第64話『アーリアの剣』
その薄汚い牢番は、あからさまに様子がおかしかった。
「おい! 返事をしろ! 騎士様の前だぞ! おい!!」
「・・・」
虚ろに中空を見つめていた男は、兵士の呼びかけにも応じず、じっと椅子に腰掛けている。
そこは、地下牢へと続く小部屋。
明かりは、小さな明り取りの窓から取り入れられ、そこから中庭の喧騒が少し遠くに響いている。
入り口の扉も、牢へと続く扉も開け放たれ、内装はと言うと、脂でぎとぎとに汚れた小さなテーブルと、この牢番らしき男が座る小さな丸椅子一脚のみ。
足元には棍棒が転がり、テーブルの上に置かれた古びた燭台と、虫達の泳ぐスープ皿が・・・
男爵が付けた案内の兵士は、やれやれと言った風情で振り返ると、手もみしながらさも申し訳なさそうに頭を下げた。
「すいません。こいつ、なんか一発決めちまったみたいで・・・」
つんつんと自分の頭を指で突っつく兵士を、ガッシュは憮然と手で制した。
「仕方あるまい。お前ぇ、案内出来るか?」
「もちろんです、ガッシュ卿!」
へこへこと頭を下げる兵士は、壁にかけられた鍵束を引っさらう様に手にすると、そそくさと前へ進み出る。
「こちらで御座いますよ・・・」
「うむ・・・灯りは無いのか?」
「あ~・・・」
これは痛恨の極みと言った表情で自分の顔を叩くと、兵士は慌てて元来た階段へと駆け出した。
「只今! 只今! ご用意致しますですハイ!!」
そんなやり取りを前に、無表情な牢番の中では、ひっきりなしにある化学反応が繰り返されていた。
<M1053号より緊急報告! M1053号より緊急報告! 検体ナンバーM230号発見! 検体ナンバーM230号発見!>
音声では無い。
ある種の、精霊力の変動により、より遠くへとより複雑で意味のあるシグナルを送るのだ。
<AよりM1053号へ! AよりM1053号へ! 現状待機せよ! 現状待機せよ! 現状待機の上、逐次現状の報告を行うのだ!>
<M1053号よりA様へ! M1053号よりA様へ! M2033号、およびM2034号へ接近する者あり! M2033号、およびM2034号へ接近する者あり!>
<こちらC! こちらC! AはM様へのご報告に行かれた! AはM様へのご報告に行かれた! 以後、報告はCが受ける! 以後、報告はCが受ける!>
<C様!>
<C様だ・・・>
<C様~!>
<・・・!>
<!!>
<~!>
<(^O^)/~>
引っ切り無しに交わされる交信。
沸き立つ様な、無数の声。
さざ波の如く揺れるその揺らぎは、まるでそれに感情があるかの様に響いた。
「どうしたの?」
ぎゅっと抱き締めてくるシルフーに、アーリアはきょとんと、そしてその震えが伝わると、何やら確信めいたものがその胸に生じた。
「大丈夫? 戻る?」
「だ・・・い・・・」
わんわんと響く声が、シルフーの頭の中で意味不明のノイズとなってさいなむ。
体表に、思わずふつふつと脂汗が浮かび、最も近い響きの主を、シルフーはその巨眼でじっと見つめた。牢番の男を。
「ジョブ・・・ジョブ・・・」
「戻ろう・・・ね、戻ろうよシルフー・・・」
「どうした?」
覗きこむ様に、シルフーの様子を見るアーリアに、辺りの様子を眺めていたホークもこの異変にようやく気付いた。
「シルフー、なんだかここが嫌いみたい・・・」
「なんだ、びびってんのかよ?」
しょうがねぇなぁ~と言った風情で、呆れるホーク。
いつもだったら、こんな風に言われるとむきになって噛み付いてくるシルフーだったが、どうやら本格的におかしいらしいと感じざるを得ない。
そこへ、さっきの兵士がたいまつを持って降りて来た。
バチバチと燃え盛る脂の匂い。黒い煤が立ち上り、皆を赤々と照らした。
「すいませ~ん! これで宜しいでしょうか?」
「ああ。先へ行ってくれ。行こうか?」
「はい・・・」
ガッシュはアウリーリンを促すと、二人してその兵士の後に続く。
そして、どうしたものかと困惑するアーリアやホーク、ルイスら三人を尻目に、シルフーはきゅっきゅと前へ進み出すのだった。
その歩調に、慌てて合わせるアーリア。
「大丈夫なの?」
「・・・うん・・・」
進まなきゃ。進まなければいけない。進もう。進むとき。進めば。進んだら。
無数の思考が沸き起こる中、シルフーはその音の正体を、突き止めなければいけないと妙な確信を持って歩んだ。
自分の謎。
どうしてこんなにみんなと違うのか。
どうしてここにいるのか。
どうして・・・
それら水底から沸き立つあぶくの様にシルフーを揺さぶる困惑の答えがそこにある気がして仕方なかった。
<誘い込みなさい! M1053号、M2033号、M2034号を覗く全ユニットへ告ぐ! 十分に引き込んだ所で奇襲をかけます! M1053号、M2033号、M2034号を覗く全ユニットに告ぐ! 十分に引き込んだ所で奇襲をかけます!>
◇ ◇ ◇
不意にジミーは開放された。
鼻や喉の奥に入り込んだ液体の様なものが、にゅるりと抜け出て、地下牢の淀んだ空気が肺へと流れ込む。
ジミーはそれをむさぼる様に求めた。
視界が戻る。
喉の異物感が、思いっきり咳き込ませる。
気を失う寸前で、舞い戻らされた現実に、ジミーは恐怖した。
「げっ! がはっ!」
言葉にならない。
動かせるだけの部位を総動員して、扉へと流れる様に集う不気味なゼリー状の物体から、のたうつ様に逃れた。
ぬるり。
身に着けていた衣服が、とろける様に床石に残る。
その這いずる跡に、赤黒いものがべったりと。ずるむけた皮膚から、血が流れ出している。
もう少しで食われるところだった。その実感が、ジミーに更なる恐怖を引き起こす。
「ひああああああああっ!!?」
◇ ◇ ◇
その悲鳴に、ガッシュはアウリーリンを背後にかばった。腰の長剣に手を置き、ゆっくりと抜き放つ。
油断無く身構え、猫の様に静かな足取りで、ゆっくりと後ろへ下がろうとした。
そこへばたばたと駆け込む気配に、ガッシュは一喝。
「下がれ!!」
それとほぼ同時に、牢屋の扉のそこかしこから、不気味なゼリー状の物体が一斉に染み出して来るではないか!?
