表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第三部 激戦篇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/81

第二十九章 異次元の門

 警報が鳴ったのは、夜明け前だった。

 奏太は作業台に突っ伏して仮眠を取っていた。スケッチを描いていたペンがまだ指に挟まっている。警報の音で跳ね起きた拍子に、ペンが床に転がった。

 格納庫の照明が赤く切り替わる。非常灯。戦闘配備の合図だ。

 通路を走る足音が聞こえる。整備班の人間が次々と持ち場に向かっている。奏太も反射的に立ち上がり、工具ベルトを腰に巻いた。

「タカモリ」

 ディーターの声だった。灰色の短髪に灰色の目。寡黙な副班長は、いつも以上に表情が硬い。

「司令部から緊急招集だ。全員、ブリーフィングルームに集合」

 全員。整備班だけではない。パイロットも通信士も、基地の主要人員すべてだ。奏太は嫌な予感を覚えた。

 ブリーフィングルームに入ると、すでに大半の顔が揃っていた。

 リーゼが壁際に立っている。銀灰色の長髪を背中に流し、紫の瞳が正面のスクリーンを見つめている。その横にヨハンが腕を組んで立ち、翡翠色の目を細めていた。フィンは椅子に座っていたが、白い前髪の下の青緑の目が落ち着きなく動いている。首のペンダントを無意識に握っていた。

 カティアが奏太の隣に来た。赤毛を耳の後ろに押し込み、緑の目に不安の色がある。

「何があったんでしょう」

「わからない。でも——普通じゃない」

 通常の戦闘配備なら、パイロットと整備班だけで事足りる。基地の全員を集めるのは、奏太がこの基地に来てから初めてだった。

 ロッテが通信機器を抱えて駆け込んできた。栗色の短髪が乱れている。灰青色の目が赤い。徹夜だったのだろう。彼女は通信卓に機器を接続し、何かの回線を開いた。

 重い足音がした。

 ヴェーバー少将が入ってきた。

 六十代の指揮官は、白髪を後ろに撫でつけ、鋼のような灰色の目で室内を見渡した。軍服の襟元まできっちりと留めている。いつもの厳格な姿だ。だが奏太は気づいた。少将の顎の筋肉がわずかに強張っている。緊張している。この歴戦の指揮官が。

「全員、聞け」

 低い声が室内に響いた。雑音が消える。全員の視線がヴェーバー少将に集中した。

「〇三〇〇時——三時間前、帝国領東部のドラッヘン山脈付近に、新たな異次元の門が出現した」

 沈黙。

 異次元の門。敵が侵入してくる空間の裂け目。これまで確認されていたのは帝国領北西部の一箇所だけだった。ヴァルハイム基地が守る防衛線の向こう側、荒野の果てに開いたただ一つの門。帝国軍はその一点に戦力を集中させることで、なんとか防衛線を維持してきた。

 それが——二つになった。

「さらに〇四三〇時、南部のシュヴァルツ平原にも門の兆候が観測された。現時点では未確定だが、開門は時間の問題と判断されている」

 三つ。

 室内にざわめきが走った。フィンが椅子から腰を浮かせた。ヨハンの腕組みが解けた。リーゼだけが微動だにしない。紫の瞳が、スクリーンに映し出された帝国領の地図を射抜いていた。

「帝国軍総司令部は、戦力の再配置を決定した」

 ヴェーバー少将がスクリーンの地図を指した。赤い点が三つ、帝国領を囲むように配置されている。北西、東部、南部。三方向からの侵攻。

「リーゼ中尉」

「はっ」

 リーゼが一歩前に出た。

「貴官の部隊は、東部戦線ドラッヘン山脈防衛拠点への派遣を命ずる。出発は本日一二〇〇時」

 六時間後。奏太の頭が一瞬、空白になった。

 今日。六時間後に、この基地を離れる。

「了解しました」

 リーゼの声は平坦だった。感情の揺らぎが一切ない。だが奏太は見た。リーゼの左手の指先が、ほんの一瞬だけ握りしめられたのを。

「派遣部隊の構成は、第三戦闘小隊全機および随伴する整備班とする。期間は未定。東部戦線の状況次第だ」

 整備班も。つまり奏太も行く。カティアも、ディーターも。ガルベルトも——。

 奏太はガルベルトを見た。大柄な整備班長は作業着のまま壁に背を預けていた。琥珀色の目がヴェーバー少将を見ている。表情は変わらない。腕を組んだ姿勢も変わらない。だがその視線には、奏太が読み取れない何かが込められていた。

