転3
「貴様!」
私の言葉のどれが琴線に触れたのか、これまでになく怒りを露わにした王弟が、私に向かって緑眼をぎらりと光らせた。
「ひょわ、アンタ煽り耐性がなさすぎるわね」
「この状態で煽ってくるお前の方が異常だろう!」
思い切り殺意を溢れさせた瞳で私を睨みつけると、堪え性のない男は私の首筋に短剣をぐっと押し当てた。刃が皮膚に沈み込む感覚。少し角度を変えれば、さくりと切れてしまうだろう。
「やだぁ、そこに押し当てると血管切れちゃうわよ?いいの?予定より早くない?」
「構わんさ」
首を動かすことなく、へらりと笑って目で問いかける。正気をなくした目で、王弟はくくくと喉の奥で笑った。
「最終的には殺すんだからな」
「へぇー?」
ちらりと視線を巡らせれば、すぐ目の前で秀でた額に血管が浮き出してる。うねうねとした隆起した青筋が気持ち悪い。この男の全てが大層気持ち悪いのだ。
「じゃあこの時間は何よ?アンタ、何を待っているのよ」
私に対する殺意を隠しもせず、しかし王弟は無言だ。無言のまま、蛇のようなネッチョリとした視線をこちらに向けてくる。暇だし苛立つし、口くらいしか自由にならないし。私は幼児のようになぜなぜ攻撃を仕掛けてやることにした。
「なんで婚約者を殺すのよ。確かに慣習上、独身じゃ立太子できないかもしれないけど、今回の立太子を阻んだところで、時間稼ぎにしかならないわ。結局そのうち違う女と結婚して王太子になっちゃうわよ。……何が狙いなの、アンタ」
「簡単だろう。お前とあの馬鹿の事故死だよ」
理性を取り戻したのか、皮膚からゆっくりと短剣を浮かせた王弟は、笑って私の髪を鷲掴んだ。頭皮が引っ張られる痛みに僅かに眉を寄せる。
「お前がまだ生きていると知れば、王子は慌てて飛び込んでくるだろうさ。この蛇屋敷にな」
「蛇屋敷?」
眉間にしわを刻んで疑問を表した私に怯えでも見たのか、緑の目に嘲弄を滲ませて王弟は満足そうに薄笑った。
「私が王宮内の私室と王都に持っている屋敷に、大陸中からあらゆる蛇を集めているというのは、一部では有名な話だ。そしてこの事実を知る者は、王宮の私の部屋やこの屋敷へ気軽に足を踏み入れると死ぬと知っている。あらゆる蛇が放し飼いで棲んでいるからな」
「おぞましい話ね」
うへ、と舌を出して吐き気を表す。しかし王弟は余裕の笑みで肩をすくめてみせた。
「自衛だよ。王族は敵が多いからな。安全が確保された隠れ家がないと身が持たない」
寝室に何重にも守護魔法を重ねがけしていた馬鹿王子を思い出し納得する。確かにそうかもしれない。王子が警戒していたのはこの蛇に似た気色悪い男だろうけれど。
「毒蛇が外に逃げ出したらどうする気なのよ。王都の民の安全は考えないの?」
「あははは、本当に何も聞いていないんだな!」
「なんですって?」
心底愉快だと不快な笑い声をあげる王弟に私は眉を顰める。こいつは何を知っていて、私が何を知らないというのか。
「それはないさ。この屋敷には、直系王族だけに使われる強い守護魔法が掛けられている」
楽しそうにそう告げると、王弟は私に驚くべきことを告げた。
「この屋敷に命あるものが出入りするには、直系王族の血がいるのさ」
「はあ?じゃあなおさら私がいたら変でしょ」
何を自信満々に言っているのか、なおさら理解できない。私は王弟の計画の破綻をあげつらい、鼻で笑ってやろうとした。しかし。
「変じゃないさ。お前が王宮に入った初日に渡された護身具は王子の血で出来ている。アイツは、それで場所の特定もできるはずさ」
「へ?」
「王宮内で身分を証明するためにも使えるから肌身離すなとか、適当なことを言われたんだろうが、ソレがあるから、愉快なことに、お前はこの屋敷に出入り自由なんだ。あいつの警戒を利用してやったんだ。私はあいつの一枚上手だということだよ」
