第三十六章 反撃作戦
答えは、数字の中にあった。
奏太は格納庫の片隅に陣取った作業台で、三日ぶりに顔を上げた。記録端末の画面が青白く光っている。目の奥が痛い。だが頭の中では、バラバラだったピースがようやく一つの絵になりつつあった。
新種の戦闘データ。撤退戦のログ。イレーネから受け取った連邦の二年分のデータ。全てを並べ、重ね、比較した。
個体の適応力は異常だった。こちらの攻撃パターンを一戦ごとに学習する。関節を狙えば次は関節をガードし、剣筋を変えれば次にはその軌道を読んでくる。一対一では後手に回る一方だ。
だが——複数体での動きには、癖があった。
奏太はポケットから六角ボルトを取り出し、指の上で回した。くるくる。くるくる。思考が加速する。
新種は二体一組で連携する。一体が前衛で拘束し、もう一体が死角から仕留める。撤退戦でもそうだった。リーゼに二体、ヨハンに二体、フィンに二体。必ず二体ずつ。
この連携パターンが——固定的なのだ。
個体は学習する。だが連携は変わらない。同じ二体一組の挟撃を繰り返す。片方が前に出て、もう片方が横に回る。タイミングも角度も、毎回ほぼ同じ。
なぜか。奏太の仮説はこうだ。個体の適応力が高すぎるがゆえに、複数体での連携には固定ルールが必要になる。各個体が自由に適応すれば味方同士の動きが干渉する。それを防ぐために、連携だけは決められたパターンに従っている。
柔軟な個と、硬直した群。
つまり——連携を崩せばいい。
二体一組のパターンを乱して各個体をバラバラにする。連携が崩れた瞬間、再構築にわずかな隙が生まれる。その隙を突く。
奏太は端末にデータを整理し、図表を作成した。連携パターンの時系列分析。位置取りの統計。挟撃のタイミングと角度の分布。数字で語らせる。直感ではなく、データで。
*
リーゼは格納庫の隅で剣の手入れをしていた。
銀灰色の髪を背中に流し、刃に油を引いている。奏太が近づくと、手を止めずに目だけが動いた。
「何か見つけたか」
前置きは要らない。奏太がデータと格闘していたことは、リーゼも知っている。
「はい。新種の弱点を見つけました」
リーゼの手が止まった。紫の瞳がまっすぐに向く。
「座れ」
奏太は作業台に端末を置いた。
「複数体での連携パターンに柔軟性がありません。必ず二体一組。前衛が拘束、後衛が死角から攻撃。タイミングのズレは平均〇・三秒以内。ほぼ機械的です」
リーゼが画面に目を落とした。紫の瞳が数字を追う。速い。この人はデータを読める指揮官だ。
「崩す方法は」
「三機一組でぶつけます。三機目の役割は攻撃じゃなく、敵の連携パターンの妨害。後衛が死角に回り込む動線を塞ぐだけでいい。一・五秒でも遅延すれば連携が崩れる」
「崩れたら?」
「再構築に三秒から五秒。その間が仕留めるチャンスです」
「裏付けは」
「過去三回のログから連携が崩れた場面を十二例抽出しました。十一例で再構築に二・八秒から五・一秒。残り一例は〇・九秒で外れ値です」
リーゼが沈黙した。三秒。五秒。
奏太の心臓が速くなった。この人が「使える」と言えば作戦は前に進む。「不十分だ」と言えばデータを積み直す。判断するのはパイロットだ。
「合同部隊の会議に上げる」
リーゼが立ち上がった。剣を鞘に収め、奏太を見下ろした。
「お前も来い。データの説明はお前がしろ」
「——はい」
*
合同部隊の会議室は、相変わらず重い空気だった。
長テーブルの向こうに各国の指揮官が並ぶ。帝国からリーゼとヨハン。連邦からセルゲイ。王国と同盟諸国の代表。
奏太は部屋の隅に立っていた。整備士が会議に同席すること自体が異例だ。場違いな人間を品定めする視線が刺さる。
リーゼが口を開いた。
「反撃作戦を提案する。新種の弱点を発見した」
会議室がざわめいた。
「具体的なデータがある。分析した整備士に説明させる。——タカモリ」
奏太は一歩前に出た。ポケットの六角ボルトを握った。角が掌に食い込む。
「タカモリ・ソウタ。帝国軍リーゼ中尉部隊所属の整備士です」
端末を会議テーブルの中央に置き、図表を投影した。二体一組の連携パターン。タイミングと角度の統計。再構築所要時間。数字を丁寧に示す。感情ではなくデータで語る。
会議室が静まった。
最初に声を上げたのはセルゲイだった。
「待て」
大きな手でテーブルを叩いた。どん、と重い音。
「民間人の分析だと?」
奏太を見る目が鋭い。懐疑。当然だ。最前線で命を張る男が、整備士のデータをそのまま信じるわけがない。
「お前さん、戦場に出たことは」
「ありません。通信室でモニタ越しに見ただけです」
正直に答えた。隠しても意味がない。
「モニタ越しのデータで、俺たちの命を賭けた作戦を立てると?」
「そういうことです」
奏太は一歩も引かなかった。
「データは嘘をつきません。連携のタイミングのばらつきは標準偏差〇・一三秒。偶然ではなく構造的な制約です」