「質問は」

 ヴェーバー少将の問いかけに、ヨハンが手を挙げた。

「東部戦線の現状は」

「門の出現から三時間。すでに小規模な侵攻が確認されている。現地の駐留部隊が対応中だが、戦力が足りていない。各基地から増援を送る」

「敵の規模は」

「不明。門の大きさから推定して、北西の門と同等かそれ以上」

 同等かそれ以上。つまり、ヴァルハイムが今まで全力で押さえていたのと同じ規模の敵が、別の場所にもう一つ現れたということだ。

 フィンが小さく息を吐いた。白い前髪の下の顔が青い。ペンダントを握る手に力が入っている。ヨハンがフィンの肩に手を置いた。何も言わない。ただ手を置いた。それだけでフィンの呼吸が少し落ち着いた。

 ブリーフィングが終わった。室内が動き出す。パイロットたちは機体の最終確認に向かい、整備班は機材の積み込み準備に取りかかる。六時間。短い。だが足りないと言っている暇もない。

 奏太は格納庫に走った。

 やることは山ほどある。機体の移送準備。工具の梱包。予備部品の選別と積み込み。消耗品の在庫確認。六時間で全てをやらなければならない。

 カティアが隣を走っていた。赤毛が風になびく。

「タカモリさん、部品リスト作ります。優先順位の高い消耗品から」

「頼む。膝関節のベアリングは多めに。東部の戦場環境がわからないから、砂塵フィルターも」

「了解です」

 カティアが工具棚に向かった。ディーターはすでに積み込み用のコンテナを引き出していた。灰色の目が淡々と作業を進めている。寡黙な副班長は、こういう時こそ頼りになる。

 奏太は七番機のコクピットを開け、計器類の固定を確認し始めた。移送中の振動で精密機器が狂うのは避けたい。手が自然と動く。火傷だらけの指が、慣れた手順でボルトを増し締めしていく。

 だがその手が、ふと止まった。

 作業台の上に、昨夜のスケッチが置いてあった。新型機体の設計図。まだ荒い、まだ不完全な——でも確かに何かが始まりかけていた線の束。

 東部戦線に行けば、設計どころではなくなる。戦闘が激化する中で、既存の機体を維持するだけで手一杯になるだろう。スケッチの続きを描く時間があるかどうかもわからない。

 奏太はスケッチを丁寧に畳んで、作業着の内ポケットにしまった。捨てはしない。この図面は、まだ死んでいない。

「奏太」

 声に振り向くと、ガルベルトが立っていた。作業着の袖を肘まで捲り上げ、太い腕を組んでいる。百九十センチの巨体が格納庫の照明を背負って影を作っていた。赤褐色の髪と短い髭。琥珀色の目が、奏太をまっすぐに見ている。

「はい」

「機体を壊すなよ」

 奏太は一瞬、言葉の意味がわからなかった。

 壊すな。機体を。それは——整備士への冗談だ。整備士が機体を壊すわけがない。壊さないために整備しているのだから。

 つまり、冗談。ガルベルトが冗談を言った。

 奏太の後ろで、カティアが部品箱を落としそうになった。緑の目が限界まで見開かれている。

「し、師匠が——冗談——」

「うるさい。手を動かせ」

 ガルベルトが低く唸った。だがその口元が、ほんのわずかに——本当にわずかに——緩んでいた。

 奏太は思わず笑った。

「壊しませんよ。俺が整備した機体は、壊れません」

「大きく出たな」

「事実です」

 ガルベルトの琥珀色の目が細くなった。笑っている——のだと思う。三十年の経験を持つ整備班長の、不器用な激励。奏太の胸に、じわりと温かいものが広がった。

 カティアが小さな声で「信じられない」と呟きながら部品箱を拾い上げた。その顔には驚きと、少しだけ嬉しそうな色が混じっていた。師匠の変化を、一番近くで見ている弟子だからこそわかるのだろう。

 昼が近づくにつれて、基地の空気が変わっていった。

 普段は静かな通路に人の往来が増えた。物資を運ぶ台車の音。指示を飛ばす声。機体のエンジンテストの轟音。出発の準備が、基地全体を巻き込んで進んでいく。

 食堂に立ち寄ると、ペトラがカウンターの向こうで忙しく動いていた。丸い眼鏡の奥の茶色い目が、いつもより潤んでいるように見えた。

「あんたたち、これ持っていきなさい」

 カウンターに並べられたのは、携行食の包みだった。通常の支給品ではない。ペトラが手作りした保存食だ。数が多い。明らかに、昨夜から準備していたのだろう。ブリーフィングの前から知っていたのかもしれない。

