第三十二章 撤退戦
それは、出撃から三十分後に起きた。
合同部隊の掃討作戦。帝国からリーゼ、ヨハン、フィンの三小隊。共和国からセルゲイの小隊。計十二機が門の近傍に展開していた。
奏太は通信室のモニタに張りついていた。隣でロッテが各部隊の通信を拾い、情報を捌いている。
「敵影、確認。通常個体十二。新種——六体」
ロッテの声が硬い。
新種が六体。前回より増えている。奏太の指が通信板の上で止まった。
「リーゼ中尉、前回のデータを各機に送ります。新種の行動パターン、頭に入れてください」
「了解」
短い返答。リーゼ機が先頭で突入した。銀色の刃が通常個体を薙ぎ払う。二体、三体と崩れ落ちる。
だが新種は動かない。
距離を保ち、青白い複眼でじっとこちらを観察している。
「嫌な間だな」
ヨハンの声。
「来る」
リーゼの声が鋭かった。
新種六体が一斉に動いた。
前回とは違う。散開ではなく、二体ずつの三組に分かれている。一組がリーゼ機に向かい、一組がヨハン小隊を、もう一組がフィンの方へ。
「パターンが変わっている!」
奏太が叫んだ。
前回のデータで対策を立てた。それに対応するかのように、新種もまた戦い方を変えてきた。
「こちらの対策を——読まれている」
適応しているのは、こちらだけではない。新種もまた、こちらの適応に適応している。
「フィン、後ろ!」
エーリヒの声。フィン機の背後に回り込んだ新種を、エーリヒ機が割って入って防いだ。
「ありがとう、エーリヒ!」
「いいから前を見ろ!」
だが——新種の攻勢は止まらなかった。
二体がかりでリーゼ機を拘束しようとする。剣を見切り、退路を塞ぐ。リーゼは剣筋を変えて一体を斬り伏せたが、もう一体がその隙に脚部を狙った。
「中尉の左脚に被弾! 装甲にダメージ!」
ロッテが報告した。
「問題ない」
リーゼの声に揺らぎはなかった。だが数値は嘘をつかない。左脚の装甲値が削られている。
「セルゲイ大尉!」
ロッテが周波数を切り替えた。
「こっちもやべえ! 三体に囲まれた! 装甲で耐えてるが、関節を集中的に狙ってきやがる!」
セルゲイの声に、初めて焦りが混じった。
「二番機、左腕がやられた! 動かねえ!」
被害が広がっている。新種の攻撃精度が、一手ごとに上がっていく。
このまま戦い続ければ——全滅する。
「リーゼ中尉」
奏太は声を絞り出した。
「撤退を進言します」
沈黙が落ちた。一秒。二秒。戦場では永遠に等しい時間。
「——全部隊、撤退」
リーゼの声が通信に響いた。殲滅の堕天使に撤退の二文字は似合わない。だが指揮官は部下を生きて帰す責任がある。
「撤退順序を指示する。セルゲイ大尉の部隊、損傷機を先行。ヨハン、フィンは側面を守りながら後退。殿は私が務める」
「中尉、脚をやられてるだろ! 殿は俺が——」
「命令だ、ヨハン」
一言で切った。
撤退が始まった。
しかし新種は見逃さなかった。生き残った五体が追撃を仕掛ける。通常個体も群がってきた。
「来る! 追ってくる!」
フィンの声。
「落ち着け。俺が右を抑える」
エーリヒ機がフィンの右側面に展開し、追撃してくる新種を弾いた。
リーゼ機が反転した。
損傷した左脚を引きずりながら、殿の位置に立つ。新種二体がリーゼに殺到した。紫の瞳が敵を射抜く。
一閃。
新種の一体が崩れた。だがもう一体がリーゼ機の右肩に爪を突き立てた。装甲が砕ける音が通信に乗った。
「中尉!」
ロッテの声が裏返った。
「構うな。後退を続けろ」
