第62話『いてこましたろか』
ぷるぷると震えながら、扉の覗き穴から入り込むゼリー状の物体は、そのまま伝い落ちると床面に対して広がる事は無く、そこに留まり、ゆっくりとだが人の背丈くらいの塊へ成長していく。
ジミーは目の前で起きているあり得ない光景に、呆然とだが目を逸らす事無く見据え、その身を僅かでも遠ざけようと、半分感覚が麻痺した様な手足で、牢屋の壁へ壊れた自動機械の如く押し付け続けるのだった。
「ひい・・・ひい・・・ひ・・・」
別の部屋でも同じ出来事が起きているみたいだ。
そんな気配がひしひしと伝わって来る。
誰も助けちゃくれない。
助けちゃ・・・
さっきの女司祭が現れてくれないかと願ったが、これが試練だとか言うのなら、全て予定の事なんだろう。
という事は、これもあの女の仕業?
これと戦えって事なのか?
生き残ってみろって事かよ!?
「くっ・・・」
改めて握り締めた拳で、ジミーは己の脚を叩いた。
「しゃんとしろ! しゃんと!」
先ずは立つ!
すっかり狂ってしまった己の感覚で、まともな部分を総動員して無理矢理元に戻そうとする。
床石を脚で押し、石壁に押し付けた身体をせり上げさせる。
手を着き、歯を食いしばり、何とか立ち上がる頃に、あの光を浴びた。
目の前で、自分の姿に変容していく化け物。
その表情は、虚ろで、真っ直ぐにこちらを見つめている。
そしてすっかりこちらの姿を写し取ると、ぺたりぺたりとゆっくり歩み寄るのだ。手を大きく広げ、まるで獲物を追い込むかの様に。
「なめるな!」
パッと石の寝台を蹴って、素早く横に回りこむと、ジミーはその脚を思いっ切り蹴った。
「いいっ!?」
ぺちゃりとした手応え。蹴りこんだ足は、見事にめり込んだ。
まるで、最初からそう招き入れた様に。
「な、なんだこりゃぁっ!?」
慌てて足を引っ込めようとするジミーだが、めり込んだ部分からぐいぐいと引っ張られる。接触した部分が大きなこぶみたいになって、ぬるぬると蠢いているのが判った。
「放せ!! 放せよっ!!」
残った手足を総動員して突っ張るのだが、化け物は無表情にその脚を軸にして、まるで関節が存在しないかの動きでゆっくりとだがジミーの方へと身体を移動させる。
「くそっ! くそっ! くっそぉ~っ!! くんじゃねぇっ!!」
のしかかってこようとする自分を、追い払おうと手を振ると、前に出された両腕に当たり、そこからぐんにゃりと巻き込まれ、動きを封じられてしまう。
化け物はそこから這い寄る様に、ますます圧倒的にジミーの動きを封じ、ぷよぷよと震えながら足から、手から、胴体からと取り込んでいこうとする。
「い、嫌だ! 嫌だぁっ!! か、かあちゃぁ~~~~ん!!」
ジミーの顔にジミーの顔が文字通り張り付いた。
耳から、鼻から、口からと、おぞましい物体が侵入を開始する。
食われる・・・
被捕食者の感覚が、全身からの悲鳴が、ジミーの脳裏に響き渡り、はちゃめちゃに暴れまわった挙句に、頭の中が白い光でいっぱいになった。
その光の中、ジミーはあれほど嫌って、憎んで、さげすんでいた、男狂いの母親の、とても優しい声を聞いた様な気がした。
ああ、これって・・・
とっても、ちっちゃい頃の・・・
なんだっけな・・・
◇ ◇ ◇
「ありがとう」
パチンと、ガントレットの金具を締め、指先の動きを確かめるガッシュは、次にアウリーリンが差し出したフルフェイスのヘルメットを受け取ると、それを小脇に抱えて彼女を引き寄せた。
素早く、二度三度とついばむ様なキスを交わし、にこやかにウインクすると、ようやくこちらへ向き直る。
「どうした?」
「ど~も」
口をへの字。ぷいっと横を向くアーリアに、完全武装の黒い鎧に身を包んだガッシュは不思議そうな顔をした。
「なんだ、お前もして欲しいのか?」
楽しそうに唇をきゅっとすぼませるガッシュ。
その耳を、こういう事はニュアンスで通じるらしく、アウリーリンが笑顔で引っ張った。
「いたたたた・・・」
「いてこましたろか」
また一つ、彼女に似つかわしくない単語が、その口から飛び出した。
「おっさん、いちゃつき過ぎ。遊びじゃね~んだからな」
腕を組んで、憮然とした表情のホークが見上げてる。
愛用の小さめの弓を左腕に通し、背中に矢筒が揺れている。茶色い革のチョッキの下、ぷっくり膨らんだ丘小人特有の下腹から胸にかけて、成人男性の証だろう胸毛がさわさわと伸びていた。
「では、騎士殿。参りましょうか」
その場を取り繕う様に、にこやかな吟遊詩人のルイスが促した。
「いてこまシたろカ。いてこまシたろカ」
早速に、声色を真似するシルフーが、アウリーリンに駆け寄ると、アウリーリンもにこやかに一言。
「いてこましたろか」
そう言って、シルフーの頭を撫でると、シルフーは嬉しそうに体内の発光器官を明滅させて、その触腕をゆらゆらとさせる。
その光景に、くらっと眩暈がするアーリア。
(何してくれちゃってるですか、この人!)
