第三十一章 新種
異変は、データの中に最初に現れた。
奏太が帝国と共和国の戦闘記録を突き合わせて三日目の朝だった。仮設格納庫の片隅に置いた作業机の上に、紙の山が二つ。右が帝国、左が共和国。真ん中に自分のメモ。
数字が合わない。
昨日までの戦闘で、敵の損耗率が変動していた。同じ数の敵に対して、こちらの被弾率が上がっている。微増。だが、確実な上昇傾向。
「気のせいか……?」
奏太は火傷だらけの指でペンを回した。データが少なすぎて断定はできない。だが嫌な感触だった。六角ボルトのネジ山が微妙に歪んでいるときの、あの手触りに似ている。まだ壊れてはいない。でも、このまま締め続けたら折れる。
そのとき、警報が鳴った。
赤い非常灯が格納庫を染める。三日目にして、もう慣れてしまった音。敵の襲撃だ。
整備班が一斉に動いた。ガルベルトが低い声で指示を飛ばし、カティアが工具箱を持って走り、ディーターが機体の最終チェックに入る。奏太もメモを放り出して持ち場についた。
パイロットたちが駆け込んでくる。
ヨハンが先頭だった。飛行服のジッパーを上げながら、翡翠色の目が鋭く格納庫を見渡す。
「状況は」
「門から中規模の群体。推定二十から三十」
ロッテの声が通信機から響いた。灰青色の目をした通信士は、今日も通信卓に張りつきだ。各部隊の回線を束ねて情報を整理する。彼女の存在がなければ、この多国籍合同部隊の通信は混乱を極めていただろう。
リーゼが銀灰色の髪をなびかせて格納庫に入ってきた。無言。紫の瞳が自機を見据え、迷いなくコクピットに向かう。フィンとエーリヒが続く。白い前髪の少年は青緑の目に緊張の色を浮かべていたが、足取りは確かだった。丸眼鏡の僚機パイロットが隣で小さく頷く。
三機が順番に発進していく。
奏太は通信機越しに戦況を追った。ヨハンの小隊が前衛、リーゼが遊撃、セルゲイの共和国部隊が側面支援。三日間で何とか形になった布陣だ。
「接敵。数は——二十五。おい、いつもの雑魚だな」
ヨハンの声だった。余裕がある。ベテランの直感が、敵の脅威度を即座に測っている。
帝国式の機体が前衛を張り、軽快な動きで敵を引きつける。その隙にセルゲイの重装甲部隊が横合いから火力を叩き込む。リーゼは単機で戦場を駆け回り、はぐれた敵を一体ずつ仕留めていく。
手際は良かった。最初の数分は。
「——なんだ?」
ヨハンの声の調子が変わった。
奏太は通信機に耳を押しつけた。
「おい、こいつら——動きが違うぞ」
セルゲイの声が被さった。
「帝国の兄ちゃん、そっちもか! こっちの連中、さっきの攻撃を避けやがった!」
避けた。敵が攻撃を避けた。
これまでの敵は力押しだった。数で圧し、物量で押し潰す。個体の判断力は低く、こちらの攻撃に対する回避行動はほとんど見られなかった。だから帝国の機動戦術も、共和国の火力制圧も有効だった。
それが——避けた。
「フィン、右に振れ! ——くそ、読まれた!」
ヨハンの叫び。
通信に雑音が混じった。衝撃音。金属が軋む音。
「ヨハン大尉、被弾! 右腕部に損傷!」
フィンの声が裏返っていた。
「落ち着け! 軽傷だ。それより——こいつら、フェイントに引っかからねえ!」
ヨハンの声に、初めて焦りが混じった。このベテランが焦る。それだけで、事態の異常さが伝わってくる。
奏太は作業台のメモに目を落とした。朝方感じた違和感。被弾率の上昇。あれは気のせいじゃなかった。
「セルゲイ大尉、状況を」
ロッテが冷静に通信を繋いだ。
「最悪だ! こっちの三番機がやられた! 装甲をピンポイントで抜かれた——関節部だ。装甲の薄いとこを狙ってきやがる!」
関節部。共和国の機体は重装甲だが、可動部には装甲の隙間がある。三日前、奏太がイレーネと話したばかりの弱点だ。
