第十九章 魔力と機構
整備権限を制限されて一週間。奏太は雑用に戻されていた。
ガルベルトの通達は絶対だ。パイロットたちが調整を求めてきても「今は難しいです」と断るしかない。フィンが「ひどいですよ」と憤慨し、ヨハンが「お偉いさんの面子ってやつだ」と肩をすくめ、ルーカスが「すみません、僕のせいで」と謝った。誰のせいでもない。制度と誇りの問題だ。
だが、思わぬところから道が開けた。
「お前、暇なのか」
リーゼだった。非番の日の午後、整備棟の片隅で六角ボルトを回していた奏太に、銀灰色の髪の女性が声をかけてきた。軍服ではなく私服——といっても簡素なシャツとズボンだが——姿のリーゼは、いつもと少し雰囲気が違う。殺気がない分、紫の瞳が柔らかく見えた。
「暇というか、やることがなくて」
「なら付き合え」
有無を言わさない口調だが、どこか楽しそうだった。
リーゼが奏太を連れてきたのは、整備棟の資材置き場だった。棚に損傷した部品が並んでいる。魔力回路が焼き切れた配線ユニット。亀裂の入った魔導管。変形した魔力結晶の接続器。
「これで教える」
「何をですか」
「魔力回路の仕組みだ。お前、物理構造はわかっていても魔力側は理解していないだろう」
奏太は目を瞬いた。リーゼが——教えてくれる?
「パイロットの視点から、魔力回路がどう機能しているか。操縦する側の感覚を知れば、お前の整備にも役立つ」
リーゼは損傷した配線ユニットを手に取り、テーブルに置いた。内部の管が露出している。あの金色に光る管——魔力回路だ。
「魔力回路は、人間の血管のようなものだ。心臓にあたるのが魔力炉。そこから各部位に魔力が送られる。太い回路が動脈、細い回路が毛細血管。パイロットは自分の魔力を魔力炉に注入し、回路を通じて機体全体を動かす」
リーゼの説明は簡潔で、わかりやすかった。パイロットとして実際に魔力を流している人間の言葉だから、教科書的な抽象論にならない。身体感覚に根ざした具体的な説明だ。
「操縦しているとき、回路の状態は体感でわかる。流れが良い部位は軽く感じるし、詰まっている部位は重い。ガルベルトの調律後は、全身の血行が良くなったような——そういう感覚がある」
奏太はメモを取りながら聞いた。パイロットの主観的な感覚と、物理的な構造の対応関係。この接点が重要だ。
「つまり——電気回路みたいなものですか」
「電気?」
「元の世界のエネルギー伝達方式です。導体を通じてエネルギーを送る。太い導体は大電流、細い導体は微弱電流。抵抗があるとロスが発生して、発熱する」
「なるほど。近いかもしれない。魔力回路にも『抵抗』がある。劣化した回路は魔力の伝達効率が落ちる。ガルベルトの調律は、この『抵抗』を最小化する作業だ」
奏太の頭の中で、二つの世界の知識が繋がり始めた。電気回路のアナロジーで魔力回路を理解する。抵抗、容量、伝達効率。用語は違っても、根底にある物理法則は似ている。エネルギーは流れる。流れには抵抗がある。抵抗を減らせば効率が上がる。
「面白い。お前の理解の仕方は独特だ」
リーゼが笑った。殲滅の堕天使が、笑っている。紫の瞳に知的好奇心が灯り、口元が緩んでいる。戦場とは別人の顔だった。
「もっと教えてください。回路の分岐はどうなってます? メイン回路からサブ回路への分配は固定ですか、それとも可変ですか」
「可変だ。パイロットの意思で、各部位への魔力配分を変えられる。右腕に集中すれば攻撃力が上がるし、脚部に集中すれば機動力が上がる。私の場合は——全身に均等に流すのが得意だ。一点集中は苦手なんだがな」
リーゼが少し照れたように付け加えた。エースでも苦手があるのか。
