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戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第三部 激戦篇

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第四十一章 嵐の前の静寂

 その日、格納庫に食材の匂いが立ち込めた。

 油でも溶接の焦げでもない。肉と香草とバターの匂い。場違いすぎて、最初は全員が鼻をひくつかせた。

「今日は私が腕を振るうよ」

 ペトラが丸い眼鏡を光らせて、両手いっぱいの食材を抱えて現れた。食堂主任の本気。布袋からはみ出したジャガイモが床に転がり、リーゼが素早く拾い上げた。

「ペトラさん、これ全部どこから」

「聞かないでおくれ。今日は非番なんだ。非番の日に何をしようが私の勝手さ」

 言い切った顔に迷いがない。奏太はポケットの六角ボルトを転がしながら、その勢いに気圧された。

「タカモリ、ぼうっとしてないで。芋の皮を剥きな」

「え、僕ですか」

「手先は器用なんだろ? 機体いじれるなら芋くらい剥けるだろう」

 反論の余地がなかった。


        *


 格納庫の隅に、簡易の調理台が出来上がった。

 ペトラが指揮を執り、リーゼと奏太が両翼を固める。戦場とは違う布陣だった。リーゼが野菜を切る手つきは剣を振るうのと同じくらい速く、だがやや雑だった。人参の厚みが倍ほど違う。

「リーゼ中尉、もう少し均等に——」

「戦場では多少の誤差は許容範囲だ」

「料理は違いますよ」

 ペトラが眼鏡の奥で目を細めた。この食堂主任、階級など気にしない。

 奏太は黙々と芋を剥いた。ナイフは不慣れだったが、手先の感覚で何とかなった。薄く、均等に。整備と同じだ。

「上手いじゃないか」ペトラが覗き込んだ。「その腕、食堂にスカウトしたいくらいだね」

「遠慮します」

「つれないね」

 大鍋にバターが溶け、刻んだ玉葱が投入された。じゅわっと甘い匂いが広がる。肉を切り分け、塩と香草をすり込む。ペトラの手際は迷いなく淀みない。この人もまた、自分の技術で戦っている。

 リーゼが鍋をかき混ぜながら、ふっと笑った。銀灰色の長髪が湯気に揺れている。

「たまにはいいな、こういうの」

 紫の瞳が柔らかかった。戦闘中には絶対に見せない目だ。奏太はその表情を見て、少しだけ安心した。代替機の調整が上手くいったこと。彼女が「戦える」と笑ったこと。それがまだ、ちゃんと続いている。


