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雨音

春の終わりを告げるように、冷たい雨が降っていた。

夕方の大学の渡り廊下、傘を持たずに立ち尽くしている沙耶の姿を見つけたのは偶然だった。


「沙耶、傘ないのか?」


「はい。今日は油断してて……」


沙耶の髪はところどころ濡れていた。

俺は自分の傘を差し出し、無言のまま柄を傾けた。


ふたりで入るには狭すぎるビニール傘。

それでも沙耶は、少しも距離を取ろうとせず、俺の肩に寄り添った。


「……こうしてると、先輩の心臓の音が聞こえますね」


「聞こえるか?」


「ええ、すこし早いです」


「そりゃ、沙耶が近すぎるからだろ」


沙耶は少しだけ笑った。その笑顔は、いつものように冷静じゃなくて、どこか頼るような雰囲気があった。


「雨、嫌いじゃないです。……少し寂しくて、優しくて」


「どうして?」


「濡れたくないのに、それでも降ってくるから。

でも誰かが傘を差し出してくれたら、嬉しくなるじゃないですか」


俺は少し黙って、沙耶のほうを見た。


「……それって、俺のこと言ってる?」


「どうでしょう?」


いたずらっぽく沙耶が笑う。

その表情が、傘の中の薄暗い世界を少し明るくしてくれた。


ふと、沙耶が小さくつぶやいた。


「先輩、今のままじゃ……誰も選べませんよね」


「……ああ」


「でも、それでもいいです。

私は、“選ばれる努力”をやめません。

ちゃんと、先輩にとっての特別になれるように」


沙耶の言葉に、胸が締めつけられた。


こんな雨の日に、こんなにもまっすぐな想いを向けられて――

俺はもう、いつまでも立ち止まっていられない気がした。


「ありがとう、沙耶」


「いえ……感謝されるほどのことじゃありません」


濡れた道をふたりで歩く。

ビニール傘の中に響く、雨音と、俺たちの鼓動。


静かで、確かで、少しずつ前に進んでいく音だった。

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