「それ——物理側の機構と干渉しませんか。魔力を右腕に集中させたとき、右腕の関節に余分な負荷がかかるとか」
リーゼの目が光った。
「——する。実際、魔力を集中させた部位の関節が熱を持つことがある。ガルベルトは魔力回路側の問題だと見ているが、お前の言うように物理側の排熱が追いついていないのかもしれない」
「そうだ。排熱の問題なら、関節部の放熱構造を改善すれば——」
二人の会話が加速した。損傷した部品を前にして、奏太が物理側の仮説を立て、リーゼがパイロットの体感を補足する。魔力回路と物理機構の干渉パターンが、一つ一つ見えてくる。
奏太は夢中だった。元の世界にはなかった概念——魔力という未知のエネルギー。それが物理的な機構とどう干渉するのか。この知識が手に入れば、整備の精度は飛躍的に上がる。ガルベルトの魔力調律と自分の物理調整を本当の意味で統合できるかもしれない。
「ここの結合部、魔力が集中すると発熱するって言いましたよね。物理側で見ると、この形状だと放熱面積が足りない。ここをフィン状に加工すれば——」
「フィン状?」
「表面積を増やす形状です。こう、波型にして——」
奏太はメモに図を描いた。リーゼが身を乗り出して覗き込む。銀灰色の髪が奏太の肩に触れた。甘い匂い——この世界の石鹸の匂いだろうか——がかすかに漂った。奏太はまったく気づいていない。
窓から差し込む光が橙色に変わっていた。気づいたら三時間が経過していた。テーブルの上は部品とメモで埋め尽くされている。奏太が書いたメモには、魔力回路と物理機構の干渉パターンが十二種類リストアップされていた。
リーゼが新しい部品を取ろうとして手を伸ばした。同時に奏太も同じ部品に手を伸ばして——指先が触れた。
奏太は気づかなかった。説明に夢中で、指先が触れたことにまったく意識が行っていない。そのまま部品を持ち上げ、回転軸の構造について話し続けた。
リーゼは一瞬手を引きかけた。紫の瞳が揺れて、髪の毛先を弄る——困ったときの癖が出た。だが、手を引かなかった。触れたまま、奏太の説明を聞いていた。
ペトラが差し入れの夜食を持ってきた。パンとスープとチーズ。「あら、二人で勉強? いいわね」と柔らかく微笑んで、テーブルの空いたスペースにトレイを置いた。
「ペトラさん、いつもありがとうございます」
「食べなさい。二人とも顔色が悪いわよ。特にタカモリさん、また徹夜する気でしょう」
「いえ、今日はもう——」
「お前は徹夜する気だったろう」
リーゼが即座に突っ込んだ。図星だった。
三人で——正確には、ペトラが見守る中で二人が——夜食を食べた。スープの温かさが体に染みる。リーゼは黙って食べていたが、時折奏太の方を見て——すぐに視線を外した。
帰り際、リーゼは廊下で足を止めた。
奏太はもう先に行っている。ツールポーチを腰に巻いた背中が、薄暗い廊下の先に小さくなっていく。その背中を見つめて、リーゼは小さく息を吐いた。
面白い男だ、と思う。魔力もない。戦えもしない。でも機械の前に座ると目が変わる。集中した時の目は、リーゼが戦場で敵を捉える時の目と——少し似ている。
次の非番が待ち遠しい——そう思っている自分に、リーゼは気づいていた。
技術の話が聞きたいだけだ。あの独特な理解の仕方が面白いだけだ。それ以上の意味はない。ないはずだ。そう自分に言い聞かせながら、宿舎に戻った。
髪の毛先を弄る指が、なかなか止まらなかった。
廊下の向こうで、ペトラが空になったトレイを抱えて微笑んでいた。何も言わなかったが——あの柔らかい笑みは、全てをお見通しだと言っているようだった。




