第44話『一番星』
「ふぬぅ~・・・」
唸る様な息を漏らし、ガッシュは眼前の、透き通る程に青い肌の女性を、その目を覗き込んでいた。
キラリ。キラキラとした小さな瞬きがその奥にあり、何とも不思議な感覚を覚えた。
どこか遠くで目にした事がある様な。
随分と昔に・・・
すると、川のせせらぎの如く流れ出た言葉が、ガッシュにそれを思い出させた。
『私が皆さんを驚かせました・・・』
アウリーリンのふっくりとした唇が、心地よい響きをもたらしてくる。
川底を覗き込んだ時、底に沈む丸い小石が陽光を受け、揺らめき、水面の輝きが光る衣の様であった事を・・・
『私がいけないのです・・・』
それがそのままにあるとは・・・
その様な感慨を知ってか知らずか、穏やかな表情でその視線を受け止めるアウリーリンも、その黒い瞳の奥にあるものを静かにみつめていた。
川の底、浅い海、光も届かぬ深い淵、そこで様々な目を見てきた。
表情に乏しい者もあれば、明確な意思を存分に湛えている者もいた。
優しく感じる者もあれば、激しく波打ち泡立つ者も。
アウリーリンは、男の激しさの影にある、静かな陰りを感じていた。
「アニキ! アニキのつらぁ~おっかねぇから、あんまり近づけねぇ~方が、いいんじゃないですかい!?」
「へへへ! そいつは違いねぇや!」
にやけるゲイルの軽い皮肉に、ガンツもしたり顔。二人して歯を見せ、にやりにやり。
「阿呆ぅ~・・・ガンツ! これ持ってろ」
何やら思い立った様子で、目線を逸らす事無く、ガッシュは右手のランスを軽く放った。
狙いをそう違う事無く、すっぽりガンツの腕に収まるのだが、それを確認しようともせずにガッシュは馬上より降り立ち、その空いた右手で馬の首を二三度ばかり軽く撫でる。
「あんた・・・綺麗だな・・・」
次に馬を撫でていた手を戻し、己の顎鬚を撫でた。
「「んっ!?」」
目をむいたのはゲイルとガンツ。
その気配に、流石に一度顔を向け、にやり。
「まぁ~、見てろ」
ぐっと拳を握り、やるぞとばかりに軽く振って見せる。
「ん?」
怪しげな雲行きに、アーリアもむっくり起き上がり、というか後ろから押し上げられ、アウリーリンの後ろから顔を出してなんか言ってやろうと思ったその時。
「誰かっ!! 妖精語の判る者はおらんかっ!!?」
再びガッシュの大音声。アーリアは気を削がれて口あんぐり。少しの間、呆然としていました。
「はっ! ここに・・・」
すかさず歩み出たのは、緑に染めたキルト地の服を着、ハープを抱えた如何にも吟遊詩人でございという風体の男。
「ん! これから言う事を、彼女に伝えて欲しい」
「お安い御用でございます」
その男は恭しくガッシュに一礼すると、ピンと弾かれた金貨を素早く受け取った。
それから、アウリーリンの方へ向き直り一礼。二言三言、いやいやそれ以上にずらずらと、にこやかに挨拶の言葉を並べ出した。
「ゴホン!!」
ガッシュのわざとらしい咳払いに、軽く会釈をしながら己の口上を尻つぼみに打ち切る。
それを確認してから、ガッシュは即興で考えた台詞を口にする事にした。
「あ~~~~、俺は旅の騎士ガッシュ。一番星のガッシュだ。数々の戦いの中で武勲を上げ、勇名を馳せる男だ」
『あ~~~~、私は旅の騎士ガッシュです。一番星です。たくさんたくさん戦いました。とても強い』
実に軽妙な口真似に、広場にドッと笑いが起こる。
「あ~~~~はいらん!」
『あ~~~~はないです』
お約束とばかりにしれっと言われ、赤ら顔を一際紅潮させたが、目の前の女性が穏やかに微笑を浮かべたのを目にし、流石はやりおると喉の奥で唸るガッシュであった。
『ん~・・・』
「それはいらんぞ!」
唸り声まで滑稽に真似され、苦笑を浮かべての一言。流石の吟遊詩人も、それをいじる事はしなかった。
目を細め、アウリーリンも、言葉を選びながら名乗る事にしました。
それは、直接口にするには影響が大きすぎてはばかられる方々が大勢いるからです。ですから、随分とはしょります。細かい所は、この際良いでしょう・・・
