を上げた。

「は、はい!」

「このプログラムの最初の教官を、お前に任せる」

 沈黙が落ちた。

 カティアの明るい緑の目が、みるみる大きくなった。

「教官——私が?」

「他に誰がいる」

 ガルベルトの声は素っ気ない。いつもの調子だ。

「お前は俺の魔道整備と鷹森の物理整備、両方を現場で学んだ唯一の人間だ。融合型整備の最初の実践者でもある。適任はお前以外にいない」

「でも、私なんかまだ——」

「まだ、は禁句だ」

 ガルベルトが遮った。太い腕を組み、琥珀色の目でカティアを真っ直ぐ見据える。

「お前が蝕域で何をしたか、俺は全部見ていた。戦場であの整備をやれる人間は、そうはいない」

 カティアの唇が震えた。目が潤む。

「師匠——」

「泣くなよ。教官が泣いてどうする」

「すみません。でも——」

 カティアは袖で目元を押さえた。涙は止まらなかったが、口元は笑っていた。

「絶対にやり遂げます。師匠の技術と、タカモリさんの技術。全部、次の世代に渡します」

 ガルベルトは鼻を鳴らした。満足の音だ。この不器用な師匠の「よくやった」は、いつもこの鼻音に宿る。

 作業台の隅で、ディーターが黙って茶を淹れていた。三人分。湯気が静かに立ち上る。灰色の目が一瞬だけカティアに向いて、すぐに茶葉に戻った。

 言葉はない。ただ温かい茶が、寡黙な祝福を語っていた。


 司令部の一室。

 リーゼは机の上に広げられた編成表を見ていた。

「部隊再編を、お前に任せたい」

 ヴェーバーの声が室内に響く。白髪の司令官は穏やかな表情で、だが言葉には重みがあった。

「蝕域戦での経験を踏まえた新体制。パイロット、整備、通信、医療——すべてを見直す必要がある。それができるのは、現場を知る指揮官だけだ」

「了解しました」

 リーゼの返答は短かった。銀灰色の髪が肩で揺れる。紫の瞳に、迷いはない。

 部屋を出る。廊下を歩きながら、編成表に目を落とした。名前の一つ一つを指でなぞる。フィン、エーリヒ、ヨハン、ルーカス——共に戦った者たちの名前。

 この名前の並びを、最適な形に組み直す。それが自分の仕事だ。

 戦場で先頭に立つことだけが指揮官の役目じゃない。戦いの後に、未来の形を作ること。それもまた、指揮官の責務だ。

 髪の毛先に手が伸びかけて——止めた。

 困った時に髪を弄る癖。最近、それが減っている。困らなくなったわけじゃない。困った時に頼れる人間がいるようになっただけだ。

 リーゼは小さく息を吐いて、歩き続けた。やることは山ほどある。だが、一つずつ片付ければいい。


 午後。

 奏太は司令部に呼び出された。

 待っていたのはゲルナーだった。七三に撫でつけた黒髪。冷静な黒い目。相変わらずの鉄面皮——だが、机の上に置かれた辞令書を差し出す手つきは、どこか丁寧だった。

「帝国軍技術顧問。民間技術者に対する特別技術階級だ。これにより、鷹森奏太の技術的貢献が帝国軍の正式な記録として残る」

 奏太は辞令を受け取った。

「俺、軍人じゃないですよ」

「だから民間技術者向けの階級だ。問題ない」

「報告書で上層部を説得したって聞きましたけど」

「七十二ページ書いた。必要な分量だった」

 ゲルナーの口元が、ほんのわずかに緩んだ。この男の笑みを見たことがある人間は、基地でも片手で足りるだろう。

「鷹森。これからも作るか」

「当たり前です」

 即答だった。

 火傷痕のある指先を見た。この世界に来てから、ずっと工具を握ってきた手だ。震えたことも、折れかけたこともある。でも離さなかった。

「俺は作る側の人間ですから。作ることでしか、みんなの役に立てない」

「十分だ」

 ゲルナーが頷いた。

「次世代機の予算は確保済みだ。存分に使え」

 奏太は深く頭を下げた。

 ゲルナーという男は、感情を数字に翻訳する。七十二ページの報告書は、この寡黙な軍人なりの戦い方だ。データで道を切り開く。それは奏太がスパナで道を切り開くのと、根っこは同じだった。


