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戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第五部 解放篇

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第七十六章 解放

 門が砕けた。

 中心核の消滅。紫色の光が一瞬だけ膨れ上がり——そして、弾けた。

 衝撃波が蝕域を駆け抜ける。地面が揺れた。空気が震えた。通信に雑音が走り、全てのモニターがホワイトアウトした。

 三秒。五秒。十秒。

 静寂が戻った。


 最初に気づいたのは、前線のパイロットたちだった。

 目の前の異形が——止まっている。

 動かない。揺れない。腕を振り上げたまま、まるで糸を切られた操り人形のように硬直していた。

 紫色の光が、甲殻の内側から消えていく。

 ぼろり、と崩れた。一体。また一体。次々に。

 門からのエネルギー供給が絶たれたのだ。蝕域全体を支えていた根幹が消えた。異形たちは源を失い、存在を維持できなくなっていた。

「——嘘だろ」

 誰かが呟いた。通信越しに、別の誰かが続いた。

「崩れてる。敵が崩れてるぞ」

「こっちもだ。強化種まで動きが止まった」

 戦場に、ざわめきが広がる。


 ロッテの通信が飛んだ。

「全部隊に通達。門の崩壊を確認。敵勢力に大規模な弱体化が発生しています。全戦線、攻勢に転じてください」

 冷静な声。いつも通りの、正確で淡々とした報告。

 それが号令になった。

 連合軍が、動いた。


 ヨハンの小隊が右翼を突いた。

 翡翠色の目が戦場を睨み据え、操縦桿を前に倒す。口髭の下の口元が獰猛に歪んでいた。

「行くぞ、おら! 全機突撃!」

 十五年のベテランが先頭を切った。力を失った異形を薙ぎ倒しながら、右翼の防衛線を一気に押し上げる。ヨハンの機体が通過した後には、立っている敵がいなかった。

「ヨハン小隊、右翼制圧!」

 報告が飛ぶ。速い。あまりに速い。


 左翼ではセルゲイが暴れていた。

「共和国の意地を見せろ! 一匹残らず叩き潰せ!」

 セルゲイの部隊が扇状に展開し、残存する敵を掃き清めた。上位個体すら、もはや抵抗する力を持っていない。

「左翼、掃討完了!」

 右翼も左翼も、もう敵はいない。


 中央ではフィンとエーリヒが走っていた。

 白い前髪が揺れる。青緑色の目が戦場を俯瞰する。調和型の感覚が、残存する敵の位置を正確に捉えていた。

「エーリヒ、十一時方向に三体。まだ動いてる」

「見えてる。射線は通る」

 エーリヒの射撃が正確に敵を射抜いた。フィンが残りの二体に切り込み、二閃で仕留める。所要時間、四秒。

「もう動いてるやつはいないよ」

 フィンが息を弾ませながら言った。

「ああ。終わったな」

 エーリヒが静かに応じた。眼鏡の奥の目が、少しだけ潤んでいた。


 蝕域の大地が変わり始めた。

 灰色だった地面に、色が戻っていく。薄い茶色。くすんだ緑。ゆっくりと、しかし確実に。

「地面が——」

「色が戻ってる——」

 パイロットたちの声が重なった。

 空を見上げれば、紫一色だった天蓋に罅が入っていた。その隙間から覗くのは——青。本来の空の色だった。


 ロッテの声が、通信に響いた。

「全戦線で敵勢力の消滅を確認」

 一拍、間が空いた。

「作戦——成功です」

 声が震えていた。

 いつだって冷静だった。どんな激戦の最中でも揺るがなかった。連合軍の全通信を捌き続け、情報を整理し、的確な指示を出し続けた——あのロッテの声が。

 震えていた。

 今度は恐怖じゃない。悲しみでもない。

 歓びだ。