「東部は寒いって聞くわ。温かいものが食べられるとは限らないから——せめてこれくらいは」

 奏太は包みを受け取った。ずしりと重い。五十代の食堂主任の、言葉にならない気持ちがその重さに詰まっている。

「ありがとうございます、ペトラさん」

「馬鹿言いなさい。礼なんていいから、ちゃんと食べて、ちゃんと帰ってきなさい」

 ペトラが眼鏡を押し上げて背を向けた。肩が小さく震えていた。

 格納庫に戻ると、移送用の大型輸送機が着陸していた。三機の戦闘用機体と整備機材を積み込むための巨大な機体だ。整備班が忙しく荷を運び込んでいる。

 ロッテが通信機材を抱えて格納庫に来た。栗色の短髪に、灰青色の目。徹夜明けのはずなのに、その目には強い光がある。

「タカモリさん」

「ロッテさん」

「前線でも通信は繋ぎます」

 短い言葉だった。だがその一言に込められた決意は重い。東部戦線とヴァルハイム基地の距離は相当ある。通信の維持は容易ではないはずだ。それでも繋ぐと言い切った。

「何かあれば、いつでも連絡してください。こちらから必要な情報は送ります。部品の追加手配も、技術的な問い合わせも——回線が生きている限り、対応します」

 ロッテの灰青色の目がまっすぐだった。通信士としての矜持。離れていても、繋がっていられる。その約束が、どれほど心強いか。

「頼りにしてます」

 奏太がそう言うと、ロッテは小さく頷いて通信卓に戻っていった。

 一二〇〇時が迫っていた。

 輸送機への積み込みがほぼ完了した。機体三機、整備機材、予備部品、消耗品、携行食。東部戦線で当面必要になるものは全て積んだ。

 格納庫の前に、見送りの人々が集まっていた。

 ヴェーバー少将が立っていた。白髪の指揮官は、派遣部隊の面々を一人ずつ見た。鋼のような灰色の目が、一人ひとりの顔に留まる。

 リーゼの前で足を止めた。

「リーゼ中尉」

「はっ」

「東部の状況は未知数だ。無理はするな——と言っても聞かんだろうが」

 リーゼの口元がわずかに動いた。笑みとは呼べない。だが硬い表情がほんの少しだけ和らいだ。

「善処します」

「善処か」

 ヴェーバー少将の口髭の下で、かすかな笑みが浮かんだ。すぐに消えた。

 少将が全員に向き直った。

「戻ってこい」

 短い言葉だった。

「ここはお前たちの基地だ。東部で何があろうと——ここに戻ってくる場所がある。それを忘れるな」

 六十代の厳格な指揮官が、これだけの言葉を口にするのに、どれほどの感情を押し殺しているか。奏太にはわかった。ヴェーバー少将にとって、この基地の人間は——部下であると同時に、守るべき家族なのだ。

 フィンが唇を噛んでいた。泣きそうな顔を必死にこらえている。ヨハンがフィンの背中を軽く叩いた。

「行くぞ、フィン」

「——はい」

 声が震えていた。だがフィンは前を向いた。青緑の目に涙はない。十九歳のパイロットは、唇を引き結んで輸送機に向かった。

 奏太はポケットの六角ボルトに触れた。冷たい金属の感触。いつもと同じ重さ。いつもと同じ形。だがこれから向かう場所は、いつもと同じではない。

 未知の戦線。未知の敵。未知の戦場環境。わからないことだらけだ。

 だが——わからないからこそ、やることは決まっている。目の前の機体を最高の状態に保つ。パイロットが安心して戦えるように。壊れたら直す。壊れる前に防ぐ。それが整備士の仕事だ。どこにいても変わらない。

 内ポケットのスケッチに手が触れた。新しい機体の設計図。東部戦線で何が待っていようと、この図面の続きは必ず描く。限界を超えるための設計を、諦めるつもりはない。

 輸送機のハッチが開いた。

 奏太は振り返った。格納庫の前に立つ人々——ヴェーバー少将、ペトラ、ロッテ、そしてこの基地で出会った多くの顔。数ヶ月前、異世界から突然放り込まれた自分を受け入れてくれた場所。機械の声を聴く力を認めてくれた場所。

 戻ってくる。必ず。

 奏太はハッチをくぐった。カティアが続き、ディーターが最後に乗り込んだ。ガルベルトはすでに機材の固定を確認していた。

 ハッチが閉まる。外の光が細くなり、やがて消えた。

 輸送機のエンジンが唸りを上げた。機体が震え、ゆっくりと地面を離れる。窓から見えるヴァルハイム基地が小さくなっていく。

 リーゼが操縦席の近くに立ち、窓の外を見ていた。銀灰色の髪が機内の照明に淡く光る。紫の瞳に映る基地の姿が、距離とともに遠ざかっていく。

「殲滅の堕天使」と呼ばれる最強のパイロット。その横顔は、今だけは——ただの、故郷を離れる兵士の顔だった。

 奏太は座席に深く腰を下ろした。ポケットの六角ボルトを指で転がす。隣でカティアが携行食の包みを膝に置き、ペトラの手書きのメモを読んでいた。「ちゃんと食べなさい」とだけ書いてある。カティアの緑の目が潤んだ。

 輸送機は東へ向かっていた。

 帝国領の東部。新たに開いた異次元の門。未知の戦場。

 基地の外に、世界が広がっている。奏太たちの戦いは、ヴァルハイムの防衛線を越えて、新たな局面に入ろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