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アーリア  作者: 猿蟹月仙
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第63話『検体ナンバーM230号』

 薄暗い階段を下ると、次第に異臭が立ち込めてくる。

 何ヶ月も何年も不潔なままに過ごした人間達の醸し出す淀んだ空気。

 最低の扱いを受けるにふさわしいと判断された人間が押し込められる専用の小部屋。それが牢獄。

 石の寝台と、糞尿を垂れ流す為の小さな穴。

 毎日1回、扉の下の小さなスリットから差し入れられる、僅かばかりの水と食い物と呼ぶべきモノが、外界との接点。それに手が付けられなくなった時、数日後に扉の錠が開かれた。

 そして、祭りの際に開かれる公開処刑が、その例外。


 エルアラの砦もその例に漏れず、酷いものだ。濃厚な異臭が、そこへ立ち入ろうとする者達を手招きしている。そんな空気が存在する。

 ガッシュの様な、古強者はその辺の事は良く判ってる。

「大丈夫か?」

 水に濡れた石段を降りる際、左腕に寄り添うアウリーリンへの心遣いを見せる余裕もある。

『問題ありません』

 たおやかな妖精語が涼やかに響く。


 その方が彼女らしくて良いと、後ろに続くアーリアは思った。

 が、水の妖精であるアウリーリンの瞳は、その足元を濡らす水に、少しだけ険しい表情を覗かせていた。

 ガッシュは、それを人の持つ暗部への反応と思い、そっと彼女の手へ己の右手を重ねた。決して揺るがぬ意思を、その瞳に宿し。

 その意思に気付き、柔和な輝きを湛える流れる小川の乙女は、小さく頷いてみせた。

「では、参ろう・・・」

「では、マイロウ・・・」

 オウム返しに言葉を真似る。


 これはセーフ。

 アーリアの意識は、針の様に刺々しく目の前の黒騎士『一番星』のガッシュに注がれていた。

 人の言葉を知らぬアウリーリンに、ほんの半日も経たぬ内に、下世話で下品な男言葉を教えてしまった男に、ついぞ芽生えたばかりの信用という形無きものは、大地に叩きつけられ粉々に砕かれてしまったのだ。

 その意識が、ふと引き戻された。

「シルフー?」

 怯えているのか、アーリアに絡みつかせた触腕が、僅かに震えている事に気付いた。こんな事は、この一両日中無かった事だ。

「シルフー、大丈夫? ここに残る?」

(地下の暗闇が怖いのかな? 少しは可愛いところもあるみたいじゃない・・・)

 そう思って、その腕を優しく撫でると、きゅっと縮まり、大きな丸い目がアーリアを見つめ、次にその暗がりを見据えた。

「違う・・・怖くなイ・・・呼んデる・・・」

「呼んでる?」

 小さく頷くと、シルフーは自分の意思で、にゅっと前へ進み出ようとする。

「大丈夫かなぁ~?」

 アーリアのその一言に反応するかの様に、シルフーの体内で光が明滅を始めた。どうも大丈夫と答えている様な気がして、アーリアはシルフーの足取りに合わせて、階段を下り始めた。


 そしてその後に続く、ホークとルイス。

「おい?」

「何でしょう?」

 弓の弦をぐいぐいと引きながら、呟く様に問いかけてきたホークへ、吟遊詩人のルイスは変わらぬ微笑で問い返した。

「いつからだ」

「さっき、すれ違った誰かと話を・・・ああ、確か道化の方でしたか」

 二人で振り向くと、廊下は右へ折れて先が見えず、辺りの気配も祭りの騒ぎにかき消されている。

「仕方ねぇなぁ~」

「ま、騎士様ですから。我々にはどうにも・・・」

「そりゃ、そうなんだけどな」


 実際、人界において、騎士階級と平民との間では明確な権利と義務の差がある。平民と、土地に縛られた農奴の間でもまた然り。他人に所有される奴隷もまた・・・

 いわば、アーリアは主人の死により、奴隷階級より開放された平民という事になる。

 ホークは丘小人の社会では、自分の土地を持つ平民であり、自分の土地を持つ一領主であると主張する事も出来るが、大した広さも武力も無いのでそれは全く意味の無いものである。

