第二十章 夜襲
深夜の警報は、眠りの底から奏太を引きずり出した。
甲高いサイレンの音。赤い回転灯が廊下の壁を染める。重い足音。叫び声。
「敵襲! 全部隊、緊急出撃!」
ベッドから飛び起き、作業着に袖を通す。ブーツを履いて、ツールポーチを掴んで走り出す。体が勝手に動いていた。何度かの出撃を経て、非戦闘要員としての動き方が身体に染みついている。廊下では他の兵士たちとすれ違う。誰もが走っている。暗い表情。深夜の奇襲は最も恐ろしい——準備が間に合わないから。
格納庫に駆け込むと、すでに混乱状態だった。
整備途中の機体が三機。装甲を外したまま、関節部が露出している。魔力回路の定期調律の最中だった機体が二機。残りの出撃可能な機体は七機。十二機のうち、すぐに出せるのは半数強しかない。
「出撃可能機体を最優先で起動しろ! 整備中の機体は後回しだ!」
通信兵の指示が飛ぶ。整備班員が走り回り、パイロットたちが走り込んでくる。非常灯の赤い光が全ての顔を不気味に染めていた。
ガルベルトはすでに作業場に立っていた。琥珀色の目が鋭く光り、両手の魔道刻印が金色に脈打っている。声を荒げることなく、静かに、だが絶対の権威で指示を出す。
「魔力回路の再調律を急げ。カティア、二番機の主回路。ディーター、四番機の補助回路。他の者は出撃可能機体の最終チェックに回れ」
カティアが走った。赤毛を掻き上げ、右手の甲の刻印を光らせながら二番機に取りつく。手が震えていた。初めての緊急出動だ。だが震える手で、それでも正確に魔力回路の端子に触れ、調律を始めた。師匠に鍛えられた技術が、恐怖を上回っている。
ディーターは無言で四番機に向かった。灰色の髪が格納庫の非常灯に照らされている。褪せた魔道刻印が微かに光る。二十年の経験が、この男の手を迷わせない。
パイロットたちがコックピットに乗り込んでいく。リーゼは誰よりも早く搭乗を完了し、機体の起動音が格納庫に響いた。ヨハンが続く。フィンは首のペンダントを一度握りしめてから、コックピットに滑り込んだ。
七機が飛び立った。残る問題は整備途中の機体だった。
魔力回路は急いで再調律できる。ガルベルトとカティアの腕ならば、十分から十五分で最低限の状態に持っていける。だが物理的な損傷——外した装甲、露出した関節——は、魔力では直せない。
「あの機体、装甲なしで出すのか」
整備班の一人が焦った声を上げた。装甲がなければ防御力が激減する。関節が露出していれば、一撃で機能不全に陥る可能性がある。
「やむを得ん。装甲を戻す時間が——」
上官の一人が決断しかけたとき、ガルベルトが口を開いた。
「待て」
全員の視線がガルベルトに集まった。
琥珀色の目が——奏太を見ていた。
「あの異世界人にもやらせろ」
整備場が凍りついた。
ガルベルトが——あのガルベルトが——奏太の介入を許可した。つい数日前に「資格なき者の介入は認められない」と宣言した男が、自分からその壁を崩した。カティアが目を見開き、ディーターが微かに眉を動かした。
いや——崩したのではない。今はそんなことを言っている場合ではないと、この男の合理的な部分が判断したのだ。パイロットの命がかかっている。面子も制度も、命の前では後回しだ。ガルベルトは頑固だが、馬鹿ではない。必要なら、自分の言葉を曲げる強さを持っている。
「タカモリ。物理側をやれ。装甲の復旧と関節の固定だ。魔力回路には触るな」
「了解」
奏太は走った。工具を掴み、整備途中の三番機に取りついた。外されていた装甲パネルを持ち上げ、固定具にはめ込む。手が覚えている。この機体のパネル配置は何度も見た。どのボルトがどの穴に入るか、指が知っている。
隣では、ガルベルトが同じ機体の魔力回路を急速調律していた。金色の光が手の甲で脈打ち、機体の内部で回路が次々に点灯していく。
初めて——二人が同じ機体で同時に作業した。
不思議な呼吸だった。互いの領域に干渉しない。ガルベルトが魔力回路を調律する間、奏太は物理構造を復旧する。ガルベルトの手が内部に入っているとき、奏太は外殻の装甲を扱う。ガルベルトが外に出たとき、奏太が内部の関節を固定する。
言葉は一つもなかった。だが、互いの動きを感じ取って、ぶつからないように作業が進む。ガルベルトの腕がこちらに伸びてくるのを気配で感じて、身体を引く。奏太がボルトを締める音を聞いて、ガルベルトが次の回路に移る。二人の技術者が、初めて同じ空間で、同じ機体のために手を動かしている。
汗が額を伝って落ちた。格納庫の非常灯が赤い光を落とし、二人の影が機体の装甲に重なった。
五分。十分。装甲が戻り、関節が固定され、魔力回路が再起動した。
「三番機、出撃可能!」
奏太が叫んだ。ガルベルトが無言で頷いた。
次の機体に移る。また同じだ。ガルベルトが魔力を、奏太が物理を。カティアが二番機を仕上げ、ディーターが四番機を完了させた。整備班全体が一つの生き物のように動いている。
通常なら三十分かかる復旧作業が、十五分で終わった。
「全機、出撃可能!」
整備中だった機体のパイロットたちがコックピットに飛び乗り、格納庫から飛び出していく。十二機全てが夜空に駆け上がった。
格納庫に残された整備班は、汗だくの顔で互いを見た。カティアの手がまだ震えている。ディーターは壁にもたれかかって目を閉じた。他の班員たちも荒い息をついている。
ガルベルトは無言で立っていた。琥珀色の目が格納庫の出口を見つめている。自分が調律した機体が、自分が送り出したパイロットたちが、今空の上で戦っている。
奏太はその隣に立った。距離は二メートル。先日までなら近づくこともできなかった距離だ。
二人は同じ方向を見ていた。同じ夜空を。同じ人たちを。
三十分後、通信室から報告が入った。
「敵撃退。全機帰還中」
格納庫に安堵の空気が広がった。カティアが膝から力が抜けて座り込み、ディーターが静かに目を開けた。
機体が帰ってきた。着地の振動が格納庫の床を揺らす。ハッチが開く音。パイロットたちの疲れた声。全員無事だった。リーゼが降りてきて、一瞬だけ奏太を見た。紫の瞳に安堵の色が浮かんでいた。フィンはまた首のペンダントを握りしめていたが、表情は前より落ち着いていた。ルーカスも——震えてはいたが、帰ってきた。
ガルベルトは奏太を見なかった。何も言わなかった。ただ、いつもの朝と同じように、整備場に戻って次の作業を始めた。
緊急事態が二人を同じ場に立たせた。
「対立」ではなく「並行作業」。それが初めて実現した夜だった。協力の萌芽——まだ芽でしかないが、確かに土を割って出てきた。
奏太はツールポーチの工具を一つ一つ元の位置に戻しながら、夜明けの格納庫を見渡した。帰還した機体が並んでいる。傷だらけの装甲。焼けた匂い。でも——全機帰還。全員生還。
今夜、初めて整備班が「一つ」になった瞬間があった。魔道整備と物理整備。ガルベルトとカティアとディーターと奏太。四人の手が一つの目的のために動いた。あの瞬間の手応えは忘れない。
ポケットの六角ボルトに触れた。くるくる。くるくる。
まだ遠い。だが——確実に、近づいている。