 純粋な、混じりけのない歓び。押さえようとしても押さえきれない、心の底からの震え。

 その一言が、全てを決定づけた。


 通信が爆発した。

「やったぞ!」

 ヨハンが叫んだ。

 十五年のベテランが、少年みたいに叫んだ。声が裏返っていた。翡翠色の目に涙が浮かんでいるのが、通信越しでも分かるような声だった。

「やったぞ、おい! 俺たちやったんだぞ!」

 拳でコックピットの壁を叩く音が響く。ヨハンらしい。感情が溢れた時、この男は体で表現する。

「帝国の堕天使に乾杯だ!」

 セルゲイが吠えた。

 共和国の指揮官が、帝国のパイロットを讃えた。国境も、歴史も、わだかまりも——今この瞬間だけは、全部どうでもよかった。

「いや——連合軍全員に乾杯だ! 今日ここで戦った全員にな!」

 セルゲイの声は底抜けに明るかった。この男は勝利の味を知っている。そしてそれを仲間と分かち合う喜びも知っている。

 帝国語と共和国語と王国語が入り混じった歓声が通信を埋め尽くした。言語は違う。文化も違う。だが叫んでいることは同じだった。

 勝った。生き延びた。終わったんだ。


 歓声が鳴り止まない戦場の空を、一機の白銀が横切った。

 アウローラ。

 満身創痍だった。左翼の装甲は半分以上が剥がれ、共鳴回路の光は消えかけていた。右脚部フレームは完全に砕けている。推進系は半壊。まともに飛べる状態ではなかった。

 それでも飛んでいた。

 リーゼロッテ・ヴァイスフェルトの操縦が、限界を超えた機体を無理やり空に繋ぎ止めている。殲滅の堕天使の二つ名は伊達じゃない。

 基地が見えた。

 格納テントの前に人影が並んでいる。整備班。管制班。後方支援の全員が外に出て空を見上げていた。

 アウローラが降下を開始した。

 右脚が使えない。着地は左脚一本。リーゼは機体を傾け、左脚に全重量を集中させた。推進器の残存出力で減速をかけ、角度を微調整し——

 着地。

 左脚が地面を捉えた。衝撃が機体を突き上げる。フレームが悲鳴を上げた。だがリーゼは機体を倒さない。右に傾きかけた巨体を、推進器の最後の一吹きで立て直す。

 白銀の機体が、片脚で大地に立った。

 完璧な着地だった。


 コックピットハッチが開いた。

 圧縮空気が抜ける音がして、白い蒸気が漏れ出す。

 リーゼが姿を現した。

 銀灰色の髪が乱れていた。額に汗が光っている。パイロットスーツの左袖が裂け、頬に煤がついていた。全身が疲労と消耗を訴えている。

 でも、その目は——澄んでいた。

 紫の瞳が、真っすぐに前を見ている。

 ハッチの縁に手をかけて、ゆっくりとコックピットから降り始めた。


 奏太は走っていた。

 気づいたら走っていた。考えるより先に、体が動いていた。

 工具箱もデータ端末も、いつの間にか手放していた。両手が空だ。走ることだけに使っていた。

 全力で走った。心臓がうるさい。息が上がる。整備士の体力なんてたかが知れている。それでも走った。

 リーゼがタラップを降りてきた。最後の一段で、膝がわずかによろめいた。

 奏太が、その前で止まった。

 二メートルの距離。手を伸ばせば届く。

 息が荒い。走ったせいだ。たぶん、走ったせいだ。

 リーゼが顔を上げた。紫の瞳と、黒い目が合った。

 周囲の喧噪が遠くなった。歓声も、通信の雑音も、機体の軋みも——全部が遠い。


「帰ってきました」


 リーゼが言った。

 たった六文字。

 それは報告だった。約束の履行だった。無事の証明だった。

 でもそれだけじゃない。

 その六文字には、門に向かって飛んだ恐怖があった。機体が軋む中で歯を食いしばった意地があった。片脚で着地してみせた矜持があった。そして——帰る場所があるという、揺るぎない確信があった。