<M1053号、扉を閉めるのです>
駆け込んだ四人の背後で、がちゃんと扉の閉まる気配と、続いて鍵がかけられる金属音が響いた。
「な、なんじゃこりゃぁ~っ!!?」
取り乱す兵士は、手にしたたいまつを落とした。
じゅじゅっと床の水溜りに転がり、一気に視界が悪くなる。
「こいつはやべぇな・・・おい! ゲイル! ガンツ!!」
返事が無い。
「いねえのかっ!?」
前を向いたまま、吼えるガッシュに、代わってホークが答えてやった。
「二人とも、いねえよぉ~。廊下で、どっかに行っちまった」
「なんてこったい・・・」
自分一人なら、何とか切り抜ける自信があった。
が、今は護らねばならぬ人がいる。
そして、他にもなんかやたらめったら大勢いるぜ。
「こいつは、ますますもってやべぇな・・・」
下唇を噛み、ガッシュは真っ直ぐにその剣を、相手に切っ先を向ける様に構えた。
そこへ立て続けに、ホークが矢を放つ。
狙いは正確に、ぷすりぷすりと突き立つのだが、それが効いているのかいないのか、不気味にふるえるそれらは見る間に、たった今奪い取った人の姿を取り始める。
「こいつぁ・・・」
息をのみ、矢をつがえる手を止める。
そこに居る全員が、その変容を目を大きく見開いて、薄暗い中にあって見通そうとした。
「外法の錬金術か・・・」
ガッシュの呟きに、短剣を引き抜いて身構えるルイスもハッと息を呑む。
「聞いた事があります。錬金術の中には、不思議な生命を操る術があると・・・確か・・・」
そしてその目は、自然とシルフーを見据えた。
「ホムンクルス・・・」
どうみても、その姿形が人へ変容する様は、シルフーのそれに酷似していた。
すっと距離を置くルイスとホークの気配に、アーリアは逆にシルフーを強く抱き締めた。
震えているのが判っていたから。
言い知れぬ葛藤が、彼女の中にあって鬩ぎ合っている。それは、アーリアにも覚えのある感覚。
(苦しんでる! シルフーは苦しんでる!!)
放っておけない、という感情が、自分が異常であると自覚した時の言い知れぬ孤独感が、アーリアの中で一つの使命感となって形作られようとしていた。
腕の中にある孤独な温もり。
誰が判ってあげられよう。
誰が判ってあげられよう。
(他の誰が・・・)
でも、どうすれば・・・
せめて・・・
せめて、何か武器があれば私にも!
(護ってあげられるのに!!)
その時、アーリアは息をのんだ。
脳裏に響く、女主教の言葉に。
心の距離・・・心の距離は・・・
彼女がアーリアへ指し示したものは。
掌に転がる人形。それを懐かしいと言って、虚空から取り出した彼女は・・・
化粧台や、このドレスを・・・
次から次へと・・・
あの時の・・・
あの時の声は・・・
ふと、輝く虹色のイメージが次々とアーリアの心の内へと流れ込む。
アーリアは歌った。
寸分たがわず。
あの女主教が口ずさんだ、不思議な音を。
絶対音感。
一度耳にした音は、すべてアーリアの内に、鮮やかにみずみずしいままに響いている。
「だから、お前を買ったのだよ・・・」
先生の言葉もそこにあった。
「アーリア」
初めて、名前を呼ばれた瞬間を。
「アーリア・・・」
水底の世界でかけられた、言葉のいつくしみを。
「アーリア!」
陽だまりの中、陽気な丘小人からかけられた友情の証を。
「アーリア。歌って、アーリア・・・」
頼る者も無く、風の中をたった一人でさ迷う異形の少女の、何の陰りも無い、無垢なる願いを。
「シルフー! お前は私だ!! 私はお前だ!!」
「アーリア・・・何言ってるの?」
腕の中、きょとんとするシルフーのつぶらな瞳。その目の前で、アーリアは虚空より一振りの小剣を引き抜いて見せた。
鋭く尖った刀身に、鮮やかなルーンの輝く、魔法の剣を。
それは、水底に眠る戦士の帯びていた、アウリーリンより貰った、アーリアの剣だ。
読んでくださり、ありがとうございます
今回は書いてて本当に泣けてきました。
切ないです。
ご意見、ご感想など御座いましたら、お気軽にお寄せ下さいませ。
それこそが、心のエネルギー♪
今日も、ありがとうございます。
また、続きを読んで戴ければ幸いです。