 ヒースは大農場の一族であるから、近隣の諸侯と通じて貴族としての最低限の身分は保証されている。

 そして、吟遊詩人のルイスはと言えば、根無し草の平民といった具合か。旅芸人の様なものは、平民の中でも最下級に位置する。


 要するに、二人はお偉い騎士様には、表立って逆らう事は出来ない身分なのである。

 あくまで人界においては、であるが。


「行こう・・・」

「行きましょう・・・」

 二人は皆に少し遅れて、階段を降りて行った。



          ◇   ◇   ◇



 張り詰めた空気を破ったのは、二人の衝突だった。

 巨漢の男が放つ裏拳を、ガンツの盾が受け止めた。ゲイルの頭上で。

 大気の唸りから、相当の力がぶつかり合った事は、誰の感覚にも明らか。

 だが、陽気な祭りの喧騒は崩れる事も無く、誰の耳にも入り込む。

「やるじゃねぇか・・・」

「おまえもな・・・」

 二人の巨漢が、目をらんらんと輝かせにらみ合う。


 その腕の下、ゲイルの手も素早く懐へ飛び込むと同時に、身を屈めて右へ飛ぶ。

 ほぼ同時に、ひょろりとした男の頭が、歯をがちがち言わせながら、文字通り頭だけがにゅるりと伸びてそれを追った。

「何っ!?」

 煌く白刃は、そのフードの下に消え、それでも勢いは衰えぬ。

 ナイフを放った勢いそのまま、ゲイルは身を独楽の様に回転させ、ブーツの風車で踵から蹴り上げるのだが・・・


「ちょいちょ~い♪ 待てっつーんだよぅ!」

 その言葉も終わらぬ内に、大量の光がその道化師の体より放たれた。にらにらと脂ぎった虹色の輝きが。

 思わず、盾を構えてそれを防ぐゲイルとガンツ。

「この俺様の段取りをぶっ壊すつもりかよぅ! おらおらっ! こっちこーいっ!!」

 光の中、二人を引っ張る小太りの中年道化師の姿が、辛うじて残像を残す。


 ガンツは、悲鳴を上げる様な金属のきしみに、ハッと己の盾を見た。

 それは、まるで巨大な鍵爪に引っかかれたかの様に、大きく引き裂かれている。

「なんて化け物だ!」


「待ちやがれぃっ!!」

 逃げる三人組に、僅かに遅れて廊下を走り出すゲイル。

 だが、その先で、光る道化師が一人でにんまりと待ち受けていた。

 真っ直ぐに駆け寄るゲイルは、腰の長剣を抜き放つ。

 その瞬間、道化師の顔はそのメイクと同様に狂気の色彩を色濃く帯びる。

「我が、一世一代のビッグショーへようこそ!!」

 喜色満面の声色。

 大きく左右に開いた道化師の腕の下には、無数の筒がぶら下がり、激しく火花を散らしているではないか。

「げげぇっ!!?」

 たたらを踏むゲイルに、一斉に放たれる火筒。色取り取りの火線を描き、甲高い音を立てて廊下から外へと飛び出し、次々と破裂しては人々の悲鳴を演出する。


 咄嗟に、盾とマントで身を護ったゲイルは、おそるおそるにその構えを解くが、既に道化師の姿は無い。

「どこだ!?」

「兄貴ぃ~!!」

 そこへどたどたとガンツがやってくる。

「逃がした!! 追うぞ!!」

「あ、ああ・・・」

 勢いを溜め、走り出そうとするゲイルの耳に、どこからかあの道化師の甲高い笑い声が聞こえてきた。

「兄貴ぃ~・・・」

「外だ!!」


 今しがたの爆発に、興奮冷めやらぬ人々が右往左往する中、硫黄の香り漂う煙たい広場へ飛び出した二人は、その声の正体を求めて空を見上げた。

「何だって・・・」

「あ、兄貴ぃ~・・・」

 やおら、長剣を投げつけようとして、ゲイルはその腕を下ろした。とても届きそうに無い。


 見る間に、その不気味な道化師の姿は、空へ空へと上っていく。

 男が捉まっている縄梯子は、その少し上の何も無い所から垂れ下がっている。

「エルアラの街の皆様!! どうかしばしの平穏をお楽しみ下さい!! 最後の平安をねっ!!」

 そう言い放つと、道化師はゆっくりとその縄梯子を上って行く。

 人々の悲鳴が響く。

 その身体は、頭から消えていくでは無いか!?