『私は大霊アウルの末なる末に連なる者。猛き怒濤と静けき湖より産まれし16の流れより更に9つの小川となりてその5番目の末の娘。力なく小さき者。人の世の近くにあるせせらぎの子。アウリーリンと申します』
吟遊詩人はうんうんと頷き、それからそっとガッシュの耳元で囁きます。
「どうやらこのお方は、小さな小さな小川の精霊らしく、アウリーリンと名乗っております」
「ん・・・ん・・・」
いちいち小さく頷き、ガッシュは本題に移す事にする。
流石に神妙な面持ち。
兜を脱いで小脇に抱え、マントを翻し、ゆっくりと片膝を着きながら、恭しく一礼した。
こうなると、流石にふざけた口を叩く者もいなくなる。後で命が惜しいのだ。
シーンとなった広場で、ガッシュのだみ声がやたら大きく響いた。
「ならばアウリーリンよ。今日は領主殿の御前で武闘大会が開かれる。そこでの俺の戦いを、貴方に祝福して貰えないだろうか? 俺を応援して貰えないだろうか?」
『アウリーリン様。今日、大きな武術の試合に出るので、貴方に応援をして戴きたいのです。人の間では、大きな試合の際に一人のご婦人から祝福を受け、その方の為に戦う事が非常な名誉とされ・・・』
吟遊詩人の言葉半分に、アウリーリンは噴水よりすっと歩み出た。
その優雅な物腰。
そして、彼女のまとう水色のドレスが水面の水を引き出す様に、それはどこからが布地で、どこからか水なのか人の目には判らぬがままに分かたれ、軽やかに風を受けて膨らむと、人々は思わぬため息をついた。
ガッシュの眼前で、すらりと伸びる素足が石畳に黒く足跡を刻み、それがすぐにも隠されてしまう。
薄っすらと隠したドレスを、アウリーリンは軽くつまみ、にこやかに会釈すると、瞳を開き、真っ直ぐにガッシュのそれを見下ろした。
「・・・っ!?」
思わず立ち上がろうとするガッシュは、冷たくも心地良き指先が、スッと己の前髪を撫で分けるのを呆然とした心持で受け入れていた。
暖かく感じていた陽光を、目の前の女性が、ゆっくりと遮るのを見上げ、その瞳がそっと閉じられると、さしものガッシュも目を閉じた。
人々は動揺を隠せずどよめき、ゲイルもガンツも眼前で展開した信じ難い光景に、しばし表情を硬直させた。
「えっと・・・」
「ア、アニキ・・・」
アーリアは、真後ろから見ているので、何だか良く判らなかったが、それを見ている人々の目線が、そこで何が起きているのかを如実に知らしめて来る。
「・・・ア・・・」
言葉にならなかった。
どうして? なぜ? ほわぁ~い???
人間の体温より、やや低いのだろうか。
鎖帷子のフードからのぞく額に、実に心地良く。今朝は顔を洗って無い事など、どうでも良かった。
おざなりでもなく、安淫売のあいさつ代わりでもない。
静かで、何やらとても尊い儀式であるかに想えた。
脳内で想像出来た。だが、目を開いて確かめたい誘惑に駆られ、頬をくすぐる様な涼やかでしっとりとした甘い香りに、手を伸ばせば届く所にこの女性が確かに存在するのだと思い知らされ・・・
ハッとした瞬間に、全ては夢であったかの様に離れていた。
戦場や夜の酒場ではついぞ味わった事の無い胸の高鳴りに深く息を吐き、ガッシュはおそるおそるに瞳を開く。
夢では無かった。
『「一番星のガッシュ」殿。貴殿に大霊アウルとデュールの加護があります様に・・・猛きガルパニの加護により勇猛であります様に・・・輝きのオザンの加護により健やかであります様に・・・疾くザリの加護により速く、賢きイーヴォの加護により賢く、幽なるメディートの加護により心穏やかであります様に・・・日々貴殿に幸福が訪れます様に・・・お祈り申し上げます・・・』
何という暖かな眼差しだろう。
何という暖かな響きだろう。
何という暖かな・・・
その言葉と共に、ガッシュへと差し出された両の掌を、その指先をそっと覆い包む様に取ると、ガッシュはそれに導かれるかにゆっくりと立ち上がった。
「今日、ただ今より、貴方が俺の一番星だ。アウリーリン!」
大きく脱線中です。




