第37話『なんだ、バカヤロー』
「う~っ・・・うっうっうっ・・・」
ぽたぽたと頬を伝う涙が闇色のドレスに滴るが、ただ色を深めただけだった。旅の女主教が、魔王と死の舞踏を踊る為に作ったと語ったそれは、より深き赤にさえ色を帯びぬ物。アーリアの儚き涙などいかばかりの事があろうか。
「アーリア~・・・お水出てるよ、お水ぅ~・・・」
半透明の触手がうにゅにゅ~っと伸びて、それを拭おうとするのだが、アーリアは頭を左右にいやいやと振ってそれを拒んだ。
逃げ込む様に飛び込んだ半地下の食堂。薄暗い店内。アーリアはその隅の丸テーブルに潜り込み、膝を抱えて泣いていた。
「いや、悪かったよ・・・」
そっと肩に触れるホークの手も、アーリアは同様に拒んだ。
「・・・あんな歌・・・歌いたく・・・なかった・・・」
その細身を震わせ、搾り出す様に、少しかすれた声で呟くアーリアに、肩膝着いて覗き込んでいた自称シルフのシルフーと丘小人のホークは途方に暮れて身を起こそうとした。
それとほぼ同時に、奥の厨房より小柄な影がずんずんと進み出て、立ち上がりかけたホークの頭を手にした黒い物体で見事なまでに後ろから張り倒した。
スパコーン!!!
「ぎゃっ!?」
どちらも実にいい響き。
わあんわあんと唸るそれは、鉄製の調理器具、パン。だが、それもただのパンでは無い。火を受ける裏面には、独特の厚みとトゲ状の突起が3本あり、小人族が良く使うバトルパンという物だ。
「うあああああっ!!?」
頭を抱えてのた打ち回るホークに、殴った本人が更に罵声を浴びせかける。
「うちの店で女の子泣かすたぁ~いい度胸じゃないか!!? 表出ろぃっ!! バトルパン二本流カペラ婆が相手になるよっ!!!」
左右両手に一本づつ、くるっと回転させると突起の部分を合わせ持ち、ガインガイインと打ち合わせ真っ赤な火花を飛び散らせた。
薄汚れた白いエプロンにずんぐりむっくりな手足がのぞき、大きな赤い鼻にほっかむりから栗色のちぢれ毛が覗いている。ホークら丘小人とも、山の洞窟をねぐらにしている髭もじゃ山小人らともどこか違った風貌の小人は、確かに言われてみれば女性に見える。
「言い訳考えなっ!! 返答次第じゃ、頭の骨に二三個穴ぁ~あくからねっ!!」
「うわああああっ、違う違う!!」
「何が違うってんだいっ!!?」
恐ろしいまでの形相で、さっと右腕のパンを振り上げたカペラ婆。頭を両腕で抱えたホークをしこたま殴りつけようという構えだ。
「このポン引き紐美人局野郎っ!!」
まるで親の仇を見る様に、顔を真っ赤にさせたカペラ婆は、一気に右のパンを振り下ろすと同時に左のパンを掲げ持つ。続いて更にその逆に。
大気を唸らせ、カペラ婆の両腕が大回転。その余りの風圧に、ホークの頬やまぶたもめくれ上がらんばかりに。
「くず生ごみ犬に喰わせちゃるっ!!」
天井の梁に巻きつく様に逃れたシルフーは、その光景を目を覆いながらもしっかり見ていた。
「違うんです!!」
大勢が息を呑んだ。
恐る恐るアーリアは目を開け、カペラ婆を見上げた。
振り下ろされた左右のパンは、ホークを庇う様に飛び込んだアーリアの上で、ぴたり止まっていた。
シーンと静まり返る店内。
カペラ婆は首をやれやれと左右に振った。
「駄目だよ、お譲ちゃん。あんた、まだ若いんだ。いくらだってやり直せる。こんなクズの事は忘れて・・・」
「違うんです!!」
すると、顔を悲しいまでに歪ませて、カペラ婆は口の中で何かを選ぶかの様に打ち鳴らした。
「ああ~・・・野暮な事をしちまってるってぇのは判ってるんだよ。でもね、こ~いうろくでなしにはきっついお仕置きをだね・・・」
「違うんです!!」
「何が違うんだいっ!!? あたしゃねぇっ!!」
くわわっと目を見開いたカペラ婆に、アーリアはびしっとホークを指差して叫んだ。
「だからこいつとはこれっぽっちもそ~いう関係じゃないんです!!!」
「な、なんだってぇっ!!?」
あまりの事に、びっくりして尻餅をつくカペラ婆に、アーリアもへたへたとその場に、可愛そうなホークの上に座り込んだ。
「なんだ、バカヤロー」