キッと見据えるアーリアの視線に、どこかすっとぼけた表情のガッシュは、腰の長剣をガシャリと鳴らし、恭しく一礼して見せた。
「では、参りましょうか乙女どの。ご同行仕る」
(もー騙されない!)
ぷうっと頬を膨らませるアーリアに、左手を差し伸べたガッシュ。
だが、その腕を。アウリーリンが横から抱える様に身を寄せた。
ちょっと驚くアーリア。目をぱちくり。
「アウリーリン・・・」
「お前も行くのか?」
「なんだ、バカヤロー」
あ、肯定の意味ね。
くすぐる様な笑み。
アーリアとガッシュは、二人して苦笑する。
一行はぞろぞろと案内の兵士に続いて、砦の簡素な廊下を歩いた。
軍事拠点らしく、普段なら特に飾り付けられる事も無いのだろうが、祭り当日とあって、ところどころに白い布でリボンが結ばれている。
奥方のせめてもの抵抗の証と言った処か。
腕を組むガッシュとアウリーリンが先を行き、続いてアーリアとそれにまとわり着くシルフーが。なんか間違った取り合わせっぽいが、それにホークとルイスも続いていた。
意外な事に、最後尾を歩くのはゲイルとガンツの二人組み。どこか退屈そうに、それでいて酔っ払いらしくふらふらと、窓の外を眺めながら歩いていた。
「兄貴ぃ~、何で俺達まで・・・」
どちらかと言うと、あの場で酒を飲み倒していたかったガンツが、しぶしぶ顔で囁くと、ゲイルも声のトーンを大分落としてねめつける。
「ばっかやろう。俺たちゃ三人で一組の無敵の騎士様だぜぇ~。ガッシュの左腕が使えねぇって時は、俺達がカバーしてやらなきゃ駄目だろが」
「え~・・・こんなトコで何かある訳ないだろうに・・・」
「何か言ったか?」
「別に・・・」
その巨漢をしょぼ~んと小さくするガンツに、やれやれと肩をすくめるゲイル。
そのゲイルが、眉をぴくりとさせた。
「待ちな!」
廊下を静かに歩く三人組みとすれ違う。
ゲイルはそれを呼び止めた。
三人組の先頭を行く男は、どうも道化師らしく、色鮮やかな服装をしていて、踊る様な陽気なステップで、音も発てずに歩いていた。
続く二人は、ひょろっとした感じの男と、ガンツに負けず劣らずの筋骨隆々とした巨漢である。
二人とも質素な冠頭衣に身を包み、頭からフードを被っていて素顔は見えない。
三人はピタリ立ち止まると、先頭の男がにこやかに振り向いて、道化師らしくひょうきんに挨拶をしてきた。
「これはこれは黒騎士殿。ご機嫌うるわしく・・・」
そんな作り物めいた笑いを一瞥し、ゲイルは床を指差した。
「濡れてるぜ・・・」
見れば、道化師に続く二人の体からは、まだぽたぽたと水が滴り落ちていた。
身にまとう衣服も、何故かびっしょりと濡れて、立ち止まった今では床に小さな水溜りを作ろうとしていた。
「おかしいなぁ~・・・お前ら、武闘大会じゃ見た覚えが無いし、どういう事だ? 何故、そんなに濡れたままで、この砦の廊下を歩いている? ヘブンリー卿は、祭りだからと言って、そんな不調法を許すとは、俺にはとても思えないんだがな・・・」
ゲイルのニヒルな瞳が、三人の顔の部分をゆっくりと見て回る。その横で、ガンツは何が何なのかまだ判らずにいた。
急激に、廊下の気温が下がる感覚。
ピンと張り詰めた空気は、廊下の先を行くアーリア達には届かなかった。
読んで下さり、ありがとうございます。
ジミー君、大ピンチ!
自分で書いてて「かあちゃぁ~~~~ん!!」のとこで、思わずほろりとしてしまいました(苦笑)。
いけませんいけません。
ちょっとゲイルがかっこ良過ぎる感もありますが、これが三人組の役割分担って奴でしょうか。まずいぜ、ほれちまいそうだ(^^;;;。
ご意見、ご感想、御座いましたらお気楽にお寄せくださいませ。
今日もありがとうございます。
ではでは・・・




