第二十一章 整備ミスの重さ
夜襲の翌日。
格納庫は修復作業で慌ただしかったが、午後になると少しずつ落ち着きを取り戻した。奏太は自分の作業台で帰還した機体の損傷記録をつけていた。昨夜の夜襲で、軽微な損傷を負った機体が四機。重大な損傷はなし。全機帰還。それだけで十分な結果だ。
足音がした。重い足音。百九十センチの巨体が放つ、大地を踏みしめるような足音。
顔を上げると、ガルベルトが立っていた。
琥珀色の目が奏太を見ている。いつもの刃物のような鋭さはない。かといって温かさがあるわけでもない。何か——考え込んでいる目だ。赤褐色の髪を撫でつけた額に、薄い皺が刻まれている。
「少し時間はあるか」
ガルベルトが奏太に対話として声をかけたのは、命令や叱責を除けば初めてだった。
「はい」
「ついてこい」
連れていかれたのは、整備棟の奥にある小部屋だった。資材倉庫として使われている部屋だが、片隅に古い作業台があり、壁には年代物の工具が掛かっている。ガルベルトの私室のようなものだろう。長年使い込まれた道具の匂いが染みついていた。
ガルベルトは作業台の椅子に腰を下ろし、奏太にも座るよう顎で示した。
「なぜ整備士になった」
唐突な質問だった。だが、唐突さの中に真剣さがあった。
「元の世界で、ですか」
「ああ」
奏太は少し考えて、正直に答えた。
「父の工場がありました。小さな町工場で、産業用ロボットの部品を作ってた。子供の頃から油と金属の匂いの中で育って、気がついたら工具を握ってました」
「……自分で選んだのか」
「選んだというか——それしかできなかった、が正確です。勉強は苦手でした。人付き合いも下手で、友人も少なかった。会社では毎日残業して、帰ればコンビニ弁当。でも、機械の前にいるときだけ、自分が何かできる人間だと思えた。部品の振動を指で感じて、ずれを直して、ちゃんと動くようにする。それだけが自分の居場所でした」
ガルベルトは黙って聞いていた。その目に、何かを重ねているような色が浮かんでいた。
「俺もだ」
低い声だった。ガルベルトの琥珀色の目が遠くを見ている。壁に掛かった古い工具——その中の一つに、視線が留まった。使い込まれた金槌。親の代から受け継いだものかもしれない。
「鍛冶師の家に生まれた。親父が魔道兵器の部品を打っていた。ガキの頃から火と金属の中にいた。五歳で初めてハンマーを握って、十歳で親父の仕事を手伝って、魔道刻印を刻まれたのは十五の時だ。それから三十年、ずっと機体の前に立ってきた」
ガルベルトが自分の過去を語っている。あの頑固な男が、口を開いている。奏太は黙って聞いた。
「二十年前だ」
ガルベルトの声が低くなった。
「自分の整備ミスで、パイロットを一人失った」
空気が変わった。小部屋の中の空気が、重く冷たくなった。
「魔力回路の微細な劣化を見落とした。配線接続部の、ほんのわずかな腐食だった。通常なら問題ない。通常の戦闘なら、あの程度の劣化は耐える。だがあの日は激しい戦闘で、回路に通常以上の負荷がかかった。劣化していた箇所が耐えきれずに破断した。魔力が暴走し、機体が制御不能になって——墜落した」
ガルベルトの声が途切れた。一呼吸置いて、続けた。
ガルベルトの大きな手が、作業台の上で拳を握った。三十年の経験を積んだ、鍛冶師の血を引く太い指。その拳が、微かに震えていた。
「若いパイロットだった。まだ二十歳だった。笑うと目が細くなる——明るい奴だった」
沈黙が落ちた。倉庫の薄暗い照明が、ガルベルトの横顔に影を落としている。
足音がした。倉庫の入口にディーターが立っていた。灰色の目が、ガルベルトの背中を見つめている。
「あの日は俺も隣にいた」
ディーターが口を開いた。二十年来の相棒が、珍しく言葉を発している。
「班長が自分を責め続けているのを、ずっと見てきた。二十年間、一日も忘れていない。だから——あそこまで完璧を求める」
ディーターの声は静かだったが、重かった。二十年分の観察と理解が、短い言葉に凝縮されている。この男はずっと見ていたのだ。ガルベルトが自分を責め、完璧を追求し、他人の介入を拒む——その全てを。
「だから余計な手出しは許せん」
ガルベルトが言った。ディーターを振り返らずに。
「自分の整備で死なせた人間がいる。二度とあんなことは起こさん。だから——自分の目が届かない場所で、資格もない人間が機体をいじることが、許せなかった」
奏太は答えを選んだ。
「ガルベルトさんが完璧を求める理由が——わかりました」
「……」
「あの頑固さは、傲慢じゃなかった。贖罪だった」
ガルベルトの琥珀色の目が、初めて奏太を真正面から見た。驚きでも怒りでもない。理解された——という表情。二十年間、誰にも説明しなかったものを、この異世界人が言い当てた。
「……生意気な口を利くな」
そう言ったが、声に棘はなかった。
ディーターが倉庫を去っていった。足音が廊下に消えていく。相棒の過去を代わりに語ったこと、それ自体がディーターにとっては大きな行動だったはずだ。
ガルベルトが立ち上がった。
「昨夜のことだが」
「はい」
「——悪くなかった」
それだけ言って、ガルベルトは小部屋を出ていった。大きな背中が廊下の暗がりに消える。
奏太は一人残された小部屋で、しばらく座っていた。壁に掛かった年代物の工具を見つめる。三十年分の使用感が染みついた工具たち。ガルベルトの父親の代から使われているのかもしれない。
あの男は、完璧でなければならなかった。一人の命を失ったから。もう二度と失わないために、自分の領域に完璧を求め続けた。他人の介入を排除したのは、傲慢ではなく恐怖だった。自分の目が届かない場所で、また誰かが死ぬことへの恐怖。
奏太はポケットの六角ボルトに触れた。くるくる。くるくる。
あの男を変えるのは、言葉ではない。実績だ。「お前に任せても大丈夫だ」——そう信じてもらえるだけの実績を積むしかない。ガルベルトは二十年間、毎日その重荷を背負って機体の前に立ってきた。その重さに見合うだけの信頼を、奏太はまだ持っていない。
時間がかかるだろう。でも——昨夜、二人は同じ機体の前に立った。言葉を交わさずとも、互いの手の動きを感じ取って作業した。あの瞬間の呼吸は忘れない。あれは確かな一歩だ。
小部屋を出ると、廊下の先にカティアが立っていた。壁に背をもたれかけ、腕を組んでいる。聞いていたのだろう。緑の目が少し赤くなっていた。
「師匠の話——聞いたのは初めてです。あの事故のこと」
「……」
「でも、ディーターさんが話してくれたってことは——師匠も、少し変わり始めてるってことだと思います」
カティアの声は震えていたが、確かだった。師匠への敬愛と、現実への理解。その両方を抱えて立っている。赤毛の下の緑の目が潤んでいるのは、師匠の痛みを知ったからだろう。
「カティアさん」
「はい」
「ガルベルトさんの弟子が、カティアさんで良かったと思います」
カティアの目から涙がこぼれた。すぐに袖で拭って、「何ですかそれ」と早口で言った。照れると早口になる癖だ。
この世界で出会った、二十歳の技術者の姿が、奏太には眩しく見えた。




