第三十七章 殲滅の堕天使
作戦開始から三十分。通信室のモニターは戦場の全域を映し出していた。
奏太はヘッドセットを押さえ、四つのスクリーンに目を走らせた。機体反応、敵群の分布、各小隊の位置、地形図。指先がキーボードの上を滑り、データが次々と更新される。
「敵群、第三波——来ます」
隣のロッテが鋭く報告した。栗色の短髪が揺れる。灰青色の目がスクリーンに釘付けになっている。
「数は?」
「十二。いや、十四。さらに後方から増援の兆候あり」
奏太は唇を引き結んだ。
予想通りだった。新種の敵は個体としての適応力が高い。だが複数体での連携パターンは固定的だ。昨夜の分析で洗い出した三つの行動パターン——包囲、突撃、牽制。どれも組み合わせの順序が決まっている。つまり、崩せる。
「ロッテ、全部隊に回して。敵第三波、予測パターンBだ」
「了解」
ロッテの指が通信卓を叩いた。
奏太の声が、戦場に飛ぶ。
*
フィンは操縦桿を握り直した。
機体の振動が手のひらに伝わる。奏太が調整してくれた三番機。関節応答速度を上げ、脚部出力を回避寄りに振った仕様。以前とは別の機体のように軽い。
通信が入った。
『全機に通達。敵第三波、パターンB。先頭六体が包囲機動、後続八体が突撃に移行する。包囲の起点は右翼——崩すなら今です』
奏太の声だ。落ち着いている。データに裏打ちされた確信がある。
フィンはコクピットの中で小さく頷いた。
『フィン、行けるか』
ヨハンの声。低く、静かで、揺るがない。
「行けます」
『よし。お前が囮だ。包囲の起点に突っ込め。連携を崩したら即座に離脱。リーゼが獲る』
「了解」
スロットルを開いた。
三番機が跳んだ。白い機体が砂塵を巻き上げ、戦場の右翼へ一直線に突進する。
敵が反応した。
先頭の六体が動く。包囲機動の起点——右端の二体がフィンに向き直った。予測通りだ。パターンBでは、包囲の起点が脅威に反応すると後続の突撃タイミングがずれる。奏太が見つけた綻び。
フィンは二体の間を縫うように機体を滑り込ませた。
右。左。右。
精密機動。調和型の真骨頂。
敵の攻撃が空を切った。一撃目をスレスレでかわし、二撃目を機体の回転で流す。装甲は薄い。当たれば終わりだ。だが当たらなければいい。
二体の連携が乱れた。片方がフィンを追い、もう片方が取り残される。隊列に歪みが走った。包囲が崩れる。その歪みが後続の八体に伝播し、突撃のタイミングが二拍遅れた。
たった二拍。だがそれで十分だった。
『——いただき』
低い、冷たい声が通信に乗った。
リーゼだ。
*
黒銀の機体が敵陣に突入した。
速い。あまりにも速い。
リーゼの機体は一瞬で乱れた包囲陣の中心に到達し、最初の一体を斬り伏せた。長剣が弧を描く。銀色の軌跡が残像を引いた。
二体目。返す刀で胴を薙ぐ。
三体目。踏み込みながら突きを放つ。紫の瞳が冷徹にターゲットを捉え続けている。
殲滅の堕天使。
その二つ名は伊達ではなかった。
銀灰色の長髪が風に翻る。黒銀の装甲が敵の体液を浴びて光る。リーゼの剣は一切の躊躇なく、一切の無駄なく、戦場を薙ぎ払っていく。
四体目が崩れ落ちた。五体目が腕を失い、のけぞったところに六体目ごと貫く。
二振り。二体。
通信室の奏太が息を呑んだ。画面上のリーゼ機の軌道は直線と弧の連続だった。最短距離で敵を結び、一筆書きのように殲滅していく。
『リーゼ中尉、後方から二体接近!』
ロッテの警告が飛ぶ。
だがリーゼは振り返りもしなかった。
『フィン』
一言だけ。
「了解!」
フィンの三番機が後方の二体の前に割り込んだ。剣を抜かない。盾を構えない。ただ、二体の進路上に立ちはだかり、機体を左右に振って注意を引く。
二体がフィンに食いついた。追う。追ってくる。
フィンは後退しながら二体を引き離す。リーゼの背後から遠ざける。足裏のスラスターを細かく噴かし、距離を保ちながら回避し続ける。
その三秒間で、リーゼは残りを片づけた。
七体目。八体目。九体目。
銀の軌跡が三度閃いた。三体が同時に崩れ落ちる。
『フィン、離脱しろ』
リーゼの声に従い、フィンは急旋回で二体の間をすり抜けた。直後、黒銀の影が二体の背後に回り込む。
十体目。十一体目。