 帰ってきた。ここに。この人の前に。


「おかえり」


 奏太が言った。

 たった四文字。

 それは挨拶だった。日常の言葉だった。どこにでもある、ありふれた返事だった。

 でもそれだけじゃない。

 その四文字には、通信越しに機体を支え続けた全てがあった。データを睨みながら祈った時間があった。そして——この人は必ず帰ってくるという、証明された信頼があった。

 二つの言葉。十文字。

 物語の始まりから、ここまでの全てが——この十文字に凝縮されていた。

 リーゼの手が伸びた。

 奏太がその手を取った。

 傷だらけの手と、火傷痕の手。硬くて、荒れていて、でも温かい。

 指が絡んだ。ぎゅっと、力を込めて。

 何も言わなかった。もう言葉は要らなかった。


 周囲で、世界が弾けた。

「やったぞ、鷹森!」

 ヨハンが走ってきた。大股で、全力で。到着するなり奏太の背中をばしんと叩いた。すさまじい衝撃。奏太がよろめく。

「痛いですってヨハンさん!」

「うるせぇ! 痛いくらいがちょうどいいんだよ!」

 翡翠色の目が笑っていた。十五年分の重みを全部吹き飛ばすような笑顔だった。

「帝国の堕天使と、帝国の整備士に乾杯だ!」

 セルゲイがどこからともなく酒瓶を掲げて現れた。この男の酒の調達能力は戦闘能力に匹敵する。

「戦いは終わったんだ! 全員に乾杯!」

 赤い短髪の下の深い緑の目が、子供みたいに輝いていた。

 フィンが駆け寄ってきた。コックピットから飛び降りて、ヘルメットも外さないまま全力疾走。たどり着いた時には息が切れていて、でも満面の笑みだった。

「タカモリさん! リーゼさん!」

 涙が止まっていなかった。白い前髪が濡れた頬に張りついている。青緑色の目が赤く腫れて、それでもきらきら光っていた。

 エーリヒがフィンの後ろから歩いてきた。いつもの落ち着いた足取り。でも近づいてきた時、眼鏡が曇っていた。外して拭こうとして——手が震えて、うまく拭けなかった。

「エーリヒ——」

 フィンがエーリヒに抱きついた。

 今度こそ本物だ。コックピット越しじゃない。直接。

 エーリヒの体が一瞬硬直した。この男は身体接触が得意じゃない。でも。

 エーリヒの腕がフィンの背中に回った。

 ぎゅっと。

「——よくやった」

 エーリヒが言った。声が掠れていた。

「エーリヒもだよ」

 フィンの声は完全に泣き声だった。でも笑っていた。泣きながら笑う、一番幸せな顔。

 ヨハンがその二人を見て、目頭を押さえた。

「ったく——こっちまで来るだろうが」

 言いながら、自分も鼻を啜っていた。


 カティアが整備車両から飛び出してきた。赤い髪を振り乱して、両手を上げて。

「やりましたぁぁぁ!」

 叫びながらディーターに突進し、勢いよく抱きついた。寡黙な老整備士は目を丸くして——それからゆっくりと、カティアの頭をぽんぽんと叩いた。灰色の目が、珍しく温かかった。

 ガルベルトは壁に背を預けたまま動かなかった。

 腕を組み、目を閉じている。琥珀色の目が開いたのは、アウローラの方を向いた時だけだった。

 満身創痍の白銀の機体。自分たちが整備し、送り出し、遠隔で支え続けた機体。それが帰ってきた。片脚で、ぼろぼろで、でも立っている。

「……上出来だ」

 呟きは誰にも聞こえなかった。でも、傍らのアンネリーゼには聞こえていた。

「お父さん、泣いてる?」

「泣いてない」

「目、赤いよ」

「風だ」

 アンネリーゼが笑った。ガルベルトは顔を背けた。


 歓声が止まらなかった。

 帝国の兵士が共和国の兵士と肩を組んでいた。言葉が通じなくても、笑えば伝わる。泣けば伝わる。

 戦場が——祝祭に変わっていた。

 蝕域の空から、紫色が消えていく。

 罅の入った天蓋が剥がれ落ち、本来の空が広がっていく。淡い青。西の端がほんのり橙色に染まっている。この土地の住人が何年も見られなかった色だ。

 大地の灰色も薄れていた。枯れていたはずの草地に、うっすらと緑が覗いている。

 元に戻るには長い時間が必要だ。でも——始まった。確かに、始まった。


 奏太はリーゼの隣に立っていた。

 二人で空を見上げている。

 繋いだ手はまだ離していなかった。

 リーゼの紫の瞳に、青い空が映っていた。

「綺麗な空だ」

 リーゼが呟いた。

「ええ」

 奏太が応えた。

 背後ではヨハンがセルゲイと肩を組んで何か歌っていた。音程は壊滅的だった。フィンがまだ泣いていて、エーリヒが困った顔でその背中をさすっていた。カティアがディーターとガルベルトに挟まれて、三人でアウローラを見上げていた。ロッテが通信室の入り口に立って、小さな体を震わせながら、それでも微笑んでいた。

 全員がいた。

 全員が笑っていた。

 全員が生きていた。

 それが何より——何よりも大きな勝利だった。

 蝕域の空に、青が広がっていく。

 戦いは終わった。

 解放の日だった。


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