        *


 匂いは格納庫を超えた。

 最初に現れたのはヨハンだった。

「何だこの匂いは。訓練場まで届いてるぞ」

 濃い金髪をかき上げながら、翡翠色の目を丸くしている。手には酒瓶が二本。どこから調達したのか聞くだけ野暮だろう。

「ちょうどいいところにきたね。ヨハン大尉、皿を並べな」

「了解」

 大尉が食堂主任に従う。階級など関係ない食卓だった。

 次にフィンが来た。白い前髪の下の青緑の目が、所在なさそうにきょろきょろしている。松葉杖のルーカスを支えていた。

「あ、やっぱりここだったんだ。匂いがすごくて」

「フィン、こっちだ。座れ」ヨハンが手招きした。

 カティアとディーターも二人揃って現れた。カティアの赤毛が作業灯に映え、ディーターは無言でペトラに会釈した。

 最後に——予想外の人物が姿を見せた。

「飯の匂いがした」

 セルゲイだった。赤毛の顎髭をさすりながら、大柄な体を扉から押し込んでくる。

「セルゲイまで来たか」ヨハンが笑った。「珍しいな、お前が自分から顔を出すなんて」

「飯の匂いには逆らえん。本能だ」

 ガルベルトも遅れて姿を見せた。琥珀色の目がすでにうっすら赤い。もう飲んでいるのか、この人は。

 整備用の作業台に布が敷かれ、皿が並んだ。肉の煮込み。焼いた芋。香草のスープ。パン。格納庫の油と料理の匂いが混ざって、奇妙だが不快ではなかった。

「じゃあ、いただこうか」

 ヨハンが酒瓶の栓を抜いた。コルクが飛んで、フィンの額に当たった。


        *


 宴は加速した。

 ペトラの料理は文句なしに美味かった。肉は柔らかく、芋はほくほく。軍の配給飯とは次元が違う。

「ペトラさん、これ本当に美味いです」フィンが頬を膨らませたまま言った。

「当たり前さ。食堂の飯がまずいのは予算のせいだよ。腕のせいじゃない」

「それは弁解では?」リーゼが澄ました顔で言い、ペトラに睨まれた。

 酒が回り始めると、口数が増える。最初に暴走したのはガルベルトだった。

「うちのエルザはな——」

 始まった、と奏太は思った。娘の話だ。ガルベルトは酔うと必ずこれだ。

「来月で七つになるんだ。この前の手紙でな、絵を描いて送ってくれた。花の絵だ。上手いんだよこれが。天才だ。間違いない。父親の目から見ても客観的に天才だ」

「父親の目が一番主観的だろう」ディーターが冷静に突っ込んだ。

「黙れディーター。お前に娘の可愛さがわかるか。わからんだろう。わかるはずがない」

 琥珀色の目が完全に据わっている。もう止まらない。奏太はスープを啜りながら、黙って聞いていた。ガルベルトの娘自慢は長い。だが、嫌いじゃなかった。この人が何のために整備を続けているのか、その答えが全部ここにある。

「次はヨハン大尉の番だ」カティアが振った。

「俺か? よし、じゃあ東部戦線の話をしよう」

 ヨハンの武勇伝が始まった。翡翠色の目が酒の赤みを帯びて、身振り手振りが大きくなる。三機の敵を一人で退けた話。語り口が上手い。フィンが目を輝かせて聞いている。

「——で、最後の一機を斬り伏せた時にはもう燃料がなくてな。徒歩で帰った」

「徒歩?」リーゼが眉を上げた。

「機体を担いでか?」セルゲイが低い声で言った。

「まさか。置いてきた」

「機体を?」奏太は思わず声を上げた。整備士として聞き捨てならない。

「翌日取りに行ったさ。ちゃんと回収した。心配するな」

 心配する。大いにする。

 ヨハンは杯を傾けて、ふと笑った。「まあ、帰りが遅くても怒る女房はもういないからな」

 その声が一瞬だけ、武勇伝の威勢とは違う色を帯びた。誰も突っ込まなかった。

 セルゲイが杯を空けて、ぼそりと言った。

「共和国の酒の方が上等だ」

 場が一瞬、静まった。

「何だと?」ヨハンが目を細めた。

「事実を言っただけだ。帝国の酒は薄い。水で割ってるんじゃないか」

「これは正規の軍支給品だぞ。品質は保証されている」

「保証されてこの味か。共和国なら三流の居酒屋にも置かない」

 ヨハンとセルゲイが睨み合った。一触即発——に見えたが、ヨハンの口元は笑いを堪えている。セルゲイの顎髭もかすかに揺れている。

「なら今度、共和国の酒を取り寄せてみろ。比べてやる」

「望むところだ」

 二人は杯をぶつけ合った。ガルベルトが「うるせえ」と横から叫び、カティアが手を叩いて笑い、ディーターが額を押さえていた。

 フィンが奏太の隣に座り直した。

「にぎやかですね」

「ああ」

「俺、こういうの好きです」

 フィンは杯を両手で包みながら、少し遠い目をした。

「故郷にいた頃を思い出す。妹たちがいつも騒がしくてさ。マルタが怒って、レナが泣いて、アンナがきょとんとして。母さんがため息をついて」

「四人きょうだい?」

「ええ。俺と、妹が三人。末のアンナはまだ五つで——手紙に花の絵を描いてくれるんです」

 その声に寂しさは薄かった。大切なものを確かめるような、温かい響き。

 奏太はポケットの六角ボルトに指を触れた。自分にはそういう相手がいない。故郷——あの世界での日常を思い出そうとすると、輪郭がぼやける。

「奏太さんは?」フィンが聞いた。「故郷のこと、あまり話さないですよね」

 不意の問いだった。

 周りでは宴がまだ続いている。ガルベルトがアンネリーゼの将来を語り、ヨハンが次の武勇伝に入り、セルゲイがそれに茶々を入れている。カティアとペトラが料理の話をしている。リーゼはスープを静かに飲んでいる。

