第35話『いざ、出陣!』
雑然とした空気が、人々の声や息遣いを響かせていた。
居住区から聖堂へと続く廊下の戸口まで、その女主教は見送りに足を運んだ。
「それでは、私はこの辺りでかな?」
「えっと・・・色々とありがとうございました」
予想外にえらい格好をさせられてしまったアーリアとしては、思わずお礼の言葉を躊躇してしまうのだが、ホークなんかは気楽なもんで足をぶらぶら両腕を頭の後ろに組んで特に気負う事も無い。
「おう、世話になったな」
ぺこりとお辞儀をするアーリアの横で、すっと手を差し出すホークに女主教も応えて軽く握手。
「いえいえ。昨日は当教会に大そうなご寄付を戴き、感謝しておりますぞ」
「え!? あれってそんなに入ってたのか? しまったな・・・ちいとは抜いておきゃ良かった」
ぬふふとほくそ笑む二人。
その傍らでヒースは、ホークってそんなにお金持ってたっけ?と、穏やかな表情は崩さずに二人の顔を交互に見やった。
アーリアとしては何の事を言ってるのか何とな~く判る。
例の災いの元だろうな~と、一人肩を落とすのだが、誰も判ってはくれないだろう。このもやもやっとした気持ち。
「う~・・・」
昨晩、息がつまるくらいにヘッドロックされて、眼球をいじられた感触。
あの悪漢の荒々しいお肉的熱量が押しつぶさんばかりに、アーリアの自由を奪わんと密着した肌より伝播し、心の臓の鼓動までもが彼の者のそれにとって代わられたかの錯覚に襲われ、変な汗をじわりとかいた。
(だけど、あいつに聞けば、人買いの世界について何か判るかも知れないし・・・)
それは、自分の生まれを知る手がかりの、ほんの一欠けらにすらならないかも知れないが、もしこれからも探すとなると、ああいう手合い達の世界へ踏み込んでいかなければならないのだと実感させる。
(もし、再びあのロクデナシの人攫い野郎に出会ったら、自分はどうすれば良い?
ああいう手合いから情報を引き出すには、この人くらいに強くならなきゃいけないのかな?)
床石を踏み抜き、軽々とあの悪漢を組み伏せて見せた女主教。魔王からお誘いを受けたなら、この薄手のドレス一枚で対峙してみせようと考えてたらしい武の神官。
(治療魔法は勿論、遠くの物を引き寄せてみせたり、風を起こすわ、水を霧にしてぶっかけてくるわ、実際戦場にあったら、こういう人はどんな活躍をするんだろうか?)
こうしていると、普通の人にしか見えないんだけどなぁ~・・・いや、十分普通じゃないか~・・・
そんな事を考えながら見上げてくるアーリアなどどこ吹く風。
女主教は穏やかな表情で右手を上げ、空気中に円を描く様な仕草でホーリーシンボルを手早く描き、妖精達と同じ言葉で何事か呟いた。
それから彼らに判る言葉で。
「皆さんの旅に大霊の良き加護があります様に」
この時ばかりは先ほどまでのはっちゃけぶりはどこへ行ったか。まるで神殿の神官らしき振る舞いになる。
そして、それが僅かしか持たずに崩れ去る。
「まあ、お祭り、楽しんでらっしゃいな。はい! これ~・・・」
女主教が嬉々として差し出すそれは、細長い羊皮紙に書かれた護符三枚。
「持っていれば幽霊なんかは寄って来ないし、叩き付ければひるませる事だって出来るんだからね」
「え~、嘘くせぇ~なぁ~」
「おいおい、失礼だろ?」
笑いながらもホークを軽くたしなめるヒースだったが、当の本人が大きく同意。
「そうなのよ~・・・こ~ゆ~のはぁ~、大きな神殿で売ってたり~、ある程度の年齢がいったお年寄りの神官さんが売りつけた方がお金になるのよね~。私がただであげるって言っても捨てられちゃったりするのよね~。酷い! 酷過ぎるわっ! 世俗の荒波って!!」
どうにも芝居染みたリアクションは、『まだ私若いから~』という主張を織り交ぜるところとか、確かに吟遊詩人として旅歩いた事もあるという話を納得させる。
「うふふふ・・・命を助けて戴き、ありがとうございました。もし、縁がありましたら、今度はご存知の歌や詩を教えて下さい」
今度はちゃんと言えた。
「うん。縁があったらまた会えるでしょう。その時には、私が戦った北や南の魔王どもとその手下達との戦いを、脚色たっぷりで聴かせてあげましょう。大体、あいつらプライドが高過ぎるのよ。色々ばらされて恥をかくがいいわ!」
ぐっと握り締めた拳が、何やら怪しい輝きを放ち始めた。
「おいおい、とんでもねぇ~事言い出したぞ」
苦笑するホークが楽しそうにこっちを見る。
「でも、それって、言いふらしたらあちらも黙っていないんじゃ・・・」
「そうだな。きっと、刺客とか刺客とか刺客とかがいっぱい押し寄せるぜぇ~」
「え~、それってかなりやばいんじゃ?」
言いよどむアーリアに、二人とも楽しそうに笑ってる。
「だから。また今度ね」
そう言って微笑む女主教の表情は、何か確信めいた再会を予感させる、そんな穏やかさに満ちていた。
「はい! 本当にありがとうございました!」
「じゃ、またどっかの旅の空でよ!」
「では、失礼致します・・・」
三者三様。
ぞろぞろと神殿から出て行こうとする三人の後姿を見送りつつ、女主教は緩やかなステップを踏み、まるで踊る様に振り返る。
「ふふ・・・仲良しさん達ね・・・」
一瞬の優雅な舞。
すると、風に溶け込む様に、女主教の姿はまるで一枚の羊皮紙にでもなったか、厚みを失ったかに見えた時には、もうそこに存在していなかった。
心の弾むがままに・・・




