距離
春の気配が強まる頃、講義終わりの教室で、沙耶と肩を並べてノートをまとめていた。
周囲の学生たちはざわざわと騒がしく、けれど、俺たちの間には静かな時間が流れていた。
「最近、よく一緒にいますね、私たち」
沙耶が不意に言った。声は静かで、でもどこか探るようだった。
「……迷惑だったか?」
俺がそう聞くと、沙耶は少しだけ笑った。
「違います。ただ……“特別”になれてるのかな、って思って」
俺は言葉に詰まった。
沙耶がどれだけ俺の言動に敏感に反応しているか、ちゃんとわかっているつもりだった。
それでも俺は、まだ彼女を“選び切れていない”ことを、どこかで悟られている気がした。
「先輩って、ちゃんと向き合ってくれるんですね。
たとえ何も言わなくても、距離感でわかるんです。
私、他の人と接してるときの先輩より……今のほうが、ずっと好きです」
その言葉が、胸に刺さった。
沙耶はもう、俺の曖昧さを見抜いた上で、それでも近づこうとしている。
「俺……まだ怖いんだよ。
誰かひとりを選ぶことで、他の子を傷つけるんじゃないかって」
「私のことだけ見てくれとは言わない。
でも、もし“私を選ぶかもしれない”って思ってくれてるなら、もう少しだけ……そばにいてください」
沙耶の声は震えていた。
強い彼女の、弱さが見えた気がした。
「そばにいるよ。……ちゃんと、考える。向き合うから」
そう言うと、沙耶はふっと力を抜いて、俺の肩に少し寄りかかった。
「ありがとうございます。……先輩の優しさ、信じますから」
その一言が、俺の決意を少しずつ強くしていった。