敵がそれを知っている。
「リーゼ中尉、敵の動きに変化あり。注意されたし」
ロッテの警告に、リーゼの声が返った。
「承知している。——だが、厄介だな」
殲滅の堕天使が「厄介」と言った。奏太は背筋が冷たくなった。
通信が錯綜し始めた。各部隊からの報告が重なる。ロッテが手際よく振り分けていくが、内容はどれも同じだった。
敵が、学んでいる。
「ヨハン小隊、二番機の左脚部に重損傷! 歩行不能!」
「共和国第三分隊、弾薬残量低下。敵が射線を塞いでくる。まるで——こっちの射角を理解してるみたいだ」
「フィン機、背面から接近する敵あり! ——エーリヒ、カバー!」
「了解、任せて!」
エーリヒの声。穏やかな青年の声に、今は硬い覚悟がにじんでいた。
戦闘は二十分で終わった。敵が撤退したのだ。これも異例だった。これまでの敵は全滅するまで押し寄せてきた。撤退という概念がなかった。
だが今日の敵は、ある程度の損害を与えた時点で引いた。まるで——情報収集が目的だったかのように。
帰還した機体を見て、奏太は唇を噛んだ。
ヨハン機の右腕は関節から先がひしゃげていた。フィン機は背面装甲に深い裂傷。エーリヒ機は左肩の駆動系がやられている。セルゲイの部隊はもっとひどい。三番機は自力歩行不能で、僚機に引きずられて帰ってきた。
たった二十五体の敵に、これだけの被害。
ヨハンが機体から降りてきた。飛行服の襟元が汗で濡れている。翡翠色の目が、怒りと困惑の間で揺れていた。
「全員聞け」
ヨハンの声が格納庫に響いた。パイロットも整備士も、全員が足を止めた。
「こいつら、考えて動いてやがる」
沈黙が落ちた。
格納庫の空気が凍った。文字通り、誰も動けなかった。
考えて動く敵。それが意味することを、この場の全員が理解していた。
力押しの敵なら、対処法がある。数を読み、配置を決め、火力で押し返す。だが知性を持つ敵は——こちらの対処法そのものを学習し、裏をかいてくる。
「嘘だろ……」
フィンが呟いた。白い前髪の下の顔が蒼白だった。首のペンダントを握る手が震えている。エーリヒがフィンの肩に手を置いた。何も言わない。ただ、そこにいる。
セルゲイが大股で歩いてきた。赤毛の巨体が、いつもの豪快さを失っている。緑の目が据わっていた。
「帝国の兄ちゃんの言う通りだ。うちの連中もやられた。あいつら、最初の一撃は普通だった。だが二撃目から動きが変わった。こっちのパターンを——読みやがったんだ」
パターンを読む。学習する。適応する。
それは、もはや獣ではない。
奏太は走った。作業台に戻り、朝から広げていたデータの山に飛びついた。
「カティア、今日の戦闘記録を全部持ってきてくれ。帝国側も共和国側も。ロッテさん、通信ログもお願いします」
「了解です」
「了解」
カティアが記録簿を抱えて走り、ロッテが通信ログの書き起こしを始めた。栗色の短髪の通信士は、各部隊の報告を時系列順に整理し、被害状況を一覧にまとめていく。その手際の良さに、奏太は何度も助けられていた。
データが集まっていく。奏太は数字の海に潜った。
戦闘開始から五分間の敵の動き。攻撃パターン。回避行動。被弾箇所の分布。
指が止まった。
「……ここだ」
戦闘開始直後、敵の動きは従来と同じだった。力任せの突進。単調な攻撃。だが戦闘開始から約三分後、明確な変化が起きていた。
ヨハンが得意とするフェイント機動——右に振ってから左に切り返す動き。一度目は有効だった。敵は引っかかった。だが二度目は通用しなかった。敵はフェイントを無視し、本命の左への切り返しに直接対応してきた。