「畜生!! とんだ道化だぜ!!」

 地団太踏んで悔しがるゲイル。その傍らで、ガンツは己の大きく裂けたシールドの穴を指でいじりながら、とほほとしていた。



「ひゃっはぁ~っ!! やっぱり祭りはこうじゃなくっちゃね!!」

 海鳥を両手いっぱいにぶら下げた女司祭は、子供達と一緒にこの光景を堪能していた。

「ねえねえ、消えちゃったよ!?」

「ああ、あれはね。光を曲げてるんだよ。そうすると、あそこにある物がまるで無いみたいに見えるんだね。面白いでしょう?」

「へぇ~・・・」

「まるで魔法みた~い!」

「いや、魔法なんだけどね・・・」

 てへへと笑う女司祭は、ハッと思いついたみたい。

「ね、これ持ってて。あ、あげるあげる!」

「い~の~?」

「いい、いい。それよりか、ちょっとびっくりするものを見せてあげるから、落として逃がさない様にね」

 魅力たっぷりのウィンク。

 周りの子供達に、逆さにぶら下げた海鳥を配って回ると、両腕をたくし上げて掌を目の前で合わせてみせた。

 興味津々といった視線を集めた女司祭は、短い詠唱でそこに小さな火の玉を生じて見せる。そして、そのまま弾む様な詠唱を続けると、次第に大きさを増す火球。ゆっくりと目の上に、高く高く掲げて見せた。

 目をまんまるにして見上げる子供達。

 そこで詠唱が止まる。

 ぺろり舌なめずりする女司祭。

「見てろよ~・・・すぅ~ぱぁ~・・・ふぁいやーっ!!!」

 その巨大な火球から、無数の突起が突き出したかと思ったら、その掛け声と共に天へ放たれるや、突起は百本もの火矢と化し、火球は巨大な炎のランスと化す。

 先程の火筒の数倍もの悲鳴に似た音を発てて、ぐんぐん上空へ駆け上ると、唐突にそれらを覆い隠していた光のベールを剥ぎ取り、丸い無数の球体に吊り下げられた一艘の船を暴き立てると、その船体やそれを吊り上げている球体らに次々と突き刺さり、最も巨大な火のランスが船体のど真ん中を真っ二つに打ち砕くのに前後して、派手な破裂音を立て続けに響かせてみせた。


「わぁ~・・・」

 光と炎と音による壮大なファンファーレ。それをうっとり見上げる子供達。


「あ・・・やり過ぎた・・・」

 どお~んと、球体の一つが大爆発。

 ゆっくりと風に乗って街の外へと流されて行く。その船体の上に、無数の人影が右往左往していたが、これは助けに行かねば・・・

 そんな女司祭の腕を、ぐっと掴む者があった。

「あ・・・」

 見れば、そこには大きく裂けた闇色の空間があり、そこから浅黒い大きな腕が伸びて、ぐいと女司祭の左腕を引いていた。

「随分と楽しそうではないか?」

「あ~・・・」

 周りの者は、誰も気付いていないみたい。どうしたものかと、頭を巡らせていると、その声は更に続けた。

「私も混ぜて貰っても良いのだが・・・」

「それはちょっと~・・・だけど、あと二日あるのよね~・・・」

 残る右腕で、とほほ~とVの字を描く女司祭に、もう一本の腕がぐいっと腰の辺りを引き寄せた。

「君にはある嫌疑が持ち上がっている・・・」

「え!? 一体、何のお話で?」

 すっとぼける女司祭に、その声は愉快そうに語りかけた。

「イエスかノー。答えはどちら?」

「え? だって・・・」

「君は子供か? 一つ、育児放棄の訴えがこれだけ・・・」

「んな訳無いでしょ!」

 ばらり、百枚程の羊皮紙が女司祭の頬を叩く。

「酷い! 捏造だわ!」

「一つ、君の頬に残るそれは何だ?」

 カシャ! カシャ! カシャ!!