セルゲイの部隊が離脱を始めた。だが損傷した二番機の動きが遅い。新種の一体が追いつきかけた。
「させるかよ!」
セルゲイ機が割って入った。重装甲機が新種の攻撃を正面から受け止める。装甲が軋む。
「行け! 二番機、先に行け!」
その隙に——新種がヨハン小隊に集中した。
三体がヨハン小隊を囲み込んだ。ヨハンが一体を弾く。だが残り二体が左右から挟撃する。
「ヨハン大尉、右腕の駆動系にダメージ!」
「エーリヒ、フィンを連れて下がれ! 俺は——」
ヨハンの言葉が途切れた。新種がヨハン機の脚を掴んだ。
「大尉!」
エーリヒ機が飛び出した。ヨハン機に取りついた新種を斬りつけ、その腕を切断した。ヨハン機が解放された。
だがその瞬間——エーリヒ機の死角から、別の新種が突進してきた。
青白い複眼が光った。
エーリヒ機の胸部装甲に、巨大な爪が突き刺さった。
轟音。
通信が、悲鳴のような金属音で埋まった。
「エーリヒ機、大破! コア部に重大損傷!」
ロッテの声が震えた。
「エーリヒ!」
フィンの絶叫が通信を切り裂いた。十九歳の少年の声が、戦場のすべての音を突き抜けた。
「エーリヒ! 返事をしろ! エーリヒ!」
通信にノイズが走る。二秒。三秒。
「——脱出する」
エーリヒの声が聞こえた。途切れ途切れの、弱い声。
「脱出機構、作動——」
エーリヒ機の背面から射出ポッドが撃ち出された。大破した機体を捨て、パイロットだけが放り出される。緊急脱出。最後の手段。
「射出ポッド確認! エーリヒ少尉、生存! ただしバイタルに異常あり!」
ロッテが叫んだ。
「フィン、ポッドを回収しろ! エーリヒを拾え!」
ヨハンの声。
「わかった——わかった!」
フィンの声が震えている。だが機体は動いた。フィン機が射出ポッドに駆け寄り、片腕で抱え上げた。
「確保した! エーリヒ、聞こえるか! しっかりしろ!」
応答はなかった。バイタルは生存を示しているが、意識があるかは分からない。
「全機、離脱を急げ」
リーゼの声。
殿を務めるリーゼ機が、追撃してくる新種の前に立ちはだかった。左脚は半壊。右肩から火花が散っている。それでも殲滅の堕天使は退かない。
一体。斬った。もう一体が突進してくる。弾く。衝撃で損傷した左脚が膝をついた。
「——まだだ」
立つ。退ける。また立つ。
撤退路が確保された。
セルゲイの部隊が先に離脱し、ヨハンとフィンが続いた。最後にリーゼ機が、ボロボロの機体を引きずりながら後退した。
追撃は、ある地点で止まった。前回と同じ。彼らには追撃の限界を判断する知性がある。
奏太は通信室で拳を握りしめていた。
エーリヒ機、完全喪失。リーゼ機、大破。ヨハン機、中破。セルゲイ部隊の三機が損傷。
敗北だ。
この戦争で初めての、明確な敗北。
*
格納庫が地獄になった。
帰還した機体が次々と搬入されてくる。装甲が抉れ、関節が歪み、駆動系から油が漏れている。
奏太は走った。
最初に駆け寄ったのはフィン機だった。片腕にエーリヒの射出ポッドを抱えたまま着地した機体。まずポッドの回収が先だ。
「カティア! ポッドのハッチを開ける! 手を貸してくれ!」
「はい!」
カティアが駆け寄った。二人で射出ポッドの外部ロックを外す。奏太の火傷だらけの指がボルトを回した。硬い。衝撃で歪んでいる。
「レンチ、二十四ミリ」
「どうぞ!」
力を込めた。ボルトが回った。ハッチが開く。
エーリヒが中にいた。
眼鏡が割れていた。左腕が不自然な角度に曲がっている。額から血が流れている。だが——息をしている。
