第二十四章 魔力なき者の意地
リーゼの機体は中破していた。
格納庫の作業灯の下で、その損傷は一目瞭然だった。左肩の装甲は完全に砕け、内部の魔力回路と物理骨格が無残に露出している。肩関節の球面ジョイントが変形し、左腕の可動範囲が三分の一以下に落ちていた。魔力回路のメイン配線三本が断裂。補助回路の二本に損傷。物理側は肩関節フレームの変形、装甲固定具の破損、駆動伝達軸の曲がり。昨日の戦闘の凄まじさを、損傷箇所の一つ一つが物語っている。
ガルベルトが機体を前にして腕を組んでいた。琥珀色の目が損傷箇所を一つ一つ確認していく。顎の短い髭を指先でなぞる。考え込む時の癖だ。
「魔力回路の完全復旧には三日かかる。メイン配線の張り替えと補助回路の修復。さらに肩関節周りの回路パターンの再調律が必要だ」
三日。だが次の敵の攻勢は明日と予測されている。偵察データがそう示していた。リーゼの機体がない状態で大規模戦闘に臨むのは、エースを欠いた戦いになる。それは極めて危険だ。
「物理構造の修復は自分がやります」
奏太が言った。
整備場の空気が変わった。カティアが息を呑み、ディーターの灰色の目が奏太を見た。他の整備班員も手を止めてこちらを見ている。
「魔力回路はガルベルトさんに任せます。回路の修復に全力を注いでください。物理側——肩関節フレームの矯正、装甲固定具の交換、駆動伝達軸の修正——は俺がやります。分業すれば、半分の時間で終わる」
ガルベルトの琥珀色の目が鋭くなった。数秒の沈黙があった。
数日前なら「資格なき者の介入は認められない」と言っていただろう。だが——夜襲の夜に、二人は同じ機体の前で並行作業をした。あの実績がある。ガルベルトはそれを覚えている。
「……失敗するな」
短い一言だった。琥珀色の目が奏太を射抜く。許可だ。条件付きの、だが明確な許可。この男が発する言葉の重みを、奏太はもう知っている。
「了解」
奏太は工具を手に取った。
分業が始まった。ガルベルトが機体の上半身に取りつき、魔道刻印を光らせて魔力回路の断裂箇所を探る。金色の光が手の甲から指先に流れ、機体の内部で回路の状態を診断していく。カティアがガルベルト側の補佐に回り、工具と部品を手渡す。右手の甲の刻印が微かに光って、師匠の調律を見守っている。
奏太は機体の肩関節にアクセスした。外殻を外し、変形したフレームを露出させる。金属が歪んだ独特の匂いが鼻を突いた。フレームの変形度合いを目視で確認し、指先で表面をなぞる。想像以上に深い。だが——やれる。元の世界で何百回も見てきた損傷パターンだ。
ディーターが無言で必要な工具と交換用の部品を作業台に並べた。スパナ、万力、トルクレンチ、固定具の予備セット。ディーターの手は迷わない。二十年の経験が、何が必要かを指先で知っている。
肩関節のフレーム矯正。変形した金属を万力で固定し、少しずつ元の形に戻していく。ぎちり、と金属が軋む音。力の加減を間違えれば、矯正どころか破壊になる。完全な復元は無理だが、機能的に問題ないレベルまで矯正できれば十分だ。奏太の火傷だらけの指先が、ミリ単位の精度で金属を曲げていく。額に浮いた汗が顎を伝って落ちた。
装甲固定具の交換。壊れた固定具を外し、予備品に取り替える。ボルトの締め付けトルクを指先の感覚で確認。強すぎず弱すぎず、装甲がしっかりと固定されつつも衝撃を吸収する余裕を残す。
駆動伝達軸の修正。曲がった軸を取り外し、予備の軸と交換——と思ったが、予備在庫がなかった。
「ディーターさん、肩関節の駆動軸の予備は」
ディーターが首を振った。在庫なし。
「……なら、曲がった軸を直します」
普通なら不可能だ。一度曲がった駆動軸は交換するのが鉄則。だが元の世界で、奏太は何度か軸の修正を成功させたことがある。金属の結晶構造を読み、曲がった方向と逆に微小な力を段階的にかけて、元の形状に近づける。時間はかかるが、不可能ではない。
万力にセットし、慎重に力をかけていく。金属の感触が指先に伝わる。ここまで。ここから先は壊れる。その境界を、指が知っている。元の世界で十年以上かけて培った感覚だ。
三十分かけて、軸の曲がりを許容範囲まで修正した。万力から外し、手で回転させてみる。滑らかに回る。ブレは〇・一ミリ以下。使える。
ガルベルトの魔力回路修復も進んでいた。メイン配線の張り替えが完了し、補助回路の修復に入っている。カティアが計測値を読み上げ、ガルベルトが微調整を重ねる。師弟の息はぴったりだ。
夕方になった。作業は佳境に入っていた。
奏太が物理側の修復を終えたのは、日没直前だった。肩関節のフレーム矯正、装甲固定具の交換、駆動伝達軸の修正。全てが完了。関節を手で動かして可動範囲を確認する。修復前の三分の一から、九割まで回復していた。完全ではないが、戦闘に耐える。
ガルベルトの魔力回路修復は少し遅れていた。補助回路の一本が予想以上に損傷していた。カティアが焦る顔をしているが、ガルベルトは冷静だった。二十年の経験が、焦りを許さない。
夜になった。窓の外に星が見えた。作業灯の白い光が整備場を照らし、四人の長い影を床に落としている。ディーターが夜食を調達してきた。温かいパンとスープ。ペトラが「整備班の皆さんに」と差し入れてくれたものだ。スープの湯気が油と金属の匂いに混じって、不思議と安心する匂いになった。
四人——ガルベルトとカティアとディーターと奏太——が、同じ機体の周りで、同じ目的のために作業している。言葉は少ない。だが呼吸が合っている。ガルベルトが回路に集中するとき、奏太は静かに周辺の部品を整理する。奏太が関節を確認するとき、ガルベルトは回路の調律に没頭する。カティアが計測値を読み、ディーターが工具を準備する。四つの手が、一つの機体を蘇らせていく。
深夜一時。ガルベルトが最後の補助回路の修復を完了した。
「回路復旧、完了」
低い声で宣言した。疲労が滲んでいるが、満足の色もあった。
「物理構造、修復完了です」
奏太が応えた。
最終チェック。ガルベルトが魔力回路の全系統を診断し、奏太が物理構造の全関節を確認する。数値を照合し、問題がないことを確かめる。
「リーゼ機、復旧完了」
カティアが記録に書き込んだ。緑の目が疲労と達成感で潤んでいた。ディーターは無言で工具を片付けていたが、その動きがいつもより丁寧だった。
通常の半分——一日半ではなく十五時間で、リーゼ機が蘇った。
四人が同時に手を止めた瞬間、格納庫に静寂が落ちた。作業灯の白い光の中で、修復された機体が鈍い光沢を放っている。完璧ではない。だが——戦える。それで十分だった。
翌日の戦闘で、リーゼは万全の状態で出撃し、敵を蹂躙した。通信からリーゼの声が聞こえた。「機体の反応が良い。左肩も——問題ない」。短い報告だが、それが全てだった。整備場でその通信を聞いたカティアが小さくガッツポーズをし、ディーターが静かに頷いた。ガルベルトは腕を組んだまま目を閉じていたが、その口元には微かな——本当に微かな満足の色があった。
初めての「意図的な分業」。二つのアプローチが、初めて一つの目的のために噛み合った夜だった。