 千分の一ミリ程のしみがクローズアップされる。

「さぁ~何の事かしらねぇ~?」

「十分な説明を求めるのは、当然の権利じゃないかね?」

 目線を泳がせ、だらだらと脂汗を流す女司祭に、声は更に続けた。

「イエスかノー。答えはどちら?」

「この前みたいに、ず~っと幽閉なんて・・・」

「それは君が素直になるかどうかにかかっている」


 どうやら観念したらしく、しぶしぶと女司祭は答えた。

「い・・・いえす・・・」

「よろしい・・・」

 声の主は、ぐっと女司祭を引き寄せて、仕方ないといった表情の女司祭もその暗闇の中へと頭を差し入れた。


 ぽか~んと、見上げる少女が一人。

 その大きな腕は、指を一本立てて、ちっちっちと舌を鳴らした。

「ここからは大人の時間だ。いいね?」

「うん!」

「良い子だ・・・」

 声はそう告げて、女の子の頭をぽんぽんと撫でる。

「君にデュールの祝福あれ・・・」

 そして、それが戻ると同時。静かに女司祭の身体はその闇の中へ消えた。そして、その闇自体も。

 それらをぽか~んと見上げていた少女は、くるりときびすを返して駆け出した。


「お母さ~ん! あのね~!」



          ◇   ◇   ◇



 暗緑色の光の中、黒い革張りの椅子にその身を預ける様に、一人の男が物思いにふけていた。

 すると、そこへ・・・


「M様・・・」

「アーか? 何か?」


 一人のがっしりとした戦士風の男が現れ、うやうやしく頭を垂れた。

「M1053号からの緊急報告です」

「続けたまえ・・・」

 Mはその身を休めたまま、何枚かの羊皮紙を手にし、それを眺めた。

「行方不明だった検体ナンバーM230号を発見したとの報告です」

「ほう・・・?」

 その番号が、ようやくMの興味を引いた様だ。

「確か、M1053号は・・・」

 瑣末な事を思い出そうとするが、頭の中は他の事がいっぱいで、なかなかに思い出す事は出来なかった。

「ルーに貸し与えた『ヒトモドキ』です」

「あ~!」


 手にした羊皮紙をさっと傍らのテーブルへ放り投げ、ぽんと手を叩いた。

「素晴らしい! 素晴らしいよ、アー君。君はいつも私の足りないところを補ってくれる」

「お褒めに預かり恐縮至極。私はその為に、M様に造られた存在。お役に立ててこれ以上の喜びは御座いません」

 二人とも、どこか感情が欠如した言葉のやりとり。

「だが、困ったね・・・ルー君には、例の作戦を・・・確か・・・」

「はい。明日の明朝決行予定です」

「楽しみだねぇ~・・・特にあの2体はこの僕の特別製だ!」

 特別製という言葉に、初めてMの感情らしきものが込められた。

「はい。特別製の『ヒトモドキ』。『超汚染ヒトモドキ』であります」

 うんうんと何度も頷き、改めて椅子の背もたれに全身を預け、天を仰ぐ様に頭を後ろへ傾けた。


「二種類の体液が混合した際、強烈な化学反応により燃焼が発生する・・・考えてもみたまえ! たった2体の『超汚染』タイプの『ヒトモドキ』で、エルアラの街一つが、地上より消し飛んでしまうのだから、痛快だねぇ~!!」

「はっ!! 人の世のあらゆる悪しき感情を凝縮させた特殊A液、B液の混合爆発により、周囲一帯は霊的に人の住めぬ魔界へと堕ちる事でしょう。我らに逆らう者に、一言。エルアラの街がどうなったかと思うかね?と訊ねれば・・・」

「うん。実にシンプルな答えだ。実に素晴らしい!」

 己の授けた作戦が結実する瞬間を夢に見、Mはうっとりと頬を赤く染めた。

 が、その表情は途端に曇る。

「だが、不味いよ~不味い! M230号のイレギュラーを検証する為には、生体反応がある状態が望ましい。ルーに回収は可能かね?」

「それが・・・」

 アーは言葉をにごらせ、申し訳なさそうに答えた。

「奴に与えた、飛行戦艦からの応答がありません。ただ、他の『ヒトモドキ』達は生体反応全てオールグリーンで御座います」

「ルー・・・使えん奴め!!」

 Mはダンとテーブルを叩き、その上にあった羊皮紙を撒き散らした。

「いかが致しましょう?」

「うん。そうだねぇ~・・・そうだねぇ~・・・そうだねぇ~~~~!!!」

 アーの問いに、にたりと狂気に満ちた笑みを浮かべ、Mは大きく舌なめずりをした。

読んでくださり、ありがとうございます


今日はもうギリギリ!

うああ、出勤時間が(おい)!


すいませんが、急ぎ失礼致します。

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