第1話 よくある転生の話?
平凡な三十代会社員だった八木二郎は、仕事帰りにアパートの階段から転落し、そのまま命を落とした。
次に目を覚ますと、そこは自分の知る日本ではなかった。
降魔戦争を経験し、ダンジョンが日常となった並行世界の日本。
そして二郎自身も、人間ではなく――外なる神ヨグ=ソトースの血を引く「モフモフ獣人型ヨグ=ソトース」として転生していた。
目覚めた場所は、奥多摩にある名門・八木家本家。
新たな身体には尻尾に宿る副脳「ダニッジ」が存在し、魔法や世界の知識を授けながら、ときに師匠、ときに相棒として二郎を支えていく。
しかし、この世界では魔法は人類の敵である邪神や魔物の力とされ、魔法使いは討伐対象である。
ヨグ=ソトースの落とし子である二郎は本来魔法を扱える存在だが、その力が知られれば探索者協会や国防軍、八王子軍警から危険人物として追われることになる。
そこで二郎は、自らの正体を隠し、人類を救った技術「符呪術」を武器に生きることを決意する。
舞台は、世界有数のダンジョン都市・八王子。
探索者協会、八王子軍警、国防軍、在日米軍、環太平洋同盟軍、中華連合軍、そして闇市場「魚人街」やPK集団など、数多くの勢力がダンジョン利権を巡って激しく争う巨大都市。
二郎は探索者として素材を集め、希少な符呪師として武器や魔道具を製作しながら、表社会と裏社会を渡り歩いていく。
だが、その先には八木家に隠された秘密、行方不明となった兄弟、そして世界の裏側で静かに進む「ヨグ=ソトース降臨計画」が待ち受けていた。
これは、一人の平凡な会社員が、異形の姿で新たな人生を歩みながら、仲間と出会い、陰謀に立ち向かい、世界の真実へ迫っていくダークファンタジーである。
笑いあり、冒険あり、陰謀あり。
そして、クトゥルフ神話の深淵へと繋がる壮大な物語が、今、幕を開ける。
東京・八王子。
八木二郎は、ごく普通の三十代会社員だった。
毎日、満員電車に揺られて都心の会社へ通い、朝早く家を出て、夜遅く帰る。
友人も恋人もいない。
アパートと会社を往復するだけの、味気ない毎日。
その日も終電近くに帰宅し、疲れ切った体でアパートの階段を上っていた。
「……疲れた」
手すりに手を掛けた、その瞬間だった。
足裏が、つるりと空を切る。
「あっ――!」
踏み出したはずの足が段を捉え損ね、体が一気に後ろへ持っていかれた。
ゴン、と鈍い音が響く。
背中を強く打ち、肩がぶつかり、肘が跳ねる。
そのまま転がるように階段を落ち、硬い段差が次々と背中や腰、後頭部を打ち据えた。
痛みを感じるより先に景色がぐるぐると回る。
手すりが。
壁が。
夜の暗闇が。
めちゃくちゃに流れていく。
最後に後頭部を強く打ちつけた瞬間、耳の奥で甲高い金属音が弾けた。
息が止まり、視界が白く染まる。
そして――。
世界が、ふっと遠ざかっていった。
そこで八木二郎の意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
……どれほど眠っていたのだろう。
ゆっくりと目を開ける。
まぶたが妙に重い。
乾いた瞼の奥へ、柔らかな光が差し込んでくる。
鼻先に届いたのは、湿った畳と古い木の香りだった。
「……ここは?」
喉から漏れた声は、驚くほど幼く、か細い。
病院ではない。
見知らぬ天井。
障子越しに差し込む昼の光。
昔ながらの和室だった。
布団から体を起こそうとして、違和感に気付く。
「……ん?」
体が妙に軽い。
それに、胸元へ直接冷たい空気が触れている。
自分の体を見る。
全裸だった。
いや、正確には腰へ白いオムツだけが巻かれていた。
「な、なんだこれ……。」
慌てて腕を見る。
黒い毛。
肘から指先まで柔らかな黒毛に覆われている。
しかし、山羊の蹄ではない。
五本指の人間の手だった。
恐る恐る握ったり開いたりしてみる。
ちゃんと動く。
だが、人間の手とは感触が違う。
毛皮の下に筋肉があり、指先まで毛が生えている。
「……え?」
今度は足を見る。
足も同じだった。
黒い毛に覆われているが、人間のような形をしている。
蹄ではない。
ゆっくり布団から降りる。
畳へ足裏が触れた瞬間、ざらりとした感触が伝わる。
立ち上がった二郎は、さらに違和感を覚えた。
「低い……。」
視線が異常に低い。
部屋が広すぎる。
柱も障子も天井も、やけに高く感じる。
どう見ても、自分の身長は百二十センチほどしかない。
「子供……?」
いや、それだけでは説明がつかない。
心臓が激しく鳴る。
喉が渇く。
混乱したまま部屋を見回す。
昔ながらの日本家屋。
畳。
障子。
木の柱。
静まり返った室内。
どこからどう見ても、自分の知っているアパートではなかった。
その時。
部屋の隅に、大きな姿見があることに気付く。
「……まさかな。」
嫌な予感しかしない。
それでも確かめずにはいられなかった。
震える足で鏡の前へ立つ。
そして映った姿を見た瞬間。
言葉を失った。
黒い毛に覆われた小さな体。
頭には二本の黒い角。
黄金色の瞳。
耳は山羊のように長く、頬にも柔らかな毛が生えている。
しかし手足は人間そのもの。
まるで山羊と人間を混ぜ合わせたような少年だった。
鏡の中の少年も、同じように口を開けて固まっている。
「…………。」
数秒。
完全に思考が止まる。
やがて。
「……なんじゃこりゃあーーっ!!」
悲鳴が屋敷中へ響き渡った。
肩で息をしながら鏡を見つめる。
何度見ても変わらない。
そこに映っているのは、自分だった。
「なんで……。」
「なんで、黒い山羊なんだよ!」
静かな日本家屋に、二郎の叫びだけが虚しく響く。
この時、八木二郎はまだ知らない。
自分が並行世界の日本へ転生したことも。
ここが奥多摩にある八木家本家であることも。
そして、自分が外なる神――ヨグ=ソトースの落とし子として、新たな人生を歩み始めたことも。