思いもよらない事実にぽかんと口を開けて唖然としている私を意地悪そうに見下ろして、王弟は湿った目をぐにゃりと笑みの形に歪めた。
「破天荒なお前が、騒ぎに乗じて逃げ出し、王弟の蛇屋敷と知らずにうっかり飛び込んだと思って、王子はさぞ慌てているだろう。表面上は穏やかでも、私と甥が王位をめぐって難しい立場にあるのは、誰もが知る事実だ。勝手に私の私的空間に王子陣営のお前が侵入してきたら、刺客を疑われて殺されても文句は言えないよ。王子はさぞ血相を変えているに違いない」
歌い上げるようにそう言うと、王弟は刃の先を私の頬にぺたりと当てて囁いた。
「ストーリーはこうだ、愚か者のシンデレラ」
トン、トン、とやけに柔らかく皮膚を叩く冷たい刃が、頬の産毛を逆立てる。
「暴徒の騒ぎに乗じて王子から逃亡した身の程知らずのシンデレラは、目の前の屋敷に逃げ込んだ。隠れ潜んだ部屋の中、シンデレラは偶然いた毒蛇に噛まれて死ぬ。シンデレラを追いかけてきた王子も、ついでに死ぬ。それだけだ」
「……偶然が過ぎると思うんだけれど」
「偶然ではないという証明は難しい。証拠はないからな」
「私はあなたの屋敷で死んでいるのに?」
鋭い視線で王弟を睨みつけるが、王弟はどこ吹く風と涼しい顔だ。にこやかに頷いて「問題になるまい」と言った。
「暴動が起きた場所は、私の屋敷のすぐ近くだ。慌てて逃げ込むにはぴったりの場所だからな。君もついつい入り込んでしまったんだろうね?王子も、君ならやりかねないと思ってくれるだろうさ」
「へぇー、信頼が厚いのね」
皮肉で言った言葉にも、王弟は心底楽し気に頷く。なぜこの蛇男はこんなにご機嫌なのか。嫌な予感しかしない。
「日頃の行いの賜物だろう。逃亡したいと日々叫んでいた人間が居なくなったら、誘拐よりは失踪の方が理にかなっているだろう?たとえ疑ったとしても、私がやったという証拠がなければ仕方あるまい」
「片足の腱を切られているのに?」
「可哀想に。暴徒にやられたんだろうね?足を引きずってここまで逃げ込んだ痕が残っているよ」
「……そりゃご丁寧な細工ね」
戦闘モードだったから意識していなかったが、そういえば足にはしっかりと痛みがある。これでは単身逃げ出すのは不可能に近いだろう。目の前の蛇男は、一応我が国の王族で最も戦功をあげている人間なのだから。
「……でも私が居なくなったからって、王子が単独行動することはないと思うわよ?あの優男、一応王位継承者の自覚はあるみたいだから」
「それはどうかな。お前の命がかかっているんだ。私の屋敷となれば、一人で乗り込むしかあるまい。よそ者の出入りを私が死ぬほど嫌っているのは有名だからな」
「へぇー?」
完全に後手に回っている自覚はある私が悔し紛れの言葉を放つも、王弟は余裕綽々で笑い飛ばした。王子が私を助けにくると信じて疑っていないのが腹立たしい。なんだこいつ。本当に気色悪いオッサンだと、私はげんなりと背の高い男を見上げた。
「私が在宅していれば私と交渉すればいいが、残念ながら私はこの屋敷に不在だからな。私の怒りを覚悟で、王子自身が乗り込むしかない。正式な王命もなく、一介の騎士が乗り込んでいい場所ではないからな。まぁ、そもそも入れないが」
王弟は鼻で笑いながら言うと、やけにいやらしい笑みで私の身体を舐めるように見まわした。
「お前は十五年以上結婚しないとゴネていた馬鹿甥がやっと見つけた女だ。よほど相性がいいのか?」
「気色悪っ」
視線の気持ち悪さに、素直に皮膚が粟立った。しかし私の本心からの悲鳴を無視して、王弟は呆れ混じりに笑った。
「俺でも引くほどの護衛と魔法具を張りつかせよって、引き離すのに苦労したが……お前の命は、アイツにとって随分と重いらしいな」
手の中の短剣を無造作に遊ばせていた王弟は、私を見下ろして、胸のポケットに手を入れた。そして。
「だが、この三グランにも満たない軽くて小さな蛇が、お前の命を奪う」
