第28話『邪な決意』
異様な熱気の中より迷い出たばかりのアーリアは、不意に向けられた刺す様な目線に、ゾクリと身を震わせた。
夜陰の冷気だけではない。
暗がりに立つ、黒い塊りの放つギラギラした双眸の輝きが、明白な害意となって、多感な少女の胸に突き付けられたのだ。
一瞬だが、アーリアは男の足元に転がるホークの余りに小さな身体へ目を向けた。その瞬間、視界の隅で踏み出す男の脚に、アーリアは咄嗟に身をよじってきびすを返した。
風を巻いてマントが膨らみ、もどかしい。そう感じる間も与えず、暑苦しくも気色悪い重圧がまるで蛇か何か、別の生き物の様に背後からアーリアの細首に巻きつき、ミシリと嫌な音を頭蓋に響かせた。
獣じみた息が、髪の間から吹き付けられ、目眩がする。
「…うあぅ…」
半開きとなった口から漏れ出る音は人語とならず、それでも誰かの助けを求めんとする試みに、男の指が突き付けられた。
「大したもんだ、ここの坊主は。お前にやられた手が、一発でこの通りだ」
アーリアの耳元にせせら笑うと、グルドはゆっくりと手首を返し、光沢のある爪を見せた。
目に入らんばかりの近さと暗さに、良く見えないがそうなのだろう。グルドもこの教会で治療を受けていたのだ。そして、こちらに気取られる事の無い様、夜の来るのを待っていたのだ。仕返しをする為に!
確信にも似た閃きが、アーリアの脳裏で嫌悪感となって再構成される。
(なんて、なんて嫌な奴!! 嫌な奴!! 嫌な奴!!)
この想いを表現しようにも、顎から首が押し潰されそうで、どうにも動き様が無い。僅かの抵抗も苦痛となる。頭の中を、骨や間接がきしむ様な音と、だくんだくんとやたら波打つ血流の音が鳴り響いた。
「だが、目玉を抉ったらどうかな? 簡単に治せると思うか?」
首からぐいっと引き寄せられ、アーリアはされるがままにグルドの胸板に引き上げられた。
ふいごの如く上下する肺と、力強く脈動する心の臓の響き。それらがアーリアの背中一面から、その熱さと共にはっきりと伝わり、アーリアの中で不協和音となる。
そして、あろう事か、グルドの指は躊躇する事無く、アーリアの右の眼球に触れた。
「どう思う?」
事、ここに到って、更に総毛立つ衝撃を覚えた。
グルドはただそれに触れたのだ。
圧迫するでなく、抉り取るでなく、ただその表面に触れてゆっくりと撫で回す。
絶望色に染まる星空を、半分だけ黒い影が支配していた。
「試してみるか?」
感情の無いグルドの声が、不協和音の中に響き、それが唯一の希望であるかの様に、不意に離れた。グルドの指が。
答える事を許されたのだ。
アーリアは、小刻みに、稼動する範囲で首を左右に振った。
「いいだろう。俺の求める答えはシンプルだ。イエスかノー。イエスかノーだ。判るな?」
今度は、首を縦に振るしか無かった。
その返事に満足したのか、グルドの声はどきりとする程、優し気だった。
「お前、あの後、何か拾わなかったか?」
(何の事?)