セルゲイの部隊の砲撃パターンも同様だ。最初の斉射は命中した。だが二射目から、敵は散開して射線を外した。まるで砲撃の射角と範囲を計算したかのように。
共和国三番機の関節部被弾。これが決定的だった。装甲の厚い正面ではなく、可動部の隙間を正確に狙っている。弱点を「知っている」動きだ。
「適応してる」
奏太は呟いた。
「こいつら、こっちの動きに適応してるんだ」
ガルベルトが背後に立っていた。いつからいたのかわからない。琥珀色の目が、奏太の広げたデータを見下ろしている。
「確かか」
「数字は嘘をつきません。戦闘開始三分を境に、敵の回避率が四十パーセント上昇してます。攻撃の命中精度も同様。こっちの行動パターンを観察して、リアルタイムで対応を変えてる」
ガルベルトが顎に手をやった。赤褐色の短い髭を撫でている。三十年の経験を持つ整備班長の顔が、奏太がこれまで見たことのない色を浮かべていた。
恐れ、ではない。警戒だ。
「報告しろ。リーゼ中尉に」
「はい」
奏太はデータをまとめ、リーゼのもとに向かった。
リーゼは自機の前に立っていた。銀灰色の髪が仮設格納庫の薄暗い照明に溶けている。紫の瞳が、損傷した機体の表面を見つめていた。
「リーゼ中尉。戦闘データの分析結果です」
奏太は要点だけを簡潔に伝えた。敵が学習していること。こちらの攻撃パターンに適応していること。戦闘開始三分が転換点であること。
リーゼは黙って聞いていた。
「つまり——同じ手は二度通じない」
「そういうことです」
リーゼの紫の瞳が細くなった。
「敵の質が変わった、ということか」
「力だけじゃなく、知性。今日の戦闘は偵察だった可能性もあります。こっちの戦い方を学ぶための」
リーゼが機体から視線を外し、奏太を見た。
「鷹森。対策は」
「今の時点では——毎回パターンを変えるしかない。同じ戦術を繰り返さない。ただ、それは根本的な解決にはなりません。敵の適応速度が上がれば、パターンを変えても追いつかれる」
「時間稼ぎにしかならない、と」
「はい。根本的な対策には、もっとデータが必要です」
リーゼが頷いた。短く、一度だけ。
「各国の指揮官に報告する。ロッテ、回線を開け」
「了解」
ロッテの声が通信機から応じた。
数分後、合同部隊の主要な指揮官が通信回線上に集まった。リーゼが奏太の分析結果を報告する。
沈黙が長かった。
セルゲイが最初に口を開いた。
「……マジかよ」
いつもの豪快さはなかった。低い、押し殺した声。
「道理で、二撃目から手応えが変わったわけだ」
他の部隊からも同様の報告が上がった。初撃は通常通り。だが戦闘が進むにつれて、敵が明らかに賢くなっていく。
ロッテが各部隊の被害状況を集約した。
「帝国側、損傷機体四。うち重損傷二。共和国側、損傷機体五。うち自力歩行不能一。他国部隊、損傷機体三。合計——十二機が戦闘力を低下させています」
たった一度の戦闘で、合同部隊の戦力の二割が削られた。
通信回線が沈痛な空気に沈んだ。
力で来るなら力で返せる。数で来るなら数で迎え撃てる。だが知性で来る敵に、どう対処すればいいのか。誰もその答えを持っていなかった。
奏太は作業台に戻った。
データの山を前に、ペンを握る。火傷だらけの指が、白い紙の上を走り始めた。
答えはまだない。だが問いは見えた。
敵は学習する。ならば——こちらは、敵が学習できないものを作ればいい。
予測を超える動き。パターンに収まらない戦い方。それを可能にする機体を。
内ポケットのスケッチに手が触れた。新型機体の設計図。荒い線の束。まだ形にならない可能性。
だが今日、その可能性に意味が生まれた。
既存の戦術を超えなければ、この敵には勝てない。
奏太はペンを走らせた。深夜の仮設格納庫に、紙の擦れる音だけが響いていた。