真っ白な小蛇を掌に載せて笑う。滑らかにしゃがんで、すっと床に手を置くと、白蛇は静かに床に這い移った。
「可愛いだろう?この貴婦人はちっぽけな牙から、大人を十人も殺せる毒を吐く。……ほら、行け」
「あら、もう殺すの?」
「屋敷の周りにいる蛇たちがざわめいている。そろそろ甥っ子が近づいてきているようだからな、頃合いだろう」
時間を稼ぐため会話を繋ごうとするも、私の意図を察した王弟は鼻で笑って立ち上がった。
「倒れているお前を慌てて抱き起した途端、王子もガブリだ。見事な喜劇だろう?王子にとっては悲劇だろうが」
くくくとまた喉の奥で笑って、王弟は口角をあげたまま機嫌よく手を振った。
「さて、さらばだ。私はそろそろ失礼するよ。最期は恋人たちでゆっくりと味わうべきだからな」
「余計なお世話よ、この姑息で下劣な蛇男!」
不思議そうに首を傾げながら私のもとにするするとよって来る白蛇に背筋を冷たいものが滑り落ちる。この蛇に噛まれるとどうなるか私は知っている。さっき知らされてしまった。逃げなければ。蛇を刺激せず、あのクソ野郎だけを振り向かせる方法を、私は必死に考えた。
「なんとでも言え。兄には男児が一人しかいない。第二位王位継承者は私だ。あの王子が死ぬのが一番平和的な解決法だからな。無駄な人死にを避けたのだから。戦嫌いの甥っ子には感謝されてもいいくらいだろう」
「なんで王子がアンタみたいな卑怯者に感謝しなきゃなんないのよ!図々しいったらありゃしないわ!そういうのを、盗人猛々しいって言うんじゃないの!?」
「ふん。向いていないと嘆くくらいなら、さっさと降りればよいに、そうしないあの馬鹿者が悪いのだ」
「……あーなるほど!やっとわかったわ!」
罵倒する私に、王弟は吐き捨てる。そしてその台詞に、私は思い当たって笑いだしてしまった。
「なるほどねぇだからアイツ、向いてないって嘆きながら、頑張ってたのね」
「は?」
私は己の気づきが楽しくて、にやにやと笑いながら惨めな負け蛇王弟を嘲笑った。
「アンタを王様にしないために、アイツは王様になろうとしてたのよ。国民を不幸にしたくないから。ふふ、ちょっと見直しちゃったじゃないの。あの間抜け、王者の素質があるわねぇ!」
「なんだと!?」
怒りに血相を変えて私のもとに戻ってくる器の小さい中年男から目を逸らし、私はふくらはぎを這う冷たい体温に目を向けた。
私の命を奪いにやってきた殺人者。目前に迫った小さな白蛇に笑いかけ、私は小声でつぶやいた。
「どうしようかしら、うっかり支えたくなっちゃったわ」
気の短い王弟の短剣が私の喉を切り裂くのと、愛らしい白蛇が私の皮膚に牙を突き立てるのと、果たしてどちらが先だろうか。切られた方が証拠が残せるけど、毒で一気に死ぬなら生体反応がなくなって王子も無茶な突入をせずにすむかしら。そんなことを考えていた私は。
ドゴッガシャシャシャッ バキッガララララララッ
ドガンドガンドガンッ バババババンッ
「シーラ!無事か!?」
視力を奪う真っ白な閃光と聴力が消失するようなありえない轟音の中。
私の名前を呼ぶ、危機馴染んだ焦り声だけを拾い出し、安堵の中で目を閉じた。
そういえばあの間抜け、間抜けなだけで実力はあるんだった。
「心配して損したわね。……私、まだ噛まれていないと良いんだけれど」
極度の緊張と疲労、ついでに出血もあり遠ざかる意識の中、私は口の中で呟きながら祈る。
もう少しシーラとして生きていられるならばいいのに。
そうしたら、あの馬鹿をこれから支えてやるのもやぶさかではないので。
調べたら蛇は基本的に無臭だが種類によっては独特のにおいがする、攻撃時にも悪臭の汁を放つと書いてあったので。王弟は己の興味のままいろんな蛇を飼ってストレスを与えているのだと思います。(蛇が生臭いかのような本文への弁明)