さっぱり意味が判らなかった。この状況が、アーリアの思考を硬直させていたとも言える。そして、妙な返事をしようものなら、目玉を抉られるかも! そう思えると、どうにも返事のしようが無かった。
「正直に言ってくれ・・・お前、あの後、何か拾わなかったか?」
目を抉る為のグルドの右腕が、ゆっくりとアーリアの視界から下がってゆく。
鼻先を掠め、唇に触れ、やがてアーリアの心の臓の上でピタリと止まった。視界の外で、グルドの掌がその上に直接覆う様に触れているのが、アーリアには判った。
内臓がきゅ~っとせり上がる感じがし、全身の毛先までもが張り詰めた感覚に、アーリアは意を決し、首を横に振った。
「そうか・・・悪かったな・・・」
不意に顎から首にかけての重圧が外された。
だからと言って、抱きすくめられている事に違いは無い。
違いは無いのだが、この開放感は、嫌悪感を超えた恐怖感を拭いさってもなお余りあった。
アーリアの中に、かなりの困惑が生じていた。
「そ、その手を放せ!!」
地に伏していたホークの手に、いつの間にか光る物が握られている。
四つんばいに近い姿勢から、辛うじて立ち上がろうというのだ。
「よせよせ。まだ頭がくらくらするだろ? そこで少し休んでろよ。チビ助」
「ふざけるな! はいそうですかと、やってられるか!!」
「そりゃこっちも同じさ。放せと言われて放すタマかよ」
楽し気に答えるグルドは、悠然と目線そのままにアーリアの首筋へ唇を押し当てた。
「ひっ・・・」
驚きが大きく、目を見開いたままアーリアは硬直してしまった。
「よせ!」
つっかかろうとするホークの前に、アーリアの体が振り向けられ、たたらを踏む。
「おや? かかって来ないのか?」
「・・・」
グルドの言葉に返事をするでもなく、ホークは手にしたナイフを右から左へと持ち直し、ゆっくりと右へ右へと歩みだす。
「そうやって、回復するのを待つつもりか?」
「・・・」
あざ笑うグルドもそれに合わせ、一定間隔を保って足を滑らせる。
ほぼ半円を描いた頃には、風に流された雲がすうっと月光を遮り、暗黒の世界を生じさせた。
咄嗟に、ナイフの刃を手首側に隠し、ホークは小さな体を大地に転がす。
ふわり浮遊感に、アーリアは世界が数回転しているかに思えた。
再び、月光が射す頃には、大地が間近にあった。
「いけませんねぇ~、刃傷沙汰は」
静かな声が、異様に響いた。女の声だ。
「な・・・」
困惑するグルドの声。
大地に伏していたのは、グルドでありホークであり、アーリアであった。
不可思議な事に、三人は折りたたまれる様に積み重なり、その上に腰をかけてる人物がいた。
薄い寝巻きなのだろう。この暗がりにあって白い木綿のそれは良く栄えた。胸には大地神ガルパニのホーリーシンボルが下がり、その声からも治療に当たった司祭のそれと思われた。
「ここは教会ですよ。他者を傷付ける行為は、神々の望むところでは無いと思うのですが、如何かしら?」
「ば、馬鹿な! この俺様が!」
驚くままに身動きしようとするのだが、絡まりあった手足がそれを容易にさせなかった。
アーリアもホークも同じである。
三人が、何とかこの状況を抜け出そうとするのだが、互いの手足が解けない。
「争いの訳を聞きましょうか。順を追って言いなさい」
優しく語り掛ける司祭の声に、最初に口を開いたのはグルドだった。
「司祭様。僕がいけないんです。お許し下さい」
まるで罪の無い少年の様な語り口に、思わず吹きそうになるアーリアとホークだったが、「嘘をつけ!」と一言添えるホークであった。
「僕、昼間にこの人達と喧嘩になって、その時にかあ様の形見の巾着を落としてしまったみたいで、この人達に拾わなかったかを聞こうと思ったんですが、やっぱり喧嘩になっちゃって・・・僕・・・僕・・・」
あまりのくさい演技に、気が遠くなる二人だったが、当の司祭は頭を上下に揺らしながら、その一言一句を噛み締める様に聞き入り、それから三人の上から立ち上がった。
「良く判りました・・・貴方は本当にいけない人ですね・・・」