 奏太は言葉を探した。六角ボルトを親指で撫でた。

「……正直、ここの方が居場所がある気がする」

 口をついて出た。自分でも驚いた。

 フィンが目を丸くしている。

「向こうにいた時は——普通だったんだ。普通の技術者で、普通に仕事して。別に不満はなかった。でも、誰かに必要とされてるって感覚は薄かった。替えが利く存在だった」

 六角ボルトが指の間で回る。

「ここは違う。僕が整備をサボれば、誰かの命が危うくなる。それって怖いけど——同時に、初めて自分がここにいる理由がある気がしたんだ」

 フィンは黙って聞いていた。やがて、静かに頷いた。

「わかる気がします。俺も——ここに来て初めて、自分の戦い方を見つけた。タカモリさんのおかげで」

「大げさだよ」

「大げさじゃないです」

 フィンはまっすぐな目をしていた。奏太は少し気恥ずかしくなって、スープの残りを一気に飲んだ。


        *


 宴は長く続いた。

 ガルベルトが作業台に突っ伏して眠り、ヨハンが壁にもたれて杯を片手に舟を漕いでいた。セルゲイは「先に寝る」と言い残して悠々と去り、カティアとペトラが並んで皿を洗っていた。リーゼは椅子の背に頭を預けて目を閉じている。寝ているのか起きているのか判然としない。フィンは隅で膝を抱えてうとうとしていた。

 ルーカスが松葉杖でフィンの肩を軽くつつき、「兵舎に戻るぞ」と囁いた。フィンが寝ぼけ眼で頷いて、二人は肩を並べて去っていった。

 奏太は一人、格納庫の入口に立っていた。

 夜風が頬に冷たい。空に星が多い。この世界の星は、あの世界と少し違う。配置が違う。でもどちらも、綺麗だった。

 帰りたくないのかもしれない。

 その考えが、するりと胸に滑り込んだ。

 あの世界では普通の技術者だった。毎朝同じ電車に乗って、同じ机に座って、同じような図面を引いた。悪くない日々だった。不幸ではなかった。ただ——誰かの命を支えている実感はなかった。

 ここでは違う。

 自分が調整した機体で、リーゼが戦場に出る。フィンが飛ぶ。ヨハンが隊を率いる。ボルト一本の締め具合が、生死を分ける。その重さが、両肩にのしかかっている。怖い。だが、その恐怖ごと——自分はここにいる意味になっている。

 故郷への郷愁より、ここにいたいという気持ちの方が重くなっている。

 それに気づいた時、小さな罪悪感がちくりと刺した。

 あの世界にだって、自分の帰りを待っている人がいるかもしれない。職場の同僚。行きつけの定食屋の店主。その人たちのことを、少しずつ忘れ始めている。

 でも——今は。

 ポケットの六角ボルトを握りしめた。

 今は、ここにいる人たちの命を預かっている。それだけは確かだ。

 格納庫の奥で、ガルベルトの寝息が響いていた。低い、安定したいびき。ヨハンの杯がゆっくり傾いて、こぼれる前にディーターが無言で受け取った。まだ起きていたのか。

 ディーターと目が合った。小さく顎を引かれた。お疲れ、の代わりだろう。奏太も頷き返した。

 明日からまた、戦いの日々が始まる。

 嵐は近い。誰もがそれを感じている。だからこそ今夜は、束の間の静けさを噛みしめている。明日には消える温もりを、少しでも長く覚えていたくて。

 奏太は格納庫の扉にもたれた。夜風が髪を撫でた。

 星空の下で、六角ボルトが指の間で静かに回っていた。


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