第二十八章 限界点
連続する戦闘が、機体の限界を削っていた。
奏太は格納庫で七番機の膝関節を分解しながら、歯を食いしばっていた。関節内部のベアリングが摩耗し、微細な金属粉が潤滑油に混じっている。交換すれば解決する単純な問題だ。だが問題はそこではない。
この膝関節の設計そのものが古い。負荷の分散が非効率で、特定の箇所に応力が集中する構造になっている。ベアリングを交換しても、同じ箇所がまた摩耗する。根本的な解決にはならない。
同じことが、全ての機体で起きていた。
肩関節のフレームが繰り返しの戦闘で金属疲労を起こす。背部の推進ユニットの取り付け部が歪む。腕部の駆動伝達軸が微妙に曲がる。脚部の衝撃吸収機構が設計限界を超えた着地を何度も受けて、内部構造にひびが入り始めている。
一つ一つは些細な問題だ。修理できる。交換できる。だがそれが積み重なると、機体全体の性能が目に見えて落ちる。奏太が記録したデータが如実に示していた。直近十回の戦闘で、全機体の平均稼働効率が八パーセント低下。物理構造の劣化が原因だ。
いくら調整しても、いくらガルベルトが魔力回路を完璧に調律しても、物理構造の設計そのものが古ければ性能は頭打ちになる。天井が見えている。その天井を、奏太は毎日の整備で実感していた。
「ガルベルトさん」
奏太はガルベルトの作業台に歩いていった。ガルベルトは三番機の魔力回路を調律中だった。金色の光が手の甲から指先に流れ、回路の中を診断している。カティアが傍でデータを記録していた。
「何だ」
「この機体の魔力回路と物理構造の統合設計について、聞きたいことがあります」
ガルベルトの手が一瞬止まった。琥珀色の目が奏太を見る。
「言ってみろ」
「魔力回路の配線パターンと、物理構造のフレーム配置。この二つって、最初から一緒に設計されたものですか」
ガルベルトの眉が動いた。核心を突いた質問だと気づいたのだろう。
「いや。魔力回路は魔道技術部門が、物理構造は工廠部門が、それぞれ別に設計した。最後に組み合わせて調整する。今の帝国軍の全機体がそうだ」
「やっぱり、そうですか」
奏太の疑念が確信に変わった。
魔力回路と物理構造が別々に設計されている。つまり、両者の統合は後付けだ。場当たり的な調整で辻褄を合わせているだけで、根本的な最適化がされていない。これでは性能に上限がある。
「俺もそう思っていた」
ガルベルトが低い声で言った。奏太は驚いた。
「この機体では、あと何年持つかわからん。敵が強くなっている。数も増えている。今の設計では——限界だ」
ガルベルトが奏太と同じ限界を感じていた。三十年の経験を持つ技術者の目は、奏太とは別の角度から同じ結論に辿り着いていた。魔力回路側からの限界。奏太は物理構造側からの限界。出発点は違うが、行き着く先は同じだ。
「根本的な改善には、新しい設計思想が必要です」
「わかっている。だが——」
ガルベルトが言葉を切った。腕を組み、しばらく沈黙した。
「新しい機体を設計するとなれば、帝国軍の技術本部の承認がいる。予算がいる。資材がいる。そして何より——実績がいる。俺たちのような前線の整備班が機体を設計するなど、前例がない」
「前例がないなら、作ればいいんじゃないですか」
奏太は自分でも驚くほど自然にそう言った。ガルベルトが一瞬、奏太を見つめた。琥珀色の目に微かな光が浮かんでいる。呆れか、感心か、あるいはその両方か。
「随分と簡単に言いやがる」
「簡単じゃないのはわかってます。でも——考えずにはいられない」
今の立場では夢物語だ。奏太は帝国軍の正規の技術者ですらない。異世界から来た民間人の整備士。そんな人間が新型機体の設計を提案するなど、普通なら門前払いだ。
だが——何もしなければ、機体はこのまま劣化していく。パイロットたちは性能の落ちた機体で、強くなっていく敵と戦い続けなければならない。リーゼの愛機も、フィンの機体も、ヨハンの機体も。限界を超えた先に待っているのは、破壊と喪失だ。それだけは絶対に嫌だった。
奏太は作業台に戻り、手元の部品を見つめた。摩耗したベアリング。設計の古さが生んだ犠牲者。これを何個交換すれば気が済むのか。答えは——何個交換しても済まない。問題は部品ではなく、設計そのものにあるのだから。
その夜、奏太は作業台の端でスケッチを描いていた。
紙の上に、新しい機体の姿が浮かんでいく。物理構造と魔力回路を最初から統合した設計。関節部の負荷分散を根本から見直した構造。放熱効率を最適化したフレーム配置。ガルベルトから聞いた魔力回路の特性を考慮した配線経路。
ペンが走る。線が増える。図面が形になっていく。元の世界で十年以上培った設計の知識と、この世界で学んだ魔力技術の知見が、紙の上で少しずつ融合していく。
まだ荒い。まだ足りない。知らないことが多すぎる。でも——見える。壊れた機械の奥に構造が浮かび上がるあの感覚。それが、白紙の上にも現れ始めている。
背後に気配を感じた。
カティアだった。赤毛を背中に流した二十歳の技術者が、奏太のスケッチを覗き込んでいた。緑の目が大きく見開かれている。
「タカモリさん、これ——」
「まだ落書きですけど」
「落書きって——これ、魔力回路と物理構造が最初から一体になってるじゃないですか。こんな設計、見たことない」
カティアの声が震えていた。技術者としての直感が、このスケッチの可能性を嗅ぎ取っている。右手の甲の魔道刻印が微かに光った。興奮すると光る癖がある。
「新しい機体を一から設計するなんて、可能なんですか」
「わからない。でも考えずにはいられない」
カティアはスケッチに目を落としたまま、しばらく黙っていた。やがて顔を上げて言った。
「私も——手伝いたいです。師匠の魔力回路の知識と、タカモリさんの物理構造の知識。両方を知っている人間が必要なら、私がなります」
強い目だった。師匠への忠誠と、技術者としての志。その両方が緑の目の中で一つになっている。
奏太はスケッチに視線を戻した。紙の上の線は、まだ頼りない。だが確かに、何かが始まろうとしている。
二人は暫くスケッチを囲んで話し込んだ。カティアが魔力回路の配管経路について意見を述べ、奏太がそれを図面に反映する。師匠の知識と奏太の知識が、カティアという若い技術者の中で合流し始めている。
夜が更けた。カティアが帰った後、奏太は一人で作業台に向かっていた。スケッチの余白に、数字を書き込んでいく。必要な素材の量。加工に必要な設備。設計から完成までの工程。どれも、今の自分たちの手に余る規模だ。
だが——始めなければ、何も変わらない。
「調整」から「開発」へ。整備士が設計者になろうとしている。馬鹿げた話かもしれない。前例もない。予算も権限もない。だが目の前にあるのは確かな問題と、それを解決するかもしれない設計図の原型だ。
ポケットの六角ボルトに触れた。いつもと少し違う重さで指先に馴染む。これまでは既存のものを直す道具だった。だがこれからは——新しいものを作る道具にもなるかもしれない。
窓の外に夜明けの気配があった。長い夜だった。だが、長い夜の先には必ず朝が来る。