そう言って、涼しげに立ち上がったグルドを見据える女性は、思ったよりもまだ若い様に見えた。
アーリアと同じく、金髪碧眼で白い肌だが、二十台半ばぐらいだろうか。静かな雰囲気の、目鼻立ちの整った、すらりとした美女である。
「はい・・・僕、いけない子です。お赦し下さい司祭様」
片膝をついて哀願する様に、前で手を組むグルドに、その司祭は首を横に振った。
「嘘はいけません。でも、貴方の探している物は、もしかして、これかしら?」
そう言ってから、何も無い掌を握り、再び開くと、そこには黒革の小さな巾着が。
「お~、あれは!」
ホークには見覚えがあった。空っぽだからと、寄付金を出す時にボールの中に入れてしまった黒革の巾着に思えた。
「はいそれです。ありがとうございます、司祭様!」
押し抱く様に受け取ろうとするグルドに、その女司祭はすぐに返さず、手の中で右に左にと眺めている。
「・・・魔法的なものでは無いのですね・・・」
裏返しにして、そこで得心がいったみたいだ。
「割符・・・ですか・・・」
「返せ!!」
豹変するグルド。
「この印は・・・」
それを眺める女司祭に襲いかかるグルドだが、その腕は空を切った。
「何!?」
女司祭はグルドを見る事無く、寸での所で届かない所に立つ。ゆっくりとした動きで。
「良く鍛えてますね。でも、貴方程度の者は掃いて捨てる程も居るのですよ」
「それがどうした!? いつか俺はこの力でのし上がってやるんだ!!」
続け様に放つグルドの拳撃を、平然と受け止める女司祭。
すっと、まるで無造作に突き出した左の人差し指で、グルドの額を突くと、グルドは思わずよろけ、片膝を着いてしまった。
「ぐ・・・」
不可思議な物を見るかの目で、女司祭を見上げるグルド。その目を、女司祭は静かに見つめ返していた。
「貴方の気には、まるで覇気が無い。その内、死にますよ」
「なんだそれは!?」
吐き捨てる様に立ち上がるグルドに、女司祭は相変わらず静かだった。
「ただ生きているだけでは、雑兵のまま終わると言ったのです」
「何ぃ~っ!! この俺様が、雑兵だとっ!!?」
この時、アーリアにはグルドの体が怒気に数倍も膨れ上がった様に思えた。
その体が、一瞬、宙に浮いた。
アーリア自身もそう感じた。ホークもだ。
そして、女司祭はゆっくりと大地から足を抜き上げた。星明りにもくっきりと、足の形に石畳が踏み抜かれていたのだ。今の振動は、その衝撃。
「貴方の体は、まだ腕の力、足の力がバラバラです。正しく大地から腕の先まで一つに繋がれば、私程度でもこの位は出来るのです。判りますか?」
周囲から、人々の動揺する気配が沸き起こっていた。
今の震脚に、冷や水を浴びせられた様なものだろう。口々に何かを叫びながら、右往左往しているみたいだ。
「それが嫌なら、貴方は『ロード』を目指さなければならない」
「『ロード』?」
「そう。『ロード』と呼ばれる存在に・・・」
そう言って、女司祭は黒革の巾着を、グルドに放り投げた。
「そうすれば、貴方はいずれ『鉄拳』の二つ名に巡り合う筈。その時こそ、私も本気を出しましょう」
面前でそれを受け止めたグルドは、凄まじい表情に顔を歪め、後ずさる。
「覚えてろ・・・」
「武神ガルパニの信徒は、強き者に敬意を払う。楽しみにしてますよ」
「覚えてろ覚えてろ!!」
暗がりに、その身を沈めんとするグルド。
女司祭は、それを平然と見送った。
「えっと・・・」
アーリアは、色んな事が目の前で起こって、色々聞きたい事があったのだが、口にするのをためらった。
きゅっと右手で左の腕を掴み、肩をすぼめる。心の臓は、今でもどきどきと波打っていた。
「もしや、あなたは私のお母さんでは?」
取り合えず、目の前の司祭さんにはそう聞いてみたかったけれど、年齢的にどうかと。そして、それを口にしたら、どういう目にあうのか想像してしまい・・・
屋根の上。
教会であるシンボルがにょっきり伸びる上に、ゼラチンの様に透明なそれが巻き付き、それらを眺めていた。
明滅する光体が楽しげに・・・