セルゲイが言い返しかけて、止まった。画面の図表を見つめている。赤毛の顎髭を無意識に掻いている。豪快だが愚かではない男が、考えている顔だ。
沈黙が五秒。十秒。
セルゲイが椅子の背にもたれた。
「……これは、撤退戦のときの動きだな」
太い指が画面の一点を示した。セルゲイの部隊が三体に囲まれた場面だ。
「二番機が左腕をやられた直後。新種の片割れが一瞬止まった。気のせいだと思っていたが」
「その場面です。僚機の被弾で陣形がずれ、後衛の動線が塞がれた。再構築に三・四秒」
セルゲイが奏太を見た。懐疑ではなく——確認の目。
「……こいつは本物だ」
低い声だった。豪快さが消えて、戦場を知る男の重い声。
「俺の肌感覚と、データが一致してる。否定できねえな」
会議室の空気が変わった。歴戦の共和国パイロットが認めた。その事実が、他の指揮官たちの表情にも波及している。
「イレーネ」
セルゲイが声を上げた。会議室の隅に控えていたイレーネが一歩前に出た。銀縁の眼鏡が蛍光灯を反射する。
「分析は見させてもらった。手法は堅実で、結論も妥当だ」
淡々とした声。だが次の言葉が、奏太を驚かせた。
「うちの部隊のデータも使ってくれ」
イレーネが記録端末を取り出した。
「直近一ヶ月の新種との交戦データがある。別の前線区域のものも含む。サンプル数が増えれば信頼性はさらに上がる」
「ありがとうございます。これなら連携パターンの類型化ができます」
「前処理は私がやる。二人でやれば半日で終わる」
イレーネが眼鏡を押し上げた。灰色の目に知的な火が灯っている。国境も立場も関係なく、合理的に動く技術者の目だ。
ヨハンが翡翠色の目を細めた。
「タカモリ、イレーネ整備士長と組んで分析をやり直せ。明日の会議で最終案を出す」
「了解です」
リーゼが奏太を見た。紫の瞳に言葉はなかったが、視線が語っていた。よくやった、と。
セルゲイが立ち上がった。大きな体で奏太の前に来て、ばん、と肩を叩いた。
「お前さん、面白い整備士だな。戦術を変えるなんざ、聞いたことがねえ」
「整備士は機体だけ見てればいいわけじゃないので」
「ははっ。言うねえ」
赤毛の顎髭を揺らして、セルゲイが笑った。
*
会議の後、奏太とイレーネは格納庫に戻った。
作業台を二つ並べ、端末を向かい合わせに置く。イレーネの追加データは膨大だった。三十七件の交戦記録。連邦軍が蓄積した全ての戦闘ログ。
イレーネがデータを整形し、奏太が分析する。言葉は最小限。必要な情報だけが行き交う。
フィンが飲み物を持ってきた。白い前髪の下の青緑の目が、端末を覗き込む。
「タカモリさん、俺たちの戦い方も変わるんですか」
「変わる。三機一組の新フォーメーションだ。フィン、お前は妨害役に向いてる」
「妨害役?」
「敵の連携を崩す三機目だ。後衛の動線を塞ぐ。調和型のお前なら、味方に合わせて最適な位置取りができる」
フィンの目が光った。
「——俺のやり方で、ってやつだ」
「そうだ」
拳を握りしめるフィンを、イレーネが銀縁の眼鏡越しに見ていた。
「若いのに、いいパイロットだな」
「あ——ありがとうございます」
分析は深夜まで続いた。サンプル数が増え、連携パターンが三類型に分類できた。挟撃型、包囲型、追撃型。それぞれの崩し方を策定し、フォーメーションに落とし込む。
奏太の火傷だらけの指が端末の上を走る。この世界に魔法はある。剣がある。魔獣がある。だがデータだけは、奏太がいた世界と同じルールで動く。数字は嘘をつかない。統計は国境を越える。
イレーネが最後の検定結果を確認した。
「九十五パーセント信頼区間で有意。使える」
「一人じゃここまでできなかった」
「礼はいい。あなたが仮説を立てたことが全てだ」
イレーネは端末を閉じ、立ち上がった。
「明日の会議で各国を納得させなければならない。だが——セルゲイが動いた。あの男が認めた事実は大きい」
奏太は頷いた。データだけでは動かない世界を、信頼が動かす。
格納庫の外に出ると、夜の山風が冷たかった。東の空に紫の光。門はまだそこにある。
だが——初めて、反撃の糸口を掴んだ。
奏太はポケットの六角ボルトを握った。角が掌に六つの点を刻む。いつもの感触。だが今夜は、その金属片がいつもより温かく感じた。
足音が聞こえた。
振り向くと、リーゼが立っていた。銀灰色の髪が夜風に揺れている。紫の瞳が東の空の紫と重なる。
「明日の会議、全部隊を動かす」
短い言葉。だがその声には、撤退戦以来初めての——攻めの意志が宿っていた。
「任せてください。データは揃いました」
リーゼが小さく頷いた。
門の光が揺れている。敵はそこにいる。だがもう、ただ殴られるだけの戦いは終わりだ。
整備士の指が見つけた数字の隙間から、反撃の道が開こうとしていた。