 夕方。格納庫の前。

 フィンが機体チェックを終えて外に出ると、一人の若者が待っていた。

 ルーカスだ。

 淡い茶色の髪。百六十五センチの小柄な体。まだ少年の面影が残る顔——だが、その目は違っていた。かつての不安げな揺れがない。芯がある。真っ直ぐな光だ。

「フィン先輩」

「ルーカス。どうした?」

「報告があります」

 ルーカスが背筋を伸ばした。大きめの制服の中で、十八歳の体が精一杯の姿勢を作る。

「新人パイロットの教育係を志願しました。来月、新しい配属が三名来ます。その指導を——俺にやらせてください」

 フィンは目を見開いた。

「お前が——教育係?」

「はい」

 ルーカスの声は、はっきりしていた。

「前線を退いてから、ずっと考えてました。自分に何ができるか。怪我で飛べなくなって、一度は全部終わったと思った」

 ルーカスの右手が、無意識に左肩に触れた。負傷の痕が残る場所だ。

「でも先輩が言ってくれたんです。『大丈夫、俺がいる』って。あの言葉で——俺は立ち直れました」

 フィンの胸が締まった。覚えている。怯えるルーカスに手を差し伸べた日のことを。

「だから今度は、俺が言う番です」

 ルーカスが一歩前に出た。

「新人が来たら、俺が言います。『大丈夫、俺がいる』って。先輩がしてくれたように、俺も後輩を支えます」

 言葉が、巡っていた。

 フィンがルーカスに渡した言葉が、ルーカスの中で育ち、今度はルーカスから次の誰かに渡される。成長は連鎖する。受け取ったものを、次に手渡す。その繰り返しが、人を強くする。

 ルーカスが姿勢を正した。

 右手が額に上がる。

「自分も——後輩を守れるパイロットになります」

 敬礼。

 不器用だった。肘の角度が少しずれている。軍学校の教官が見たら直されるだろう。

 だが——真っ直ぐだった。

 フィンは息を吸った。目が熱い。涙が滲む。でも堪えた。

 敬礼を返した。

「頼んだぞ、ルーカス」

「はいっ!」

 ルーカスの声が、夕暮れの格納庫に響いた。張りのある、力強い声だった。


 少し離れた場所で、奏太がその光景を見ていた。

 整備棟の入口に寄りかかって、腕を組んでいる。火傷痕のある指先が、ポケットの中のボルトを転がしていた。

「いい景色だな」

 独り言のつもりだった。

「ああ」

 隣に、いつの間にかリーゼが立っていた。壁に背を預け、腕を組んでいる。紫の瞳が夕陽に染まるフィンとルーカスを映していた。

「成長の連鎖、ってやつか」

 奏太が言った。

「大げさな言い方だな」

「でも、そうだろ。リーゼさんがフィンを育てて、フィンがルーカスを支えて、ルーカスが次の誰かを守る。ガルベルトさんがカティアに技術を渡して、カティアが次の世代に伝える。全部繋がってる」

 リーゼは答えなかった。ただ、髪の毛先を一度だけ指で弾いて、小さく息を吐いた。

「お前もだ、タカモリ」

「俺?」

「お前が持ち込んだ技術が、この基地を変えた。融合型整備も、次世代機も——お前がいなければ存在しない」

「俺は工具を握っただけですよ」

「その工具が、全員の命を繋いだ」

 奏太は言葉に詰まった。リーゼは相変わらず少ない言葉で急所を突いてくる。

「——ありがとうございます」

「礼を言う相手が違う。自分自身に言え」

「それは無理がある」

「ならペトラに言え。あの人の飯がなかったら、お前はとっくに折れていた」

 奏太は笑った。否定できなかった。

 夕陽が傾いていく。格納庫の影が長く伸びる。フィンとルーカスがまだ話し込んでいる。エーリヒがそこに合流して、三人で笑い合っている。カティアがディーターと一緒に茶を運んできた。ガルベルトが腕を組んだまま、遠くからそれを見ている。

 一人一人が、自分の場所を見つけていた。

 戦いは終わった。だが、止まったわけじゃない。

 フィンは翼を得た。エーリヒはその隣に立ち続ける。ガルベルトは技術を未来に託し、カティアがその橋渡しをする。リーゼは新しい部隊の形を作り、奏太は次の機体を設計する。ルーカスは後輩に手を差し伸べ、受け取った言葉を手渡していく。

 それぞれの明日がある。

 それぞれの道がある。

 でもその道は、どこかで必ず交わっている。戦場で結ばれた絆が、それぞれの未来を一つに編み上げている。

 食堂の方から、ペトラの声が聞こえた。

「ご飯できたよー! 早く来ないと冷めるからね!」

 全員が顔を上げた。

 フィンが真っ先に走り出した。エーリヒが呆れた顔でその後を追う。ルーカスが慌てて続いた。カティアが笑いながらディーターの腕を引っ張り、ガルベルトがゆっくりと歩き出す。

 リーゼが壁から背を離した。

「行くぞ、タカモリ」

「はい」

 奏太はボルトをポケットにしまった。

 歩き出す。隣にリーゼがいる。前にフィンたちの背中がある。後ろから夕陽が照らしている。

 帰る世界はない。でも、帰る場所がある。

 走っていく仲間たちの背中を見ながら、奏太は思った。

 この場所で、この人たちと、明日を作っていく。

 それが自分の——それぞれの明日だ。

 食堂の扉が開いた。温かい匂いが溢れ出す。

 全員が、笑っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