終わった。
包囲陣の六体と後続の突撃隊——十一体が、一分足らずで沈黙した。残る三体は後退を始めている。
*
だがまだ終わりではなかった。
戦場の左翼でセルゲイの部隊が別方向から圧力をかけていた。赤毛の大男の怒号が通信に割り込んでくる。
『おらぁ! 逃がすな、追い込め! 右に回り込め、右だ!』
セルゲイの部隊が後退する敵を追い立て、リーゼとフィンの方向に押し戻す。挟撃。奏太が立案した戦術の全体像がここにあった。
ヨハンの小隊が側面を固めている。翡翠色の目をした男は派手な動きをしない。だが彼の隊が両翼の隙間を完璧に埋めていた。敵の逃走経路を一つずつ潰す。静かに、確実に。
『タカモリ、次の波はあるか?』
ヨハンが問う。
奏太はスクリーンを凝視した。敵反応のデータを読む。指が走る。
「増援兆候は消えました。残存個体は三——いや、二。セルゲイ部隊が一体撃破」
『了解。掃討に移る』
ヨハンの声には安堵の色はない。当然のように次の判断に移る。
フィンは操縦桿を握ったまま息を吐いた。手が震えていた。緊張ではない。興奮だ。
噛み合った。
奏太のデータが敵の動きを読み、フィンの機動が連携を崩し、リーゼの剣が殲滅する。ヨハンが側面を固め、セルゲイが圧力をかける。全員の役割が歯車のように組み合わさった。
自分一人の力ではない。だが自分がいなければ成り立たなかった。その実感が、胸の奥で熱く脈打っていた。
通信にノイズが走った。
『——おい、帝国の指揮官』
セルゲイの声だった。いつもの粗野な口調。だがどこか上機嫌に聞こえる。
『あの白い坊主、やるじゃねえか!』
フィンは一瞬、自分のことだと気づかなかった。白い——ああ、前髪のことか。
『囮ってのは度胸がいる仕事だ。装甲の薄い機体で敵の前に飛び出すなんざ、正気の沙汰じゃねえ。だがあの動き、見事だった。連携の崩し方が的確だ。俺の部隊の若いのにも見せてやりたいくらいだぜ』
通信の向こうで、誰かが笑った。セルゲイの部下だろう。
ヨハンの静かな声が続いた。
『セルゲイ中佐の評価は正当だ。フィン、よくやった』
「——ありがとうございます」
声が少しかすれた。
リーゼは何も言わなかった。通信は沈黙している。だがフィンには分かった。あの人は言葉で褒めない。代わりに、戦場でフィンの機動を信頼して背中を預けた。それが殲滅の堕天使からの最大の賛辞だ。
*
通信室で、奏太はヘッドセットを外した。
額の汗を手の甲で拭う。指先がまだ微かに震えていた。
「お疲れさまです」
ロッテが小さく言った。灰青色の目が穏やかに細められている。
「ロッテもお疲れ。的確な通信管制だった」
「いえ、私は繋いだだけです。分析はタカモリさんですから」
奏太は苦笑した。
分析しただけだ。自分は通信室から出ていない。操縦桿も握っていないし、敵の前に立ってもいない。データを読み、パターンを見抜き、最適解を部隊に伝えた。それだけのことだ。
だが——それだけのことが、戦場を変えた。
スクリーンに映る戦闘結果を見つめた。敵十四体殲滅。味方損害なし。完璧な結果だ。
奏太の分析がフィンの機動を導き、フィンの機動がリーゼの殲滅を可能にした。サポートがサポートを呼び、最終的に圧倒的な戦果に結実する。整備士の仕事は機体を直すことだけじゃない。パイロットの力を最大限に引き出すこと。データで戦場を照らすこと。
それが、自分の戦い方だ。
ロッテが新しいデータをまとめ始めている。次の戦闘に備えて。通信室の仕事に終わりはない。
「ロッテ、セルゲイ部隊から追加のセンサーデータが来てるはずだ。イレーネ中尉経由で。回収頼める?」
「もう手配しました」
「早いな」
「タカモリさんが言いそうなことは、だいたい分かりますから」
奏太は少しだけ目を見開いた。それから——笑った。
通信室の小さなチームもまた、一つの連携だった。
スクリーンの向こうでは、掃討を終えた部隊が帰投を始めている。フィンの白い三番機と、リーゼの黒銀の機体が並んで飛んでいた。夕陽が二機の装甲を赤く染めている。
殲滅の堕天使と、その翼を支えた少年。
奏太はその光景を静かに見届けた。次の戦いのために、もうデータの整理を始めながら。