「衛生班! 担架を!」
奏太が叫んだ。
衛生兵が駆けつけ、エーリヒを担架に乗せた。意識はない。左腕の骨折と、肋骨の損傷。重傷だが、命に別状はない——衛生兵がそう告げた。
フィンがコクピットから飛び降りてきた。担架に駆け寄る。青緑の目が涙で滲んでいた。
「エーリヒ——」
声が掠れていた。戦場で叫びすぎたのだろう。
「後方に搬送する。命は助かる」
衛生兵がそう言った。フィンの膝から力が抜けた。その場にしゃがみ込む。ヨハンが来て、フィンの肩を掴んだ。何も言わない。ただ、肩を掴んでいた。
担架が格納庫から運び出されていく。エーリヒの姿が遠ざかる。
奏太はそれを見届ける暇がなかった。
次の機体。
リーゼ機が格納庫に引きずり込まれた。左脚は半壊。右肩の装甲は砕け、内部フレームが露出。全身に無数の爪痕。殿の代償だった。
「ディーター、リーゼ機の応急処理を頼む。左脚の駆動系を優先で」
「了解」
ディーターが無言で取りかかった。余計な言葉は一切なし。手だけが動く。
奏太はヨハン機に移った。右腕の駆動系がやられている。関節部のギアが三枚欠けていた。分解にかかる。
手が止まらない。止まれない。
カティアが格納庫の反対側で、セルゲイ部隊の損傷機に取りついていた。共和国の機体は規格が違う。だがガルベルトに叩き込まれた基礎がある。緑の目が的確に修復箇所を特定していく。
「クソッ」
声が聞こえた。
振り向くと、セルゲイが格納庫の壁を殴っていた。大きな拳。広い肩が荒い呼吸で上下していた。
「クソッ、こんな撤退は初めてだ」
吐き捨てるように言った。歴戦の豪傑が初めて見せる、剥き出しの感情。
誰も言葉をかけなかった。
セルゲイは深く息を吐き、何も言わずに自分の機体に向かった。パイロット自ら修理を手伝うつもりだ。
時間が過ぎていく。
格納庫に響くのは工具の音だけだった。誰も口を開かない。ただ手を動かし続ける。
奏太はボルトを回し、ケーブルを繋ぎ、駆動系を組み直した。一機終わればすぐ次。手が油で真っ黒になった。火傷の跡が痛む。構わない。
カティアが工具を取りに来た時、一瞬だけ目が合った。疲労の色が見えたが、手は止まっていなかった。
「あと何機ですか」
「セルゲイ大尉の二番機と三番機。それが終われば——」
「終わりませんよね」
カティアの声は静かだった。
「ええ。終わらない」
応急修理が終わっても、本格的な修復が待っている。次の戦闘までに何機を戦闘可能な状態に戻せるか。時間との戦いだ。
ディーターがリーゼ機の左脚を仮組みし終えた。灰色の目で奏太を見る。
「歩行は可能にした。だが全力稼働は無理だ」
「充分です。次はヨハン機の右腕を手伝ってください」
「了解」
淡々と。粛々と。手を動かし続ける。
夜が更けた。
ガルベルトが予備部品の手配を進めている。琥珀色の目が整備班全体を見渡していた。
奏太はヨハン機の関節部に新しいギアを組み込みながら、ふと手を止めた。
この手で直せるものには限りがある。
新種は進化し続けている。修理して、補強して、戦術を変えても——敵はそれに適応する。今のままでは、被害が増える一方。
エーリヒの割れた眼鏡が脳裏に浮かんだ。フィンの絶叫。
次は——誰だ。
奏太は歯を食いしばった。
答えはまだない。だが考えることをやめるわけにはいかない。
火傷だらけの指がボルトを回す。壊れたものを直す。直して、また送り出す。
それが今の自分にできる、全てだった。




