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戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第三部 激戦篇

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第三十五章 フィンの覚悟

 手紙は、昼の配給と一緒に届いた。

 薄い封筒。角が少し折れている。帝国軍の検閲印が押された上に、故郷の村の消印。見覚えのある丸い字。母の字だ。

 フィンは兵舎のベッドに腰を下ろし、封を切った。

 便箋は一枚きりだった。母はいつもそうだ。長い手紙は書かない。必要なことだけを、丁寧に、短く。


「フィンへ。みんな元気です」


 最初の一行で、胸が詰まった。

 妹たちの近況が書かれていた。長女のマルタが村の学校で一番になったこと。次女のレナが裏庭で野菜を育て始めたこと。末の妹のアンナがようやく一人で靴紐を結べるようになったこと。

 何でもない報告だ。戦場とは無縁の、ごく普通の日常。

 村に新しい井戸ができたらしい。領主の援助で、広場のそばに。水汲みが楽になったと母は書いていた。レナが毎朝、井戸まで水を運ぶのが日課になったと。

 それだけだった。

 戦争のことには一言も触れていない。フィンの体を心配する言葉もない。ただ「みんな元気です」と「体に気をつけて」だけ。母はそういう人だ。心配していないわけがない。息子を前線に送り出して、平気でいられる母親がいるはずがない。それでも、余計なことは書かない。書いてしまったら、息子の足を引っ張ると分かっているから。

 便箋の最後に、小さな絵が描いてあった。

 花。たぶんアンナが描いたのだろう。五歳の手による不格好な花。花びらの数が左右で違う。茎がぐにゃぐにゃに曲がっている。その横に、これもまた不格好な文字で「おにいちゃんへ」と書いてあった。

 フィンは手紙を膝に置いた。

 天井を見上げる。兵舎の灰色の天井。染みが一つ。それをじっと見つめた。

 ——エーリヒ。

 親友の名前が、不意に浮かんだ。

 あれから十日が経った。エーリヒは後方の軍病院に搬送された。左腕の骨折と肋骨の損傷。命に別状はないと聞いた。だが戦線に戻れるかどうかは、まだわからない。

 あの日のことを、フィンは何度も反芻していた。

 新種がエーリヒの機体を貫いた瞬間。金属が砕ける音。通信越しに聞こえた衝撃音。自分の叫び声。エーリヒの途切れ途切れの声。射出ポッドを抱え上げた時の、両腕に伝わった重さ。

 あの時、自分がもっと強ければ。

 エーリヒがヨハン大尉を助けに飛び出さなくても済んだかもしれない。フィンが新種を一体でも多く抑えていれば、エーリヒは無理をしなくて済んだはずだ。

 だが現実は違った。

 フィンは自分の小隊すら満足に守れなかった。エーリヒに助けられ、ヨハンに指示を仰ぎ、リーゼに殿を任せた。自分は何をした? 親友の射出ポッドを拾っただけだ。

 首元に手をやった。銀のペンダントに指が触れる。母がくれたものだ。出征の朝、村の門の前で。「お守りよ」と母は笑った。泣いていたのはマルタとレナで、アンナはまだ状況を理解できずにきょとんとしていた。

 ペンダントの鎖が首の後ろで冷たい。

 守りたいものは、はっきりしている。

 故郷の村。母と妹たち。新しい井戸。レナの野菜畑。アンナの不格好な花の絵。マルタの成績表。朝の水汲み。靴紐の結び方。何でもない日常の、その全部。

 そして——戦場で隣にいる仲間たち。エーリヒ。ヨハン大尉。リーゼ中尉。奏太。

 ペンダントを握りしめた。

 銀の感触が掌に食い込む。


        *


 格納庫は油の匂いがした。いつものことだ。

 フィンが足を踏み入れると、奏太が三番機の足元にしゃがんでいた。関節部のカバーを外し、中の配線を確認している。火傷だらけの指が、慣れた動作でコネクタを抜き差ししていた。

 傍らの作業台には六角ボルトが種類別に並べられている。几帳面な整列。奏太の癖だ。

「タカモリさん」

 声をかけると、奏太が顔を上げた。黒い目が少し驚いたようにフィンを見た。

「フィン。どうした、非番じゃなかったか」

「ちょっと、話があって」

 奏太はコネクタを元に戻し、立ち上がった。作業着の膝が油で汚れている。手の甲で額を拭い、フィンに向き直った。

「何だ?」

 フィンは一瞬、言葉を探した。

 何を言えばいいのか、実はまだ整理できていなかった。兵舎で手紙を読んで、ペンダントを握って、それからまっすぐここに来た。途中で何度も足を止めかけた。何を言うつもりだ、と自分に問いかけた。答えは出なかった。でも足は止まらなかった。

「俺——」

 声が詰まった。

 奏太は急かさなかった。作業台に腰を預け、黙ってフィンを見ていた。

 格納庫の天井から白い光が降っている。機体の金属が鈍く光る。どこかで工具が落ちる音がした。遠い。ディーターが別の機体で作業しているのだろう。

「俺は、ずっとリーゼ中尉みたいになりたかった」

 フィンは言った。

「強くて、速くて、誰よりも前に出て。あの人みたいに戦えたら、誰も傷つけずに済むんじゃないかって。そう思ってた」

 奏太は何も言わない。聞いている。

「でも、違った」

 フィンは首のペンダントに触れた。

「俺はリーゼ中尉じゃない。あの人みたいに一人で殿を務められるわけがない。剣の才能も、判断力も、全然足りない。それは分かってる。ずっと前から分かってた。分かってて、目を逸らしてた」

 エーリヒの大破した機体が脳裏をよぎった。砕けた胸部装甲。割れた眼鏡。担架の上の親友。

「エーリヒがやられた時、思い知った。俺が中尉の真似をしたところで、隣にいる奴を守れない。やり方が間違ってるんだ」

 言葉が、思ったよりも滑らかに出てきた。ずっと胸の中で転がし続けていたからだろう。十日間、毎晩ベッドの中で考えていたことだ。

「タカモリさん」

 フィンは奏太の目を見た。

「俺は強くなりたい。リーゼ中尉みたいにじゃなくて、俺のやり方で」

 言い切った。

 声が震えなかったことに、自分で驚いた。

 奏太が黙っていた。三秒。五秒。フィンの心臓がうるさい。言い過ぎたか。生意気だったか。整備士に言うことじゃなかったか。

 奏太が——笑った。

 穏やかな笑みだった。火傷の跡が刻まれた指で、作業台の六角ボルトを一つ摘まみ上げる。くるくると回す。いつもの癖だ。

「お前の戦い方って、具体的にはどういうイメージだ?」

「え?」

「リーゼさんは単騎で切り込む突撃型。ヨハンさんは状況を読んで隊を動かす指揮型。お前は?」

 フィンは考えた。

「俺は——たぶん、調和型ってやつだと思う。適性診断でもそう出た。突出した能力はないけど、周りに合わせて動ける。エーリヒと組んでた時が一番しっくりきた。俺が前に出て、エーリヒが後ろから支援して。二人で一組の戦い方」

「なるほど」

 奏太がボルトをポケットにしまった。

「じゃあ、お前の機体をお前の戦い方に合わせよう」

「——え?」

「今のフィン機は汎用設定だ。悪くないけど、お前の動きに最適化されてるわけじゃない。調和型なら、僚機との連携を前提にした機動特性に振れる。反応速度を上げて、位置取りの自由度を広げる。お前が前衛で敵を引きつけて、僚機が仕留める——その流れを機体レベルで支援できる」

 奏太の目が変わっていた。さっきまでの穏やかさの奥に、職人の鋭さが光っている。

「関節の応答速度を調整して、脚部の出力配分を変える。装甲は少し薄くなるが、その分、回避に回せる。お前の適性なら、重い装甲で耐えるより、避けて位置を取る方が合ってるはずだ」

「で、できるんですか、そんなこと」

「できる。お前が自分の戦い方を分かってるなら、機体はそれに応える。リーゼさんの模倣じゃなく、フィン・レクターの機体にする」

 フィンは息を呑んだ。

 自分の名前を冠した戦い方。リーゼ中尉の影を追うのではなく、自分自身の足で立つということ。

「お願いします」

 頭を下げた。深く。

「任せろ。——ただし、お前も協力してもらうぞ。動きの癖とか、戦闘中に感じたこととか、全部教えてくれ。機体を合わせるには、パイロットの感覚が要る」

「はい」

 顔を上げると、奏太がまた笑っていた。


        *


 兵舎に戻ると、ベッドの上に封筒がもう一通置いてあった。

 さっきの母の手紙とは違う。軍の公用封筒。後方の軍病院の消印。

 フィンは封を開けた。

 中から出てきたのは、短い便箋だった。見慣れた几帳面な字。角ばった、だが読みやすい字。


「フィンへ。

 左腕はまだ動かないが、右手は書ける。肋骨も大分くっついてきた。

 医者には安静にしろと言われているが、リハビリは始めている。勝手にだが。

 回復したら必ず戻る。

 待っていろ。

          エーリヒ」


 短い。そっけない。エーリヒらしい手紙だった。

 余計な言葉がない。大丈夫だとも、心配するなとも書いていない。ただ「戻る」と書いてある。それだけだ。

 だがフィンには、その五文字の重さが分かった。

 回復したら必ず戻る。

 それはエーリヒの覚悟だ。大破した機体から射出され、意識を失い、後方に搬送されて。それでも戻ると言っている。戦場に。フィンの隣に。

 便箋を丁寧に折りたたんだ。

 胸ポケットに入れた。母の手紙の隣に。心臓の上に、二通の手紙が重なった。

 故郷の家族と、戦場の親友。

 守りたいものが、胸の中で確かな重さを持っていた。

 フィンはベッドから立ち上がった。窓の外に夕陽が沈みかけている。兵舎の窓から見える空がオレンジ色に燃えていた。

 首のペンダントが、夕陽を受けて光った。

 もう迷わない。

 リーゼ中尉の背中を追いかけるのはやめる。あの人はあの人の道がある。ヨハン大尉にはヨハン大尉の。エーリヒにはエーリヒの。

 そして自分には——自分の道がある。

 調和型のパイロット。突出した才能はない。一人では何もできない。だからこそ、仲間と共に戦う。前に出て、敵を引きつけ、僚機に道を開く。それがフィン・レクターの戦い方だ。

 胸ポケットの手紙に、そっと手を当てた。

 エーリヒが戻ってくる。その時、隣に立つ自分が今と同じままでいるわけにはいかない。

 強くなる。自分のやり方で。

 フィンは兵舎の扉を開けた。格納庫に向かう。奏太が待っている。自分の機体を、自分の戦い方に合わせるために。

 夕陽が廊下に長い影を落としていた。フィンの影が、まっすぐ前に伸びている。

 もう誰かの影は追わない。


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